第3話「シャーンティ診療所」
シャーンティ診療所の裏口から外へ出ると、目の前には中庭ほどの広さの階段井戸が広がっている。
門の脇には小さな調理場が設けられており、かまどにはすでに調理済みと思しき大鍋が据えられていた。
「さぁ、患者に朝食を配りますよ。大鍋をひっくり返さないよう気を付けてくださいね」
「うわぁー、トマトたっぷりのラッサムだ! 酸っぱい香りで食欲がわくね!」
階段井戸は地下三階にまでおよび、水をたたえた井戸を取り囲むように、各階層に室状の回廊が設けられている。
室内には木製の寝台が並んでおり、それぞれに専用のラグを敷くことで、どの寝台が誰のスペースか一目で分かるようになっていた。
患者は小さな子供から、看取る者のいない老人まで実に様々。
皆に共通しているのは、天涯孤独であったり、保護者を持たないという点である。
「みんなー、食事を配るよー! 歩ける子は食器を持って列に並んでー!」
ラミウは門を開けるなり鍋を下ろし、声を張り上げた。
その声を聞きつけ、子供たちがそれぞれ食器を手にやって来る。
「ラミウお姉ちゃん、おはようー。今日の朝のメニューは何ー?」
「やったぁ、トマトと豆のスープだ! 僕の大好きなメニューで嬉しい!」
室状回廊の地上一階は、症状の軽い子供たちが入院する小児病棟だ。
起きたばかりで元気が有り余っているのか、子供たちはラミウを囲み、好き勝手に要望を口にする。
「なぁ、ラミウお姉ちゃん! 僕のには豆をいっぱい入れてくれよ!」
「もう、リヴはいつもワガママを言う。誰かと取り合ったりしたらカミナリだからね!」
皿に盛る量は等しくお玉に一杯、スープは器に八分目――
適量を配るため、皿のサイズは大人用と子供用で分けられている。
「なんでさ、もっと盛ってくれてもいいじゃん! ラミウお姉ちゃんのケチ、ケチ、ケーチ!」
「あっ、こらっ! リヴったら言葉が悪いよ!」
リヴと呼ばれた少年は、ラミウに向かって反抗的に舌を出して逃げる。
(もう……リヴは最近、荒れてるなぁ……)
ラミウは溜め息をつき、配膳を進める。
料理をよそってもらうなり、子供たちはそれぞれ好きな場所で食事を摂り始めた。
友達と共に広間に腰掛け、会話しながら食べる者もいれば、自分の寝台へ戻る者まで様々だ。
「よし、全員にちゃんと配れたね。我ながら仕事が速い速い」
全員に食事が行き渡ったことを確認すると、ひとつ下の階からディガンマが上がってきた。
どうやら、下の階に入院している大人たちへの配膳を終えたようだ。
「ラミウ、食事は配り終えましたか?」
「うん。子供たちが全員食べているのを確認したところ」
「ならば、最下層へ往診に行きます。小鍋を持って私と共に来てください」
ラミウは一度調理場へ戻り、かまどの横に置かれた小鍋を手に取った。
中は大鍋と同じスープで満たされていたが、具材のほとんどはペースト状になるまで潰されている。
(刻み食からペースト食になってる。そんなに容態が悪いのかなぁ)
ラミウはディガンマの後について階段を下り、最下層の室へ向かった。
階段井戸の最下層には、重病患者のための室がある。
室内に日差しが直接差し込むことはなく、井戸にたたえられた水面が反射する光だけが、天井に柔らかな揺らぎを映していた。
後付けの木戸とパーテーションを開くなり、甘い香りがラミウの鼻孔をくすぐった。
視線を奪うのは、床一面に散り敷かれた色とりどりの花弁。
五床の寝台に横たわる患者たちの顔は、陶器のように青白い。
誰もが身体の内側から、肉を食い破るようにして、棘の生えた蔓が芽吹いている。
「おはようございます、アナーヤさん。今朝の体調はいかがですか?」
「ディガンマ先生……ラミウお姉ちゃん……眠い以外は痛みもないよ」
ディガンマは、五床ある患者のうち、唯一覚醒している少女のもとへ歩み寄った。
この室内で会話ができるのは、〈アナーヤ〉と呼ばれる少女ただ一人である。
「わたし……今朝も起きられて、本当によかった……早起きだけが取り柄だから……」
「アナーヤさんはしっかり者ですものね。口を開けて、舌を見せてもらえますか?」
ディガンマはペンライトで口内を照らし、舌の色を確認する。
「えへへ……先生にベロを見られるのは恥ずかしいや……」
「汚れのない、きれいな舌ですよ。ラミウもそう思いますよね?」
ラミウは微笑んだまま、静かに頷いた。
(先生と共に、多くの患者を見てきたから分かる……)
舌苔のない乾いた舌は、少女の衰弱を示している。
ラミウは辛さを顔に出さぬよう、いつも通りに振る舞った。
「アナーヤちゃんはラッサムが……お豆のスープが好きだったよね?」
「うん、大好き。お母さんがよく作ってくれたの。家族みんなの好物なんだよ」
ラミウはアナーヤを支えてゆっくりと起こし、小鍋のスープを吸い飲みに注ぐ。
「吸い飲みからなら飲めるかな? 冷めてるから、そのまま吸って大丈夫だよ」
アナーヤは言われるまま、乾いた唇に吸い飲みを当てた。
しかし、スープをひと口含んだ途端、激しく咳き込んでしまう。
「アナーヤちゃん、大丈夫!? 変なところに入っちゃった!?」
「……っ、しょっぱくて飲めない。舌と喉がヒリヒリする……」
ディガンマは寝台の横に跪き、アナーヤの背を手のひらでさする。
ラミウはすぐさま小鍋のスープを匙ですくい、それとなく味を確認した。
塩味はそれほど強くなく、普段通りの美味しいラッサムに仕上がっている。
「そんな……別に味はなんとも――」
「すみません。どうやら私が塩の分量を間違えてしまったようですね」
ラミウの言葉を遮るように、ディガンマは自ら謝罪する。
そうしてアナーヤの背をさすりながら、立ち尽くすラミウを見て言った。
「ラミウ、後は私がやります。あなたは戻って、子どもたちを散歩にでも連れて行ってやってください」
「……わかりました。行く前に白湯か何かを持ってきた方がいいですか?」
「いいから行きなさい。あと……」
ディガンマは、ラミウ越しに入口へ視線を向ける。
「入口のパーテーションはしっかり閉めて行くように。外から中が丸見えです」
その言葉に押されるように、ラミウは逃げるように室を出る。
そうして、室内の光景を隠すように、パーテーションと木戸をしっかりと閉めた。
シャーンティ診療所の入院患者たちには、もうひとつ決定的な共通点がある。
それは、身体の内側から何らかの要因で〈植物〉が芽吹き、ゆっくりと肉体を蝕んでいることだ。
膨大なセルエネルギーを持ち、驚異的な跳躍力を有するラミウを〈強き者〉と呼ぶならば――
シャーンティ診療所に入院している患者たちは、植物に蝕まれる〈弱き者〉と呼べるだろう。
末端から胸へと根が巡れば、開花するのも時間の問題だ。
全身に花が咲けば最後、弱き者たちは衰弱し、やがて深い眠りについてしまう。
開花した患者の身体は水晶のように透き通り、体表は岩のように硬質化していく。
胸に咲く花は仄かな蒼いセル光を纏い、穏やかな呼吸と共に甘い香りを放つのだ。
その姿が〈宇宙に咲く薔薇〉を連想させることから、人々は芽吹いた者を開花への変異体として〈コンセミア〉と呼んだ。
(先生は味付けを間違えてなんかない。アナーヤちゃん……身体が塩分を受け付けなくなったんだ)
弱き者であるコンセミアたちは時間をかけて衰弱し、やがて美しい花を咲かす。
それもまた進化の行きつく先だと、ディガンマは日頃からよく話していた。
過酷な世界に順応するため、自ら適した状態へと在り方を変えているだけなのだと。
弱き者という名は人間の主観で付けられたもので、自然界においては敗北ではない。
(だけど……やっぱり寂しいよ。いずれ言葉も交わせなくなる)
これこそが人を絶望に陥れる後天的な身体の変化――
慰めの女神が人類に与える〈緩やかな進化〉の可能性は、人の数だけ多岐にわたる。
発症から眠りに至るまでには個人差があるが、アナーヤの進行は早い方だった。
ラミウは自身の無力を感じ、涙ぐみながら階段を上る。
「ラミウ姉ちゃん、泣いてるのか?」
突如として掛けられた声に反応して、ラミウは勢いよく顔を上げた。
声の主は、先ほどラミウに悪態をついたリヴという少年――
地下二階へと続く踊り場に腰掛け、最下層の室を見つめている。
「ラミウ姉ちゃん……僕の分、いつもより豆が少なかったぞ」
「気のせいだよ。そんな所で食べてないでさ、みんなと一緒に食べたらいいのに」
リヴはスープを飲み干すと、ラミウに空の皿を投げる。
「うわっ、服が汚れるっ! 人に向けて皿を投げたら駄目だって!」
「……なぁ、アナーヤ姉ちゃんの調子はどうかな。ラミウ姉ちゃんが木戸を閉めちゃったせいで、中の様子が見えないんだ」
ラミウは振り返り、視線を再び階下へ向けた。
リヴは踊り場に腰掛け、アナーヤの容態を見守っていたようだ。
(ディガンマ先生が私を外へ出したのは、アナーヤちゃんの様子をリヴに見せないためだったんだ)
リヴはアナーヤの弟である。
彼が診療所を訪れたのは、数年前の穏やかな春の日。
両親やアナーヤと共に、笑顔で門をくぐったのが始まりだった。
一家全員が同時に芽吹いたことによって、故郷の村を追われた家族は、シャーンティ診療所を安寧の地と喩えて呼んだ。
しかし、最初こそ穏やかな様子だったものの、入院してから数ヶ月で、リヴの両親の病状は瞬く間に進行していった。
恐らくリヴは、幼い頃に見た両親の様子を、おぼろげに覚えているのだろう。
「アナーヤ姉ちゃん、大丈夫かな。遠目からしか見てないけど、何だか苦しそうな顔をしてた」
「そうだね……でも、きっと大丈夫だよ。ディガンマ先生が手を尽くしてくれているもの」
「僕の父ちゃん、母ちゃんと同じだ。何か食べると咳き込んで、眠る時間がどんどん増えていってさ」
開花しきったリヴの両親は、手の施しようもないまま、深く長い眠りについた。
リヴの両親は今、ベレナス近郊の山の麓に安置されて眠っている。
「ラミウ姉ちゃん、僕を眠りの山へ連れてってくれよ。アナーヤ姉ちゃんが元気になるよう、父ちゃんと母ちゃんにお祈りするんだ」
ラミウとリヴは空を見上げる。
朝も早い午前九時――
獰植物が眠りにつき、光合成に勤しむ時間だ。
「いいですよ。日が高いうちは獰植物たちも穏やかですから」
いつの間に、そこにいたのだろうか。
診察を終えたディガンマが、ラミウの肩を軽く叩いた。
「うひゃああっ! 先生っ!? びっくりしたぁっ!」
「ディガンマ先生、いつからラミウ姉ちゃんの後ろにいたんだ?」
リヴは信じられないと言った様子で目を擦る。
ラミウと会話しながらも、リヴの視線はアナーヤの眠る最下層を見つめていたからだ。
ディガンマが近づく様子に気付かないはずがない。
「ほら、呑気に空を見上げてるのが、可愛いなって思いましてね」
ラミウとリヴは顔を見合わせる。
空を見上げたのは一瞬のことだ。
飄々と笑うディガンマが、胡散臭いことこの上ない。
「気分転換にもなりますし、行って来たらどうですか」
「でも……先生抜きで外出しても大丈夫なんですか?」
「ラミウ、あなたはもう大きいでしょう。何かあったらアクセデバイスで私に連絡してください」
ラミウは髪飾り――
もとい、ディガンマから支給されたアクセサリー型デバイスに触れる。
「連絡ったって……もしも私が事故に遭って、連絡出来ずに死んじゃったら?」
「その場合、すぐに駆けつけますとも。ラミウの脳波とバイタルは私のデバイスにも通知されます」
「なにそれっ!? そんな機能があるなんて初耳だよおっ!」
ラミウは再びアクセサリー型デバイスに触れる。
監視同然の機能を知り、ラミウの背筋に悪寒が走った。
「行くなら元気な子たちも連れて、仲良く手を繋いで行って来なさい。リヴ、他の子を誘ってくれますか?」
「みんなにも話したら行きたいってさ。みんな僕と同じで、親兄弟に会いたいんだ」
「それは話が早いですね。日が傾く前に帰ってくること」
「うん! 行こうっ、ラミウお姉ちゃん!」
リヴは放心するラミウの手を引いて、階段を元気に駆け上る。
小さな手から芽吹いた新芽が風に揺れ、ラミウの手の甲をくすぐった。




