↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
54/57

第54話「お兄ちゃん」

■更新お知らせ

作者はアストロジカ第三章:ソウル支部編のために韓国旅行へ取材に行ってます。

(ソウル支部はまだまだ先だが今から取材に行くんだ……)

暫くは水曜更新のみです。



挿絵(By みてみん) 

 白銀の大地に血の花が咲く。

 雲間から月が姿を現すと同時に、赤羊峰(せきようほう)を覆っていた濃い霧が晴れていった。


 そして――

 宙を舞った周の身体が、力なく雪原へと落ちていく。


 战斗羊(ジャンドゥーヤン)の断末魔は、春梅(チュンメイ)の耳にも届いていた。

 春梅は背後を振り返り、落下する周の姿を見る。


「……っ、周(シュー)お兄様!」


 春梅は赤羊峰の頂上に岳(ユエ)を残し、周の元へ駆け出した。

 頂きに聳える黒い塔に縋りながら、岳は信じられないものを見るように春梅の背を睨む。


「くそっ、どいつもこいつも俺を置いて行きやがってっ! 俺ってホントにモテねぇよなぁ……っ!」


 岳は悪態をつきながらも、暗黒星石(モノリス)の塔にセルを流す準備を始めた。

 身体を擦りつけるようにして表面に積もった雪を落とし、残された右手を押し当てた。


「――接続(エンゲージ)!!」


 周の身体が春梅の腕の中へ落ちるのと、赤羊峰全体にセルが流れたのは、ほぼ同時であった。


 春梅に抱かれた周の身体を除き、地を這うセル光の波紋に触れた動植物たちは、一瞬で塵となっていく。

 焔が馬代わりにした小さな動植物も、喰われてもなお膨張を続けていた小満(シャオマン)も――


(岳……彼はどうしてセルエネルギーを練れるんだろうか。まさか桃花酒を飲んでないのか?)


 息も絶え絶えに横たわりながら、焔(ホムラ)は山頂の岳を見つめる。

 浅い呼吸を繰り返すたび、体内に埋まった鉄扇が僅かに揺れ、胸の奥に激痛が走っていた。


(少しヤバいな……怒面を解除したら失血死するかも……)


 焔は全身を強く力んだまま、少し離れた場所から春梅を見る。

 周の上体を胸に抱き、しゃくりあげながら泣く彼女に、いつもの冷静さは残っていない。


「お兄様、うわああんっ、おに……お兄ちゃん……っ、おにいちゃああーーーーんっ!」


 かしこまったお兄様から、幼い頃のようなお兄ちゃんへ――

 春梅はまるで子供のように、周の胸に顔を擦りつけて泣いていた。


 頭上に響く泣き声を聞いて、周はゆっくりと目を見開いた。

 涙に濡れた女の顔を、焦点の定まらない瞳がぼんやりと見つめる。


『――春……梅……?』


「お兄ちゃん……会いたかったよう……ずっと、ずっと会いたかったの……」


 自らを見下ろし涙を零すは、見知らぬ大人の女の姿。

 それなのに、泣きじゃくる顔には幼かった妹の面影がある。


『どうしたんだ……お前、また誰かに揶揄(からか)われて泣いてるのか……?』


 战斗羊(ジャンドゥーヤン)――

 周は春梅の頬に手を伸ばした。


 しかし、その腕は肘から先が失われている。

 妹の涙に触れることなく、腕の断面が虚しく宙を撫でるだけ。


「お兄ちゃん、私……お兄ちゃんに謝りたかった……! あの日、あの時……笑顔でお兄ちゃんを見送れなくて、悲しませちゃってごめんなさい……!」


『ああ……あれは本当にうるさかった……俺を呼ぶお前と母さんの声が、神輿の中まで聞こえてたから……』


「お兄ちゃん、私……お兄ちゃんを迎えに来たの。お母さんの待つチベットへ帰ろう?」


 周は驚いたように目を見開き、春梅を見上げる。


『迎えに来た……この俺を、赤羊峰の霊廟まで……?』


 高く麗しい周の声に、地を這うような低い声が重なった。


「うん……お兄ちゃん……そして、歴代の战斗羊(ジャンドゥーヤン)さん……今までの長いお勤め、本当にお疲れ様でした……!」


 周の胸に顔を埋めて、春梅は絞り出すように礼を告げた。


「お兄ちゃん……もう戦わなくていいよ。頑張り続けなくていい。ネパールとの国境付近に、ツァルカっていう名前の村があるの……」


 家族を战斗羊(ジャンドゥーヤン)として送った遺族が集まる小さな村。

 大自然の中に存在する、人とネオフェネックが共存する長閑な楽園。


 春には必ず雪解けを迎え、色とりどりの花々が咲き――

 夏には蜜蜂が忙しなく飛び交い、村人たちの笑い声が絶え間なく響く。


「お兄ちゃんが眠るのは、英雄も何も関係ない……村でひとつの共同墓地。オートマタマザーの歌声が奏でる、愛の喜びが響く場所……」


 春梅の語る〈オートマタマザー〉とは――

 文明から隔絶された集落にて、人を導く機械人形。


 サンテックス軍が管理を放棄した土地では、失われた秩序を守るために、このような存在が配備されていることが多い。

 オートマタマザーやファザーと呼ばれる彼らは、獰植物の蔓延る地にて、信仰対象同然の存在であった。


 人より長い命を持ち、歴史を歌にして伝え続ける。

 〈めでたし、めでたし〉のその先の、遙か未来の子孫まで。


 战斗羊(ジャンドゥーヤン)の御霊にとって、その誘いは希望でしかない。

 春梅の言葉を聞いた周の瞳から、赤い涙が流れ落ちた。


 家族の元へ帰ることのできない战斗羊(ジャンドゥーヤン)に、迎えが来たのは初めてのことだったからだ。


『俺も……私も帰っていいのか? 家族たちの待つ平穏な家に――』


「もちろん。ツァルカ村の人たちが……いつまでも、いつまでも見守るから……」


 春梅は涙を拭いながら小さく笑った。

 战斗羊(ジャンドゥーヤン)は静かに息を吐き、蒼い薔薇の輝く空を見上げる。


 身を焦がすほどの激しい闘志は、責任と共に燃え尽きていた。

 空っぽになった战斗羊(ジャンドゥーヤン)の心に残されたのは、寂しい、帰りたいという原初の願望のみ。


 战斗羊(ジャンドゥーヤン)の両の目から、赤い涙が滝のように零れていく。


『ああ、俺の戦いは終わったのか。身も心も、本当にヘトヘトにくたびれたぞ……』


 呟かれた声と自嘲混じりの笑い声は、まるで木々の騒めきのよう。

 地を這うような低い声たちが、周の声に重なるように静かに震えて泣いていた。


『春梅……俺を……私たちを村に運んでくれ……。この身を形作る数多の御霊を、一人残らず楽園へ――』


「うん、一緒に行こうね……家族たちの待つ、ツァルカ村へ……!」


 周が力尽きるように目を閉じた瞬間、異形を包む繭が割れた。

 巨大な赤黒い毛皮の異形は、裸の煙を抱えたまま、形を崩して蕩けていく。


 赤羊峰の英雄伝説は、英雄たちの魂の帰還で幕を降ろした。


 そう、誰しもがそう思った――

 その時だった。


 塔に縋りついていた岳が、腹の底から声を張り上げる。


「おいっ、お前ら後ろを見ろ! なんかヤベェのが迫ってるぞ!」


 割れた繭の中から無数の触手が伸び、焔と春梅、周の身体に襲い掛かった。

 触手は三人を絡め取ると、巨大な繭玉の中へと引きずり込む。


「岳、そのまま塔にセルを流し続けろっ! 最悪ひとりで逃げてくれっ!」


 繭の中でひしめき合う、無数の触手たち――

 四方八方から押し寄せる凄まじい圧に、焔は咄嗟に両腕で頭を守った。


「ぐっ……!」


 蠕動する触手に押し潰されそうになるたび、埋まった鉄扇が体内で軋む。

 焔は怒面を解くこともできず、全身に力を込めたまま、ただ圧迫に耐え続けた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。