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第24話「チュナールの市場へ」

  乾いた風が爽やかに吹き抜ける、日曜日の早朝。

 獰植物の討伐を終えたラミウとアイザークは、地下路の入口で煙と待ち合わせをする。


「――あっ、煙(イェン)ちゃんが来た。ちゃんと朝五時ぴったりだね」


「ラミウ、アイ! おはようなのだ!」


 早朝にも関わらず、煙(イェン)は笑顔を浮かべて待ち合わせ場所へ駆けてくる。


「ディガンマが我らに食事を持たせてくれたのだ。トマトとハムと、レタスが入ったサンドイッチ」


「嬉しい! アストラヴァナ領までは輸送車で二時間くらいかかるから、車に乗ったらみんなで食べよう」


 三人の目的地は、ルウナが暮らしているチュナールの街――

 通称〈下街(したまち)〉と呼ばれる地下都市は、アストラヴァナ領の入り口とも呼ばれている場所だ。


 チュナールはベレナスから約三十キロほど離れており、アストラヴァナの本体である空中都市が浮かぶミルザプルとの中間地点に位置している。


 今日はディガンマのアドバイスに従い、三人は輸送車に乗って目的地まで行くことにした。

 早朝なら物資を運ぶ輸送車が、チュナールやミルザプル方面へ多く走っているからだ。


「自掃機に乗るより安全でいいね。幸い、この荷台は重たい物を乗せてる様子はないみたいだし」


 輸送車の荷台も危険なことに変わりはないが、ベレナスの人々にとっては当たり前に行われる移動方法だ。

 重たい家具や鉄のプレートなどが荷台に乗っている時は、ブレーキのたびに潰されてしまわないよう、注意を払う必要がある。


「急ブレーキで荷物が動いて、荷物に潰されて死ぬ人がいるんだ。煙ちゃんとアイも気を付けた方がいいよ」


「俺は身体が丈夫だから、その辺は特に気にしていない」


「我もその辺は大丈夫なのだ。霞のようにササッと華麗に避けてやるのだ」


 ちなみに、法律で荷台に乗ることは禁止されているので、荷台で発生した事故や怪我は乗った者の自己責任となる。


「……ところでラミウ、今だけサングラスとローブを取っていいか? 視界が暗くて寝てしまいそうだ」


「駄目だよ! 誰がアイのことを見てるか分からないんだよ!? アストラヴァナ領へ行くんだから、多少は変装して行かなくちゃ」


 ふたりの会話を聞いてか、煙は不思議そうな表情を浮かべた。


「変装? ラミウ……アイは追われているのか?」


「アイはちょっと訳アリなんだ。……実は映画(ボリウッド)俳優で、事務所から抜けたばかりなの」


 もちろん口から出任せ、根っからの嘘である。

 アイザークは眉をひそめ、信じられないといった様子でラミウを見た。


「なに、その目は。自由がないから俳優を辞めたいって泣いてた日々を忘れたの?」


「いや……そうだな。もう二度とスカウトやパパラッチに追われたくない……」


 深い事情を抱えているであろうアイザークを見て、煙は慌ててサンドイッチの包みを解く。


「アイ、これを食って元気を出せ。何か食べれば心もきっと元気になるぞ!」


「ありがとう。ラミウのサンドイッチはハムを抜いてくれ。彼女はハムが嫌いなんだ」


 煙はサンドイッチの包みを床に置くと、備え付けのフォークでパンを開き、ハムを丁寧に取り除きはじめた。

 その隙にアイザークはラミウの肩を抱き、小声でそっと耳打ちする。


「おい、出任せを言う時は事前に口裏を合わせてくれよ」


「アイこそ、逃亡者(リベリアス)としての自覚が足りないんじゃないの? こういう時の設定くらい、あらかじめ自分で考えておいて!」


「……人が困るのを見て楽しんでるとしか思えない。そういうとこ、ディガンマ先生にそっくりだよな。この嘘つきの意地悪め」


「それはアイの方でしょう!? ハムは大好物なのに……どうしてあんな嘘ついたのっ!?」


 ハムの仕分けを終えた煙は、アイザークにサンドイッチをふたつ渡す。


 ひとつはハム抜きの貧相なもの。

 もうひとつはハム山盛りで豪快なもの。


 山盛りのハムをラミウに見せつけ、アイザークは悪戯に口角を上げた。


「どうかなラミウ。今日はひと口だけ頑張ってみるか?」


「……望むところだよ。好き嫌いはよくないもんね」


 ラミウはアイザークを睨んだまま、彼の手から直接サンドイッチに食らいつく。

 そして大きなひと口で、ハムで膨らんだサンドイッチを半分以上頬張った。


「んぐっ、ふ……んんっ……!」


 アイザークに好物を取られて、余程悔しかったのだろうか――

 欲張ってえずきそうになりながらも、ラミウは涙目で食べ進める。


 固い耳が落とされていない長方形のサンドイッチは、小さな顎で噛み切るだけでも一苦労のようだ。

 ラミウの意地と醜態を前にアイザークは動揺し、思わず声を上ずらせた。


「おい、全部ひとりでいくつもりか。この欲張りめ」


「んぐっ、んう……らっへ(だって)……ひとふひ(くち)だけって、いっは(た)から……っ!」


 四つん這いで一息に貪ろうとする姿は、まるで飢えた動物のよう。

 口の端から零れたトマトの果汁が、アイザークの手首へと流れて伝っていく。


「うわっ、うわぁ、うわぁーっ! ラミウ、ハムの方ぜーんぶ食べちゃったのだぁっ!」


 サンドイッチをすべて食べ終え、ラミウは満足げに顔を上げた。


「むぐっ……どうだぁっ! ひと口で全部食べ切ってやったよ! 嘘ついたアイが悪いんだからから!」


「呆れた。俺以外には見苦しい意地を張らないでくれよ」


 濡れた手指を塵紙で拭ってから、アイザークは残された方のサンドイッチを頬張る。

 ひと口食べて何かに気付き、アイザークは視線を足元へ落とした。


 ラミウの行動に動揺して、持つ手に力がこもっていたのか――

 貧相な方のサンドイッチは、具がすべて床に落ちている。


「慣れないことをするもんじゃないな。罰が当たって具無しになった」


「アイはもう少し意地悪が上手くならなくちゃね。反撃される余地がないくらい、冷静で強かにならなくちゃ」


 満腹になって満足したのか、ラミウは仰向けに寝そべって、膨らんだ腹を手のひらで撫でる。


「ふわぁぁ……食べたらなんだか眠くなってきた。仮眠するから着いたら起こして」


「我も少しだけネムネムなのだ……。ラミウ……我も隣で暫し休むぞ……」


 煙もラミウの傍に寄り添い、猫のように身体を小さく丸める。


「……何が荷物には気を付けろだ。大の字で寝てる奴がよく言うよ」


 たとえ荷台が危なくとも、地下路の中は薄暗く、眠るには最適の環境だ。

 時速三十キロで走る車体の揺れが、ゆりかごのように心地よい。


 ふたりはアイザークに見張りを任せ、到着時刻の午前八時まで、ぐっすりと深く眠り込んだ。


 輸送車は徐々に速度を落とし、チュナールへと続くポータルへ入る。

 ポータル内は物資を運ぶ他の輸送車で混雑しており、ネオフェネックたちが声を張って、それぞれの倉庫へと輸送車を誘導していた。


 眠っていたラミウと煙は、周囲の騒音で目を覚ます。


「んん……もう到着……? まだ全然眠れるよ……」


「おおっ、ネオフェネックが沢山いるぞ! カワイイのだ! 尻尾をフワフワ撫でたいのだ~っ!」


「失礼だから撫でちゃ駄目だ。ネオを動物扱いしたら、差別主義者(レイシスト)だと思われるぞ」


 周囲の景色と大勢のネオたちが珍しいのだろうか。

 煙は輸送車から降りるなり、ふらふらと勝手に歩いていく。


「煙ちゃん、待って! はぐれないように手を繋ごう!」


 ラミウが慌てて追いかけ、煙の手を両手で強く握った。


「アイ、煙ちゃんの左手をしっかり持って! 私は右手を繋いでいくから!」


「わかった……! どちらかが必ず手を繋いでいよう……!」


 好奇心旺盛な煙を左右から手繋ぎで拘束し、三人は下街へのゲートをくぐった。

 入るなり、眼前には巨大な倉庫と沢山の露店が軒を連ねる。


「うわぁ~! ベレナスも混沌として面白かったが、こっちは物で溢れてるのだ!」


 アストラヴァナ領の入口であるチュナールの街は、物流の要であり、様々な食材が流れ込む集積地であった。

 長距離輸送のハブ市場とはよく言ったもので、青果、香辛料、精肉、海鮮など、それぞれ四つの巨大市場が存在する。


 内陸にも関わらず、新鮮な海鮮が食べられる貴重な場所だ。

 早朝の時間は所々で様々な競りが行われており、人々の活気で賑わっていた。


「焔(ホムラ)ーっ、どこなのだー? 姉者(あねじゃ)が探しに来てやったぞー! 隠れてないで出てくるのだー!」


 歩きながら、煙は弟の名をしきりに叫ぶ。

 弟らしき人物は、一向に現れる様子がない。


「なぁ、煙の弟って一体どんな容姿なんだ?」


「確かに。特徴を教えてもらわないと、私たちも探しようがないよね」


「――我と焔(ホムラ)は双子である。髪型から化粧、服装まで、何もかも同じなのだ!」


 煙曰く、焔(ホムラ)は煙と瓜二つだと言う。

 白粉を薄く塗った白い肌に、黒々とした長い髪。


 なんでも、口元と目尻には鮮やかな紅を差しているらしい。

 それを聞いたアイザークが、違和感を覚えて眉をひそめた。


「……歌舞伎で言う女形か何かか、それか余興の踊り子か?」


「その通り! 穆(ムー)一族は粋で美しい旅芸人! 穆(ムー)は我らが四川に伝わる、巧妙な絶技を舞う者よ!」


 そこまで話して、煙はぴたりと足を止める。

 遥か遠くに目を凝らし、何かを見つめているようだ。


 まさか、焔(ホムラ)を見つけたのだろうか――

 ラミウとアイザークは、煙の視線を追った。


 遥か遠くの小さな露店から、火花と共に香ばしい匂いが立ち昇っている。


「牛肉の匂い……! あそこの屋台が牛肉をジュウジュウ焼いているのだ!」


 輸送車でサンドイッチを食べたにも関わらず、煙はもう腹を空かせているようだ。

 ラミウとアイは呆れたように顔を見合わせ、息を吐く。


「煙ちゃん、今日は観光で来たんじゃないんだよ? 食べ物のことなんて二の次でしょう?」


「サンドイッチを食べてから一時間は経ってるのだっ! それに牛肉は美味いぞぉっ! ラミウは牛を食ったことあるかっ!?」


「牛ぃっ!? 食べたことないに決まってるでしょっ!? 牛は神聖な生き物で、食べたらお腹を壊すんだから!」


 ラミウは煙から視線を外し、隣に立つアイザークを見る。

 アイザークは無言のまま、立ち昇る煙を見つめている。


「ねぇ、アイも何か言ってやってよ。牛なんか売ってても食べないよねっ!?」


「……ごめん。リブロースのステーキが大好物なんだ。会食の時はメインを選べて、好んでよく食べていた」


 味方だと思っていたアイザークからの、裏切るような返答――

 予想だにしなかった言葉を前に、ラミウはショックで倒れそうになる。


 ラミウは煙とアイザークに引きずられ、あれよあれよと屋台の前へ。


「おっちゃん! この串焼きは何なのだ!? 美味しそうな匂いがプンプンするのだ!」


「これは四市混合焼き(チャールバザール)だよ。これ一本で下街を網羅する名物料理さ」


 四市混合焼き(チャールバザール)とは――

 四つの市場から買い付けた食品を、一本の串に纏めて焼いた一品らしい。


 簡単に言えば、野菜や精肉、海鮮などをスパイスで味付けして焼いたものだ。


「希望があればそれを焼くけど、基本的にはランダムだよ。今日のオススメは牛肉と鮫だね!」


 店員の男に促され、三人はそれぞれ注文を決める。


「我は牛肉と鮫でいいのだ! 野菜とスパイスは運だめしで!」


「俺は牛肉とナマズ。その他は甘くないのにしてくれ」


「わ……わたしは鶏と……――」


 鶏と聞いて、煙とアイザークは咄嗟にラミウの顔を見た。

 期待の空気と無言の圧が、ラミウの注文を惑わせる。


「……いや、やっぱ牛肉と……あとは全部おまかせで……!」


「うむ! 果敢に挑んで偉いぞラミウ!」


「金は俺が出すよ。強制させたみたいだからな」


 三人はそれぞれ頼んだ串を受け取り、日の当たらない場所へ移動する。

 串の食べ歩きは危険なので、海鮮市場のベンチに座り、少し休憩することにした。


「足元に霜がいっぱいだ! まるでチベットの雪みたいなのだ~!」


 言いながら、煙は道に転がっている小さな氷を蹴とばして笑う。


「野外なのに涼しいね。まるでクーラーが効いてるみたい」


「すぐ傍にあるアレのせいだろ。倉庫自体が冷凍庫になってるんだ」


 アイザークは背後を振り返り、巨大な倉庫を指差した。


 今まさに、中で競りが行われている最中だろうか――

 鉄の扉が全開に開け放たれ、中から冷気が漂ってくる。


「煙ちゃん、ちょうどいいからここで食べよう。暑くてうんざりしてた所だしね」


「わかったのだ。食べ終わったら霜で雪だるまを作ろうぞ~♪」


 蒸し暑い地下の空間で、この場所はかなり快適だ。

 三人はベンチに座って涼みながら、熱々の串を頬張った。


「おお、青バナナって熱を通すと美味いんだな。まるで蒸かしたジャガイモみたいだ」


「我はパイナップルだったのだ。ホカホカのあまあまで酢豚みたいなのだ~」


 アイザークと煙は、さりげなくラミウの方を見る。

 ラミウは両目を固く閉じ、牛肉に歯を立てて震えていた。


 恐る恐るとは、まさにこのこと。

 緩慢な動作で肉を頬張り、眉をひそめて咀嚼する。


「どうだラミウ。初めての牛肉は美味しい?」


 ラミウはゆっくりと瞼を開き、アイザークを見て頷いた。


「認めたくないけど、すごく美味しい。なんとなく今まで避けてきたけど、そっか……牛ってこんな味なんだ……!」


「四川にはもっと美味い牛肉料理があるぞ! 我の好物は干鍋牛肉(ガングォニュウロウ)だ!」


「がんぐぉにゅうろう? 聞いただけじゃ、どんな料理か想像できない」


 煙は懐から紙と筆を取り出し、材料をこと細かく記していく。

 相変わらず、どれも難しい漢字ばかりで極めて難解な言語だ。


「材料があれば揃えよう。牛肉と大量のごま油。唐辛子に花椒(ホアジャオ)と鉄鍋。あとは焔(ホムラ)がいれば申し分ない」


「弟も材料に含まれるのか」


「焔(ホムラ)は鉄鍋を振るのが上手い! 振り方で味が変わるのだ!」


 アイザークは腕を組み、焔に対する妙な違和感と向き合う。

 鉄鍋を振るのが上手い子供など、はたして本当にいるのだろうか。


「なぁ、ラミウ……煙の弟ってもしかして子供じゃ――」


 アイザークはそこまで言って、煙の様子がおかしいことに気付く。


 弟のことを思い出して、寂しくなってしまったのだろうか。

 煙は口をへの字に曲げ、瞳から涙を零していた。


「焔(ほむら)ぁ……姉者を置いて、一体どこへ行ったのだぁ……っ! こんなに人が大勢いたら……っ、会えるかどうか分からないのだ……!」


「泣くなよ……! まだ夜まで時間もあるし、気になるところは片っ端から回ってみよう!」


「もっと大勢で探してもらおう。今から軍の支部へ行って、捜索届を出してこようよ」


 ラミウの提案を聞いて、煙は途端に血相を変える。


「それは絶対駄目だ! 軍の世話になるなど言語道断である!」


「どうして? こういう時は、然るべき組織に協力を仰ぐのが最善だよ?」


「穆(ムー)の一族は……その……軍と仲が悪いのだ! 軍に頼ったら檻の中に入れられて、それこそ二度と会えなくなるかも……っ!」


 煙の鬼気迫る様子を見たアイザークは、彼女の中に深い闇を感じ取る。

 おそらく自分自身と同じように、軍と折り合いのつかない関係なのだろう。


 でなければ、軍が定めた国境を避け、チベットを経由して来るはずがない。

 自掃機専用の狭い通路を、徒歩で歩いて来るはずもない。


「ラミウ、煙にも事情があるようだ。これ以上は聞かないでおこう」


「だけど、こうしている間にも弟さんはひとりなんでしょ……!? その事についてはどう思うの!?」


「焔(ホムラ)はきっと大丈夫……焔の傍には、引率の大人がついてるのだ……。彼女はとても頼りになる、我と焔(ホムラ)の母代わりなのだ……」


 開示された新事実に、ラミウとアイザークは目配せを交わす。


「ラミウ……おそらく迷子は弟ではなく煙の方だ。俺たちで煙を保護していれば、彼女の言う通り大丈夫だろう」


「そうだね。オープンテラスのカフェにでも行こうか。弟さんが煙ちゃんを見つけてくれるかもしれないし」


 ラミウは頭についた髪飾り――

 アクセデバイスを取り、ルウナのIDに通話をかける。


「――もしもし、ルウナ? 私たち今……チュナールの市場にいるんだけど、ルウナの家って確かここから近かったよね?」


 持つべきものは、アストラヴァナ領で暮らす友達である。

 まずは今夜の寝床確保と、協力を仰ぐ人員の確保だ。


 ラミウは通話をかけながら、アイザークと煙を連れて、オープンテラスのカフェへ向かった。

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