第29話「トリプルセット・ドゥーブルゼロ」
店先の少女の指示を受け、ロドルフと呼ばれたネオフェネックは腰からダガーナイフを抜く。
「煙、危ないから外に出てて」
「わかったのだ。お外で静かにしてるのだ」
自らの爪や牙に頼らないのは珍しい――
アイザークは警戒して、傍らの煙を両手で外へと押しやった。
そして改めて応えるように、ネオフェネックへ向けて両腕を構える。
硬質化した双蹄に蒼いセル光が強く灯った。
「妙な腕をしておりますな。まるで暗黒星石のデバイスのようだ」
「一応言うが、俺たちは怪しい者じゃない。俺の名前はアイザーク……ここの住人と友達だ」
「私の名はロドルフ。個体番号はNF77700……アナスタシア様の専属執事でございます」
アイザークは店先に立つ小さな少女を横目に見る。
少女は限界まで耳を垂らし、尻尾を丸めて怯えていた。
蒼い眼差しだけは強く、真っすぐにアイザークを見つめている。
「ルウナちゃんと友達って、その話は本当なの……? あなたの言うこと信じられない……!」
「嘘はついていないんだけど、証明するにはどうすればいいかな」
「じゃあ、ルウナちゃんの推しは誰か知ってる……? ルウナちゃんの友達なら、好きなものくらいは答えられるはず……!」
アイザークは両腕を前に構えたまま考える。
ディガンマの料理に対して文句を言っていたことは覚えているが、好物に関しては話題にならず、あまり詳しく聞いていない。
「カレーじゃなくてラーメンが食べたいって、ボヤいてたのは聞いたことある。フランス料理も好きなんじゃないかな」
「やっぱり……この人、ルウナちゃんのことを何も知らない……! ルウナちゃんと友達なら、VIXROSEを受動喫煙してるはず!」
「ヴィクス……なに? 受動喫煙? ルウナは煙草なんて吸わないはずだぞ?」
少女の口から発せられる未知の言葉と言い回しは、アイザークの思考を混乱させるのに十分だった。
ロドルフはサングラスを中指で押し上げ、呆れたように息を吐く。
「その程度も分からないのか。友達にしては随分と関係が浅いようですね」
「それなら、お前は主人のことなら一切合切知ってるのかよ。ほくろの数とか趣味嗜好とか」
「もちろん。ほくろの数から趣味嗜好、お嬢様の性癖まで……一切合切、存じてますとも」
ほくろの数から趣味嗜好、挙句の果てには性癖まで――
本能で危険を感じた少女は、たちまち顔色を青くした。
「はわっ!? 駄目だよロドルフ……っ、言わなくていいっ! それ以上なにも言わないで……っ!」
「お嬢様のほくろの数は先月時点で39個! 趣味は推し活と漫画読書! 商業BLが大層お好きで〈精悍攻めと端麗受けによる主従モノ〉がお好みだ!」
「うわああーーーーんっ! 酷いぃっ、好きなジャンルまでバラさなくともーーーーっ!」
少女は勢いよく膝から崩れ、力なく地面に突っ伏する。
悲鳴と騒ぎを聞きつけたラミウが、二階から様子を見に降りて来た。
「アイ……!? すごい音がしたけど、何かあったの!?」
「ラミウッ、危ないからこっちへ来るな! 妙な奴らが襲撃してきた!」
ラミウという名を聞いて、少女は咄嗟に顔を上げる。
「ラミウ……!? ねぇ、あなた今、彼女のことをラミウって言った……!?」
少女はすかさず立ち上がり、膝の砂を慌てて払う。
少女は店内へ駆け込み、ロドルフの背後へ縋りつくと、スマートデバイスのライトをラミウの立つ階段へ向けた。
「う……眩しい……っ! 一体誰!?」
「やっぱり……ラミウお姉ちゃんだ……! シャーンティ診療所のラミウお姉ちゃん……!」
「どうして、私の名前を知っているの? 前にどこかで会ったっけ?」
少女はライトを自分に向けて、頭に被った帽子を取る。
「アナスタシアを覚えてますか……? ディガンマ先生の執刀で、耳の手術を受けた子供を……!」
アナスタシアという名を聞いて、思い当たる節があったのだろうか――
ラミウは叩くように両手を合わせ、たちまち顔を綻ばせた。
「ああっ! お兄ちゃんっ子のアナスタシアちゃん!? うんうんっ、ちゃんと覚えてるよ!」
ラミウは階段を早足で降りて、アナスタシアの身体を真正面から抱き締める。
「うわぁーっ、懐かしいーっ! あのチビちゃんが、こんなに大きくなっちゃってーっ!」
「ラミウお姉ちゃんこそ……! またお会いできて嬉しいです……!」
どうやら、アナスタシアとラミウは旧知の仲であるようだ。
目の前の光景を見たアイザークとロドルフは、互いに戦闘の構えを解いた。
「……お嬢様のお知り合いでしたか。手を上げる前で本当に良かった」
「そうだな。お前の主人は盛大に割を食ってたけど……」
殴り合いに発展していたら、お互い怪我だけでは済まなかったかもしれない。
早めに来てくれて助かったと、アイザークはラミウに感謝の眼差しを向けた。
アイザークの視線に気付いたアナスタシアは、ラミウを見上げておずおずと訊ねる。
「ラミウお姉ちゃん……この男の人は、ラミウお姉ちゃんの知り合いですか……?」
「うん、アイは私の相棒だよ。彼もシャーンティ診療所で、私と一緒に暮らしてるんだ」
「一緒に暮らす!? ディガンマ先生だけじゃ飽き足らず、彼とも同棲してるんですか……っ!?」
ディガンマ先生だけじゃ飽き足らず――
その一文に妙な引っ掛かりを覚えつつも、アナスタシアの勢いに負けてラミウは小さく頷いた。
「同棲って言っても恋人じゃないよ。アイと私は、幼馴染みたいなものだから」
アナスタシアは勢いよく振り返り、スマートデバイスのライトをアイザークに向ける。
「ううっ、目が眩む。正面からライトを当てないでくれ……!」
眩しさに顔を背けるアイザークを見て、アナスタシアの頬はたちまち明るい桃色に染まった。
「はわわぁっ、低くて良い声っ……ナチュラルにメロい仕草する……っ! あなたもラミウお姉ちゃんと同じで……強き者だったりするんですか……!?」
「俺は強き者じゃない。日頃からラミウの傍にいて、彼女のことを守ってるだけだ」
「体格差ありの関係性萌え……っ! 純朴な内面に反して、野性味溢れるバキバキの身体! テストステロンがハチャメチャに濃そうっ!」
「――メロいってなんだ? 何が濃そうだ? 言葉の意味がよく分からない」
アイザークは助けを求めて、傍に立つロドルフを横目で見る。
頼みの綱であるロドルフは何故か低く唸りを上げて、アイザークの顔を静かに睨みつけていた。
「なぁ……お前の主人は俺に対して、一体なんて言ってんだよ」
「天然の女垂らしだと……お嬢様は言っております」
「本当か? 本当にそう言ってるのか?」
「声と身体が卑猥な上、たちまち女を孕ませそうだと……お嬢様は言っております」
「さすがに嘘だろ? 言ってないよな?」
アイザークは顔を青くして、唸り続けるロドルフに詰め寄る。
動揺して怖がるアイザークを見かねて、ラミウはアナスタシアの手からスマートデバイスを取り上げた。
「アナスタシアちゃん……アイは心が純粋だから、優しい言葉で話してあげて?」
「わ……ごめんなさい……! 私ったらつい……野郎に対して興味津々な悪い癖が……っ!」
アナスタシアはアイザークに向けて頭を下げる。
アイザークは彼女から逃げるように外へ出ると、立ち尽くす煙の後ろへ隠れるようにしゃがみ込んだ。
「ところで、ラミウお姉ちゃん……。どうしてお姉ちゃんがルウナちゃんのお家に……?」
「私たちは今日、ルウナのお家に泊めてもらう約束をしてたの。音信不通で心配になって……家に来たらこの有り様でしょう?」
店先は割れたガラスで散らかり、カウンターには大量の血液――
ルウナ本人がこの場にいないということは、何らかの理由があって逃走したのだろうか。
「いなくなってから、それ程時間は経ってないはず。台所にあるやかんのお湯が、十分温かかったから」
「ルウナちゃんを探しましょう……! ロドルフ、ルウナちゃんの匂いを追って!」
ロドルフは静かに敬礼して、店舗の土間から家の中へと上がり込んだ。
洗面所から使用済みのタオルを持ってくると、丁寧に畳んで自らの鼻に押し当てる。
「失礼……暫し嗅がせていただきます」
言葉と共に、ロドルフは深く息を吐いて、自らの肺を空っぽにする。
そして両目をかっ開き、まるで深呼吸するかのように、鼻から勢いよく息を吸った。
「っ、スーーーーーーーーッ!」
少女のタオルへ鼻を押し付ける姿は、どう見ても滑稽だった。
腰を突き上げて廊下を這いつくばる様子は、面白い以外の何物でもない。
「わぁ……尻尾がフワフワで可愛いのだ……♪」
真剣な様子のロドルフを他所に、煙が尻尾を根本から抱く。
あまりの光景を前に、ラミウとアイザークは口元を覆って顔を背けた。
「……スンっ、フンフン、なるほどなるほど。ルウナ様は勝手口から外へ出掛けたようですな」
「鍵もかけずに……? きっと誰かに追われてたんだわ……!」
「如何しましょう、お嬢様」
「このまま外を捜索します……! ラミウお姉ちゃんたちも一緒に来ますか?」
ラミウとアイザークは手で口を覆ったまま顔を見合わせ、頷きながら煙の手を取る。
「もちろん、私たちも一緒に行く! 私たちだってルウナのことが心配だもの!」
「俺が周囲を警戒するから、ロドルフさんは匂いを嗅ぐのに集中してくれ」




