第49話「偶発的神話の真相について」
「若者たちの犠牲のもとで……その、何も知らないというのは?」
動揺する心を押し殺し、焔は春梅に問い質す。
「战斗羊に選ばれた者は、獰植物たちへの生贄なんです」
春梅も空を指しながら、焔が混乱しないように順序立てて話し始めた。
「穆焔さん……宇宙に咲いている薔薇が、地上の生き物に何らかの影響を及ぼしている事実はご存じですよね?」
「……獰植物なんかはそうだって言うよね。他にどんな影響があるかは、正直あまり知らないけど……」
「所謂〈薔薇の慰め〉は、宇宙の薔薇から零れる結晶。生物に緩やかな進化を促すナノマシンだと言われています」
「知識程度には知ってるよ。かつて人類を滅ぼしかけた〈未来医療の成れの果て〉……玄慈老師が酒甕の中で、ソレを培養していることも……」
神妙な顔で呟く焔に対し、春梅は目を丸くする。
「ああ、そこまで知っているんですね。門下生たちに独自の株を飲ませているのもご存じですか?」
「うん、それも老師から聞いた。何のためにそんなことをするのか分からないけど……」
焔は玄慈老師から告げられたことを詳細に話した。
半月前、戒壇で聞いた老師の言葉の数々を。
この郷は実験皿でしかなく、战斗羊は人柱――
英雄伝説になぞらえた子供たちへの言い訳だと。
それぞれの話は情報の断片でしかないが、春梅は理解しているようで何度も頷いていた。
「穆焔さん、老師はあなたの身柄を他所へ渡すと言っていたでしょう」
「言ってた。僕みたいなのを渡すことで、郷は財を得ていると……」
焔の言葉を聞いて、春梅は苦々しい表情を浮かべた。
そして小さく舌打ちをして、額に手を当てて項垂れる。
「まあ……郷にとってソレが最もコスパが良いか……! 思考停止の耄碌ジジイめ……っ!」
「こ、こすぱ? 春梅さん……もう少し分かりやすく話してくれない?」
「ああっ、すみません。ついイライラしちゃって……! 郷の目論みを説明する前に、動機について共有しますね!」
春梅はリュックの中から長方形の板を取り出す。
親指で板の表面を擦り、セルエネルギーを充填すると、板の側面にあるボタンを長押しした。
「これってスマートデバイスだよね? 僕……本物を初めて見るよ……!」
「便利ですよ。お金さえあれば誰でも買えます。あ、身分証も必要かな……?」
長方形の板が起動したのか、板面が明るく点灯し、色鮮やかな画面が表示される。
春梅は慣れた様子で板を操作し、板面に世界地図を表示させた。
「この半世紀で徐々に頭角を現している〈強き者〉についてはご存知ですよね?」
「うん……進化した強い人類だよね。セルエネルギーを沢山練れて、身体能力が高いっていう――」
「彼らも〈獰植物〉と同じ……宇宙の薔薇の影響を強く受けている者たちなんです」
板面に表示されている世界地図には、インドから東アジアにかけて、青色で線が引いてある。
そして、どういうわけか対照的に、中国内陸は赤色で塗り潰されていた。
「この青い線が〈北半球結晶降下帯〉……女神の慰めが他より多く降り注ぐ地です」
「すごい、本当に帯状になってる。インダス、韓国……日本やハワイも入ってるな」
焔は太い人差し指で日本とハワイをそれぞれ指す。
どちらも軍の管理下にあり、今では存在しない国だ。
「分かりやすさ重視で昔の地図を使っています。これを見ると……女神の慰めは宇宙から地上へ均等に降り注ぐわけじゃないことが分かりますよね」
「うん……もっと万遍なく降り注いでいるのかと思っていたよ。一体どういうことだろうか……」
「北半球ではインダスから東アジアにかけて巨大な降下帯が形成されているんです。大気圏へ侵入した結晶は地磁気の影響を受けながら上層大気を漂い、偏西風などの大気循環に乗って一定の緯度帯へ集中します」
その影響により、インダス、韓国、日本などの国では〈強き者〉の発生率が異常に高いというわけらしい。
牧歌的な桃花郷で過ごした穆焔には、話の内容が難し過ぎて何が何だか分からない。
「ブラジルやアフリカの南の方も、青く塗られてるようだけど……これは何故?」
「南大西洋異常帯……ここらは例外で、磁気的防壁が薄いんです。アフリカの人は強いですよ。私たちよりもずっと、ずっと」
自分たちよりも強い者がいると聞いて、意思とは別に血が騒ぐ。
外の世界に興味が広がり、赤く塗られた中国内陸が途端に狭く感じられた。
「ねぇ、どうして僕らの国は赤く塗り潰されているの?」
「中国内陸に限り、強き者の数が極端に少ないんです。軍が言うには、おそらくチベット高原の存在が最たる原因かと……」
宇宙から降り注いだ結晶は、上層大気を漂いながら地表へゆっくり沈降していく。
だが高度を落としながらインダスから北上した粒子群は、ヒマラヤとチベット高原にぶつかり、大部分がそこで捕捉される。
つまり、チベットが降下帯の影響を食ってしまっている――
山脈が雨を遮るのと同じように、中国大陸は巨大な〈雨陰〉に入っているのだと。
「特に霧が深い桃花郷は、慰めの影響をまったく受けないと言っても過言ではありません」
「霧深き郷は女神の慰めを享受しない……なるほど、強き者が生まれない土地か。老師の言った意味が分かった」
「そうです。郷の伝統武術である四面舞闘戯は、獰植物に抗うための立派な手段であったわけです」
霧恩寺で学ぶ四面舞闘戯も、战斗羊という英雄の伝統も、昔はすべて真実だった。
赤羊峰の霊廟には巨大な暗黒星石の塔が建ち、山を越えてくる獰植物たちを郷から遠ざけていたようだ。
ただし、山一面に雪が降り、木々を樹氷が覆う時期は、セルエネルギーの循環がどうしても滞ってしまう。
暗黒星石の塔が輝きを失う冬季のみ、郷に選ばれた战斗羊が暗黒星石の塔にセルエネルギーを流していた。
そして、赤羊峰の霊廟は元々、選ばれた戦士战斗羊が冬の時期のみ滞在する拠点――
戦士たちが獰植物と戦いながら、春が来るまで耐えしのぶ〈郷の砦〉であったらしい。
「だけど、ある年……赤羊峰で任務に当たっていた战斗羊が、獰植物の牙を受けてしまったんです」
傷は深く、身体の内側に獰植物の牙が残ってしまった。
牙は種のように根を伸ばし、战斗羊の肉体を徐々に蝕み始めていく。
「自らの身体に異変を感じた战斗羊は、人に危害を加えるのを恐れて赤羊峰に籠城しました」
全身から伸びた赤黒いツタは、まるで動物の体毛のよう。
頭を突き破り生えた枝は、角のように天を向く。
異形と化したジャンドゥーヤンは、赤羊峰から郷を見つめて瞳から涙を流し続ける。
人間性を失うその瞬間まで、家族の平穏を祈りながら。
「そして、宿主の強い意志に則って動くナノマシンの特性でしょうか。郷を守るという意志が、战斗羊の行動と目的を決定づけた」
人ならざる者へと進化した战斗羊は、同類であるはずの獰植物を叩き潰して食い殺す。
人として戦っていた時と同じで、郷へと近づく獰植物たちに容赦なく牙を向けたのだった。
どんなに醜い化け物になっても、自分が何者か忘れても――
それは、ひとつの事故から偶発的に神話が誕生した瞬間であった。
战斗羊は、まさに英雄。
桃花郷にとって神に等しい存在となる。
「そうか……最初は事故だったのか……。伝説は完全な嘘じゃなかった……」
「家族の元へ帰りたくても帰れない……籠城した战斗羊の心を思うと、悲しくて胸が痛みます」
「うん……でも、正直少しだけ安心した。战斗羊の英雄制度……それ自体は、本当にあったものだったんだね」
焔は心から安堵したのか、深く長い息を吐く。
少なくとも、幼い頃から信じ続けた憧れ自体は守られたからだ。
冬の間だけ赤羊峰に滞在し、塔にセルを流しながら、襲い来る敵と戦い続ける。
霧恩寺の伝統修行である山籠もりのルーツを見た気がして、焔は妙に腑に落ちてしまう。
「大人から聞いた夜伽噺よりも、ずっと現実味のある話だ。今の僕らに地続きだと分かる」
「郷にとっても悲しい事故だったと思います。最初こそ……拠点を霊廟と改めて、異形を英雄と崇めてたんです」
しかし、世代の移り変わりと共に不安が広がる。
異形の中に残る英雄の血が薄まれば最後、郷を守るという行動原理を忘れてしまうのではないだろうか。
いつしか郷は、異形と化した战斗羊の行動原理に付け込むようになってしまった。
〈都合のいい行動原理〉を維持することを目的に、郷は意思強き若者たちを赤羊峰に送り始める。
「こうして、郷の英雄制度は年月と共に生贄制度に変わっていったのです。英雄の善意をシステム化した、恐ろしいまでの搾取ですよ」
純粋無垢な善意から、地獄のような因果へ繋がる。
なんと醜く滑稽で、恐ろしく悲しい話だろうか――
「待てよ……つまり姉さんは、今まさに危ない状況じゃないか……!?」
生贄制度が真実なら、こんな所で座って話している場合ではない。
焔は勢いよく立ち上がり、憤怒の形相で春梅を見下ろした。
「……随分と顔色が良くなりましたね。十分温まったようですし、赤羊峰へ急ぎましょう」
ふたりは前より足を速め、赤羊峰の霊廟へと急いだ。
目指すは遙か曇天の上、青い薔薇が見つめる頂上へ。
煙は今、何処にいて何をしているのだろうか――
郷から離れた山の上、天上の世にも日が沈み、満天の星空が赤羊峰を照らす。
焔の想いなどつゆ知らず、煙は青衛護路衆と共に霊廟で宴の準備に勤しんでいた。
宴といえど質素なもので、最後の関所で持たされた酒を一杯呷り、一晩踊り明かすというもの。
霊廟の中心に聳え立つ暗黒星石の塔を囲んで、青衛護路衆の笛に合わせ、战斗羊は舞い続ける。
「なぁー、みんなぁー……なんだか腹が減らないかぁー? ずっと笛を吹き続けて、おいらもうヘトヘトに疲れちまったよぉー」
小太りの小満が音を上げたところで、笛の音色と舞いが止まる。
彼の言う通り、日が暮れてから優に二時間は踊りっぱなしだ。
「よし、少しだけ休憩しよう。関所で貰った酒でも飲むか」
「えぇーまたその甘い酒ぇー? 塩辛くて腹に溜まるもんが食いたいよ!」
煙の提案が気に入らないのか、小満は頬を膨らませる。
黙って聞いていた岳が、小満の背中を手のひらで叩いた。
「この期に及んで我儘ばっか言ってんじゃねぇ。歴代の戦士が見て呆れるぞ」
「まーた岳は真面目なこと言ってぇ。歴代戦士なんて何処にいるんだよ。そいつら本当に今夜来るのかぁー?」
まあ、寒いから酒は飲んでおくけど――
一通り文句を言った後、小満は調子よく甕の酒を器に注ぐ。
霊廟の戸は四方すべて開け放たれており、天窓からは雪が床へと落ちる始末。
酒を飲んで踊り続けなければ、忽ち凍えてしまうだろう。
煙は人数分の器を手に取り、皆の手へと渡していった。
「夜も深まれば寒くなる。今のうちに少し休もう」
煙は皆を促すように、自分から床へ腰を下ろした。
战斗羊が立ったままでは、青衛護路衆も気兼ねして休めないだろう。
阿鼠も岳も煙の様子を窺いながら、おずおずと腰を下ろして足を崩す。
神輿を担いで山を登ってきたのだ。
青衛護路衆たちの足は、とうに限界を迎えていた。
静まり返った霊廟に残るのは、白い息を吐く四人の呼吸だけ。
そんな中、静寂を裂くかのように小満が突拍子もなく声を上げた。
「あっ、遠くの方で兎が跳ねた!」
小満が指さすは、眼前に臨む赤羊峰の頂。
雪に覆われた険しい峰に、兎が小さく跳ねている。
「おいら、ちょっと行って獲ってこようかな」
「やめておけよ。霊廟の周辺ならともかく、峰の方は危険だぞ?」
霊廟は山上の開けた平坦地に建っている。
眼前に望む険しい峰は、人が歩くには危険な道だ。
「だけどさぁ、焼いて食べたら美味しいと思うよ。みんなだってそう思うだろー?」
そう言われてしまえば――
まるで図星と言わんばかりに、阿鼠と煙は腹を押さえて黙り込む。
香ばしく焼けた肉を想像すると、空腹が身に堪えて仕方がない。
煙は助けを求めるように、傍らに座る岳へと視線を向けた。
しかし当の岳は、疲労ですっかり参っているようだ。
固く瞼を閉ざしたまま、冷たい壁に背を預けて項垂れている。
「岳……大丈夫か? 顔色が妙に青白いぞ」
「大丈夫……最近、ほとんど食ってないせいかな……少し眩暈がするだけだ」
今日だけでも酒や菓子を山ほど振る舞われたはず。
しかし、煙は岳が何かを口にする様子を見ていない。
辛そうな岳を見て決心したのか、小満は帯を結びなおした。
「よしっ、やっぱおいら行ってくる! 岳や煙だって腹が減っているようだしな!」
「小満っ、やめろって言ってんだろ! ひとりで勝手に行動するなよ!」
阿鼠の引き留めも空しく、小満は峰に向かって飛び出していった。
拙い哀面を舞いながら、兎の視界に入らないよう、気配を消して忍び寄る。
その時、煙はふと赤羊峰の頂に目を留めた。
巨大な黒い影が、蠢いている。
小満の哀面を真似るように、身体を右へ、左へ――
「……岳、あれって――」
煙は隣の岳を見て、影の方を静かに指さした。
岳も異形に気付いているのか、瞳を大きく見開いて額に汗を滲ませている。
「ああ……あれは多分、人じゃないな」
煙は視線を峰に戻し、眉を顰めて注視した。
まず目につくのは、全身を覆う漆黒の体毛。
左右に揺れる動作に合わせて、激しく乱れ靡いている。
顔は空を仰いでいるのか、その表情は窺えない。
しかし、首筋から胸、腹にかけて、真っ赤な肌が露出していた。
そして、一番恐ろしいのが奴の動き――
黒い影は小満を見ていないにも関わらず、眼下の小満を真似するかのように、異質な舞を繰り返していた。
「――ひいぃっ!」
異形の姿を目の当たりにした煙は、思わず掠れた悲鳴を上げる。
その瞬間、黒い影は動きを止めて、仰いでいた顔を霊廟に向けた。
見開かれた異形の両目は、白目が一切ない漆黒の瞳。
ぽかんと開いた口からは異様に長い舌が垂れ下がり、その先端は剥き出しの胸元にまで届いている。
異形の面相に表情らしい表情はなく、喜怒哀楽が窺えない。
ただ呆けたように口を大きく開けたまま、真っ黒な瞳で霊廟をじっと見つめていた。
「小満っ!! 早く戻って来いっ!!」
岳が強く叫ぶと同時に、黒い影は転がるように峰を降る。
全身の骨が折れているのではないか――
そう思ってしまうほどの不自然な動きは、異様以外の何物でもない。
白銀の地に赤い帯を引きながら、黒い影は小満に迫った。




