第33話「穆焔」
倉庫の扉を指差し、アナスタシアはアイザークに命令した。
アイザークも素直に頷き、倉庫の中にいるルウナへ向けて声を張る。
「聞こえただろうルウナ! 扉の前から距離を取れ!」
「……わっ、わかった!」
ルウナの返事を合図に、アイザークは助走をつけて倉庫へ向かって猛然と走った。
「双蹄――衝ッ!」
そして駆け抜ける勢いのまま、アイザークは両の拳を前方へ放った。
雷鳴のような音と共に、鉄の扉が紙のように拉げ、中心に巨大な穴が開く。
「あわわわわ……衝撃波で前髪が焦げた……っ!」
ルウナが酷く怯えた様子で、穴からひょっこりと顔を出す。
彼女の顔を見たラミウは、すぐさま倉庫へと駆け込んだ。
「ルウナっ、大丈夫!? 怪我はない!?」
「わああんっ、ラミウーっ! どうしてここに来ちゃったのさぁ! 遠くへ逃げてって言ってんじゃんかよぉーっ!」
思いのほか元気そうなルウナを見て、ラミウは胸を撫で下ろした。
そして、ほっとしたのも束の間――
倉庫の奥から殺気を感じ、ラミウは暗闇へ目を向ける。
「何……すごく怖くて嫌な感じ。ルウナ……倉庫の奥に誰かいるの?」
ルウナはハッとした様子で振り返り、暗闇に向けて唸り声を上げる。
「駄目だよ焔くん……! ラミウは私の友達なんだ!」
「えっ……焔……!?」
焔という名には、ラミウにも心当たりがある。
ラミウはルウナの視線を追い、その先にいる異様な気配の主へ目を向けた。
「ねぇっ、あたしとの約束覚えてるよね!? 友達には手を出さないって!」
ルウナの強い牽制が、無音の倉庫で反響する。
やがて、重く引き摺る足音と共に、暗闇からひとりの男が現れた。
おぼつかない足取りは、おそらく怪我のせいだろうか。
男は右腕に幼女を抱き、血が滲む腹を左手で強く押さえている。
「ねぇルウナ……あなた、この人のことを焔って言った……?」
現れた男の容姿を見て、ラミウは困惑を隠せない。
黒々とした長い髪に、特徴的な濃い化粧。
端麗な顔立ちは女性と見紛うほどに整っているが、首から下はまるで別物。
攻撃的にすら感じるほど鍛え抜かれた身体は、彼を紛れもない雄として物語っている。
「気を付けてラミウ。あいつの狙いはアイくんだよっ! 機戦羊を探してるんだっ!」
ルウナはラミウを守るように、焔の前に立ちはだかった。
焔は無言でルウナを見下ろし、傍らのラミウへ目を向ける。
「彼女がルウナの友達なのは理解した。だが……扉の前に立っている奴は?」
焔は倉庫の入り口に立つ、アイザークを一瞥した。
ルウナは両目を固く閉じて、言い訳を必死に絞り出す。
「し……知り合い……、に……限りなく近い……友達、みたいな……?」
「なるほど。この期に及んで奴の存在を隠していたとは」
向けられる敵意を察したのか――
アイザークは化け物同然の姿のままで、焔に向かって話しかける。
「あんたの名前、焔ってんだな。俺のことを探してたのか」
「正しくは貴様の外骨格。おれはそいつを奪いに来た」
「渡せるようなものじゃないよ。外骨格は装備じゃなくて、俺の身体そのものだから」
「承知している。生きたまま商会に連行して、骨ごと髄を奪ってやる」
アイザークは首筋に手をやり、それとなく数歩後退る。
「……まあ、理由はともかく奇遇だな。俺たちもお前を探してたんだ」
「貴様らがおれのことを? そんなわけあるか。適当なことを言うな」
「適当なんかじゃない。そうだよな、煙!」
アイザークは振り返り、後方に向けて言い放つ。
ロドルフの背後に隠れていた煙が、おずおずと姿を現した。
「焔……」
「姉さん!」
煙は両腕を広げ、焔が立ち尽くす倉庫の前へと一目散に駆け寄っていく。
そして小さな子供のように、焔の腹目掛けて飛びつくように抱きついた。
「|焰!吾可担心坏了!你怎么会走丢呢!?《焔っ、我は心配したんだぞ! どうして迷子になったのだ!?》」
「|阿姐、倒是你、怎么会来到这种地方?这些人是你的朋友吗?《姉さんの方こそ、一体どうしてこんな所に? こいつらは姉さんの友達なのかい?》」
焔の身体に抱きついたまま、煙はアイザークとラミウを見つめる。
ふたりは僅かに緊張した面持ちで、煙の様子を窺っていた。
「さっきまでは友達だった。だけど今は友達じゃないのだ」
「そうか。それを聞いて安心した」
落ち着いた声で問いかけながら、焔は煙の涙を拭う。
血に塗れた焔の手を見て、煙は小さく嗚咽を漏らした。
「|可怜啊……你受伤了。让吾替你舔净伤口、把伤给吾看看《可哀想に……怪我をしてる。舐めてやるから傷を見せろ》」
「|是被暗黑星石的武器所伤。若去舔的话、姐姐的舌头会被灼伤的《暗黒星石の武器でやられた。舐めたら舌を火傷するよ》」
煙は袖で涙を拭い、肩掛け鞄の紐を解く。
中を探り、小さな銀缶を取り出すと、慣れた様子で蓋を開けた。
「|给你止痛糖。这个会让人上瘾、所以只能分一半《痛み止めの飴ちゃんをやる。癖になるから半分こだ》」
「|谢谢你、阿姐……说实话、我难受得都快哭出来了《ありがとう姉さん……。正直、しんどくて泣きそうだった》」
艶のある黒い丸薬を指で舌下に押し込むなり、煙は焔へ口付けをした。
種を啄む小鳥のように、血塗れの唇を舌先でつつく。
それを合図と言わんばかりに、焔は煙の後頭部を強く掴んで引き寄せた。
飢えた獣が小鳥に食らいつくように、口を開けて舌を乱暴に捻じ込む。
何度も角度を変えながら交わされる深い口付けは、まるで褥の男女そのもの。
突如として見せつけられる艶めいた行為に、その場にいる全員が圧倒される。
見てはいけないものを見ているような、そんな気まずさすら感じる頃――
「エッッッッチ過ぎますって流石に……っ!」
痺れを切らしたアナスタシアが素っ頓狂な声を上げた。
彼女の言葉を皮切りに、傍観していた全員の金縛りが解ける。
「はぁ、はぁっ……このまま暗転しちゃうかと思った……! 何で誰も何も言わないのか……っ!」
アナスタシアは焔と煙を指差したまま、倉庫に立ち尽くすラミウに向けて声を張る。
「ラミウお姉ちゃんっ、あの男の人は何なんですか!? 話しぶりから煙ちゃんのご家族か何かですよね……!?」
「うん……多分、煙ちゃんの弟さんだと思う」
「あれが弟ッ……!? 身内同士であんな濃ゆいキスします!? すんごい音鳴ってましたけどっ!」
興奮した様子のアナスタシアをよそに、ラミウは気まずそうにアイザークを見上げる。
アイザークは眉間に皺を寄せ、焔と煙を見つめていた。
「アイ……この状況を、どう思う?」
「どうもこうも、ふたりが舐めてるアレはなんだ。薬物のような匂いがする」
彼の真面目な返答を聞いて、ラミウは思わず鼻を鳴らす。
蜜と樹脂を混ぜたような香りは確かにするが、何なのかまでは判断がつかない。
「煙、答えてくれ! その男は、お前の探していた焔で間違いないんだな!?」
煙はアイザークの声を聞き、焔の胸を押して繋がっていた唇を離す。
そしてアイザークに視線を向けて、いつもの調子で明るく答えた。
「そうなのだ。探していた弟で間違いない」
「そうか……無事に見つかって良かったな。心の底から安心したよ」
アイザークは煙から視線を外し、隣に立つ焔を指差す。
「次は弟の方に聞く。焔……お前、共通言語はそれなりに話せるみたいだな」
共通言語とは、通称カルパヴリクシャ――
サンスクリットで世界樹を表す言葉である。
大樹から伸びる木の根のように世界中で使用されるこの言語は、国によってはバオバブ言語、星樹語などと呼ばれている。
名称が多岐に渡るため、共通言語と纏めて呼ばれるのが一般的だ。
「姉者ほど得意ではないが、日常会話程度なら話せる」
「それじゃあ遠慮なく聞かせてもらう。お前たち……どこの組織の回し者だ?」
アイザークが放つ冷静な声には、空気そのものを切り裂くような強い殺気が滲んでいた。
彼の傍らに立つラミウとルウナは、迫力に負けて思わずたじろぐ。
「…………」
焔はアイザークの質問に対し、まったく動じる様子がない。
「どうした、早く答えろよ。軍に口封じでもされてるのか?」
「腐朽の未来を受け入れた軍と、我が商会を一緒にするな」
あろうことか、会話の途中で焔は腰の扇子を抜く。
「この野郎っ……少し短気が過ぎるんじゃないか!? 落ち着いて話も出来ないのか!」
突然の臨戦態勢に、アイザークは腰を落として両腕を構えた。
見かねた煙は焔の前に躍り出て、両腕を広げて立ちはだかった。
「焔、武器を収めるのだ。我は奴らに恩がある。少し話をさせてくれ」
焔は眼下の煙を見て、再び腰に扇子を戻す。
煙はそれを見て小さく頷き、アイザークとラミウに視線を合わせた。
「ラミウ、アイ、どうもありがとう。ふたりのおかげで、我は弟を見つけることが出来たのだ」
「良かったね、煙ちゃん……! みんなでベレナスへ帰ろうよ。少し待てば輸送車も来るし、診療所に帰って朝ご飯を食べよう?」
敵対の気配を感じて、現実を直視出来ないのか――
ラミウは煙に歩み寄るような提案を投げかける。
煙は悲しそうに眉をひそめて、首を数回横に振った。
「ベレナスには帰らないのだ。今日はこのまま身を引いて……満月の夜に仕切り直す」
「仕切り直すってどういう意味……?」
「我らが次に会う時は、互いに敵だという意味だ」
拒絶に近い言葉を受けて、ラミウは涙を滲ませる。
「どうして……っ、なんで煙ちゃんが敵になるの……? 私たち……煙ちゃんに悪いことでもした……?」
数時間前まで、手を繋いで仲良く一緒に歩いていたのに――
どうしてこんなことになってしまったのか、ラミウには何も理解できない。
「今日という日に限って言えば、この場においての悪者は我らだ。迷惑を散々かけた上、友達を襲ってすまなかった」
「謝らないで……煙ちゃんに対して怒ってないよ……。煙ちゃんも……弟さんにも、何か事情があるんだよね……?」
そう問いかけると、ラミウは傍らのルウナに縋る。
嗚咽ばかりが口から漏れて、とてもじゃないが会話にならない。
「……事情か。事情ならあるが個人的なものだ。ラミウやアイより大切で……命を掛けるに値する事情が」
答える煙の声は、ほんの僅かに震えていた。
大きな目には涙が滲み、表情は深い悲しみに歪む。
そして何を思ったのだろうか――
煙は突然、腰から巨大な扇子を引き抜いた。
長い髪を翻しながら独特な舞いで皆の視線を集めると、自らの泣き面を隠すように、扇を顔の前に滑らせる。
「アイ……いいや、アイザーク! 我らは貴様の恩に報い、卑怯な真似は一切しない!」
それはまさに、目にも止まらぬ一瞬のこと。
扇子が通り過ぎると共に、悲しみに沈んでいた煙の表情は嘘のように消え失せていた。
アイザークとラミウに向けられたのは、歯を剥きだした恐ろしい笑顔。
敵を威嚇するかのような、背筋の凍る表情であった。
「これが我が郷に伝わる絶技! 相貌、姿、強さまで! 目にも止まらぬ速さで変わる!」
煙は軽やかに舞いながら、焔の上体に絡みつく。
そして限界まで顔を近くに寄せると、再び扇子を素早く開き、互いの口元を覆い隠した。
「「战斗羊―― 订婚!」」
放たれた異国の言葉と共に、煙と焔の身体から赤黒い粒子が立ち昇る。
粒子は瞬く間に帯状となり、ふたりの全身を切り裂きながら覆っていく。
「アイ……あれってもしや、私たちと同じ……!?」
「いいや、一見似てるが俺たちと違う! おそらくあれは……外骨格より原始的なものだ……!」
アイザークとラミウの前に現れたのは、赤黒い装甲に覆われた二柱の戦士。
全身を覆うアイザークの外骨格と違い、生身の身体が所々に露出している。
「はははっ、原始的なものとはよく言ったものだ。貴様が想像するように……おれ達は機戦羊と相反する者!」
「我らの姿を不完全と侮ることなかれ! 元より我らは二人で一人。魂を分かつ战斗羊だ!」
煙と焔は互いに身体を絡ませて、巨大な一匹の怪物となる。
その姿は一見、アイザークと同じ偶蹄目を思わせるもの。
だが近くでよく見れば、それがまるで別種の存在であることは明白だった。
全身を覆うのは毛並みではなく、脈打つように蠢く赤黒い蔦。
羊の角を思わせる頭部からは無数の棘が枝分かれし、絡み合う肉と植物の境界は、歪に曖昧に溶け合っている。
獰植物そのものを思わせる異形の姿に、その場にいる全員が圧倒された。
怪物は凄まじい勢いで倉庫の屋根へと駆け上ると、地上へと続く天窓へ向かい跳躍する。
「「月が満ちる夜にまた会おう! 白耀商会の命の元、貴様らの命を頂戴する!」」
宣戦布告の言葉と共に、煙と焔は地上の闇へと消えていった。
アイザークとラミウは追うことも出来ず、ただ呆然と立ち尽くす。
後に残された静寂の中、ふたりは格子の破れた天窓を無言で見上げ続けていた。




