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第8話「隠れ家の暮らし」

 挿絵(By みてみん)



 ラミウとアイが隠れ家で共に暮らすようになって、数ヶ月が経った頃――

 アイはすっかり地下路での暮らしに慣れ、ラミウのサポートに勤しんでいた。


「アイ、街は暗いから手を繋ごう。明け方は地面が濡れているから、滑らないように気を付けなくちゃ」


 ラミウがひとりで行っていた(あか)り番の巡回も、今ではアイが同行してくれる。

 もっとも、水晶灯(すいしょうとう)にセルを流すのはラミウの役目で、アイは見ているだけなのだが。


「ごめんねラミウ。僕も水晶灯にセルを流せればよかったんだけど」


「ううん、アイがそばにいるだけで心強いよ。隣にいてくれるだけで助かってるんだから」


 現に、街の大人たちは余所者のアイを警戒しているようで、ラミウに対する嫌がらせは以前と比べて減っていた。

 今やアイはラミウにとって、誰よりも心強く、家族同然に頼れる唯一の存在となっている。


「ラミウ、気を付けて。ココナッツの殻が落ちてるよ」


 アイは地面に散らばるココナッツを蹴り飛ばし、ラミウのために道を作って誘導する。

 セルエネルギーを体内で練れないアイは、水晶を灯すことこそ出来ないが、ラミウに付き添うことで彼女の身を守っているのだ。


「ありがとう、アイ……言われなかったら気付かないまま、踏んで足を切っていたかも」


「そうなったらラミウが可哀想だ。足を切ったら血が出て痛い」


 ラミウが怪我をする様子を、頭の中で想像したのだろうか。

 アイは軽く唇を噛み、悲しそうに肩を落とす。


「あははっ、そうやってすぐ不安そうな顔になる。ありがとうって言われたら、どういたしましてでいいんだよ?」


 ラミウに頭を撫でられたアイは、嬉しそうに歯を見せて笑った。

 柔らかい癖毛と素直な仕草が相まって、まるで小さな子犬のようだ。


「ねぇラミウ……帰ったら僕は草を編んで、靴を一足作ろうと思う」


「いきなり何? 靴なんて作っても、すぐに汚れて駄目になるよ」


「それじゃあ僕、何足も編むよ。ラミウがココナッツの殻を踏んでも大丈夫なようにさ」


「いらない。街中で靴なんて履いたらさ、それこそ大人たちに目を付けられちゃう」


 街の大人たちはいつも、ラミウの些細な変化を指摘して嘲笑(あざわら)った。

 やれ髪が伸びた、色気づいたなど、好き放題に言い立てられる。


 最近はただでさえ大きな変化――

 アイが傍にいるようになったのだ。


 これ以上、不用意に目立つべきではないと、ラミウはアイの提案をきっぱりと断った。


「それじゃあラミウは一生裸足のままでいるの?」


「大人になったら履くつもり。その時はさ、ふたりで一緒に街を歩こう」


 ラミウはアイの手を取って、約束だと言わんばかりに強く握る。

 アイも頬を赤く染め、嬉しそうに頷いた。


「うん……約束だ。靴を履いて歩くのが楽しみ」


「その時はどこへでも行けちゃうかもね」


 ふたりは笑顔で巡回を終え、街から地下路へ歩いて帰る。

 緊急避難ハッチへと続く石段を登り、誰も寄り付かない踊り場へ。


 ふたりが暮らす隠れ家は、ラミウがひとりで暮らしていた頃よりも、少しだけ住居らしい佇まいになっていた。


 古いシーツの天蓋に、草で編んだ柔らかな絨毯。

 毛皮を縫い合わせて作った毛布に、少し歪な手彫りの桶。


 どれもラミウとアイで協力して手作りした作品たちだ。

 ここにある物の数だけ思い出がある。


 アイは手先が器用な方で、ラミウがひとつ教えたら、応用して十まで作り上げてしまう。

 ラミウがナイフの使い方を教え、アイに木の桶を彫らせた翌日には、スプーンやフォーク、大小の皿まで揃ってしまった。


「アイ、朝食はマンゴーを半分こしよう。先週拾ったものが美味しそうに熟れてるからさ」


「うん。それじゃあ大皿一枚と、ナイフとスプーンをそれぞれに出すね」


 アイは荷物を分別している籠から、木製のナイフとスプーンを取り出す。

 作品の出来栄えについても、アイはいつの間にかラミウの実力を追い越していた。


 ラミウはスプーンを見つめながら、複雑な心境でぽつりと呟く。


「アイが来る前はマンゴーなんて、直接ガブッと齧ってたのに。今では優雅にスプーンなんか使ってる」


「だってラミウ、マンゴーを食べた後は必ず、唇や顎が痒いって言うでしょ?」


 アイは湿らせた布巾を手に取って、ラミウの口周りを拭おうと身を乗り出す。


「ほら、さっそく唇がベタベタだよ。早く拭かないと痒くなっちゃう」


「分かってるよぉっ、自分で拭けるから大丈夫だってっ!」


 これではどちらが年上なのか分からない。

 ラミウはアイから布巾を奪うと、口周りに付いた汁を乱暴に拭った。


「そんなに強く拭いたら痛くなっちゃう」


「ならないっ! もうっ、子供扱いしないでよっ! 私よりずっと小さいくせに!」


「だって僕らは子供だもの。誰かに口を拭かれたって、ちっとも恥ずかしくないはずだよ」


 正論を言われて、ラミウは返す言葉が見つからない。


「……もうっ、これ以上ムカつくこと言ったら、もうアイにセルを分けてやらないからね!」


「そんな、ズルいよ。セルを貰わないと動けなくなっちゃう。ラミウの隣を歩けなくなるよ」


 アイはどういうわけだか、自分自身でセルエネルギーを練ることが出来ない。

 強き者でなくとも、普通の人間なら自分の意思で多少のセルを練れるはずなのだが、アイにはそれが難しいようだ。

 しかし体内に溜めておくことは出来るため、ラミウは毎晩、アイにセルを充填してやっていた。


「私だって疲れるんだからね。毎日アイにセルを分けて、街中の水晶灯を灯してさ」


「……そっか、ごめんねラミウ……無理をさせてたなんて知らなかった……」


 ラミウの言葉にショックを受けてしまったのだろうか、アイは毛布を頭から被り、膝を抱いて横たわる。

 そんな仕草が可愛くて、ラミウは堪らず毛布の上からアイの身体に覆いかぶさった。


「冗談だよ。アイ、セルを分けるから出ておいで」


「いらない。ラミウが辛いなら僕……がまんする……」


「冗談だって。私は〈強き者〉なんだから、セルなんていくらでも練れるんだよ」


 アイはラミウの瞳を見つめ、言葉に嘘がないか見極める。

 そうして少し何かを考え、おずおずと身体から毛布を剥ぐと、ラミウの首に手を回した。


「もしも、ラミウが本当に辛かったら……その時は、ちゃんと僕に言ってね?」


「うん……アイは本当に優しいね。強い言葉でからかってごめんね」


 ラミウはアイの背中に手を回し、互いの胸同士をピッタリと合わせる。

 たちまち、触れ合った胸が仄かに蒼く輝きを放った。


 流れ込むセルに呼応して、アイの全身に刻まれた筋彫りが、蒼く鮮やかに浮かび上がる。


「……はぁっ、ラミウ……――」


 セルが満ちる感覚に酔っているのだろうか。

 アイは恍惚とした表情で、ラミウの名を求めるように呟いた。


「アイ、大丈夫? ちゃんとセルを受け取れてる?」


「うん。心が優しい気持ちになって、どんどん元気が湧いてくるよ」


 ラミウのセルエネルギーを吸った影響だろうか――

 触れ合うアイの冷たい胸が、次第に温もりを帯びていく。


 アイにセルを分けながら、ラミウはふと疑問に思った。


(セルを分けてもらわないと動けないなんて、難儀な身体。私と出会う前のアイは、どうやって生きてきたんだろう)


 川で出会った以前のことを、アイはラミウに話そうとしない。

 話したくないのか、記憶喪失か何かで思い出すことが出来ないのか。


 どちらにしろ、アイはきっと孤独なはずだ。

 ラミウはアイを慰めるように、抱く腕の力を少しだけ強めた。


「私のお母さんもね、私がアイにするみたいに、よくこうして抱き締めてくれたんだよ」


「ラミウのおかあさん……僕も会ってみたいなぁ。その人は今、どこにいるの?」


「ずっと昔に死んじゃった。顔も声も覚えてないけど、温もりだけは覚えてる」


 ラミウの母親は、ラミウが今よりもずっと幼い頃に、流行り病に罹って死んでしまった。

 彼女もラミウと同じく〈強き者〉で、膨大なセルエネルギーを、その身に有していたらしい。


 ひとりで暗い地下路を歩き、水晶を灯して回っていたと――

 大嫌いな叔父からそう聞いている。


「お母さんに抱き締められると、守られてるって感じがして……心の底から安心したんだ」


「わかるよ。僕も今、とっても安心してる。ラミウはどうかな……安心してる?」


「うん。アイとこうすると安心するよ」


「僕がギュウって抱き締めたら、ラミウも守られてるって感じする?」


「それは、どうかな……。アイは私より小さいし、守られてるって感じじゃないかも」


 アイは口をへの字に曲げて、ラミウの胸をやんわりと押し退ける。

 そうしてひとり、毛布を頭まで掛け直すと、膝を抱いて拗ねてしまった。


「あははっ、すぐにそうやって拗ねないでよ。仕方ないじゃん……アイはどこか、弟みたいに感じちゃうんだ」


 アイは時折、分かりやすく拗ねて、ラミウに不服を申し立てる。

 子供扱いが気に入らないのは、どうやらアイも同じらしい。


 ラミウは笑って立ち上がり、木の桶と棍棒を小脇に抱えた。


「よしっ! 朝日も十分に昇ったことだし、川へ行って棍棒を清めに行こうかな」


「……僕も一緒について行きたい!」


「今日は駄目。見られたくない汚れ物があるの。アイはひとりでお留守番してて」


 ラミウはアイに手を振って、ひとりで密林へ出かけて行く。


「ラミウのケチ。僕も一緒に行きたいのに」


 いつも並んで川へと出かけ、身体も一緒に洗っているのに、今更何を恥ずかしがるというのだろうか。

 残されたアイは呆然とその場に座ったまま、ひとりの時間を持て余した。


(……そうだ、僕も一人で出かければいいんだ。作った物を街に持って行ってみよう)


 隠れ家にはアイが作った手作りの食器が山ほどある。

 大小様々なサイズのコップに、重くて平たい大皿など、作ってみたはいいものの、使われず放置されている物まで。


「前から勿体ないと思ってたんだ。塩や薬と交換できたら、ラミウもきっと喜んでくれる」


 アイは手作りの食器を籠に詰め、小さな背中に軽々と背負う。

 そうして、物は試しと言わんばかりに、ひとりでスラム街へと出かけた。


 隠れ家のある非常階段からスラム街までは、川までと同じ程度の距離だ。

 枝分かれする地下通路を、正しい分岐で辿って行けば、すぐに居住区域に出る。


「ラミウがいないけど大丈夫。この道は何度も通った道だ」


 朝のスラムは共用井戸を中心に、歩く人々でごった返していた。

 アイは人の波を掻いくぐり、街の奥へと歩を進めた。


「確か、こっちの暗がりの方に、足の悪いお婆さんがいたはず」


 ラミウと共に水晶を灯す日々の中で、アイはいつも暗がりの存在を気に留めていた。

 天井を這うように設置された足場からは、その様子がよく見えたからだ。


 明かり取りの天窓からも、水晶灯からも遠い場所――

 いつも暗い裏路地は、昼夜を問わず、着飾った女が男を誘って商売をしている。


 実際に現地に赴き、自分の足で歩いてみると、思ったように目的地へと辿り着けない。

 迷路のように入り組んだ道は、気を抜くと迷ってしまいそうだ。


 噎せ返るような香木の煙が立ち込める中、アイは鼻をつまんで目的の場へと急ぐ。


「……見つけた! 探してたお婆さんだ!」


 老婆は道端に絨毯を敷き、壁にもたれて座っていた。

 朝から何をするでもなく、トタンの屋根から滴る結露をココナッツの殻で受けている。


「お婆さん、木彫りのコップはいりませんか?」


 アイは老婆の元へ駆け寄り、遠慮なしに声を掛けた。


「僕の作ったコップと何かを、物々交換して欲しいんだ」


 老婆は不機嫌な様子で眉を寄せ、アイを強く睨みつける。


「お前さん、あたしゃ物乞いだよ。生憎、何も持ってやいないさ」


「それじゃあ、僕に知識を教えて。薬になる草とか、安全に食べられるキノコとか」


 思わぬアイの提案に、老婆は目を丸くした。

 そして籠を覗き込み、一番底に転がっていた小さなコップを摘まみ上げる。


「ははっ、強情な男だね。このコップはそれほど自信作かい」


 底の歪んだ手彫りのコップは、お世辞にも上手いとは言えない代物だった。

 金を取れるほどの出来ではないと、アイ自身も理解している。


「だって、お婆さんのココナッツの殻は、カビがいっぱい生えているから」


「そうかい? すっかり目が悪くてね。気にしたこともなかったよ」


 アイは老婆の手からココナッツの殻を取り上げると、たまった水をコップに移し替えた。

 そうして殻を遠くへ放り、老婆にコップを押し付ける。


「ずっと心配だったんだ。そんな物を使い続けていたら病気になるし、せっかくのお水も美味しくないよ」


 老婆はコップを覗き込み、濁りのない水を見つめる。

 そうして暫く何かを考え、肩を揺らしてクツクツと笑った。


「病気になるし美味しくない、か……。お前の心には偽りがないね」


 老婆はコップに口を付け、中の水をゆっくりと味わい、やがて一息に煽る。


「……はぁ、美味しい水だこと。久し振りに人らしくなれた気がするよ」


 嬉しそうにそう呟くと、老婆は懐から小さな包みを取り出した。


「気に入った。お前のコップと私のクミンを物々交換してくれるかい?」


「クミン? それは、どう使うの?」


 アイは包みを開けて中を覗く。

 中には乾燥した種が、数十粒ほど入っていた。


「鍋に水とコイツを入れて、半量になるまで煎じて飲めば、腹の痛みを和らげてくれる」


「すごい、痛み止めのお薬だ。ラミウのお腹にも効果あるかな?」


「いつも一緒にいる女の子かい。お前が煎じて飲ませてやりな。私はもう、とっくの昔に上がってるからね」


 言葉の意味をすべて理解することは出来なかったが、アイはニッコリと微笑んで、老婆の手を取り握手する。


「お婆さん、交換してくれてありがとう。また何か欲しいものがあったら言ってね」


「こちらこそ礼を言うさ。客として扱ってくれて嬉しかったよ」


 アイはご機嫌に籠を背負い、再び歩き出そうと立ち上がった。

 そんなアイの背後から、若い女性が声を掛ける。


「あの……私とも交換してくださらない?」


「もちろん。欲しいものがあれば何でも言ってください」


「籠枕が欲しいわ。頭が蒸れて痒いのよ。長い布と交換してくださる?」


「この布があれば腰巻きが作れる。ぜひ交換してください」


 刺青だらけのアイを警戒し、遠巻きに様子を見ていた人々が、次第に傍へと近寄って来る。

 皆一様に、物々交換に興味を示したのだろうか。


「俺はジョッキ代わりになる物が欲しい。あげられる物は何も無いから、ナマズの捕り方を教えてやる」


「すごい。その知識はどこから得たの?」


「父親から習ったんだが、臆病で外には行けないからよ。持ち腐れた知恵でも持っていけ」


 男はアイの耳に顔を寄せ、漁の知識を共有した。

 川へよく行くアイにとっては、何よりも得難い知識だ。


「……ありがとう。ナマズが捕れたら、お兄さんにも分けてあげるね」


「ああ。このジョッキ、有難く使わせてもらうぜ」


 太陽が真上に差し掛かる頃には、持参した品物はほとんど貰われていき、籠の中は交換したものでいっぱいになる。

 同時に、スラム街の人々と打ち解けた喜びで、アイの心は不思議な温かさで満たされていた。


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