第25話「支配の両価性」
共に過ごす時間が楽しければ楽しいほど、日曜日の太陽は瞬く間に暮れていく。
銀星館にて楽しい時を過ごしたルウナは、ミルザプルからチュナールまでの道を送迎してもらっていた。
送迎に使用される車は、軍の紋章が描かれた六人乗りの大きなリムジン。
運転手は、先ほどまでウェイターとしてルウナとアナスタシアに飲み物を運んでくれていたネオフェネックの男。
「ロドルフ、今日は軍用ゲートではなく……市場に近いポータルまで送ってあげて?」
「かしこまりました、アナスタシアお嬢様。ルウナ様のご自宅は四市市場の辺りですね」
ロドルフという名のネオフェネックは、どうやら専属執事のようだ。
ブロンドを刈り上げたヘアスタイルに、瞳を覆うサングラスが特徴的である。
ミラー越しに見える瞳の色は、アナスタシアと同じ蒼い色をしているようだ。
アナスタシアの命令に対して悦ぶ素振りは一切見せず、彼女の視線を受けてもなお、至極冷静な様子でいる。
「シートベルトをお締めください。チュナールへ出発いたします」
ロドルフの言葉と共に、リムジンは銀星館の門を抜ける。
館の周辺に広がる小麦畑を見て、ルウナは感激の声を上げた。
「わぁーっ、管理栽培された小麦だー! ここで獲れる小麦粉って、すっごく高級なんじゃないの!?」
「値段まではわからないや……。私の家の畑だから、市場には出回っていないはず……」
獰植物の存在により、広い平地での作物管理や、収穫までの安全確保が日々難しくなっている。
セル光の防壁で守られているアストラヴァナや直下の都市、黄金柱の建つベレナス以外では、大規模農耕が崩壊している状態だ。
民間は主に短期栽培用に品種改良を施された種を栽培したり、半野生化した作物を採集する形で日々の糧を補っている。
「でも、ロドルフの作るパンやケーキは、どれもとっても美味しいんだ。今度来た時は苺のケーキ焼いてもらおう」
「何それカワイイー。ロドルフさんって女子力めっちゃ高いんだねー」
ルウナはミラー越しにロドルフの表情を窺う。
ロドルフは前を見据えたまま、口角だけを僅かに上げた。
「……可愛らしい見目の菓子でも、男のように頑固でしてね。力があるに越したことはないです」
女子力と言われて恥ずかしがる様子もなく、ロドルフは真面目な様子でそう答える。
「ロドルフこそ、頑固な男そのものだよ……。泡立て器を使えばいいのに、とにかく手作業に拘るんだから……」
「お嬢様が口にするものですから。食べるものから触れるものまで、しっかり私が管理しています」
堅物のような物言いに、アナスタシアは呆れたように溜め息をついた。
アナスタシアの生活には、彼の手による安全管理が徹底されているようだ。
「もう……これ以上、私を甘やかさないで……! このままじゃ私……ロドルフがいなきゃ、何も出来ない大人になっちゃう……!」
「…………」
アナスタシアの言葉に対し、ロドルフは無言のまま何も答えない。
前をじっと見据えたまま、サングラスのブリッジを中指で軽く押し上げる。
口元が手のひらで隠れる一瞬、ルウナはロドルフが自らの鼻先を舐めたのを見た。
真っすぐな視線とは裏腹に、彼の耳は左右別々の方向に向きを変え、小刻みにピクピクと震えている。
(ロドルフさん……耳の中に汗かいてる。もしかして車内が暑いのかなー?)
途端に、彼の香水の香りだろうか――
温かみのある紅茶の香りが、広い車内に満ちはじめた。
ルウナが異変を感じとり、咄嗟にロドルフに声をかける。
「あのー、ロドルフさん……もしかして暑かったりする? 冷房ガンガンに下げていいよー!?」
「お気になさらず。お嬢様がお風邪を召してしまいますので」
お嬢様ファーストの完璧な返答に、ルウナは思わず引き笑いしてしまう。
しかし、刻一刻と上がる車内の湿度は異常以外の何ものでもない。
「これからも存分に頼ってください。私はお嬢様の執事ですから」
冷静な言葉とは裏腹に、車内に満ちる香りは蜜のように甘く変化していく。
誤魔化しきれない独特な香りを前にして、ルウナはひとりで盛大に焦った。
(この匂い、紅茶の香水なんかじゃない……! ネオフェネック特有の縄張り臭だ……!)
ネオフェネック特有の縄張り臭とは――
肛門腺から滲む分泌物によって生じるフェロモンの香りである。
原種である砂キツネ時代から備わる肛門腺だが、マーキング行為をしない現代のネオフェネックたちにとっては、それほど重要な器官ではない。
女性より男性の方が分泌液の量が多い傾向にあるが、普通に生活する分にはまったく気にならない程度のものだ。
しかし、心身が並みはずれて頑健な個体や、支配欲や執着の気質が強い個体、性欲が強く繁殖力の優れた個体などは、香りがより強い傾向にある。
(彼の表情は普通だし、発情してるわけではなさそう。何に対しての反応なんだか)
興奮も発情もしていないのなら、何かに対する緊張か、支配欲からくる意識か――
人間の鼻は鈍感なのか、アナスタシアの方は彼の異変にまったく気付いていないようだ。
よく言えば、ミステリアスな大人の色気のようにも感じる。
悪く言えば、理性の仮面を被った真の変態である可能性も。
ルウナは居心地の悪さを感じ、リムジンの窓を勝手に開けた。
鼻だけを窓の外に出し、新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込む。
「ルウナちゃん、そろそろ地下へ入るよ。少し揺れるから気を付けてね」
「うん、おっけー。ちゃんと舌はしまっとくー」
リムジンはアストラヴァナ直下の防壁地帯を暫く走った後、薄暗い地下路へと滑るように降りていく。
地下路の床はゴミひとつなく、均一な光量を発する水晶灯が等間隔で並んでおり、とても清潔な印象だ。
「うわー、これがDC直結の深層機動路かぁー。軍専用の道を初めて通るよー」
「有事以外はただの有料地下高速だよ。この時間は一般の車も走ってるはず」
有料と聞いて、ルウナは途端に顔色を変えた。
バッグから自身の財布を取り出し、現金の枚数を確認する。
「シュガーちゃん、ごめん……あたし、その辺のコト全然考えてなかった。燃料代とか高速代とか、あたしも半分出した方がいいよねー?」
「えぇっ!? お金は気にしなくて大丈夫だよ……!? ルウナちゃんはミルザプルまで、わざわざ来てくれたんだから……!」
ちなみに行きは、輸送車の助手席に相乗りさせてもらっている。
ルウナは何かを思いつき、再び鞄を漁りはじめた。
鞄の奥から小さなレモンを取り出すと、服で磨いて傷がないかをよく確かめる。
「それでも何かしらのお礼はしなきゃー。行きだって、運転してくれる兄ちゃんにレモンとコーラを渡したんだー」
あいにくコーラは一本のみで、レモンしか持ち合わせていないのだけれど――
ルウナは小さく呟き、運転席脇のセンターコンソールに生のレモンをそっと乗せる。
「市場で買った朝摘みのレモン。ロドルフさんにあげるから、眠気覚ましに後で食べてよー」
ロドルフはセンターコンソールに置かれたレモンを手に取り、ミラー越しにアナスタシアの表情を窺う。
アナスタシアは微笑みながら、小さく一度頷いた。
「良かったね、ロドルフ……。遠慮せず有り難く頂きなさい」
「ありがとうございます。お客様から物を頂くのは初めてです」
そして、ロドルフは相変わらず無表情のまま、レモンを再びセンターコンソールに置いた。
ルウナは引き続き鞄を漁り、アナスタシアへの品を探す。
「やば、シュガーちゃんに渡せる物が何もないやー。あとは私が途中まで食べた、開封済みのキャラメルだけー」
「お礼なんて本当にいいから……! 私としては……今後も楽しくお付き合いできれば、それ以上なにも望まないよ……?」
「そうー? それじゃあ次はうちにおいでよー。うちには布団もいくつかあるしー、それこそ連泊で歓迎するよー」
アナスタシアは感激したように、ルウナの両手を握って頷く。
「ありがとう、ルウナちゃん……! 私……お友達のお家にお泊まりするのが憧れだったの……!」
「そうなの? うちは狭いし何もないよー? 期待するとガッカリするかも」
「ガッカリなんてしない……! 絶対に予定を確保するから……!」
そう言うなり、アナスタシアはシートベルトを外して、運転席に座るロドルフの肩に縋りついた。
「いけません、お嬢様! 危ないですからご着席を!」
「聞いたでしょう? お願いロドルフ……! 私の予定を組み直して、土日のスケジュールを確保して……!」
「明日までには何とかいたしましょう。揺れますから、とにかく席についてください」
アナスタシアはご機嫌な様子で着席し、笑顔を浮かべながらシートベルトを腰に締め直す。
ルウナはロドルフの返答を聞いて、彼の業務の幅広さに感心した。
ウェイターにシェフ、車の運転に秘書業務まで――
一体どれほどの能力を兼ね備えているのだろうか。
「ねぇ、シュガーちゃん……もしかしてだけど、シュガーちゃんの秘書ってロドルフさんのことだったりする?」
「あ、分かっちゃった……? 彼はすごくしっかり者なの。それこそ私が小さな頃から、ずーっとお世話をしてくれてるんだ」
「ついでに聞くけど、シュガーちゃんのボディガードもロドルフさんだったりするわけ?」
「もちろん。強くてとっても頼りになるの。顔は少しだけ怖いけどね」
「なるほどー……韓国旅行中のあたしは、ロドルフさんの下で働くことになる感じかー」
秘書という言葉から、上司にあたる存在はてっきり女性だと思っていた。
ロドルフの存在は心強いと言えば心強いが、アナスタシアが絡むとなると、少しだけ違和感と恐怖が勝つ。
(シュガーちゃんに怪我でもさせたら……殺されてしまうんじゃなかろうか……)
悪夢のような想像を巡らせている内に、リムジンは料金所を越えて、チュナールの市場へ続くポータルへと辿り着いた。
ロドルフは颯爽とリムジンから降りて、ルウナを降ろすべく扉を開ける。
「ルウナ様、お手をどうぞ」
「様はいらないし手もいらない。ひとりで勝手に降りられるから」
鞄を胸にしっかりと抱き、ルウナは慎重にリムジンから飛び降りる。
そして背後を振り返り、ルウナは車内に座るアナスタシアへと向き直った。
「シュガーちゃん、今日は本当に楽しかった! また一緒に遊ぼうね!」
「うん、今日は来てくれてありがとう……! お泊まりの日程が確保できたら、すぐに通話で相談するね……!」
ふたりは両手で握手を交わし、名残惜しげに手を離す。
ロドルフはリムジンの扉を閉め、ルウナに向けて敬礼をして、再び運転席へと戻った。
リムジンは短くクラクションを鳴らし、再び機動路を折り返していく。
ルウナはリムジンが見えなくなるまで、アナスタシアに向けて手を振り続けた。
そしてリムジンが走り去った後も、ルウナは暫くポータルの前に立ち尽くす。
(どうしてだろう……今日はお別れがめっちゃ寂しい……)
充実した推し活を体験して、心は十分に満たされているはずなのに――
ルウナの胸は別れに対する寂しさで痛み、不思議と目尻に涙が浮かぶ。
「ぐすっ……ラミウと約束してて良かった……。もしも今夜ひとりだったら……寂しくて耐えられなかったかも……!」
ルウナは手の甲で涙を拭い、大股でチュナールへのゲートをくぐった。
海鮮市場への道を歩きながら、スマートデバイスを指で手早く操作する。
画面に映るのはラミウの名前とウサギのアイコン。
数回のコールの後、画面が切り替わり通話が繋がる。
「――はい、こちらシャーンティ診療所です」
開口一番にラミウが発した言葉は、あろうことか診療所名。
後ろから小さくアイザークの声で「違うだろ」と訂正が入る。
「ごめん、癖で間違えちゃった。こちら、ただのラミウです」
「あははっ、こっちが間違えたのかと思ってビックリしちゃった! やっほーラミウ、今さっきチュナールに帰ってきたよー!」
「おかえりルウナ。私たちはレストランで夕食を食べてるところだよ」
ルウナはスマートデバイスを耳元から離し、画面に表示される時刻を見る。
「あれ、今って22時だよねー? ディナーにしては遅くない?」
「うん……20時にお店に入ったんだけど、煙ちゃんのおかわりが止まらなくて……」
ルウナの驚く声を聞いて、ラミウは視線を煙に向けた。
ラミウたちのテーブルには、空の大鍋がふたつも積み上がっている。
「煙……いくらなんでもそんなに食ったら腹壊すぞ」
「炊き込みご飯、おいちいのだ~♪ 手食も慣れると楽しいし、我はビリヤニが気に入ったのだ~!」
小さな身体の、どこにその量が入るのだろうか。
煙はご機嫌な様子で、三つ目の鍋を抱え持ち、ビリヤニを夢中で頬張っている。
「というわけで……もう少し時間がかかりそうなの。迷惑かけて本当にごめんね……?」
「ゆっくり食べてて大丈夫だよー。あたしも部屋を掃除しなきゃだし、海鮮市場の傍まで来たら連絡してー?」
「ありがとう、ルウナ。お店を出たら連絡するね」
ラミウの言葉を最後に、数秒間の環境音――
アイザークの「切れてないぞ」の言葉と共に、ラミウとの通話がブツリと切れる。
「ははっ。ラミウったら、デバイス操作に不慣れでやんの」
通話が終わると、途端に寂しさがルウナを襲う。
友達と長く同じ時を過ごしたことで、普段の孤独を自覚したのだろう。
思えばルウナは〈友達〉というものが、どういうものかを忘れていた。
バイミーで知り合う人々は、その日限りの付き合いが多く、表面上でしか関わらない。
ラミウとアナスタシアはトラブルがキッカケで知り合った仲だが、堂々と友達と呼べる仲だ。
SNSの発達により孤独とは無縁だと思っていたが、リアルで付き合いがあると日常の感じ方も変わってくる。
「……さっさと帰って掃除しよ。ラミウたちの布団を敷いて、お風呂とお茶も沸かさなきゃ」
心細さから逃れるべく、ルウナは駆け足で家路を急ぐ。
一分一秒でも早く、大切な友達を迎えるために。




