第30話「楽しかったね」
ラミウたちはロドルフの後を追い、骨董店の勝手口から外へ出た。
市場の灯りに煌々と照らされる表路地から、闇に包まれた裏路地へ。
「路地裏の壁のあちらこちらに、濃い匂いが残っている……。どれもルウナ様の体臭で間違いありません」
わざとらしいマーキングは、軍の捜索を見越してか。
それとも、鼻が利く敵を攪乱するための陽動行為か。
ロドルフとアナスタシアは鼻をしきりに鳴らしながら、迷路のような道を右へ左へ進んでいく。
小さな煙は暗闇に足を取られて動けないのか、困ったようにラミウを見上げた。
「ラミウ~っ、暗すぎて足元がよく見えないのだぁ~っ!」
「列になって歩くと確かに暗いね。私の武器で道を照らそう」
ラミウは背中から棍棒を抜き、頭上へ高々と掲げる。
そして、握った持ち手から先端へ向けて、セルをゆっくり流し込んだ。
たちまち、棍棒の先端に蒼い光が小さく灯り、地面を明るく照らしてくれる。
ラミウと煙の前を歩くアナスタシアが、物珍しそうに棍棒を見上げた。
「その棒、ずいぶん不思議な形をしていますね……!」
「お母さんの形見なの。普段はセル光で刃を作って、巨大な斧として使ってるけど」
ベレナスで暮らす前は、棍棒を掲げて水晶灯に明かりを灯す仕事をしていたのだと――
ラミウは自らの出自について簡潔に語った。
スラム街での暮らしを思い出したのか、アイザークが棍棒を見て感嘆の声を漏らす。
「そうだった……懐かしいなぁ。ラミウとふたりで灯り番をしていた日々を思い出すよ」
「子供の頃は、ずっとこの使い方だったもんね。武器として使うようになったのは、ディガンマ先生に戦い方を仕込まれた後だし……」
アイザークの言葉に引っ掛かりを覚えた煙が、ラミウを見上げて問うように呟く。
「懐かしいって、どうしてなのだ? ラミウとアイは子供の頃から、ずーっとふたりで一緒にいたのか?」
「うん、私たちが子供の頃の話。地下路の隠れ家でふたり暮らしをしてたんだよ」
ラミウは暫し虚空を見つめ、当時の思い出をポツポツと語る。
語られる内容は、ほとんどアイザークについてのことばかりだ。
「その頃は私がお姉ちゃんで、アイが弟って感じでさ――」
あの頃のアイザークは背が低く痩せていただの、人懐っこい子犬のようだっただの。
スラムの環境や当時の境遇について、記憶にうまく蓋をしているのか、両親や叔父といった存在には一切触れていない。
「ラミウが姉者で、アイが弟者? 嘘をつくなっ! 顔がまったく似ていないのだ!」
「当たり前だよ。私たちは血が繋がってないもの。でも、私にとってアイは弟……家族同然の存在なんだ」
ラミウは背後を振り返り、すぐ後ろを歩くアイザークを見上げて微笑む。
「そうだよね、アイ」
「……そうだな。俺は自分を弟なんて、思ったことは一度もないけど」
アイザークはそう呟いて、少しだけ寂しそうに微笑みを返す。
そしてラミウの顔越しに、顔を赤くしたアナスタシアと目が合った。
「きゅううん……体格差逆転の幼馴染……! お姉ちゃんが鈍いトコ含めて、アイくんの矢印にハチャメチャ萌えます……!」
言葉に込めた想いは何故か、感情を向けるラミウではなく、その前を歩くアナスタシアへと克明に伝わったようだった。
アイザークは慌てて両腕を顔の前で交差させ、何度も首を左右に振る。
その瞬間、ふたりの様子などまるで気付いていないラミウが、アナスタシアに食ってかかった。
「ねぇ、私が鈍いってどういう意味!? アナスタシアちゃんが話す言葉の方が、独特で難解だと思うけどっ!?」
「それはそう……だけども……! お姉ちゃんの鈍感さは、脳筋に近いものを感じますね……?」
女子ふたりの話題が逸れてくれて、アイザークはホッと胸を撫でおろす。
ラミウの脳内は、鈍感という単語にすっかり気を取られているようだ。
「うう、鈍感と言われて否定できない……! 脳筋に関しては正直言うと、私自身も気にしてたの」
ラミウは胸に手を当てて、自らの思春期に思いを馳せる。
スラムからベレナスへ来てからは、修行に明け暮れる日々だった。
セルエネルギーの増強を目的とした瞑想は、意識が薄れる極寒の最中、切り立った崖にて行われる。
薬草を摘むという名目で、ディガンマと共に越えた山の数は知れず。
蔦を切るためのナイフも持たず、獣を狩るための矢も持たず――
所持する武器は、暗黒星石の棍棒一本。
黒い棍棒を〈ブラックアックス〉たらしめているセル光の刃は、サバイバル環境下で習得した力だ。
棍棒に大量のセルエネルギーを常時流し続け、巨大な刃を形成しているに過ぎないのだが、これがなかなか難しい。
刃の形を安定化させるまで一年。
光の刃を三十分間維持するのに二年。
縦横無尽にアックスを振って戦えるまで三年と、戦闘スタイルの確立だけで相当な時間を費やしている。
現代を生きる少女らしく、色恋や流行りに飛びつく暇もない。
同年代の友達だって、思えばルウナが初めてかもしれない。
「確かに、アナスタシアちゃんの言う通りかも。年相応の女子力が圧倒的に欠如してる……っ!」
「話を聞く限りディガンマ先生……お姉ちゃんの環境が悪いですね……! 大丈夫です……今からでも取り返しが効きますから……!」
「取り返すったって、どうやって? SNSは苦手だし、流行にだって疎いのに」
「感情の機微を学ぶには、恋愛漫画を読むのが一番……! 私の家にある蔵書を一度読みに来てください……!」
少年漫画から青年漫画、少女漫画からBLまで――
〈この漫画がすごい!〉と言わんばかりに、アナスタシアは漫画の魅力を早口で語る。
説得力に欠けるアナスタシアの回答に、ラミウはがっくりと肩を落とした。
自らの情けなさを実感して、手に持った棍棒を力なく見上げる。
「でもね……私はこの武器、気に入ってるんだ。ディガンマ先生も言ってたの。自らの命を預ける武器は、命をかけるに値する物にするべきだって」
ラミウにとって黒い棍棒は、命の次に大切な物――
この世に残る唯一の母の形見である。
肌身離さず持ち続けるには、これ以上にない代物だ。
「もしかして、その黒い棒がラミウお姉ちゃんの〈斧〉なんですか……?」
「そうだよ。私、アナスタシアちゃんにブラックアックスを見せたことあったっけ?」
「いえ……ディガンマ先生が持ち込んだ書類に、お姉ちゃんの武器は〈斧〉であると、大きく記載されてましたから……」
アナスタシアは、ラミウが手に持つ棍棒をまじまじと見つめる。
暗黒星石の棒には奇妙な柄が刻まれており、一見しただけでは斧とは判別し辛い。
「先生が持ち込んだ書類って、軍の登録用書類だよね? 私を登録してくれた人って、アナスタシアちゃんだったの?」
「はい。窓口ではなく、私が直接その場で判を捺しました」
「その節はどうもありがとうっ! 私、ずっと軍に所属するのが夢だったんだ!」
「いえいえ……私こそ、判を捺させてくれて大感謝です……! お姉ちゃんなら頼りになるし、私も用事を頼みやすいですから……!」
基本的に、配属エリアや上官などは、登録用紙への捺印で決まることが殆どだ。
ラミウの捺印はアストラヴァナ領――
つまり上官は、アストラヴァナ領を管轄するアナスタシアとなるため、ラミウは現状、アナスタシアの部下に該当する。
アナスタシアが招集をかければ、ラミウもそれに従わなければならない。
たとえアナスタシアがラミウの年下であれど、権利や地位はアナスタシアの方がずっと上だ。
「困ったことがあったら呼んで。私とアイがいつでもすぐに駆けつけるから!」
「そんな……私がお姉ちゃんに命令だなんて……烏滸がましくて出来ないです……!」
「まあまあ、そう言わずにっ! 報酬はしっかり貰うからさぁっ!」
ラミウはアナスタシアの肩を叩き、ふざけて耳に息を吹き込む。
無邪気にじゃれあう様子は、部下と上官にあるまじき光景だった。
そんな中、突如としてロドルフが真剣な様子で立ち止まる。
ラミウとアナスタシアはロドルフにぶつかり、ふたりして鼻を強打した。
「いたた……ロドルフ……? 急に止まってどうしたの?」
「ここで匂いが途切れている。いや……ここでルウナ様が立ち止まってる?」
ロドルフは周囲を警戒し、傍らに置かれたダストボックスの蓋を開ける。
途端に生ゴミの腐った匂いが、狭い路地裏に立ち込めた。
「にゅわわっ、くっちゃいのだぁ! 早くその蓋を閉めるのだぁっ!」
「この中から強い香りがする! ルウナ様がいるかもしれない!」
上等なスーツが汚れるのもいとわず、ロドルフは上体をゴミに埋める。
暫く中身を漁った後、ロドルフは何かを見つけたのだろうか――
右手に握った物を、棍棒が放つ灯りの下へ静かに翳した。
「……中にルウナ様はいなかった。おそらく、匂いの元はこれだ」
蒼い灯りに照らされているのは、ぐっしょりと濡れた女物のパンツ。
「ぎゃあっ、おしっこパンツ!」
「嫌あぁーーっ、ロドルフ! なんて下品な物を見せつけるの……っ!?」
大の男の手に握られたパンツを見て、ラミウとアナスタシアは驚愕の声を上げた。
「誤解ですお嬢様! これはおそらく、ルウナ様によるマーキング行為だ!」
裏返った声音から、ロドルフが相当に焦っているのがよく分かる。
ロドルフはパンツをダストボックスへ放り込み、再び蓋をしっかり閉めると、鼻を鳴らして歩を進めた。
「その証拠に、この先は再び表路地だ。ルウナ様の匂いも、ここで完全に途切れている!」
「……追手を撹乱するためだな。俺もやったことがある」
必死なロドルフを庇うように、アイザークが言葉を重ねる。
ラミウはすかさずアイザークに訊ねた。
「どういうこと? アイもやったことがあるって――」
「昔の話さ。ネオの追手を撒くために……崖っぷちに血を残して、そのまま川へ身を投げたんだ」
絶えず流れ続ける川の水は、逃亡者の匂いを洗い、身体を川下へと運んでくれる。
最後の地点で強めの匂いを残す行為は、撹乱における常套手段だと、アイザークは説明した。
「しかし、ここは川じゃない。匂いが消えているということは……ここで車か何かに乗ったか、香りそのものを変えたかだな」
「そんな……ルウナちゃん……! 一体どこへ消えちゃったの……!?」
アナスタシアは裏路地から表路地へ飛び出し、力なくその場で膝をつく。
そして這いつくばるように、僅かな手掛かりを探そうと鼻を地面へ近づけた。
主人の無様な様子を見かねて、ロドルフが慌てて声をかける。
「お嬢様……残念ですが、これ以上は追えません。ルウナ様の匂いが無いとなれば、こちらとしてもお手上げだ」
「諦めない……ルウナちゃんは一番に、私を頼ってくれたもの……! ルウナちゃんだって私が来るのを、どこかで信じて待ってるはず!」
アナスタシアは獣のように、手掛かりを探して地面を這う。
ロドルフは主人を起こそうと、彼女の肩に手を添えて半ば必死に説得していた。
そんな最中、爽やかな夜風がアナスタシアの金髪を揺らす。
「……あれ? 今の匂い……もしかして……!」
アナスタシアは顔を上げて立ち上がり、市場と路地を隔てるフェンスの方へ歩み寄った。
小さな手のひらで確かめるようにフェンスを上からゆっくり撫で、指先を鼻へ近づける。
「やっぱり……熟れた薔薇と芳醇なワインの香り……! 間違いない……VIXROSEのコラボ香水の香りだ……!」
VIXROSEのコラボ香水とは――
アイドルグループのメンバーであるチャンミとカシをイメージした、ファン垂涎のアイテムである。
「トップに薔薇とブラックチェリー……ミドルは深い赤ワイン、ラストに甘い蜂蜜の香り……! チャンミくんモデルのローズカベルネに間違いないわ!」
「VIXROSE? さっきも俺にその名前を言ってたよな。そいつは一体なんなんだよ」
「私とルウナちゃんが推してる韓流アイドルの名前です……! こんな場所でチャンミの香水を使う人なんて、ルウナちゃん以外にあり得ない……!」
ちなみに、もう一方のカシをモデルにした香水は、シャルドネアースラーという名称――
プルメリアとレモンピールの爽やかな香りの後に、淡いバニラが追って香る。
どちらの香水も実際に本人たちが付けているものではなく、あくまでイメージした香りである。
VIXROSEのライブ会場は香水の匂いが混じり合い、香害と揶揄されて度々炎上するほどだ。
「ではお嬢様、ルウナ様はフェンスを乗り越え、市場の中へ逃げ込んだと?」
「きっとそう……! この香りは、ルウナちゃんが私に残したメッセージだよ……!」
ロドルフは軽く助走を付けて、高いフェンスを駆け登るように飛び越える。
ラミウは小さな煙を背負い、持ち前の脚力でフェンスを軽々と飛び越えた。
「おお、やるなぁラミウ。さすがベレナスの強き者だ」
「へへーんっ、跳躍は得意能力だもんね! アイも早く登ってきなよ!」
アイザークの方は身体が少し重いのか、フェンスの網に足を引っ掛けて地道に登る。
そうして天辺まで登ったところで表路地を振り返り、アナスタシアへと声をかけた。
「ほら、手を貸すから登って来いよ」
「大丈夫です。ロドルフが何とかしてくれますから」
アナスタシアに見つめられ、ロドルフは小さく敬礼をする。
落ち着いた様子で市場側からフェンスの前へ歩み寄ると、網目を両手でしっかり掴み、力任せに左右へこじ開けた。
たちまちフェンスは左右に裂け、人が一人通れる程度の穴が開く。
「うおっ、落ちるっ――どわああっ!」
その衝撃でアイザークは、背中から市場へと転がり落ちた。
「どうぞお嬢様、お通りください」
「ありがとうロドルフ……頼りにしてるわ」
大の字で地面に横たわるアイザークを後目に、ロドルフはアナスタシアをエスコートする。
一連の流れに納得がいかなかったのか、すかさずアイザークはロドルフへ物申した。
「なぁ執事、どう考えても今の怪力は最初にやるべきことだよな?」
「はて、アイザーク殿の仰る意味が分かりませんな」
「少なくとも、お前がフェンスを乗り越える意味はなかっただろ!」
「はっ……我々がお嬢様と同じ待遇が受けられるとでも? 立場も知らぬ愚かな男だ」
ロドルフの回答に対し、ぐうの音も出ないのか――
アイザークは眉間に皺を寄せ、悔しそうに唇を噛む。
「アイ、気にせず行こう。アナスタシアちゃんはナチュラルにセレブ思考なだけで、本当に悪気は一切ないから」
「分かってるけど、どうしてかな……嫌いな男を思い出した……」
ラミウは煙を背から降ろし、アイザークへ手を差し伸べる。
立ち上がった三人は、海鮮市場へと歩いて行くアナスタシアとロドルフを追った。
早歩きをする中で、煙が周囲を見回して呟く。
「ラミウ、アイ……ここは今朝一緒に歩いた道だな」
「そうだね。朝は露店が連なっていて、大勢の人で賑わってたね」
煙は地面を見つめては、表情を度々曇らせる。
アイザークは煙の視線が気になって、彼女の視線を横目で追う。
そしてふと、市場の地面に点々と続く赤い血痕に気が付いた。
歩を進めるほど量が増えていく血痕を見て、煙はまるで怯えるように、何度も首を左右に振る。
「煙、どうしたんだ? 何か気になることでもあるのか?」
「うん……今日一日、ラミウとアイは楽しかったか?」
予想だにしない平凡な質問に、アイザークは拍子抜けする。
「あ、ああ……俺は結構楽しかったよ。食った串焼きも美味かったし……雪だるま作りも、影踏みだって面白かったな」
アイザークの返答を聞いて、煙はすかさずラミウを見上げる。
「ラミウはどうだ? 今日はちゃんと楽しかったか?」
「うんっ、とっても楽しかった!」
「本当か? ラミウにとって今日という日は、楽しい思い出になってくれたか?」
「もちろん。初めて牛肉を食べた日だもん。きっといつまでも記憶に残るよ」
ラミウの言葉に、アイザークが小さく吹き出す。
ふたりは顔を見合わせ、楽しそうに歯を見せて笑った。
「煙ちゃんはどうだった? 市場散策、楽しかった?」
「……楽しかったのだ。とても大切な思い出になった。ラミウとアイも……そうだと嬉しい」
「……? どうしたの煙ちゃん。元気がないけど、疲れて眠くなっちゃった?」
煙は深く俯いたまま、ラミウの言葉に対して何度も顔を左右に振る。
「大丈夫……大丈夫なのだ。楽しかった思い出だけは、きっといつまでも変わらないのだ……」
五人の足は海鮮市場の最奥――
早朝の競りが行われる、巨大冷凍倉庫へと向かっていた。




