あの場所からの景色
夏輝はその夜、『あのビル』に来ていた。
今はもう廃れて文字が見えづらくなった《立入禁止》と書かれた看板の横の紐をくぐり、夏輝は屋上へ上がった。
屋上の扉を開け端まで歩き、手に持っていたマリーゴールドの花束と『ふるふるゼリー』の缶を置いた。
夏輝は立ち上がると手すりに寄りかかり、景色を眺めた。
10階建てなだけあって、辺りはよく見渡せる。
当時から廃墟だったせいか、蔦が絡んだこのビルからの景色は、お世辞にも綺麗と言えるものではなかった。
ぽつぽつと点いた街の灯りと、たまに線路を通る電車の光。
電波塔の点滅する赤いライト。
実来が最期に見た景色は、こんなもので良かったのだろうか。
せめて最期くらい、もっと綺麗な景色を見せてあげたかった。
実来が好きだったマリーゴールドの花畑とか、よく行った海とか、空一面の天の川とか。
まあ今更そんなことを思っても、俺にできることはないのだが。
悔しかった。
この5年、泣いているだけで何もできなかった自分が。
自殺と断定されて、諦めるしかなかった自分が。
未だに少し考えただけでも目が熱くなる。
忘れた方がいいなんてことは分かってる。
前を向いて歩かなきゃいけない。
実来のためにも、明るく生きなきゃいけない。
そんなことは分かってる。
分かってるけど、理屈じゃないんだ。
夏輝の目から一筋、涙が零れた。
「あ、やっぱりここに居たんだ」
そんな声が聞こえ、夏輝は急いで涙を拭うと勢いよく振り返った。
そこには、優しく微笑みながらこちらに向かってくる恭介がいた。
恭介の手にはマリーゴールドと『ふるふるゼリー』が。
「やっぱりそれ、なっちゃんだったんだね」
恭介はそう言いながら花束とゼリーの缶を、夏輝が置いた場所の隣に置いた。
「はは、一気に増えたね、実来ちゃんのプレゼント」
恭介はそう言って立ち上がると、夏輝の隣で景色を見た。
「恭介もよく来てた?」
夏輝もまた、街の灯りを見ながら言った。
「うん、たまにね。受験中はなかなか来れなかったけど」と恭介。
「そっか、まあそれは俺もだよ」と夏輝。
そこまで話すと、2人の間に沈黙が流れた。
「...何か、久しぶりだな。2人で話すの」
夏輝はそう言って恭介を見て苦笑した。
恭介は相変わらず穏やかな表情で「そうだね」と笑った。
「まあ、なっちゃんが里親のところに引き取られてからだから...4年ぶりかな。一緒に住んでないとやっぱ話す機会も減っちゃうね。中学も、高校も同じなのに」
恭介に言われ、夏輝は「...だな」と苦笑した。
「もしかして俺のこと避けてた?」と恭介。
「えっ、いやあ、そんなことは...」
夏輝はそう言いながら再び景色に目を向けた。
「ふうん。まあ、気持ち分からないでもないよ。俺もなっちゃんといると、実来ちゃんのこと思い出しちゃうから意図的に離れたとこはあるかも。ごめんね」
「...俺の方こそごめん」
「いいって。一応高校は同じだしね。もう2年だけど」
「まあ、この辺じゃ大体行くとこなんて決まってるしな。俺ら孤児だし、私立とかは無理じゃん?」
「なっちゃんは里親さんがいるでしょ?」
「いるけど...俺、親に対する甘え方とか知らねーし。あ、すげー優しくしてくれてるし、きっと私立行きたいって言ったらいいよって言ってくれるんだろーなとは思うけど」
夏輝が苦笑すると、恭介は「そっか」と小さく笑った。




