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第28話「何者同士の鉢合わせ」

 

 時刻は夜の二十三時――

 ほとんどの飲食店が店仕舞いを始める時間帯だ。


 オープンテラスのレストランにて、ひたすら食事だけを続ける長時間滞在。

 心ゆくまでビリヤニを堪能した煙(イェン)は、膨れた腹を撫でながら満足げな声を漏らした。


「ふーっ、食べた食べたー! 我のお腹がこんなにポンポンになっちゃったのだ!」


 煙は誇らしげに自らの腹をアイザークに見せつける。

 アイザークは信じられないと言った様子で、手のひらで膨らんだ腹を撫でた。


「驚いた……ラストオーダーまで食い続けるなんて。腹の具合は大丈夫か?」


「お水を飲んで、歩いて休んで、うんちすれば大丈夫なのだ」


「そんなもんか。健康なんだな」


 ふたりが店先で他愛のない話をしていると、会計を終えたラミウが青い顔をして戻ってくる。


「ラミウ、支払いの金額はどうだった?」


「安かったよ。最初に頼んだ人数分のビリヤニと、飲み物分の値段だけ」


 チュナールでもベレナスでも、基本的に料理のサーブ(おかわり)は無料である。

 皿として使うバナナの皮を、自らの手前へ折らない限り、延々と料理を盛られ続けるのだ。


 とくにチュナールは市場が近く、仕入れ値や原価も安いからだろうか。

 店側は煙の豪快な食べっぷりを大いに喜び、好きなだけビリヤニを食べさせていた。


「でも……流石に申し訳なさ過ぎて、多めにチップ渡しておいたよ」


「チップだけで良かったのかな。大鍋四つは食ってたけど」


「テラス席での食べっぷりが宣伝になったーって、店員さんたち喜んでたよ。いつもより繁盛したっぽい」


 ふたりの会話を聞いていた煙は、店先から店内の厨房に向けて、声を思い切り張り上げる。


「ビリヤニ、とっても美味かったぞ! 絶対また食べにくるからなっ!」


 店員たちは歯を見せて笑い、ご機嫌な様子で煙に手を振る。

 どうやら、本当に怒ってはいないらしい。


 ラミウは思わず笑みを零し、煙の後頭部を優しく撫でた。


「夜だから大声出しちゃ駄目。静かにルウナの家へ行こうね」


「わかったのだ。ルウナのお家は近いのか?」


「多分ね。まずはデバイスで連絡を入れなきゃ」


 ラミウは髪飾り(アクセデバイス)を手に取り、基盤を軽く指で撫でる。

 小鳥がさえずるような音と共に、手のひらサイズの待機画面が空間に投影された。


「まずい……ルウナからメッセージが来てるの気が付かなかった……」


「バイブか点滅をオンにしとけよ。通知音だけじゃ、うるさい場所だと気付かないだろう」


「震えると頭が痒いんだもん。ライトはチカチカ眩しいし……目障りで全然快適じゃない」


 快適じゃないからこそ、連絡に気付くのではないだろうか――

 喉まで出かかった言葉を、アイザークは黙って飲み込む。


「とりあえずルウナと通話するから。アイは煙ちゃんと手を繋いでて」


「わかった。ほら煙、行くぞ」


「わかったのだー♪ おてて繋いで仲良しなのだー」


 三人は四市市場に戻るべく、夜の繁華街をゆっくり歩く。

 通話をかけるラミウの後ろで、煙が小さく呟いた。


「しかし、天竺(インダス)の食事は面白いのう。バナナの皮をお皿にしたり、色んな味を混ぜ合わせたり」


 最初こそ、カレー味ばかりと文句を繰り返していた煙だが、現地の人々の食べ方を真似て、その奥深さに気付いたようだ。

 事前にチリや玉ねぎを噛んだり、ヨーグルト(ライタ)や漬物(アチャール)と合わせたり、好きに手で混ぜて味の配分を変えてみたり――


「辛味が強いとこも良い。我の内なる怪物も、満足して暫くは泣かないだろう」


「気に入ってくれて良かったよ。スパイスの香りが合わないって人も多いからさ」


 他愛のない話をしていると、前方を歩くラミウが困った様子で振り返った。


「どうしよう。コール音が鳴るだけで、ルウナがまったく通話に出ない」


「風呂にでも入ってるんじゃないか? 俺たちの連絡が遅いから……」


「そうかも……五分したらまたかけてみよう」


 ラミウが通話を切って数秒後――

 折り返しだろうか、端末が途端に軽快なメロディを鳴らした。


「――はい、ラミウです。ルウナ?」


「こんばんは、ラミウ。ルウナのお家には着きましたか?」


 デバイスを介して聞こえるのは、柔らかで落ち着いた男の声。

 心を包み込むような安心感が、ラミウの胸へと満ちていく。


「なぁんだ、ディガンマ先生かー。ルウナかと思って期待しちゃった」


「なんだとは何です。せっかくあなたを心配して、この時間にかけたのに」


「……ルウナとはまだ会えてないよ。家に行こうと思ったけど、通話が全然繋がらないの」


「おや、どうしたんでしょうね。実は彼女に頼み事があったんですが……」


 自分を心配してかけたのではないのか――

 ラミウは内心そう思いながらも、話の腰を折らずに聞く。


「頼み事? 私からルウナに伝えようか?」


「お願いします。調合用の鉢を割ってしまいまして。ルウナのご実家は骨董屋さんでしょう? 乳鉢の在庫があったら、幾つか買い取らせてもらえないかと」


「……わかった。一応聞いてみるけどさ、今はお店閉めてるって言ってたよ?」


「駄目元で聞いてみてください。あ、緩衝材代わりに海鮮市場の干物も欲しいですね。高くても構いませんので、着払いで鮫を二匹ほど」


 鮫の干物は小さいものでも中型犬ほどのサイズである。

 纏めて送るとなれば、鮫の隙間に鉢を詰めることになるだろう。


「なにそれっ、鉢より鮫のが欲しいんでしょうっ!? そんなワガママ伝えられないっ!」


「でも可能ですよね? ご自宅は海鮮市場の目の前ですし。それでは、よろしくお願いします」


「待ってよ先生っ、わたし昼間も図々しいってルウナに怒られてんだから――……ちょっと、もしもし先生っ!?」


 反論を述べきる前に、通話が一方的に切られてしまう。


 ラミウはデバイスを見つめたまま、深々と長い溜め息を吐いた。

 その様子を見て、アイザークが心配して声を掛ける。


「ディガンマ先生、なんだって?」


「鮫の干物が二匹欲しいって。ついでに乳鉢も……。先生こそ、図々しいインダス人の典型例だよ……」


「……基本的に、駄目元で言うの精神だからな」


 ディガンマの発言にウンザリしているラミウだが、とりあえず言ってみる図々しさは、彼女にもしっかり備わっている。

 ネオ・ベレナスは人と人の繋がりが強い分、露店の商品を言い値で買えば、現地人でもぼったくられてしまう街だ。


 警戒して言葉を疑い、値切る、断るは当たり前。

 口車に対して反論出来ない方が愚かなのだ。


「ここで待ってても時間の無駄だし、とりあえずルウナの家に行こうか」


「それはいいけど、ラミウはルウナの家の場所を知っているのか?」


「知らないよ。でも、ディガンマ先生が言うには海鮮市場の目の前だって」


 顔色を変えず、他人を言葉で誘導するのはディガンマの得意分野である。

 そうやって何度、ラミウは彼の手のひらの上で踊らされてきたか。


「先生の思い通りにさせないんだから。鮫なんてルウナに頼まずとも、私らが買って帰ればいいよ」


「でも、先生と話せて良かったんじゃないか? ルウナの家の場所も知れたようだし」


「良くないよっ、どうせ気まぐれなんだから! 私を心配してるなんて嘘だねっ!」


 三人は繁華街を抜け、四市市場(チャール・バザール)を隔てる十字路へ――

 信号を渡って右手に曲がり、海鮮市場へと続く長い表通りを進んでいった。


 市場は夜中でも水晶灯の灯りが煌々としており、場内を清掃するネオフェネックたちが行き交っていた。

 照明と喧騒に包まれた表通りは、闇による恐怖を感じさせない。


 三人は市場の外周を歩き、骨董屋を探しながら通りを進む。

 小さな煙は地面へ伸びた影を見て、興奮した様子で指を差した。


「見てラミウ、アイの影がビヨーンって遠くまで伸びてるのだ!」


「本当だ。歩くと揺れて面白いね」


 煙は街灯の影を伝って歩き、ラミウの影へと飛び移る。

 影の上を歩きながら、煙はアイザークの足元を差した。


「アイ、気を付けろっ! 影じゃないところは溶岩なのだ! 踏んだら一瞬で焼け死ぬぞ!」


「それは不味いな。先の先まで見通して、計算して歩かないとだ」


 アイザークは即座に煙の遊びに乗り、建物や街灯の影を伝って進む。

 少し先まで行ったところで立ち止まり、得意げに後ろを振り返った。


 そしてすかさず、アイザークはラミウの足元を見る。

 ラミウは影のことなどまったく気にせず、骨董屋を探すために頻りに周囲を見回していた。


「おいラミウ、フェンスの影から迂闊に出るな。影じゃないとこは溶岩だって」


「足元ばっか見てられないよ。ルウナの家を見落としちゃうでしょ?」


「……ラミウはゲームオーバーだな。俺と煙とのサドンデスだ」


 アイザークはラミウに背を向け、先に行く煙を追いかける。

 ラミウに協力して骨董屋を探す素振りなど一切見せない。


「きゃははっ、我の影は奈落なのだ! 触れれば地獄の口が開いて、アイを丸呑みにしてやるのだ!」


「勝手にルールを追加するなよ。影が長いこっちの方が不利だろうが」


 アイザークは煙の影に当たらないよう、後ろから大回りで回り込んだ。

 素早く煙に近づくと、彼女の脇腹を両腕で掴み、頭上へ高々と持ち上げる。


「うわぁっ、降ろせ! 高いのだぁーっ! 焔はこんな乱暴なことをしないのだぁーっ!」


「要は影が重ならなければいいんだろう? 工夫すれば簡単なことだ」


 アイザークは煙を持ったまま、ラミウの影に乗って歩く。

 そして、ぽつんと離れた街灯の影とすれ違うと、煙をその上に置き去りにした。


「じゃあな」


「うああーーんっ、動けないのだぁっ! ラミウ、戻って来て影を貸せぇーっ!」


 背後からの泣き声を聞いて、ラミウは横を歩くアイザークを睨む。


「……遊びだって。本気で苛めてるわけじゃないよ」


「本気で遊んでるから怒ってるの。子供みたいに夢中になって」


「……うん、その点はごめん……。でも変だな……」


 アイザークは謝りながらも、どこか上の空だった。

 自分の両手を見つめたまま、神妙な面持ちを浮かべている。


「どうしたの? 何かおかしなことでもあった?」


「いや……昨日と比べて軽かったから……気のせいかもしれないけど――」


 アイザークの言葉を聞いて、ラミウは背後を振り返る。

 満面の笑みを浮かべた煙が、ふたりの元へ音もなく駆けてきた。


「おいっ! 本当に我を置いていくなっ!」


「もう降参か。夜が明けるまで、あそこで泣いてても良かったんだぞ」


「降参などせぬっ! 残機をひとつ減らして舞い戻ったのだ! 我の残機は歳の数だけ潤沢にあるぞっ!」


 子供さながらの自分都合なルールを並べ、煙はアイザークの影を踏む。

 二人がふざけている間に、ラミウはついに骨董屋らしき店舗を見つけた。


「もしかして、この店かも。看板の文字がまったく読めないけど」


「佇まいが日本家屋のように見える。煙なら多少読めるんじゃないか?」


 言われるなり、煙は頭上の看板を見上げる。

 墨で書かれた古びた文字は、漢字と呼ばれる字体のようだ。


「うぬ。中国語じゃないけど〈骨董店〉って書いてあるのだ。ルウナのお家で間違いないのだ」


「……煙ちゃんがいて良かったね。アイとふたりじゃ確かめようがなかったかも」


「いなけりゃいないで、来る用事もなかったけどな。インターホンを押してみよう」


 アイザークは入口横に備え付けられたインターホンを押す。

 中からコール音が聞こえるが、足音などの反応はない。


「ルウナったら、待ちくたびれて寝ちゃったのかなぁ。随分遅い時間だし」


「妙な感じしないか? 居間や台所の灯りは点いてるようだぞ」


 煙は戸の隙間へ鼻先を寄せ、店舗の中の匂いを嗅いだ。

 しばらく匂いを探るなり、その表情がみるみる険しくなる。


「――血なのだ……! 中から血の匂いがするぞっ!」


 煙は戸に手を掛け、力を込めた。

 しかし、鍵が掛かっているのか、いくら引いても開かない。


「……っ、我は裏へ回る!」


 そう言い残し、煙は血相を変えたまま裏手へ駆け出した。

 ラミウとアイザークも慌ててその後を追う。


「ラミウ、勝手口がが開いてるのだ! ここから中へ入れるぞ!」


 煙は早口でそう言うなり、勝手口から台所へと、靴も脱がずに上がり込む。


 先ほどまでルウナがこの場所にいたのだろうか――

 台所と居間の照明は点いたまま、食卓には丁寧に菓子まで用意されている。


「待ってよ煙ちゃんっ、人の家だから勝手に上がっちゃ駄目だってっ!」


「ラミウ、床を見てみろ。そうは言ってられないかもだぞ」


 アイザークに促され、ラミウは言われるまま床を見た。

 台所から廊下にかけて、大量の血痕が落ちている。


 ラミウも慌てて靴を脱ぎ、家の中へと上がり込む。


 血の跡を辿り、店舗側へ――

 廊下から一歩降りた土間には、粉々に割れたガラス瓶。


 店先のカウンターには、花瓶の水を零したかのように、大量の血液が広がっていた。


「散らかってるのに誰もいない……! ルウナは一体どこにいるの!?」


「分からない。他の部屋も探してみないと」


「そうだね……! 私、二階やベランダも見てくる! アイと煙ちゃんは店舗を調べて!」


 ラミウはアイザークと煙を店舗に残し、廊下へ上がって階段を駆け上がる。

 その背中を見送りながら、アイザークは店先に立つ煙へ視線を向けた。


「煙、こっちにおいで。ガラスを踏んだら怪我をするぞ」


 アイザークの言葉など、まるで聞こえていないのか――

 煙はカウンターに両手をつき、広がった血液を指先で静かに撫でていた。


 指の根元まで血を絡ませて、味わうように舐め上げる。


「|这个味道、这个香气……不会错……这是我弟弟的血《この味、香り……間違いない……この血は、我が弟者のもの》」


「……煙、お前……何してるんだよ……」


 アイザークが煙の肩に手を置いた瞬間、薄暗い店舗に眩い光が差し込む。

 擦りガラス越しに、黒塗りの車が店先に停車するのが見えた。


「――ルウナの車……なワケないよな?」


 何者かが車のドアを開け、早足で店の入口へ向かう。

 入口の引き戸に手を掛けると、何度も強く揺さぶりはじめた。


 しかし、引き戸は鎖と南京錠で固く施錠されている。

 鍵を持っていないアイザークには開けようがない。


(そもそもコイツは誰なんだ……? 何故、こんな時間に訪ねてくる?)


 アイザークは入口の前に立ち、外にいる人物へ話しかける。


「……お前は誰だ。こんな時間になんの用だ?」


「軍の者です。ここに住む住人を助けるために、ミルザプルより駆けつけました」


 擦りガラス越しに見える影からして、男はネオフェネックだろうか。

 大きな尻尾と尖った耳が、車のライト越しに揺れている。


「ここの入口は閉まってるから、用があるなら勝手口へ回ってくれ」


「…………」


 アイザークの言葉に対し、男は何も返さない。

 あろうことか、扉を両脇から挟むように掴み、思い切り手前へ引き始めた。


「グルルルルッ……ウルル、グオオオオオ……ッ!」


「……やめろっ、無理に開けるな! 鍵が掛かってるって言ってるだろう!」


 獣のような唸りを上げ、男は両腕に力を込めた。

 塗り壁にヒビが走ると同時に、扉の木枠が滅茶苦茶に拉げ、ガラスが音を立てて割れる。


 壊れた扉が外れると同時に、粉々になったガラス片が店内へ飛び散り、カウンター前に立つ煙へ向かって降り注いだ。


「煙、危ないっ!」


 アイザークはカウンターへ駆け寄り、飛散したガラスから煙を庇う。

 破片がいくつかアイザークの肌を掠めたが、大きな怪我には至らなかった。


「はぁ……危なかった。無理矢理開けるなんて乱暴過ぎる……!」


 店先に立っていたのは、スーツを身に纏ったネオフェネックの男。

 巨大な身を僅かに屈め、入口を潜って入ってくる。


「おいキツネ……お前は何者だ!? ルウナの家に何の用だ!」


「その言葉、そっくりそのままお返ししよう。お前たちこそ何者だ?」


 ネオの男は振り返り、車の前に立つ小さな少女へ視線を向けた。

 少女は怯えて震えながらも、強い眼差しでアイザークを睨んでいる。


「黒髪長身の成人男性……傍らには小さな少女……! 歯医者周辺の目撃情報と一致してる……!」


「如何しましょう、アナスタシアお嬢様」


「この人たちが犯人かも……! お願いロドルフ! 彼らを生きたまま拘束して……!」



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