第5話「河岸通りにて」
ラミウは倒れたリヴに駆け寄り、肩に触れて声をかけた。
「リヴ……大丈夫? 私の声、聞こえるかな?」
「んんぅ、ラミウお姉ちゃん……いててっ、背中が痛いよぉ……」
リヴは自ら上体を起こし、ふらつきながらも立ち上がる。
目立った外傷や骨の異常はなさそうだ。
ラミウはほっと胸を撫でおろした。
「あーあ……帰りの足がなくなっちゃったー。あたしこれからどうしようー」
取り残されたルウナは大きく長い溜め息をつき、バオバブの木の根に腰掛ける。
ラミウはリヴと共に、ルウナのもとへ歩み寄った。
「えっと、ルウナさん……だよね? さっきは助けてくれてありがとう」
「ルウナでいいよー。あたしもあのオジ嫌いだったし、正直スカッとしちゃったよねー」
ルウナは背後を振り返り、バオバブの洞内を覗き込む。
中では、子供たちが身を寄せ合って震えていた。
「キッズたちも驚かせちゃってごめんねー。びっくりしたでしょー」
「怖かった……さっきの大きいおじさん、どうして父ちゃんと母ちゃんを連れて行こうとしたの?」
純粋なリヴの問いに、ルウナは気まずそうに顔を背ける。
「あたしだってさー、燃料の正体が人間だって知ってたら、こんな仕事は請けなかったよー」
「ルウナも知らなかったんだね。本当に……何もかもがビックリだよ」
セルエネルギーを求め、コンセミアを収集する――
そんな恐ろしい行為を、どんな組織が、なんの目的で行っているのだろうか。
洞の前で話していると、不意に遠くから足音が聞こえてきた。
小道の茂みを掻き分け、ディガンマが駆け足で姿を現す。
「……ラミウ、大丈夫ですか?」
「先生っ、来るのが遅いよ!」
ディガンマは状況を見極めるように周囲を見回した。
外に置かれたコンセミアと、地面に残る大量の血痕――
それらを見るなり、ディガンマは足早にラミウのもとへ歩み寄る。
「争った後のようですね。ラミウ、怪我はありませんか?」
「私は大丈夫。だけど、リヴが両親の下敷きになって……」
ラミウは傍らに立つリヴの背をそっと押し、ディガンマの前へ導いた。
「どれ、先生に見せてごらんなさい」
ディガンマは片膝をついて跪き、リヴの全身に手を添える。
「痛いところはありませんか? 頭が痛いとか、気持ち悪くは?」
「大丈夫だよ……ちょっと背中が痛いだけ」
ラミウはリヴの服を捲り、打ち身の箇所をディガンマに見せた。
「軽い打撲のようですね。何があったか教えてください」
「盗賊まがいの軍人が来て、洞に安置してる人たちを盗もうとしたの」
「軍人だって……? ラミウの後ろに座っている彼女は?」
ルウナは首を少し傾げ、自分のことかと指を差す。
「あたしはルウナ。盗賊まがいの軍人のー、盗賊の方をクビにされたばっかー」
ディガンマは何も言わずに立ち上がり、無表情のままルウナを見下ろした。
先ほどまで吹いていた風が止み、木々のざわめきや鳥のさえずりまでもが消える。
異様な静寂の中、並々ならぬ威圧感がルウナへと向けられ――
その余波は傍らのラミウにも及んだ。
ルウナは耳を極限まで垂らし、ラミウの背に縋りつく。
「きゅううんっ……ラミウ~、コイツめっちゃ怖いんだけど~っ!」
「先生っ、ルウナは私たちを助けてくれたの! コンセミアのことについて、何も知らないみたいだった!」
「そうそうっ、知らないっ! こんなの見たの、今日が初めてなんだからさーっ!」
ディガンマは深く長く息を吐き、リヴを抱き上げて静かに呟く。
「……子供たちを連れて帰りましょう。詳しい話は地下路でゆっくり聞きますから」
帰り道は、ディガンマが子供たちを引き連れる形で先頭を歩く。
後ろを歩く子供たちが、無邪気な声でディガンマに甘えた。
「ディガンマせんせー、帰りもムカデごっこしたいー」
「ああ、いつものやつですね。私の黒い布を掴んでどうぞ」
そう言いながら、ディガンマは上体に巻きつけていた黒帆布を解いた。
先頭の子はそれを受け取るなり、前から後ろへと手渡していく。
黒帆布はラミウの手へ渡り、やがて彼女の背に縋るルウナのもとへ。
「あたしもこの布を持つの? 触ったからって怒らないでよー?」
ルウナは恐る恐るディガンマの黒帆布を摘まむ。
不思議と、指で触れた箇所が仄かに蒼く輝きを放った。
「うわっ」
驚いたルウナは咄嗟に手を離す。
それとほぼ同時に、ディガンマがルウナに話しかけた。
「ルウナさん、先ほどは怖がらせてしまいましたね。理由を知らずにあのような態度を取ってしまい、申し訳ございませんでした」
「あ……ううん、あたしも言い方が悪かったよ」
「お仲間と共に軍のCR機で来たようですが、あなた方は何処から来たんですか?」
「上流にあるアストラヴァナ。1時間かけて飛んで来たの」
そこまで話して、ルウナは不思議そうに首を傾げる。
そして、ラミウの耳元にマズルを寄せ、訝しげに耳打ちした。
「……ねぇラミウ。ディガンマって野郎に、あたしのこと説明した?」
「私からは何も。地下路で話を聞くって言ってたし」
ルウナは視線だけを下に移し、それとなくラミウの手元を見る。
握られた黒帆布が仄かに光り続けているのを見て、ルウナは露骨に顔をしかめた。
「そういえば先生、全然話を聞いてこないね。ルウナのことも最初から怒ってないのかもよ?」
「やぁぁーーやっぱりあいつ不気味過ぎるーっ、ラミウ助けてぇー怖いよぉーっ!」
「ちょっと、こんな所で泣かないでよ! ほら、もう少しで地上だよ!?」
地下路の階段を登りきり、一行はシャーンティ診療所の門前まで戻った。
時刻は昼を少し過ぎた頃――
子供たちは昼食を求めて、我先にと門の中へ駆けていく。
「ルウナはとりあえず私の部屋に泊まっていいよ。私のベッド、ひとり用にしては大きめだからさ」
「わーい、ありがとうー。ついでにシャワーも貸してほしいかもー」
戻ろうとするラミウの後を、ルウナが追う。
門をくぐろうとしたその時、ディガンマの手がルウナを制した。
「悪いですが……あなたを泊めることは出来ません。宿泊代を出しますから、河岸の宿へ行くといい」
「先生、どうして? ルウナは悪い人じゃないって先生自身も分かってるでしょ?」
「そうですね。しかし、あんな事があった後です。子供たちも怯えるでしょうし……何より、彼らの親たちに示しがつきません」
ルウナはディガンマの背後――
診療所の入口を見る。
そこには、ルウナを睨んだまま、静かに立ち尽くすリヴの姿があった。
ルウナは言葉を失い、目を伏せる。
「……いいよラミウ。ディガンマの言う通りだよ。あたしは宿に泊まるからさ」
「でもっ、知らない街に一人ぼっちじゃ不安でしょう?」
ディガンマは静かにラミウの手を取り、紙幣を数枚握らせた。
「ならばラミウもルウナと共に宿泊しなさい。多めに二千レピーを渡しておきます」
ラミウは手のひらを開き、紙幣の枚数を確かめた。
「すごい……私のひと月のお給料だよ……! 先生、私以外には太っ腹なんだね」
ルウナはディガンマの顔色を上目で窺う。
「あー、気をつかわせてごめんっつーか……なんか色々ありがとう……」
「時間を置いて、また来てください。次はラミウの友達として」
ディガンマはそう微笑んで言うと、ラミウとルウナに背を向け、診療所へと戻っていく。
ラミウはルウナと顔を見合わせ、宿を探すべく河岸通りへと歩を向けた。
「ごめんねルウナ。ディガンマ先生って、ああ見えて結構頑固だから」
「いやいや、あたしが悪いんよー。なーんか心にささくれな気分。子供たちに、きちんと謝ればよかったかなーって」
ふたりは大河を望みながら、広い石段をゆっくりと降りていく。
黄金柱の巨大な影を日除けに、時折足を止めながら河岸へ向かった。
「それにしても、ラミウの暮らすベレナスって変な街だよねー。暗黒星石の柱なんかを、神様みたいに崇めちゃってさー」
「アストラヴァナは、ここよりずっと近代的な街だもんね」
「おっ、アストラヴァナは知ってるんだねー。バイミーやオジってスラングは知らないのに」
アストラヴァナとは――
ベレナスから大河を下って七十キロほどの場所にある空中都市である。
その形状は、一言で言えば空を漂う逆三角形。
地上三百メートルほどの天空に浮かぶ〈楽園〉は、大地由来のセルエネルギーで浮かんでいるのだと。
人類統合防衛機構〈サンテックス軍〉の拠点であり、富裕層やエリートが多く暮らしているらしい。
ルウナの都会っ子ぶりを見ると、デルタ状の箱庭で暮らす恵まれた者たちは、獰植物の脅威を知らないのだろう。
「うぅー日差しが暑ーい。そういえばさー、ベレナスの宿ってアメニティとか付いてるのかなー?」
「ついてないことの方が多いね。シャンプーなんかは露店で買った方がいいよ」
「そっかー……。でも、あたし露店とかめっちゃ好きー! 喉乾いたから何か飲みたいかもー!」
「チャイ屋さんなら美味しい店を知ってるよ。知り合いのおじさんがやってるんだけど……」
ラミウは河岸に向けて目を凝らす。
ベレナスの河岸は相も変わらず、沐浴や巡礼に勤しむ人で混雑しているため、小高い場所から探した方が効率がいいのだ。
しかし、ラミウがいくら探しても、チャイ売りの男が見当たらない。
「……いないや。今日はもう売り切っちゃったのかなぁ」
「ねぇ、ラミウあれ見て! バナナやパインのミラクルジュースだってー! あたしあれにするー!」
結局、地元名物のチャイではなく、観光客向けのジュースを買うことにした。
タライの中で大量の氷に冷やされているのは、果物のシロップで味付けされた透明な水。
ジュースとは程遠い代物だが、購入する人が後を絶たないあたり、それなりに人気なようだ。
「めっちゃウマーイっ! 透明なのにパインの味して脳がバグるー!」
「初めて飲むけど美味しいね。冷たくて喉が気持ちいい」
「えっ、ラミウこれ初めて飲むのー? 地元民なのにー?」
ルウナは軍服の内ポケットから手のひらサイズのスマートデバイスを取り出すと、手慣れた様子で操作し始めた。
ラミウは横からデバイスの画面を覗き見る。
「ねぇルウナ、それがバイミーってアプリ?」
「そうだよー。面接ナシで即日参加、即日払いの楽ちんバイトー」
「オーナーがいるって言ってたよね……。指示や目標が達成できなかったらどうなるの?」
「報酬無し、かつ星1評価。今回は燃料を見つけられなかったって正直に話せば、なんとかなるかなー」
「でも……あのオジって男が、オーナーに本当のことを話しちゃうんじゃない?」
「クソオジはもう飛んだっしょ。アカウントごと消えてるもん。今頃あいつ、家でメソメソ泣いてんじゃない?」
ルウナが話す言葉の二割を、ラミウは理解できていない。
(それでも、年頃の近い女の子と会話するのは楽しいな)
ラミウはディガンマの年齢を詳しく知らない。
少なくとも、自分よりずっと年上であることは確かだ。
診療所に入院しているのは年下の子供たちばかり。
もちろん、ラミウと年頃が近かった者もいたが、今では森で眠っている。
ラミウはスマートデバイスを覗き込むふりをして、ルウナの肩に身を寄せた。
ルウナは嫌がる素振りもなく、慣れているのか、ラミウの身体に尾を巻きつける。
「あははっ、ルウナったら。尻尾がモコモコで暑いったら」
「そっちから近づいてきたんじゃーん。バイミー気になる? ラミウもお金稼ぎたいんでしょー」
ルウナはラミウのマンゴージュースを奪い、代わりに自分のパインジュースを差し出した。
何気ない交換に驚きながら、ラミウはそれを受け取り、ひと口飲む。
「ねぇルウナ……バイトに燃料を集めさせるなんて、オーナーは何が目的なんだろう」
「何らかの理由でセルエネルギーが大量に必要なんでしょー。このオーナー、富裕層向けにサーカスを運営してるみたいだし」
「富裕層向けのサーカス? 象とか空中ブランコとか?」
「違う違う。アストラヴァナで開催されてる強き者たちの博覧会。富裕層向けの娯楽っぽいよー」
ルウナはマンゴージュースを飲み干し、空のコップをラミウに渡した。
そして、まだ中身の残るパインジュースを、自然な手つきでラミウから取り戻す。
「元人間まで燃料として扱ってるなら、ロクでもない組織だろうねー。そう考えると、今回の案件は失敗してよかったのかもしれないなー」
ラミウはしばし黙り、何かを考え込む。
「……ねぇルウナ。燃料を持ち帰れなくても、私を新手の〈強き者〉としてオーナーに紹介すれば、ルウナに報酬が入るんじゃない?」
「はぁー!? 何言ってんの? ラミウ、あんた自分を売る気ー?」
「違うよっ、あくまで一晩限り参加するだけ! ルウナには、私のパトロンになってほしいの!」
ルウナは眉をひそめ、肩を竦める。
何が言いたいのか分からない、といった様子だ。
「実はねルウナ……私、アストラヴァナへ行きたいんだ。私には、ずっと探してる人がいるの」
「行方不明者ー? 然るべき場所に相談すればー?」
「名前しか知らない……何年も前に生き別れて、手掛かりがないの。先生の診療所で働いてるのも、その人を探すためなんだ」
ラミウはルウナにも分かるよう、噛み砕いて説明する。
自分の仕事は地下路に侵入した獰植物を刈ることだと。
診療所に各地から訪れる人々のため、導線を確保しているのだと。
「いつか彼が……診療所を訪れる日が来るかもしれない。そう思って、ずっと待ってた。でも、もう待つだけじゃ見つからないの」
「なるほどねー。アストラヴァナにいるかもしれない――ラミウは心でそう思ってるんでしょ」
「その通り。今ここでルウナを頼ってでも、アストラヴァナで何か情報を掴みたい」
ラミウの正直過ぎる物言いに、ルウナは歯を見せて嬉しそうに笑った。
「つまりウィンウィンの協力関係ってことねー。いいよー、ラミウのパトロンになってあげるー」
「稼いだお金は半分こね。パトロンと言っても協力関係。ルウナと私は対等の〈友達同士〉だよ」
「友達りょーかい。それじゃあ早速、今から行こうか。ラミウの望むアストラヴァナへ」




