第2話「インダスの聖地」
地下路の清掃を済ませたラミウは、夜明けと共にネオ・ベレナスへと戻る。
緩やかな階段を延々と登り、薄暗い地下路を抜けて外へ出ると、眩い光が目に飛び込んできた。
ベレナスの街は朝焼けに染まり、雄大な大河が朝日を受けて、蜂蜜色に輝いている。
「河岸に人がいっぱいいる……みんな、本当に朝が早いね」
河岸に集まる人々の目的は、聖なる大河での沐浴と、この街の心臓部に建つ〈黄金柱〉を擁する施設への巡礼だ。
インダスの聖地と呼ばれるネオ・ベレナスは、多くの人々が地下路を経由して集っている。
ラミウは人々を掻い潜り、混雑する河岸にてお気に入りのチャイ屋を見つけた。
「おじさん、チャイを一杯くださいな。練乳入りの激甘で」
「おはよう、ラミウ。今日も討伐で朝帰りかい」
「うん、深夜に働いて寝不足でヘトヘト。燃料入れなきゃ診療所まで帰れないよ」
「ならいつもより生姜を多く入れてやろう。カップを選んで少し待ってな」
ラミウは素焼きのカップを手に取ると、朝日に翳して底を覗き込んだ。
底に穴が開いていないことを確認すると、チャイ売りの男にカップを手渡す。
「それにしても、黄金柱への行列はすごいね。おじさんのチャイも朝だけで結構売れてるでしょう」
「おかげ様でな。娘が生まれてからは〈強き者〉からチャイ売りのオヤジへジョブチェンジよ」
チャイ売りの男は素焼きのカップにチャイを注ぎ、零れないようラミウに差し出す。
「最近じゃ、軍の招集通知すら来ねぇからな。まあ……俺は弱いし、こっちの方が向いてるのかもしれねぇな!」
「……ううん、おじさんは強いよ。家族のために戦わないって選択は、誰もが出来るものじゃないもの」
チャイ売りの男はラミウと同じ〈強き者〉の一人である。
数年前まで軍に所属し、セルファイターとして討伐をこなしていた程の実力者だ。
「まあ、俺もここらで辞めて良かったのかもしれんな。最近、物騒な噂が流れてるようだし」
「物騒な噂……? 何それ、私は聞いたことないよ?」
「ラミウは軍に所属してないからな。なんでも、招集された強き者たちが行方不明になってるらしいぜ」
ラミウは素焼きのカップで手を温めながら、噂について考える。
「……行方不明ねぇ。獰植物にやられて死んじゃったんじゃない?」
「だとしたら、軍の監視ドローンが現場を収めているはずだろう? 軍の中で何かあるのかもしれねぇな」
「わわっ、ちょっとおじさん! こんな街中で、その発言は不味いって!」
ラミウは周囲を見回して、近くに軍人がいないかを確認した。
幸い、近くにそれらしい人物はいないようだ。
「……もう、軍人に聞かれたらどうするのさ。今の一瞬で言い訳を何通りも考えちゃった」
「ガッハッハ、そいつは無神経で悪かったな! チャイでも飲んで落ち着けよ。もうそれ、だいぶ冷めてるだろう?」
気を取り直して、ラミウは素焼きのカップに唇を付ける。
火傷をしないように、ゆっくりチャイをひと口飲んだ。
「んんーっ、相変わらず濃いめの激甘で美味しいっ! 人の列を眺めながら、優雅に飲むチャイは最高だね」
「ラミウも巡礼者たちを見習った方がいいぞ。ベレナスの街は祈りで守られてるようなもんだからな」
大河に沿って存在するネオ・ベレナスは、人々が日差しの下で安全に暮らせる珍しい街である。
獰植物を気にせずに暮らせる理由は、暗黒星石で作られた巨大な柱にある。
街の中心に突き刺さるように建っている〈黄金柱〉と呼ばれる柱は、直径10キロ程度の距離にわたって、獰植物が嫌う波動を昼夜問わず発しているのだ。
もっとも、黄金柱と呼ばれてはいても、金箔が施されているのはその根本だけ。
建物を突き抜けるように露出した部分は、暗黒星石そのものの漆黒色だ。
「それにしても……みんな熱心に、何をお願いしているんだろう」
「俺も息子が生まれた時は、あの柱から〈慰めの女神〉に頭を下げて祈ったぜ。どうか息子も俺のように……無難に育ちますようにってな!」
宇宙を揺蕩う青い薔薇――
慰めの女神が人類に与える〈緩やかな進化〉の可能性は、人の数だけ多岐にわたる。
誰もが優れた才能を与えられるわけではない。
強き者の能力を〈女神からの祝福〉と言うが、喜べるかどうかは運で決まる。
強き者に生まれなくとも、実際は死ぬまで安心出来ない。
後天的な身体の変化や、人類の進化を恐れるあまり、自害する者まで多くいるのだ。
「……心穏やかに生きたいから、黄金柱に祈るってわけね。あの黄金は女神様への賄賂ってわけだ」
「足元にベタベタと金を塗られて、柱にとっちゃいい迷惑かもしれないぜ?」
黄金柱は人々により信仰対象として祀られており、夜明けから日暮れまで、祈りを捧げる列が絶えない。
この祈りが続く限り、黄金柱は蒼いセル光の輝きを放ち、人々を獰植物から守り続けるのだ。
(街から人がいなくなったら、どうなるんだろう。誰からもセルを貰えなくなったら、黄金柱も死んじゃうのかな)
ラミウは天を仰ぎ、黄金柱を見上げる。
天に伸びる切っ先は、宛ら黄金の柄が施された漆黒の剣。
宇宙に咲く薔薇の花弁に、切っ先を向けているようにも見える。
不屈の信仰を受けて輝くその姿は、堂々として勇ましい。
(……まあ、この街から人が消えることなんて有り得ないよね)
ラミウは空になった素焼きのカップを地面に叩き付けて割る。
ここまでの動作を含めてが、チャイを露店で飲む醍醐味だ。
「さてと、私はそろそろ行くね。あんまり遅いとディガンマ先生に叱られちゃうから」
「おう、商売の邪魔だから早く行け。だけど必ず明日も来いよ」
身も心もスッキリしたラミウは、河に背を向けて市街地へと向かった。
歪な石段を延々と登り、人気のない裏路地へ入る。
そうして、牛一頭が通れるか通れないかの細い道を歩いていくと、白塗りの建物に突き当たった。
この建物こそ、ラミウが住み込みで働いているシャーンティ診療所である。
「ただいまー。ディガンマ先生、いるー?」
ラミウは正面の門を抜けて玄関の戸を開き、待合室を覗く。
診察時間前だからだろうか、待合室は薄暗く、誰もいない。
「留守……? 先生、いないのかなぁ」
「おかえりなさい。今日は随分と遅かったですね」
「うきゃああっ!」
背後から声をかけられて、驚いたラミウは待合室へと転がり込んだ。
ラミウの背後に立っていたのは、引き締まった肉体を持つ長身の男。
生白い肌は月明かりのように淡く、青い長髪が風に揺れている。
「びっ、びびびっ、びっくりしたぁ! ディガンマ先生っ、背後にヌッと立たないでよぉっ!」
「あなたが扉を開けてくれるのを待ってたんです。この通り両手が塞がってるから」
ディガンマと呼ばれた男は、両手で抱えた大量の荷物を玄関に置いた。
そうして、疲れた様子で待合室の椅子に腰掛けると、深く長い息を吐く。
「はぁー……、この量の食材を持って階段を登るのはキツいですね」
「すごい量の野菜だね。干した魚に果物まである。待っててくれたら一緒に買いに行ったのに」
「予想帰還時刻にあなたが戻らないからでしょう。どこで道草を食ってたんだか」
ラミウはバツの悪そうな表情を浮かべる。
「ごめんなさい。後片付けに手間取ってたの。刈った獰植物の亡骸を燃やして、汚染された通路を火で炙ったり」
「今後はなるべく場を散らかさずに戦いなさい。戦い方は休日に私が叩き込んでいるでしょう」
ラミウの仕事はネオ・ベレナスへ通じる地下路の動線確保が主だ。
地下路を通ってベレナスを訪れる患者たちが、危険な半地下の区域を安全に通過できるようにと、ディガンマがラミウをセルファイターとして直接雇用している。
給料は獰植物の討伐数に応じた歩合制だが、自分の寝床に三度の食事とディガンマによる特訓付き。
(先生が自分で戦えばいいのに……なんて言ったら最後、破門にされて追い出されちゃう)
実際、ディガンマの特訓で強くなれてる自覚はラミウにもあった。
ディガンマが日中は診療で多忙を極めているのも理解している。
「さて、忘れないうちに報酬を支払わなければ。ラミウ、支払いは電子か現金のどちらがいいですか」
「いつも通り現金でお願い。電子決済が使えるお店なんて、この街にほとんど無いからね」
「……それもそうですね。三百レピーを紙幣でお渡ししておきましょう」
ディガンマは節くれた長い指で紙幣を捲り、金額を丁寧に数えていく。
そして、ふと何かに気が付いた様子で、金庫の中からタブレット型の小さなデバイスを取り出した。
「ラミウ、口座アプリをインストールしているアクセデバイスは持ってます?」
「うん、先生が支給してくれた髪飾り型のアクセデバイス。これに一応入れてるけど」
ディガンマは無言でラミウに近寄り、髪飾りに向けてタブレットデバイスをかざす。
小鳥がさえずるような電子音と共に、髪飾りが蒼く数回点滅した。
「わっ! アクセデバイスから聞いたことのない音が鳴った!?」
「すみません。現金の持ち合わせが無かったもので、半額を電子で支払いました」
「なにそれっ、電子マネーなんて使わないって! 百五十レピーの現金だけじゃ、お米と塩しか買えないよ!」
「米と塩? 自炊など必要ないでしょう。いつも此処で炊き出しの残りを食べて行くんだから」
ディガンマの言うことは何一つ間違っていなかったが、それでも腑に落ちないとラミウは唇を尖らせる。
電子決済の機会など、はたして今後訪れるかどうか。
「そういえばラミウ、夜明け前に紹介状を持った母子が訪ねて来ました」
「あ、良かった! お母さんと赤ちゃん、無事に辿り着けたんだ」
「あなたに助けられたと何度も感謝を述べてましたよ。昨晩はいい仕事をしましたね」
「先生、次の報酬に仲介料金を上乗せしてよね。しっかりちゃんと二人分っ!」
ラミウは胸を張ってピースサイン。
ディガンマは呆れたように肩を竦めて、ラミウの指を手のひらで包むように丸め込んだ。
「はは、ラミウは相変わらずしっかりしてる。情があるんだか無いんだか」
「私には雇用主に報酬額を交渉する権利があるもん。じゃなきゃ、こんな所に住み込みで働かないよ」
ラミウの発言が気に入らなかったのか、ディガンマは不機嫌に眉をひそめる。
「……こんな所だって? 何か気に入らないことでもあるんですか?」
「大有りだよっ、この街でサンテックス軍に所属してないセルファイターは私くらいだもん」
サンテックス軍とは――
世界中で発生する天変地異や、人類危機への対処を目的として設立された、準国家的統合治安機構である。
正規戦力のみでは対応しきれないベレナスのような局地では、民間戦力による討伐活動も、公的制度のもとで認可されている。
「ねぇ先生、どうして私をサンテックス軍に所属させてくれないの?」
「あなたに軍は危険だからです。命令されれば拒否出来ないし、楽な任務ばかりじゃない」
「でも、軍に所属すれば毎月の給料も安定するし、討伐後の片付けだって軍がやってくれるんだよ?」
ディガンマは腕を組み、ラミウの顔を見下ろすようにジッと見つめた。
得体の知れぬ妙な威圧感に、ラミウはゴクリと生唾を飲み込む。
「ラミウ、あなたは今年で何歳になりましたか?」
「十七……いや、来月で十八歳になるよ」
「私はあなたの保護者として、あなたを守る義務がある。私は心配しているんです。最近、巷で妙にきな臭い噂が流れているでしょう」
「きな臭い噂って……?」
「なんでも、軍に所属するセルファイターが、任務の途中で忽然と姿を消すそうですよ」
ディガンマは冷静な声で淡々と呟く。
いつもの飄々とした語り口ではない分、話の内容も冗談ではないのだろう。
(その話……チャイ売りのおじさんも同じこと言ってた……)
ディガンマの口元は笑っておらず、眼差しは真剣そのものだった。
「あなたが探しているアイザークも……行方不明になって、もう10年でしょうか」
「うん……先生、今朝までのカルテを見せて。もしかしたらアイが来てるかも」
「来てませんよ。新規の患者は今朝方訪れた母子だけです」
ディガンマが語る〈アイ〉とは、ラミウにとって弟同然の存在であり、血の繋がらない家族である。
ラミウがシャーンティ診療所で働いている理由に、行方不明の〈アイ〉が大きく関わっていた。
インダスの聖地〈ネオ・ベレナス〉の診療所で働いてれば、いつか彼の行方を掴めるかもしれない。
子供の頃の面影を残している内に、再び彼と巡り合えたら――
ラミウはそんな希望を胸に抱き、日々を過ごしている。
「案外、アイの行方も軍に関係があるのかもしれませんよ」
「アイと軍が……? 酷い仕打ちを請けていたらどうしよう」
ラミウがたっぷり怖がったところで、ディガンマは再びいつもの調子で微笑んだ。
「ほら、胡散臭いったらありゃしない。サンテックス軍なんて、近寄れば碌なことないですよ」
「驚かさないでよ。先生が一番胡散臭いよっ。融通の効かない分からずや!」
胡散臭いと言われて、ディガンマは目を丸くした。
心底驚いた反応を見ると、自身の風体に無自覚なようだ。
「私が胡散臭いですって? どこからどう見ても純白でクリーンな雇用主でしょうが」
「臭いったら臭いんだようっ! 全身からお香と薬草の臭いプンプンさせてさぁっ!」
「体臭は関係ないでしょう。はいはい、さっさと裏へ行く。今朝の炊き出しの準備をしますよ」
ラミウは半ば追い出されるように、診療所の裏口から外へと出た。




