第46話「英雄の男」
桃花郷に伝わる伝説の英雄〈战斗羊〉は、赤羊峰の霊廟で暮らす偉大な戦士である。
赤黒い羊の姿をした戦士は、霧深き野山を駆け抜けて、凶暴な獰植物を人里から遠ざけてくれているのだ。
選ばれた戦士は青衛護路衆が担ぐ神輿に乗って、山門を出て赤羊峰の霊廟を目指す。
霊廟では毎年訪れる新たな戦士を、歴代の戦士たちが温かく迎えてくれるそうだ。
老いも若きも混ざり合い、渾然一体となった姿は、まるで一匹の怪物のよう。
战斗羊を突き動かすのは、人類の里を守るという純粋で尊い行動原理。
英雄たちは赤羊峰から郷の平和を見守り続ける。
燃えるような赤い目で、全身を血で染めながら。
いつまでも、いつまでも見守り続ける。
いつまでも、いつまでも――
英雄の伝説は郷の大人から子供たちへと、夜伽話として語り継がれる。
战斗羊がいるからこそ、郷は平和を保っていると。
桃花郷に生まれた子供たちにとって、战斗羊は憧れの存在。
战斗羊や青衛護路衆に選ばれることは、とても名誉なことなのだと。
しかし――
「嫌だ、赤羊峰なんか行きたくない! おらは春には郷へ戻って、饅頭屋を継ぐんだよー!」
「情けないことを言うな、小満。選ばれたもんは仕方ないだろ……っ!」
広間に用意された祝い膳を掻き込みながら、小太りの小満が情けなく喚く。
そんな小満を涙ながらに慰めているのは、痩せっぽちで背の低い阿鼠という男。
ふたりは夏の浴場にて、煙を取り囲んだ三人衆のうちの二人――
殺された善宝と、失格となった焔の穴埋めとして、繰り上がりで青衛護路衆に選ばれてしまったようだ。
「だってさー、阿鼠……赤羊峰には歴戦の戦士がいるっていうけど、霊廟ってどんなところなんだろうー」
「多分……ソウル支部の軍事施設みたいな場所だろうな。バトルシープを駆る精鋭が、それこそウジャウジャいるんだろうさ……」
「うわああっ、戦い続ける人生なんて嫌だよぅーっ! 実質無期限の徴兵じゃないかぁーっ!」
泣き言をこぼすふたりを遠くで見つめながら、岳は小さくため息をついた。
青衛護路衆として選ばれた者たちは、宿坊を出て特別な座敷に案内されていた。
おそらく、小満や阿鼠が語るような弱音を他者に聞かせないためだろう。
岳は怒りをぶつけるように、床を拳で強く殴った。
「テメェら、さっきからうるせぇんだよっ! 飯くらい黙って食えねぇのかっ!」
小満と阿鼠は顔を見合わせて黙り込む。
祝いの膳が並ぶ座敷に、肝心の煙の姿はない。
「クソ野郎共が……何もかも全部、滅茶苦茶だ……! テメェら善宝の友達だったろ……なのにどうしてアイツを止めてくれなかった!」
「止めるって、善宝が煙に毒を盛るのをぉー? おらたちも知らなかったよなぁ、阿鼠」
「うん。逆に聞くけど……焔は岳の友達でしょ? どうしてあの時、焔を止めてくれなかったの?」
焔が舞台に上がる直前――
あの時、岳は焔の隣に立っていた。
焔が毒に気付いた瞬間、穏やかな表情が一変したのを覚えている。
岳も、炊き出しをしていた郷の女も、間近で目にした変面に心の底から慄いた。
そして、岳が焔から目を離したのは〈ほんの一瞬〉のこと。
手から零れた器が、地面へと真っ逆さまに落ちていくわずかな間――
岳も、傍にいた郷の女も、落ちていく器を目で追っていた。
広場に驚愕のどよめきが広がったのは、器が地面に落ちた瞬間とほぼ同時であった。
「そうか……あの場であいつを止められたのは、この俺しかいなかったのか……」
岳は力なく腰を下ろし、額に浮かんだ汗を手の甲で拭う。
たとえ刺し違えても、あの場で岳は焔の腕を掴むべきだった。
(舞台へ上がるのが見えなくても、駆けつけられたはずなのに)
大勢の死角に滑り込み、誰にも目撃されぬまま神出鬼没に現れる。
常軌を逸した哀面慕影に、恐怖で足が竦んでいた。
相手の胸郭に手を掛けて開く様は、岳もまったく知らない型。
本気の怒面地獄門を目の当たりにして、岳は動揺を隠せなかった。
舞台の上で笑う焔は、準決勝の時とはまるで別人。
哀面慕影も怒面地獄門も、岳の知るものとは別次元の仕上がりであった。
――岳、どうもありがとう。本気の勝負、楽しかったよ。
そんな言葉が嘘に聞こえてしまうくらい、叩きつけられた差は圧倒的。
本当の実力を隠していたのか、あの瞬間に覚醒したのか、どちらにしてもたちが悪い。
(焔にとって俺との勝負は、戯れみたいなもんだったのか……?)
岳は全身に汗をかきながら、焔の言葉を思い出す。
――岳……キミは凄いよ。そこまで言ってくれるなんて、まるで僕の友達みたいだ。
数年前の山籠もりで、焔は岳にそう言った。
あまりにも哀しそうな笑顔を見て、焔の心に興味を抱いたのを覚えている。
そして同時に、焔に対して特別な想いを抱くようになった。
煙に寄せる甘酸っぱい想いとは別に、胸を焦がす炎のような熱い想い。
例えるならば龍と虎、神を守護する阿吽の獅子。
憧れとして、ライバルとして、この男と共に在り続けたい。
岳はそんな感情を、焔に対して抱いていた。
――そうだね、岳。僕にとってキミは友達みたいな存在だった。
しかし、どれだけ隣に立っていようと、違和感は残り続けたまま。
哀しそうな顔で笑うくせに、心を寄せるほど突き放される。
(……みたいなって何なんだよ。あいつにとって俺は、友達ですらねぇっていうのか!?)
友達にも、ライバルにも値しない――
そんな現実を突きつけられたようで、岳は心から絶望した。
水仙を食べてしまった煙を医務室へ運び込んだ際も、岳は自らの力不足を痛感していた。
煙は苦しみに魘されながらも、焔の名を呼び続ける。
――お願い、焔を許してあげて。我がもっと他人を警戒してたら……。
希華が治療を施す最中、煙は錯乱したかのように慟哭した。
見かねた岳が手を握ると、安心したのか煙は目を閉じ、力尽きるように眠りに落ちた。
安堵した表情から察するに、おそらく岳の手を焔のものと勘違いしたのだろう。
感触の残る手のひらを強く握り締め、岳は悔しさに顔を歪める。
(俺じゃあ許されないのかよ……焔の隣に立つことも、煙の傍にいることも……!)
赤羊峰の向こうに日が沈み、霧恩寺に夜の鐘が鳴る。
鐘の音は空へと響き渡り、一日の終わりを郷に告げた。
重く轟く荘厳な音色は、本堂に祀られている战斗羊の像にも届く。
赤銅で作られた战斗羊の巨像は、霧恩寺が大切にしている本尊である。
巨像の足元には、南京錠で封じられた鉄の扉。
扉の先には、地下路を改造して造られたと思しき戒壇があり、玄慈老師の許可なしには立ち入れない場所となっていた。
鐘の音は巨像を伝い、戒壇を支える柱へと巡る。
やがて振動は、柱の根元に拘束された焔の身体にも伝わった。
「――ん……、うう……っ」
息苦しさに呻き声を漏らし、焔はゆっくりと瞼を開く。
いったいどれほどの時間、ここで眠っていたのだろうか。
明かりは小さな水晶灯ひとつのみで、一寸先は真っ暗闇。
今いる空間が狭いのか、広いのかすらも分からない。
後頭部を殴られた影響だろうか、激しい眩暈が状況の把握を鈍らせる。
「ここはどこだろう……今は何時だ……?」
起き上がろうと身を捩った瞬間、焔の上半身に擦り切れるような痛みが走った。
どういうわけか、動けば動くほど首が締まる。
「ぐふっ、う……ああっ……!」
驚きに声を上げようにも、喉から漏れるのは喘ぎ声ばかり。
焔は慎重に全身の力を抜き、ゆっくりと元の体勢へ戻る。
そして視線だけを下へ向け、自らの状況に絶句した。
「なんだこれは……どうしてこんな、鎖なんかが……!」
背を預けた太い柱に縛りつけるように、鉄の鎖が上半身に雁字搦めに巻かれていた。
腰を柱の根元につけ、両脚を床へ投げ出したまま、上半身だけが鎖によって高く吊り上げられている。
(考えなしに暴れれば最期、首が締まって死ぬわけか。鎖の先はどこにある?)
首にも二重に巻かれた鎖は、そこから背後の頭上へと高く伸びているようだ。
鎖を張らせてしまわないように、焔は慎重に上を見上げる。
頭上の梁には、首から背後へ伸びた鎖が折り返すように掛けられていた。
「誰か、拘束を解いてくれ! こんなものなくても逃げないからっ!」
罪悪感はないにしろ、自分が犯した罪の重さは、これでも理解しているつもりだ。
声が枯れるのも厭わずに、焔は必死に叫び続ける。
暫く叫び続けていると、視線の先、天井から一筋の光が差し込んだ。
どうやら外へと続く扉が、何者かによって開かれたようだ。
「おお、やっと起きよったか。静川の奴め、渾身の力で殴りよってからに」
扉から顔を出したのは、いつもの調子で朗らかに笑う玄慈老師。
梯子状の階段をゆっくりと下り、焔の元へと歩み寄る。
右手には、セル光で蒼く輝く黒い鉄扇。
左手に盃を持ち、大きな甕を小脇にしっかりと抱えている。
「鎖の仕掛けに気付いたようじゃな。己の力が己に返る……今の気分はどうじゃ、穆焔」
「せめて、ちゃんと座りたいです……背中と腰がもの凄く痛い……」
「はっはっは、痛みが伴って当然じゃ! これはお主への罰なのじゃから!」
玄慈老師は焔の傍に甕を降ろすと、盃に酒を満たし始める。
水のように澄んだ酒の表面には、白い結晶がこれでもかと浮かんでいた。
「口を大きく開けなさい。お主の身体を清めなければ」
玄慈老師は焔の髪を強く掴み、顔を無理やり上へと向かせた。
盃を焔の口元に当てると、問答無用で傾ける。
途端に焔の口内に大量の酒が流れ込んだ。
酒の味は驚くほど苦く、強いアルコールが喉を焼く。
「ぐぶっ……うっ、げほっ――」
「ちゃんと飲め。忌まわしい薔薇の呪縛から、お主を解放する酒じゃ」
焔は半ば溺れながら、盃の酒をどうにかすべて飲み下した。
吐き戻しそうになるのを堪えながら、必死に呼吸を整える。
「げはっ、はぁ……はぁ……これが酒の味……!? 苦くて、ちっとも美味しくない……!」
「文句を言うな。これでもお主への祝い酒じゃぞ」
「祝い酒……? 僕に祝われる理由なんてない……!」
「いいや、これを飲めるのは、選ばれた真の战斗羊だけ。他ならぬ穆焔――お主だけじゃ」
選ばれた真の战斗羊――
焔は驚きに目を見開き、玄慈老師の顔を見つめた。
「老師……どういうことですか。战斗羊は姉さんのはずだ!」
「表向きはな。真実は違う。あんな試合は戯れでしかない」
玄慈老師は鉄扇を素早く開き、自らの口元を覆い隠す。
クツクツと漏れる声からして、どうやら笑っているようだ。
突如告げられた衝撃の事実に、焔は動揺を隠せない。
全身の筋肉が隆起し、赤らんだ肌に血管が浮かぶ。顔からは汗が噴き出していた。
「だああっ、もったいぶるな老い耄れがっ! 単刀直入に物を言えっ!」
堪忍袋の緒が切れた焔は、声を荒らげて玄慈老師に立てついた。
歯を食いしばり、目を血走らせた形相は、恐ろしい以外の何ものでもない。
「はっはっは、繋いでおいて正解だった。儂の判断に狂いはないのう」
鎖での拘束がなければ、今頃全力で暴れ狂っていただろう。
玄慈老師は盃を置いて立ち上がると、鉄扇を逆手に持ち替えて、焔の頬を強く打った。
「よいか、穆焔。战斗羊とは本来、この郷にとって人柱……英雄伝説になぞらえた、子供たちへの言い訳じゃ」
悶絶したまま答えられない焔を前に、玄慈老師は落ち着いた様子で淡々と真実を言い放った。
「そもそも、この郷は商会にとっての実験皿でしかない。儂は昔からこの郷で、自己修復と自己増殖が可能な医療用ナノマシンを培養している」
自己修復と自己増殖が可能な医療用ナノマシン――
今を生きる人間なら、その存在を歴史上の知識として知っている。
宇宙の薔薇が女神になる前、青い花弁が赤かった頃――
惑星を巻き込むエコファジーを引き起こしかけた、未来医療の成れの果てを。
「実験皿……!? 培養なんて、そんな話……それらしき物を僕は見たことも聞いたこともない!」
「そりゃそうじゃ。実験室なんてないからのう。あるのは甘い桃花酒と、何も知らない門下生だけ」
動揺と怒りを抑えようと、焔は全身を震わせながら荒い呼吸を繰り返す。
語られる異様な真実を聞いて、察しがつかないほど馬鹿ではない。
「それは……一歩間違えれば危険なことじゃないですか? 門下生が化け物になれば、郷に危害を加えるかも」
「战斗羊は危険ではない。英雄となって郷を守る。純粋で強い正義の心が〈行動原理〉を決定づける」
焔はふと、老師の返しに違和感を覚えた。
老師は何故、战斗羊という言葉を敢えて選んだのか――
「しかし、ごく稀に真の才能を持った本物が現れる。穆燎しかり、お主しかり。そういった戦士を強き者として白耀商会に渡すことで、郷は財を得ているのじゃ」
焔は混乱する頭で、玄慈老師の言葉を反芻するように繰り返した。
ここまで話を聞かされてもなお、にわかには信じきれずにいた。
そもそも、焔は物心ついた時から山門に立って、多くの戦士を見送ってきた。
尊敬する周や兄弟子たち、そして大勢の青衛護路衆。
憧れ、努力、友情、青春――
そのすべてが、郷によって仕組まれた戯れだというのなら、自分が今まで見てきたものや、信じてきたものは何だったのだろうか。
「半月後、商会がお主の身柄を引き取りに来る。それまで、お主には英雄として……郷への恩を返してもらうぞ」
玄慈老師は焔に背を向け、階段を上っていく。
そして玄慈老師と入れ替わるように、異様な姿の女たちが入ってきた。
羊の面で顔を覆った、真っ赤な衣装の女が三名――
おそらく郷の女であろうが、各々が被った面のせいで、正体が誰なのか分からない。
体型を隠す緩やかな衣装に、肌を埋め尽くすボディペイント。
薄い衣装の下には、下着を一切纏っていない白い素肌が透けていた。
女たちは三人がかりで焔を取り囲み、手に持った精油を焔の下肢へと乱暴に注いだ。
噎せ返るような花の香りが辺り一面に立ち上る。
「なんだ、妙なものを僕にかけるな! お前たちは何者なんだ!」
焔の権幕に驚いたのか、女たちは顔を見合わせ、何やら小声で相談している。
「まあ、一番手はやっぱり若い子からさね。この子にとっても良いはずだよ」
三人のうち、ひとりの女が吐息交じりに呟いた。
声色から察するに、年齢は三十代かそこらだろうか。
「……では、ここは最初に私が乗ります。私が一番若いので」
すぐさま、一番背の低い女が焔に跨り、腰を落として馬乗りになる。
「おい……やめろっ! 今すぐ僕の上から退けっ!」
本能的に危険を感じた焔は、動転して激しく藻掻いた。
跳ね馬のように暴れる焔の上で、女も思わず悲鳴を上げる。
「ひゃっ、きゃああっ、お願いですから暴れないでくださいっ! あなたの大事なお役目でしょう!?」
「こんなことがっ!? ふざけるなよ、この売女がッ! 早く退かないとブチ殺すぞっ!」
傍で見ていたふたりの女が、慌てたように立ち上がる。
ふたりはどちらからともなく、天井の梁に掛けられた鎖の先へ手を伸ばした。
そして鎖を両手で掴むと――
「暴れんじゃないよっ! 男なら黙って現状を潔く受け入れなっ!」
まるで梁にぶら下がるかのように、体重を掛けて鎖を引っ張る。
その瞬間、焔の身体に巻かれた鎖が軋みを上げて強く締まった。
「――がはっ、あ……っ、がああっ……っ!」
鉄の鎖が容赦なく食い込み、皮膚を裂いて気道を締めつける。
あまりの苦しさに成す術もなく、焔は全身を強張らせた。
口を開けても舌が僅かに震えるだけで、降参の声すら上げられない。
視界の端が暗く滲み、身体から力が抜け始めたところで、女たちは鎖を手放した。
「げほっ、げはっ! はぁ……はぁ……、はあぁ……っ!」
鎖が一気に緩むと同時に、裂けた皮膚から血が流れ出す。
首から胸、腹へと伝う血を眺めながら、焔は呼吸を整えた。
「ほらアンタ、しっかり鎖を自分で持って。ちゃんと調整してあるから、遠慮なく引いて大丈夫だよ」
「ありがとうございます……。この人、ものすごい力ですね……」
「こういう子はね、徹底的に分からせなくちゃ。女が手綱を握ってやって、尻に敷いてやるんだよ」
若い女は年長の女に促されるまま、鎖を握って軽快に跳ねる。
女の動作に合わせて軋む鎖が、焔の肉体と精神を追い詰めていく。
すっかり戦意を喪失して、抵抗する意思など残っていないにもかかわらず――
生命の危機を感じた身体は予想に反して熱く高ぶり、疼きを感じて震えていた。
「うっ、ふうっ、ぐっ、おおっ……――」
気道が塞がれる息苦しさに、短い呻きを漏らしながらも、焔は目の前の女を強く睨む。
女は視線に気付いたのか、小さな手のひらで焔の頬を優しく撫でた。
「ごめんなさい……穆焔さん。私たちは非力だから、あなたを力で抑え込めない」
「ひと思いに殺してくれ……今すぐ鎖を強く引いて……」
「そんな顔をしないでください。あなたの父親……穆燎もかつて通った道です。力を抜いて……私たちにすべてを委ねて」
若い女は慰めるように、焔へそっと口づける。
焔も迎え入れるように口を開き、女の唇を受け入れた。
「んぅ!? ふっ……んぅ……っ!」
予想に反して積極的な焔を前に、口づけた当人が驚いて声を漏らす。
次の瞬間、女の口内へ太い舌が容赦なく捻じ込まれた。
女の震える小さな舌を、焔は根元から絡め取る。
熟れた桃の実を食らうように、何度も顔の角度を変えて。
煽情的な光景に、傍で見守るふたりの女も思わず熱い息を吐く。
若い女は興奮に身を震わせながら、夢中で焔の胸に縋った。
そして、女が警戒を解き、両手を鎖から離したところで――
「ぐおおおぉっ!!」
焔は獣のように唸り、残った力で女の舌を噛み切った。
「きゃああああーーーーっ!」
女は口元を押さえて仰け反り、焔の上から転がり落ちる。
途端に指の隙間から、真っ赤な鮮血が滝のように溢れ出た。
「ああっ、やったなこいつ! よりによって一番若い子を!」
年長の女は鎖に縋り、体重を掛けて強く引く。
そして両足を宙へ浮かせ、踏み抜くように焔の腹へ蹴りを入れた。
「憎たらしいっ! やることなすこと、すべてが燎とまったく同じだっ! あたしらを無下にしておいて、冴えない下女を孕ませたアイツとっ!」
酸欠で弛緩した全身に、容赦ない蹴りが五月雨のように降り注ぐ。
焔は両目を固く閉じ、歯を食いしばって痛みに耐えた。
「う……ぐああっ、あ……はぁ……っ」
少しでも息が続くように、焔は首を柱に預けて弱々しく天井を仰ぐ。
そして、口から泥のような血を吐いたところで、ようやく女は蹴るのをやめた。
鍛え抜かれた肉体は、まるで屈服したかのように、力なく柱に垂れ下がる。
舞台を圧した威容は見る影もなく、胸を微かに上下させ、浅い呼吸を繰り返すだけ。
「はっ、いい気味だよクソガキが。最初から大人しくしてりゃいいんだ」
意識を失う瀬戸際で、力尽きるのを待ちながら、焔は静かに瞼を閉じた。
追い詰められる感覚も、鎖が激しく軋む音も、まるで遠い場所で起こる出来事のよう。
(ああ……なんだ……目を閉じていれば、なんてことない。こうして何も見なければ……)
地獄の門を開いた焔に、呪いのような因果が巡る。
战斗羊が山門を出て、赤羊峰へ向かうまで――
残された期間はあと半月。




