第36話「霞を晴らす夜伽話」
山間に佇むコテージの庭にて――
桃娘はひとりで野を歩き、せっせと薪を拾い集める。
出来るだけ乾いた木を選び、焚き付け用の松ぼっくりを数個ほど蹴って運んでいく。
滞在しているコテージは、白耀商会が倒産した会社から安価で買い取ったものらしい。
山奥にあるため、不便極まりないように見えるが、備え付けのかまどや井戸、ベッドなど最低限の設備は用意されている。
地主とも話をつけているらしく、サンテックス軍から逃亡する身にとっては比較的安全な隠れ家であった。
「あたちでも使えるハシゴ付き。リーダーは気が利く女に限るわ」
桃娘はかまどに薪をくべて、持参したマッチで火を起こす。
そして水を張った鍋に米や豆を入れ、かまどに乗せて火にかけた。
鍋の中で豆が踊る様子を眺めながら、桃娘は小さく鼻を鳴らす。
インダスの長米は香りが強く、香辛料を入れていないのに花のような香りが立ち上っていた。
そうして暫くグラグラと煮て、かまどの火で肌が乾燥してくる頃。
膨らんだ豆を手のひらに乗せ、指で潰して様子を見る。
「おいちくふっくら上手に炊けた。うんと甘くちてあげよう」
桃娘は懐から〈おやつ〉と書かれた革袋を取り出した。
中から秘蔵のべっこう飴を取り出すと、躊躇わず鍋に放り込む。
「インダスのお米はサラッとちてて、なかなかトロトロにならないなぁ」
備え付けの木べらで焦げないように、底までゆっくり掻き混ぜる。
僅かにとろみが出たところで、桃娘は鍋を火から降ろし、木で出来た椀に粥を注いだ。
湯気の立つ椀を盆にのせて、足早にコテージの中へ。
玄関を抜けて部屋へと一歩踏み入るなり、桃娘は思わず顔をしかめた。
噎せ返るほどの饐えた香りが部屋いっぱいに充満している。
「……イェン、お粥を作ってきたよ。いつもより少ちだけ緩いけど」
「あ……ありがとう、桃娘さん。ベッドサイドに置いといて」
うつ伏せの状態で寝ていた焔は、身動ぎして上体を起こした。
重たい彼の身体の下には、疲れ果てた煙が力なく仰向けで横たわっている。
「姉さん、お粥だって。姉さんの好きな甘いやつだよ」
肩に手を添えられて揺り動かされるたび、煙は情けない声を漏らす。
「やだぁ……ううっ、揺らさないで……今は何も欲しくない……っ!」
「どうして。今朝も少ししか食べてないよね?」
「意地悪を言うなっ……うぬのせいで、お腹がいっぱいで入らないのだ……っ!」
煙は瞳を潤ませながら、痙攣する下腹部を押さえて荒い呼吸を繰り返す。
内側から圧迫された腹は、傍目から見ても確かにふっくらと盛り上がっていた。
その姿を見て堪りかねたのか、桃娘は露骨に眉を顰めて焔の顔をじっと睨んだ。
「……ねえ、煙を休ませてあげたら? いい加減にちないと壊れちゃうよ?」
「昨日から我儘ばかり言うんだ。何でも欲しくない、欲しくないって‥‥」
起こしていた上体を再び倒し、焔は煙に覆い被さる。
こうなれば暫く話にならない。
桃娘は深く溜め息をついて、ベッドサイドに二人分の粥を置いた。
「あたち、薬を用意ちてくる。明るい内に軟膏を練らなきゃ」
付き合ってられないと判断したのか――
呆れたようにそう言い残し、桃娘は部屋を後にした。
西日の当たる蒸し暑い部屋には、再び姉弟だけが残される。
「はぁ……っ、焔……今朝のことをまだ怒っているのか……?」
「怒ってるに決まってるだろ。苦労して見つけた外骨格を、欲しくないなんて言うんだから」
冷静に淡々と話しながら、焔は煙の肌へ舌を這わせる。
様子を窺う眼差しは、獲物を威嚇する猛獣のようだ。
「だ……だってぇっ……アイもラミウも、悪い奴じゃなかったのだぁ……!」
「それは何回も聞いてるよ。困ってた姉さんを助けてくれた。僕も本当に感謝してる」
「だろう? あのふたりじゃなくてもいいじゃないか。他の機戦羊を今から探そう!」
煙の必死の提案に対し、焔は何も答えない。
上から無言で見つめられ、煙の胸は緊張で強く高鳴った。
「よく考えて。姉さんにはもう時間がないんだ。もしかしたらこれが最後のチャンスになるかもしれない」
「うぅっ……考えてる……っ……我だってちゃんと……っ!」
「本当に? 上っ面の情に流されて、その場の気持ちで言ってるよね?」
虎が大地に爪を立て、土の感触を確かめるように――
太い五指が胸を滑り、弄ぶように爪先で引っ掻く。
「いいかい、姉さん。奴らは懐いた家畜と同じだ。郷での正月を思い出して」
着実に追い込む動作から見て、反論させる気はないのだろう。
言動に反した行動で容赦なく煽るのは、彼の常套手段であった。
煙がどんなに悶えて身動ぎしようが、焔の指は爪弾く速度を緩めない。
頭を真っ白にさせながら、煙は焔の言葉から郷の情景を思い出した。
桃が咲き乱れる朗らかな春の日――
綺麗な衣装を身に纏った子供たちが、庭に放した子羊と遊ぶ。
その光景は平和以外の何ものでもない。
子供たちの笑い声が大きいほど、縁起が良いと大人たちから喜ばれた。
庭で茹でた餃子を食べて、縁側に横たわり昼寝をする。
その隙に、大人たちが本腰を上げて晩餐会の準備を進めるのだ。
食卓に並ぶご馳走は、今朝がた遊んだ子羊の肉を贅沢に使った祝いの膳。
郷の子供たちは歓声を上げて、特別な味に舌鼓を打った。
「皿に乗った羊に対して、可哀想だなんて思わないだろう」
「くうぅっ……機戦羊は羊じゃない……っ! 少なくともアイは、言葉を交わせる人間だった!」
一方的に責められる状況下で、まともな説得なんて出来るはずがない。
煙は寝返りを打つように横を向き、焔の束縛から逃げようとした。
「それに、アイの骨を奪ったら……残されたラミウは酷く悲しむ! ラミウは焔と同じなんだ!」
「……僕とあの女が同じだって?」
ベッドから逃げようとする煙の腕を、焔が掴んで引き寄せる。
煙を膝の上へ抱え込んだまま、焔は勢いよくベッドへ落ちるように腰を下ろした。
「あぐっ……おっ、おぉ……っ!」
杭を深く打ち込むような、あまりにも強い衝撃に、煙は上体を反らせて戦慄く。
堪えきれず溢れ出た透明な飛沫が、板張りの床へ音を立てて散った。
「同じと思うなら尚更だ。姉さんがここで諦めたら、残される僕はどうすればいい?」
「あぁ……ん、やあぁっ……違うのだっ……! 我はただ……別を当たろうと言っただけで――」
「運よく代わりが見つかっても、そいつらがまた善人なら? 姉さんは駄々を捏ねるんだろう?」
話しながら焔はベッドサイドに手を伸ばし、粥の入った椀を取る。
そして椀に口を付け、冷めた粥を一気に煽ると手の甲で乱暴に口を拭った。
「――姉さん……僕は姉さんのためなら、喜んで地獄に堕ちるつもりだ……!」
「はぁ……っ、はふっ、ごめんなさい……わからないのだ……どうしてそんなに、必死なのか……」
「謝らないで……。姉さんが忘れてしまっていても、僕だけはちゃんと覚えているから」
焔は煙の膝裏を持ち、抱えてゆっくり立ち上がる。
そうしてベッドに向き直り、煙の身体をそっと寝かすと自身も隣に横たわった。
「……なんだ、今夜はもう気が済んだのか……? 中途半端で苦しいだろうに」
「必死な理由が気になるでしょう? その調子だと、記憶に霞がかかっているよね……?」
煙は下唇を噛み、申し訳なさそうに小さく頷く。
「だが……大切なものは心がちゃんと覚えている。聞けば霞も少しずつだが晴れるのだ」
「それじゃあ何度でも晴らさなくちゃね。僕がどれだけ想っているか、聞かせてあげるから目を閉じて」
言われたことを素直に聞いて、煙は大人しく瞼を閉じる。
どこから話すか考えながら、焔は煙に顔を寄せて唇を食むように啄んだ。
「くすっ……甘えん坊。日が暮れて夜が明けてしまうぞ」
「甘えん坊なのは今に始まったことじゃない。子供の頃から変わらないよ」
あの日、あの時、桃の花が舞う辺境の郷にて――
そんな言葉で始まる話は、姉に聞かせる夜伽話。
ひとつの魂をふたつに分けた、幼い双子の物語。
※アルファポリス掲載版 & X(Twitter)告知版の挿絵に修正を加えて掲載しています。
変更内容:全裸だった絵に着衣差分を追加、汗や吐息の表示削除、表情と体位の調整変更。




