第34話「進化の道筋」
「煙ちゃん……また会おうったって、一体どこで会うの……!?」
天窓から覗く夜空に向けて、ラミウは動揺しながら呟く。
一同が呆然としていると、小さな長方形の紙がヒラヒラと舞うように落ちてきた。
紙は湿ったルウナの鼻に、シールのようにピッタリと張り付く。
「ふわぁっ、なんだーこの紙はぁーっ!」
ルウナは手のひらで顔を擦り、張り付いた紙を鼻から剥がす。
紙はどうやら名刺のようで、表面には漢字のロゴが記載されていた。
「なんだろう。難解過ぎて全然読めない」
ルウナは名刺を裏返す。
そこには地図のような絵が、血によって殴り書きされていた。
「……アイくん、ラミウ! ちょっとこれ見てっ!」
ルウナは慌ててアイザークとラミウを呼ぶ。
「ねぇっ、これってベレナスの地図だよね!? 河岸通りと黄金柱が描いてある!」
ラミウはルウナから名刺を受け取り、裏面に描かれた地図を見る。
「奴らの指定する対戦場所か。ラミウ……丸で囲ってあるのはなんだ?」
「河岸通りの沖にある、何もない離れ小島だと思う」
離れ小島とは、河岸通りの沖合に浮かぶ小さな砂州島である。
大河に流された遺体が度々流れ着くことで知られ、夜間は特に立ち入りが禁じられている。
直径三百メートル前後の小さな島で、満潮を迎えると周囲の浅瀬が完全に沈み、舟無しでの上陸が難しくなる。
誰にも邪魔されず戦うには打って付けの場所だ。
アイザークは天窓から月を見上げる。
青く輝く巨大な薔薇が、逆さの笑顔を背負っていた。
「……次の満月まで15日ほどか。長いようで短いな」
呟きながら、アイザークは視線を傍らのラミウに移す。
ラミウは苦し気な表情を浮かべたまま、手紙をじっと見つめていた。
両の瞳からは大粒の涙がポロポロと零れ、喉から嗚咽が止まらない。
アイザークはラミウの肩を抱き、彼女の頭に頬を寄せた。
「ラミウ……ベレナスへ帰ろう。ディガンマ先生にすべて話して、今後のことを相談しよう」
ラミウは小さく頷いて、皆と一緒に市場を出る。
アナスタシアの計らいにより、冷凍倉庫の扉は軍が責任を負うことになった。
そして一行はルウナと共に、骨董店へと辿り着く。
ルウナは店舗の入り口を見るなり、その状況に絶句した。
「どわああーっ、ナニコレぇっ!? まさか焔くんが腹いせにやったの!?」
粉々に割れて変わり果てた引き戸と、血塗れて汚れた店舗内。
カウンターから滴り落ちる血はともかく、引き戸の破損は執事ロドルフによる強行突破の結果である。
「うわぁぁーんっ、あたしのお家が散々だぁー! こんなんじゃ安心して暮らせないよぉー!」
「ごめんねルウナちゃん……こればっかりは、ロドルフに弁償させるから……!」
引き戸はロドルフが弁償することで話がまとまり、修繕費用は本人の給料から差し引かれることになった。
「もうっ、うちの擦りガラスは細工入りで、それなりに高価なんだからねー!」
「はい。元の物を探して発注します」
「作ってる会社が倒産してて、同じ柄を集めるのも大変なんだからねー!」
「はい。ネットオークション使ってでも探します」
ルウナに謝罪するロドルフの尾は限界までグッタリと下がり、傍から見ても可哀想なほどに反省の色が窺えた。
そうして、ひとしきり問題を片付ける頃には、すっかり朝日が昇っていた。
行き交う輸送車の合間を縫って、一同はリムジンでベレナスへ向かう。
「ありがとうね、アナスタシアちゃん。ベレナスまで送ってもらっちゃって」
「ラミウお姉ちゃんは気にしないでください……! 私もディガンマ先生に、色々と話を聞きたいので」
アナスタシアは話しながら、リムジンに備え付けの冷蔵庫を開ける。
中から個包装の焼き菓子をいくつか取り出すと、リレーの要領で皆にひとつずつ渡した。
「あの……みんなお腹が空いてますよね? マドレーヌでよかったら食べてください」
「やったぁっ! シュガーちゃんとこのお菓子大好きー!」
ルウナはすぐさま袋を開けて、マドレーヌを口に放り込む。
ラミウもおずおずと袋を開けて、マドレーヌを頬張った。
「ほんと何これ……バターの味がして、とっても美味しい……」
菓子が美味しければ美味しいほど、煙の笑顔が頭に浮かぶ。
思えば昨日の今頃は、煙と共に輸送車でサンドイッチを頬張った。
一緒に同じものを食べて、身を寄せ合って微睡んで、他愛ない話で笑い合う。
数時間前まで当たり前だったことが、今では遠い昔のことのように感じてしまう。
「ラミウ、俺の分も食べる?」
涙を拭うラミウを見て、アイザークは自分の焼き菓子をそっと手渡す。
「ううん……大丈夫。アイもお腹減ってるでしょ……?」
「洋菓子はあまり好きじゃないから。賞味期限も長いし、鞄に入れておこうかな」
もしかしたら、煙が食べるかもしれないし――
彼のひとり言を聞いて、ラミウは小さく頷いた。
一同を乗せたリムジンは、混雑する河岸通りを避けて裏山を登る。
そうして何度も迂回を重ね、ついにリムジンはシャーンティ診療所に辿り着いた。
門前に停車したリムジンを見て、物珍しさに興奮した子供たちが走ってくる。
「こら、子供たち! 見るからに高い車ですから、ベタベタ触っちゃ駄目ですよ!」
騒ぎを聞きつけたディガンマが、慌てた様子でリムジンの前までやって来る。
「まったく……こんな朝からエンジン吹かせて何用ですか」
運転席からロドルフが降り、後部座席のドアを開く。
降りるラミウの顔を見て、ディガンマは言葉を詰まらせた。
「ディガンマ先生……ただいま……」
「ラミウ……顔を腫らしてどうしたんです? 悲しいことでもありましたか?」
小さな子供が親の元へ泣きつくように、ラミウはディガンマに縋りつく。
嗚咽を漏らして泣くラミウを見て、事態の深刻さを察したのか――
ディガンマはラミウに腕を回して、何も言わずに背を撫でた。
「そんなに泣くなんて珍しい。可哀想に。大丈夫だから泣かないで」
「ぐすっ……先生っ……煙ちゃんが……っ、煙ちゃんがぁぁ……っ!」
リムジンからはアナスタシアとルウナ、そしてアイザークが降りて来る。
ディガンマは煙の姿を探すが、彼女の姿はどこにもない。
全員の重い表情を見て状況を察したディガンマは、短く小さな溜め息をついた。
「……とりあえず、お茶を淹れますから。中で事情を聞かせてください」
「先生、俺がお茶を用意します。先生はラミウとそのままで……」
診療所の狭い待合室にて大人六名がソファに座り、アイザークが淹れた熱いチャイを飲む。
ラミウとアナスタシアのカップには、蜂蜜と練乳を足して甘めに。
ルウナとロドルフにはミルクを足して、ストローで飲めるくらいの温めに。
歯が浮くほど甘いチャイを飲んで、取り乱していたラミウも幾分か落ち着きを取り戻した。
「ところで何があったんですか? 皆が揃っているわりに、煙だけがいないようですが」
「うん……あのね先生、煙ちゃんの弟さんは見つかったんだ。だけど二人とトラブルがあって……」
ラミウとアイザークは、昨晩の出来事を詳細に語った。
時折ルウナやアナスタシアと説明を分担しながら、それぞれの情報を持ち寄るようにディガンマへ事情を伝えていく。
「大体の流れは掴めました。煙と焔のふたりは機戦羊を狙う刺客だったと」
「そう……次に会ったときは敵同士だって、私たちに向かって言ってきたの……」
事実を受け止めきれないのか、ラミウは顔を手で覆い隠し、力なくその場で項垂れた。
事情を話す中で、襲われたルウナが供述した鬼気迫る内容から、煙と焔が本当に刺客だということを嫌でも理解したようだ。
「ラミウ、一足先に小屋へ戻って休みなさい。アナスタシアとルウナも一緒に行ってくれますね?」
「はい……もちろん大丈夫です。行こうルウナちゃん。ラミウお姉ちゃんを連れてってあげよ」
「おっけー。階段もあるし気を付けてこー」
アナスタシアとルウナのふたりは、ラミウを連れて待合室を後にする。
三人を見送った待合室には、アイザークとロドルフ、ディガンマの三人だけが残された。
「……さて、ラミウを泣かせた奴らのことを詳しく聞かせてもらいましょうか」
「あの……アイくんはともかく、私も此処にいていいんでしょうか……?」
場違いな状況を感じたのか、ロドルフは気まずそうに尻尾を丸める。
「もちろん、あなたも座っててください。ここからはアイの証言だけじゃ、些か心許ないですからね」
ディガンマは脚を組み直し、空になったカップにチャイを注ぐ。
逃がさないぞと言わんばかりに、おかわりをたっぷりと注がれて、ロドルフは恐怖にアイザークを見た。
「やっぱり私は執事ですし、主人の元へ行くべきかと」
「ロドルフさんがいてくれて良かった。男同士だと場が和むよな」
この状況の、一体どこが和むというのか――
アイザークはロドルフの肩を抱いて、そっと小声で耳打ちをする。
「頼むからここにいてくれよ。大切なラミウを泣かされて、先生カンカンに怒ってるんだ」
「ここは病院のようですが、彼はラミウ様の何なんですか?」
「師匠であって保護者かな。気を付けろよ……私情で急に殴ってくるから」
まるで叱られているかのような、威圧に近い緊張感が待合室に満ちていく。
耳の内側に流れる汗を感じながら、ロドルフは無言で鼻を舐めた。
「それで、敵は何者なんです? 外骨格の存在を知っているということは、軍の関係者か何かでしょうか」
案の定、ディガンマが放つ質問は先ほどよりもずっと踏み込んだ内容。
アイザークは当時の状況を思い出し、間違いがないように慎重に話す。
「いや……焔と煙は、軍とは関係ないと思う。白耀商会という組織から命を受けたと言っていた」
「白耀商会……聞いたことのない名前ですね。どういう字を書くんでしょうか」
アイザークはズボンのポケットから、地図が描かれた名刺を取り出す。
ディガンマは名刺を受け取ると、表面に書かれた漢字をじっと眺めた。
「なるほど、白く輝く星ですか。アイは何故この商会が、軍と関係ないと感じた?」
「先生と同じことを俺も焔に聞いたんだ。何故だか凄く怒りだして……ふきゅうの……えっと、なんだっけ……」
アイザークは助けを求めて、隣に座るロドルフを見た。
ロドルフは小さく咳払いをし、落ち着いた様子で呟いた。
「――腐朽の未来を受け入れた軍と我が組織を一緒にするなと」
「それだ。教養のある大人は違うな。ロドルフさんがいて助かるよ」
ディガンマは静かに眉をひそめ、呆れたように腕を組む。
「機戦羊の存在を知る、軍以外の勢力ですか。ラミウの口から、煙と焔は機戦羊に変身したと聞きましたが……開発技術が漏れているのか?」
「いや……ラミウは奴らの変異体を機戦羊だと思ったようだが、俺は絶対に違うと思う」
アイザークは立ち上がり、デスクに積まれた問診表を取った。
問診表には患者が初診を受ける際、不調の箇所をマークするための人体図が描かれている。
「言葉にするのは難しいから、俺の絵で説明させてもらうよ」
ノック式の複合ペンで赤色と黒色を切り替えながら、アイザークは人体図を上から乱暴に塗りつぶした。
「機戦羊に似ていたが、分類的には〈コンセミア〉に近いと思う。入院している子供たちのように、身体から蔦が生えていたから」
煙と焔に備わっていた巨大な両手の鉤爪は、少なくとも機戦羊に備わる偶蹄目の蹄とは似ても似つかない。
背中から伸びる夥しいツタは、コンセミアから生える黒い蔦と酷似しており、宿主の身体を突き破るように内側から伸びていた。
アイザークは問診表をディガンマに手渡す。
「ふたりが合体する時も、無理矢理感あって痛そうだったな。肌がザクザク裂かれる感じで」
「蔦が全身を覆っていても、動けているということですか?」
「うん……だからコンセミアとも違うのかな? コンセミアはセル光のような蒼い光を放つけど、奴らはそれとは対照的で赤い光を放ってた」
アイザークの証言を聞いて、ロドルフが小さく手を上げた。
ディガンマとアイザークはロドルフを見て、彼が話すのを無言で待つ。
「すみません……私はどちらかというと、彼らに対して獰植物に近い印象を感じました。放つ匂いのせいでしょうか……まるでフレーバーティーのような、バラ科の果実の香りがした」
「薔薇の香りなんてしたか? 野郎の汗と血の匂いしかしなかったぞ」
「薔薇ではなく、バラ科です。例えば桃や杏のような――」
ロドルフの発言に何か思うところがあったのか、ディガンマは興味深げに何度もゆっくり頷いた。
「なるほど……機戦羊の姿を真似た、赤く輝くコンセミアか」
「ロドルフさんと俺の話を聞いて、先生は何か分かりましたか?」
「白耀商会の正体について、少しだけ見当がつきました。おそらく軍に叛意を抱き、枝分かれした存在かと」
突如としてディガンマの口から飛び出した叛意という言葉に、アイザークは口を噤む。
彼がリベリアスである以上、気まずさを感じてしまう単語だ。
「ロドルフさん。あなたは軍人でしょうから……〈ホワイトスターライン〉の名称くらいはご存知ですよね?」
「かつての軍で大いに暴れた科学者チームのことですか。昔話に聞く程度には」
サンテックス軍には役職ごとに、スターラベルと呼ばれる称号を託される。
これは単純にカテゴリ分けを目的としており、役職ごとにそれぞれ異なる色が振り分けられている。
精鋭兵士のブルースターや、その指揮を担うシルバースターなど――
挙げ始めればキリがないが、科学者が集うホワイトスターは特に異彩を放っていた。
ホワイトスターに所属する科学者たちは、軍に隠れて徒党を組み、無慈悲で冷酷な実験を日常的に繰り返していた。
利己的な行動や叛意的思想による汚職も、頻繁に発生していたという。
今ではすっかり人種として確立されているネオフェネックたちも、元を辿ればホワイトスターに所属していた科学者が、軍に隠れて秘密裏に作り上げた作品である。
表向きには人類進化の道筋を示すなどと仰々しいスローガンを掲げてはいたが、やっていることは神への冒涜に他ならない。
ネオフェネックの存在は当時の軍でかなりの問題となり、人権見直しの裁判が幾度も繰り返されたという。
彼らが受けた差別の歴史は、科学者のエゴから発生した悲劇と言っても過言ではない。
そして、ネオフェネック誕生から現在まで、個体番号は登録された者だけでも八万を越えた。
彼らは時の経過と共に人種として認められ、順調にその数を増やし続けている。
「しかし、ディガンマ先生……現代のデルタ・コアでは汚職は起こりえないことですよ。アストラヴァナではシステムによる透明化が進んでますので」
「監視の強化ということですか? それは一体どういうもので?」
「占星術を用いた中枢システムになります。デルタ・コア内部で暮らす者は、システムが計算する出生図指標を基に行動を定められていますから」
ディガンマは何かを考えているのか、口元を手で覆い隠し、暫し黙って天井を見上げる。
何も答えないディガンマに痺れを切らしたアイザークは、彼の顔の前で手のひらを振った。
「あの……先生? 固まってるようだけど大丈夫か?」
「……腐朽の未来を受け入れた軍とは、言い得て妙な話ですね。白耀商会について俄然興味が沸いてきました」
ディガンマは傍らの杖を掴み、勢いよく立ち上がる。
「とにかく、煙と焔に診療所の場所が割れているのは厄介です。アイに勝算はあるんですか?」
「勝てると思う。だけど、それはラミウが俺を……迦亜羅を正しく使えればの話だ」




