第23話「好きは推さずにいられない」
乾いた風が爽やかに吹き抜ける、日曜日の朝。
ルウナは軍の輸送車で、ミルザプルにある豪邸へ招かれていた。
ミルザプルはベレナスから約六十キロほど離れた都市であり、空中都市アストラヴァナの直下にある。
アストラヴァナ領の中心と言っても過言ではない区域だ。
「うわー、すっごい大きなお屋敷だねぇ。ここがシュガーちゃんのお家?」
「ううん、ここはただの下宿。アストラヴァナ領で働く私のために、お兄様が用意してくれたんだ」
「これで下宿かぁ。あたしにとっては完全にお金持ちが住む豪華な住まいだよ」
大理石の床や壁には古びた写真が掛けられ、所々に南国の花が飾られている。
心を和ませる南国の歌が小さな音で流れており、ココナッツの甘い香りと相まって、非現実感を演出していた。
「ほんとすごーい……まるでハワイのホテルみたーい。グレートワイキキアンって感じー?」
中でも特に目を引くのが、ロビーの壁を埋め尽くすほどの花の写真。
特に薔薇の写真が多く、額装された状態で、どれも丁寧に飾られている。
「オアフ島にある有名なホテルがモチーフなの。お兄様が歴史オタクで、寮の名前も銀星館なんだ」
「銀星館? ごめん、あんまピンと来ないや。歴史あんま詳しくなくてー」
アナスタシアは、壁にかけられた写真の前で立ち止まる。
額装された写真には人間とネオフェネックの老人が二人、肩を組んで立っていた。
老人たちのすぐ側には、車椅子に座る老女と若い女――
若い女性は老女の肩に、そっと手を添えて微笑んでいる。
「銀星館って名前は、この写真の人達にちなんでるんだよ。人間のおじいさんは当時の偉い将軍さんで、ネオの方は彼の親友なんだ」
「へぇー。こんな昔の人たちなのに、仲良さそうで意外だねー」
ふたりは上官と部下の関係で、若い頃から晩年まで苦楽を共にしてきたようだ。
階級や地位が離れても、生涯ふたりは親友同士、対等の関係であり続けたらしい。
「この関係……正直かなり萌えるよね……! ルウナちゃんは将軍さんと親友のネオフェネック‥‥どっちが右だと考えるかな……?」
「んー、ビジュがおじいさんだと萌えないかなー。車椅子のおばあさんと、若い女の人は誰ー?」
「おばあさんは私の曾祖母で……若く見える女の人は、将軍さんの奥さんだよ」
「えぇっ、奥さんにしては若過ぎじゃないっ!? 後妻さんとか愛人ってこと!?」
シュガーは少し考えて、肩を竦めて微笑んだ。
「彼女については私もよく分からないや。でも、これが4人で写ってる最後の写真なんだって」
「そうなんだー。どうして最後の写真なのー?」
「このあとすぐ、若い奥さんは病気か何かで死んじゃったの。将軍さんは奥さんが死んで以降、カメラの前に立つのを嫌がるようになったみたい」
妻や友人がいない日々など、記録して残すに値しないと、彼はそう考えていたのかのかもしれない。
「庭園に咲く花の写真は、沢山残っているのにね‥‥。銀星館に飾ってある花の写真は、将軍さんが晩年に撮影したものなんだよ」
彼は八十三歳で亡くなるまで、妻が残した庭園の花を一心に育てていたらしい。
そして五月のある日、赤い薔薇が咲き乱れる庭園の一角にて――
花壇に倒れ、冷たくなっているところを親族に発見されたそうだ。
「なんだか、とっても切ないでしょう……。亡くなった奥さんが男だったら、同人イラストを描いてたかも……」
「うん……VIXROSEで想像しちゃった……。先に逝ったカシくんを想って、薔薇園で泣くチャンミの姿を……」
そこまで話して、ルウナは慌てて口を塞ぐ。
「ごめん、シュガーちゃんの推しを脳内で勝手に殺しちゃった」
「同シチュを逆で想像してたから大丈夫……! 身内間で話す綺麗な死ネタは、案外美味しく頂けますので……!」
アナスタシアは気にせぬ様子で歩き出し、屋敷の奥へと進んでいく。
ルウナは写真を再び見上げ、若い女性の姿を見た。
老いた人々の中に立つ、不自然に若々しい異質な存在。
南国にそぐわぬ白い肌は、まるで幽霊か何かのよう。
女性の笑顔の奥には、寂しさや切なさといった感情が、僅かに滲んでいるように見えた。
「……なんか、ちょっと不気味かも。この写真……夜とかに一人で見たくないや……」
ルウナは写真から目を背け、アナスタシアの後を追った。
途中で中庭に目をやると、ネオの男性たちが気持ちよさそうに日光浴をしている。
向かいの別館はジムや食堂になっており、フロアには絶えず小型自掃機が抜け毛を求めて彷徨っている。
ネオたちは皆、この屋敷で各々の生活を楽しんでいるようだった。
「庭でゴロゴロしてるのってー、休暇中の部下たちでしょー? ストレスがないのかなー、みんな毛艶がめっちゃ良いよー」
「私も写真の軍人さんと同じく、ネオと対等でいたいんだ。ここで暮らすネオたちは、基本的にとっても自由なんだよ」
「へぇー、でもどうしてかなー。どこを見ても野郎ばっかだ。女のネオがあんまりいないねー」
「それは……ネオフェネックのオスが大好きだから……! 群れでじゃれてる様子を見ると、口角が上がって仕方ないの……!」
ちなみに、ネオフェネックに対するオス発言は立派な差別に該当する。
ルウナはアナスタシアの中に天然の傲慢を感じながら、館の中を見て回った。
最後に案内されたのは、おそらく今日の目的地。
アナスタシアいわく〈私の推し活部屋〉である。
数人が入れる程度の小さな防音室に、細長いソファが向かい合わせで設置されており、真ん中には小さなテーブルがある。
テーブルは高級なものではなく、家電量販店などに売っている簡素なものだ。
そして一際目を引くのが、奥に鎮座するカラオケ機材。
ご丁寧にマイクが二本と、タンバリンまで用意されている。
「どわああーーっ! アジア式のカラオケだぁーーっ!」
「えへへ……私の自慢の推し活部屋です……! ドリンクはもう頼んであるから、座って座って!」
ルウナはバッグをテーブルに置き、背中からソファへと滑り込む。
アナスタシアが座ったタイミングで、ウェイターが扉を開けて入ってきた。
「お待たせしました、アナスタシアお嬢様。こちら、山盛りポテトとVIXROSEの妄想概念ドリンクです」
「ありがとう。チャンミくんの方をお客様にお出しして。私は無論、カシくんの方で」
ウェイターは敬礼して、ルウナの前に赤いドリンクを配膳する。
オリジナルのイラストが描かれたコースターには、ドリンクの概要が記載されていた。
「ローズシロップにレモンソーダ……! 苺ピューレに薔薇の花までっ! チャンミにぴったりのドリンクじゃーん!」
「シェフ監修で作らせたの。私の方はカシくんイメージの紫色……バタフライピーの紅茶だよ」
アナスタシアはスプーンを手に取り、ルウナのグラスからレモンソーダを掬う。
「なんと……チャンミくんのソーダをカシくんに注ぐと、色が紫からピンクになります……!」
「やばぁーっ! 解釈一致で怖いくらい……! このコースターとか、大手の絵師さんが描いたやつだしーっ!」
「えへへ、DMで依頼しちゃいました……! 本当は写真が良かったんだけど……ファンモラル的にNGなので……!」
笑みを浮かべながら涙を滲ませ、ルウナは赤いジュースを啜る。
一見、雑な色水に見えて、その味はとても繊細であった。
添加物などは一切使わず、オーガニックの食材のみで仕上げているのだろう。
アナスタシアが飲む紅茶も、その芳醇な香りから高級な茶葉であることが窺える。
「すごいよぉ、こんなの……アジアのコラボカフェそのものじゃん……! なんだか今日は夢みたい……っ!」
「私もここに友達を呼べて夢みたいだよ……! こういうのを頑張って作ってもね……共有できる人がいないと、ちっとも面白くないんだから……!」
これほど大がかりなことを、ひとりで寂しくやっていたのかと、ルウナは胸をそっと痛める。
「うんうん、共有は大事だよねーっ! あたしもいつか、話のわかる友達と一緒に渡韓してー、推し活するのが夢なんだー!」
「ルウナちゃん……絶対、私と韓国へ行こう……!? ソウル支部へ視察に行く時、ルウナちゃんをバイトで雇うよ!」
「すごぉーいっ、ソウル支部へ視察ーっ!? ……でもバイトって何するの? あたし、こないだの件でちょっと色々警戒しててさー」
サーカスの事件に巻き込まれてから、ルウナはバイミーの利用をやめた。
最近は近所の小売店にパートとして通い、レジ打ち業務をこなしている。
「えっと……仕事内容はスケジュール管理の補佐かなぁ……。立場的にはボディガードに近い感じだけど」
「ボディガード!? 銃の前に躍り出て、身を挺して守る感じのー?」
ルウナは口元に半笑いを浮かべ、どこか怯えた様子でアナスタシアを見た。
アナスタシアは両手を顔の前で振り、失言だったと弁明をする。
「ごめんね……! そういう事態は滅多にないから、怖がらなくても大丈夫だよ……! お兄様ならともかく、こんな私が襲われるなんて絶対にないもの……!」
「そうー? ちなみにスケジュール管理補佐ってぇ、ようは秘書みたいなもんだよねー? 資格とか色々必要じゃないのー?」
「もちろん、スケジュール管理はプロの秘書さんがメインでやるよ。ルウナちゃんは自由時間に、私とどこへ行くか計画する感じかな」
「おおっ、実質旅行計画! めっちゃ良いじゃーんっ♪ 渡韓する時は絶対あたしも誘ってね!」
未来の話がまとまったところで、ルウナのスマートデバイスが鳴る。
デバイスの画面には、小さくラミウと表示されていた。
「ごめんね、シュガーちゃん。ちょっと通話してもいいー?」
「いいよ。よかったら隣の別室行く?」
「んやー、ここで大丈夫ー。聞かれて困ることもないしー」
ルウナはデバイスに耳を当てて、通信に出る。
「ちょっと何ー、こんな時間にどうしたのー。え……今あたしの家の近くにいる!? ごめん……今ミルザプルにいるわ」
アナスタシアは歌う曲を選びながら、ルウナの通話にそっと耳を傾ける。
通話口から女性の声。
おそらく相手は友達だろうか。
「は……? 友達の弟を探しているから手伝ってほしい? あんたさぁ、あたしを捜査犬かなんかと勘違いしてない?」
怒気を含んだルウナの声に、アナスタシアは驚いて肩を震わせた。
「うん……あたしの家に泊まるくらいは構わないけどさー、チェックインは22時くらいにしてよねー?」
イラつきながらも、泊めてあげられる仲なのか――
アナスタシアはルウナの通話相手を、少しだけ羨ましく感じてしまう。
(いいなぁ、お泊まり……私も急に押しかけて、夜通しルウナちゃんとお喋りしたり騒ぎたいなぁ……)
出会ってまだ日も浅く、深い関係を築けていないのは理解している。
こればかりは、共に過ごす時間を積み上げていくしかない。
(もっと仲良くなりたいな。同じ年頃の友達なんて、ミルザブルにはいないもの)
熱い視線に気がついたのか、ルウナはアナスタシアを横目で見て、マズルに皺を寄せて舌打ちをする。
話を盗み聞きして怒られたのかと、アナスタシアは慌てて視線を選曲用タブレットに移した。
「‥‥うっさいなぁっ、当日に聞いといてワガママ言うなし! これだからベレナスの人は図々しいって言われるの!」
突如として、ルウナが手のひらでテーブルを叩く。
どうやら怒りの矛先は通話相手に対してのようだ。
「あたしだって、今日は大切な友達と遊んでんだからっ! 部屋の片付けだってしたいし、どっかの店で暇潰しててよねっ!」
言いたいことを言いきると、スマートデバイスの電源を落とし、強制的に通話を切る。
その様子を見てアナスタシアは、思わずルウナに様子を尋ねた。
「お友達……? ゴタゴタしてたけど、大丈夫なの……?」
「うんー、ベレナスの友達ー。今夜うちに泊めることになったー。まーた何か問題を引っ提げて来たみたいでさー」
大切な友達と目の前で豪語されて、アナスタシアは嬉しさを隠しきれない。
不機嫌なルウナを心配するも、口角は不自然に上がってしまう。
「それは……なんというか大変だね……! ところでその……問題って……?」
イライラする心を落ち着かせるべく、ルウナは赤い色水を飲んで息を吐いた。
「なんかさー友達の弟が行方不明なんだってさー。SNSに写真でも流して、拡散して探せばいいじゃん」
「だっ、駄目だよ……! そんな方法は危険過ぎるよ……! 誰が見てるか分からないんだから……っ!」
そして自身の発言に、アナスタシアは妙なデジャヴを感じてしまう。
最近どこかで、まったく同じような指摘を誰かにした記憶があったからだ。
「ごめんね、シュガーちゃん。シュガーちゃんといる時に他の友達の話をして……機嫌と空気まで悪くしちゃって」
「大丈夫だよ……! 気にしてないし、気にしないで! ほら、今日はVIXROSEを沢山歌おう!」
「よーし、じゃんじゃん歌うぞーっ! あたしはチャンミくんパートやるから、シュガーちゃんはカシくんパートをよろしくねっ!」
ふたりは推しのMVを前に、マイクを手に取り高らかに歌う。
激しい重低音が防音室を突き抜けて、銀星館の壁を激しく揺らした。




