表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/26

第9話「子供だから」

 


 重たくなった籠を背負い、アイは街を出ようと急ぐ。

 籠の紐が肩に食い込む、その感覚が妙に誇らしい。


(そろそろラミウが帰ってくる頃だ。僕も急いで帰らなくちゃ)


 大勢の人々と話をして、心身ともに疲れていたが、隠れ家へ帰る足取りは軽い。

 こんなに長く、沢山の人と会話をしたのは、生まれて初めてのことかもしれない。


(けど……帰る前に何か飲みたいな。井戸で水を飲んで行こう)


 ずっと喋っていたせいか、アイの喉は酷く渇いていた。

 地下路を目前に方向を変え、街にひとつだけある井戸を目指す。


 しかし、寄り道を決めたアイの判断は迂闊そのものであった。

 どんなにアイが街の人間と打ち解けても、アイの存在を良く思わない者は必ずいる。


 ラミウの叔父――

 井戸番の大男ダルシットが、まさにそのひとりであった。


「よう、アイザーク。ラミウはどうした。一緒じゃねぇのか」


 ダルシットは井戸の上に腰掛け、井戸桶を渡さんとアイを阻む。


「ラミウはいない。僕だけだ。喉が渇いたから水を汲ませて」


「余所者に水はやれねぇよ。毒を入れられるかもしれんからな」


 余所者という言葉の棘が、アイの胸に深く刺さる。

 アイは眉間に皺を寄せ、ダルシットの顔を臆せず見つめた。


「飲むのは今日が初めてじゃない。それに、僕は毒なんて持ってないよ」


「だから信用ならねぇんだよ。ラミウがいれば、水を汲ませてやれたんだがな」


「それなら井戸には近づかないから、おじさんが桶に水を汲んでよ」


 ダルシットは舌打ちをすると、井戸桶を高く振りかぶり、アイに目掛けて投げつけた。

 井戸桶はしたたかにアイの肩へと命中し、アイは痛みに低く呻く。


「生意気なクソガキが! この俺がっ、お前のために水を汲めだとぉっ!?」


「おじさんは意地悪だ。ああ言えばこう言うで、おじさんは何も聞いてくれない」


「はっ、この期に及んでまだ歯向かうか……いい度胸だ。徹底的に躾けてやるよ!」


 ダルシットはアイの腹や背中を狙って、何度も蹴りや拳を繰り出す。

 アイの細く薄い身体では、成人男性の力に抵抗できない。


 挿絵(By みてみん)


 されるがままのアイは、遠巻きに見つめる人々を見て必死に叫び、助けを求めた。


「痛いっ! お願いっ、誰か助けて!」


 しかし、誰もアイを助けようとはしてくれなかった。

 先ほどまで楽しく物々交換を交わした者も、アイと目が合うなり逃げるように去って行く。


「誰でもいいから、お願いだから……誰か僕を助けてよ……!」


 アイの願いは誰にも届かず、伸ばした手は空を掴む。

 結局ダルシットが飽きるまで、アイは無抵抗に殴られ続けた。


 痛みを自覚しないよう心を無にし、ほとぼりが冷めるまで、貝のように蹲る。


 そうして、自身でも気付かない内に気を失って――

 アイが再び目覚める頃には、すっかり日が傾いていた。


「……ううん、身体中が痛いよ……っ……」


 天窓から差し込む強い西日が、アイの傷をジリジリと焼く。

 アイは四肢に力を込めて、なんとか再び起き上がった。


「はぁ……はぁ……帰らなきゃ……ラミウがきっと心配してる……」


 痛む身体を引き摺りながら、帰路に就こうと歩き始める。

 スラム街を出るために、アイは帰巣本能のまま暗い地下路を延々と歩いた。


 外出して、どれ程の時間が経っただろうか――

 一方のラミウは川から地下路へ戻っており、もぬけの殻の隠れ家を見て絶句する。


「アイ……どこへ行っちゃったんだろう……!」


 慌てて探して行き違いでもしたら、更に大事になりかねない。

 ラミウは石段に腰掛けて、アイを信じて帰りを待った。


 やがて、地下路の果てから微かに足音が聞こえてくる。

 ラミウはすぐに立ち上がり、足音の方へ顔を向ける。


「――アイ……?」


 ラミウの瞳が、地下路の暗闇の奥を捉えた。

 そこには、覚束ない足取りでこちらへと歩いてくるアイの姿があった。


「ラミウ……ただいま……」


 ラミウの姿を見て安心したアイは、膝から地面へと倒れ込む。


「……アイっ!」


 ラミウはすかさず駆け寄り、倒れたアイを全身で抱き留めた。

 アイの重さでバランスを崩し、ふたりはそのまま後ろへと倒れる。


「アイ、一体何があったの!? 体中あちこち傷だらけだよ!?」


「遅くなってごめんねラミウ。街に行って、物々交換をして来たんだ」


「物々交換……? アイ、まさかひとりで街に行ったの?」


 アイは背中から籠を降ろすと、中から小さな包みを取り出した。

 ラミウはそれを受け取り、包みを開いて中の種を手のひらに出す。


「お婆さんが薬をくれたよ……お腹が痛い時に飲むと良いって」


「この薬を私のために? 気にしなくていいのに……病気じゃないもの……!」


 ラミウの言葉を聞いているのか、いないのか――

 アイは籠から交換した品を次々と取り出し、ラミウの前に広げて見せる。


「服が作れるくらい大きな布も、ナマズの捕り方も教わった。みんな意外と優しくて、僕はとっても嬉しかった」


「落ち着いて、さっきから言ってることがおかしいよ……! どうして怪我をして帰って来たの!?」


 血で濡れたアイの口元を、ラミウは指でそっと拭う。

 ラミウの指についた赤い血を見て、アイは改めて自らの状況を顧みた。


 服は破け、血に濡れ、皮膚のあちこちが裂けている。

 自身の惨めさと悔しさに、アイの瞳から涙が零れた。


「……ダルシットおじさんにやられたんだ。余所者は井戸を使っちゃ駄目って、水を汲ませてもらえなかった」


「おじさんが……!? そんな……っ、なんて酷い事を……!」


「酷い……本当に酷いよ。誰も助けてくれなかった。みんなが僕を見ていたのに」


 熱い涙に濡れた頬を、アイは強く、ラミウの胸へと押し付ける。


「薬をくれて、布もくれて、ナマズの捕り方も教わったのに――

 どうしてだろう。僕が余所者だからかな。僕らが子供だからかな」


 僕らが子供だからかな――

 アイが吐露した悔しさに、ラミウも共感して嗚咽を漏らした。


「ごめんねアイ……私がアイと川へ行くのを断ったから……!」


「ラミウのせいじゃないよ。僕が自分の判断で、勝手に街へ行ったんだ」


「それでも、私に責任があったよ……。アイに見られて恥ずかしいものなんて、ひとつもないはずなのに……!」


 ふたりは互いに強く抱き合い、声を出してむせび泣く。

 アイという存在が現れて、彼と共に暮らす内に、ラミウはすっかり勘違いしていた。


 大人たちに搾取され続ける理不尽さと、抗う事の出来ない無力さは、アイが傍にいても変わらない。

 そして今日、叔父の脅威はラミウのみならず、アイにも向けられていることを痛感した。


「ねえラミウ、たとえ僕が余所者でも……ラミウは傍にいてくれる?」


 そう小さく問いかけながら、アイの瞳は不安と恐怖に揺れていた。

 ラミウは熱い決心を胸に、アイを強く抱き締める。


「大丈夫……私はアイの傍にいるよ。必ず傍で、アイのことを守るからね……!」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ