第16話「彼とゆっくり話がしたい」
「グハハハハッ、仇討ちですと? 他人の為に、わざわざこの鉄格子を越えてきたと!」
団長は足元に向けて鞭を打ち鳴らす。
その音を命令と受け取ったのか、黒衣の女が再びゆらりと立ち上がった。
「さあさあ、皆様! 今から世にも珍しい、エグゾスケルトンと強き者によるキャットファイトをご覧に入れましょう!」
黒衣の女はラミウに向かって猛然と駆け出す。
「ブラックアックス―― エンゲージ!」
ラミウは女を迎え撃つため、ブラックアックスにセルを流した。
たちまち、蒼いセル光がアックスの先端に纏わりつき、巨大な光の刃を形成する。
そしてラミウは駆けてくる女に向けて、アックスを思い切り横に振った。
黒衣の女は両脚で地を踏み切り、刃を軽々と飛び越える。
(よし、こちらの思惑に引っ掛かった!)
すかさずラミウは柄を滑らせ、アックスを逆手に持ち替える。
跳躍の軌道を読んだラミウは、頭上を掠め飛ぶ女の身体へ、なぞるように刃を走らせた。
すれ違いざまの一瞬で、黒衣の女の片腕が飛ぶ。
戦闘開始から僅か数秒の出来事に、観客たちは皆一様にどよめき立ち、会場内に緊張が走った。
「……くそっ!」
黒衣の女は悪態をつき、落ちた腕へと手を伸ばす。
「駄目っ、再生なんてさせないんだから!」
ラミウは女を追いかけるように再びアックスを振りかぶると、今度は女の脚に向けて垂直に刃を振り下ろした。
細い丸太を切るかのように、刃は女の膝下を断つ。
ラミウの容赦ない猛攻に、ルウナは恐怖で竦み上がった。
「うひいぃ、ラミウったら残酷だよー! 友達になる人を間違えたかもー」
「このくらいやらないとフェアじゃない! 相手はただの人間じゃないもの!」
ラミウは落ちた腕と脚を掴むと、それぞれを鉄格子の向こう側へ放る。
腕と脚は観客席に落ち、血を浴びた客がパニックを起こして絶叫した。
「戦闘中に再生させない。悪いけど後で取りに行って」
黒衣の女はなすすべなく、その場に固まり項垂れる。
あっという間に勝負が決まり、会場には歓声が満ちた。
突然の乱入者、それも十代の少女が――
調教されたエグゾスケルトンを、あっという間に倒してしまった。
観客たちは久しぶりに良いものが観れたと大興奮。
おそらく今日一の大反響に、団長は歯を見せて大いに笑った。
「……素晴らしい! これは勝負が決まりましたな! 皆様、強き者の少女に大きな拍手を!」
拍手と歓声を受けながら、ラミウは視線を彷徨わせる。
そして闘技場内の脇に放置された、干乾びた遺体を見つけると、一目散に駆け寄った。
「今朝ぶりだね、おじさん……。一体どうして、こんな所に来ちゃったの?」
馬鹿言うなよ、それはこっちが聞きたいぜ――
チャイ売りの男が生きていたら、ラミウに軽口を叩いただろう。
ラミウは男の口に親指を突っ込み、力任せに顎を開く。
「悪いけど……歯を少しだけ貰っていくね。おじさんの家族に渡してあげなきゃ」
ラミウは男の遺体から歯を数本抜き取ると、塵紙に包んでポケットに入れる。
(……戦えるのは、ディガンマ先生の特訓のおかげ。先生ったら私に対して、意地悪なことばかりするんだもん)
ラミウは心中で、ディガンマとの特訓の日々を思い出す。
土曜の診察は午前のみで、午後の僅かな時間だけ、ディガンマは手合わせに付き合ってくれた。
女だからと甘くせず、ラミウ自身の弱点を突き、徹底的に苛め抜いてくれる。
中でもディガンマは、強き者が陥る〈特殊能力〉を過信した戦い方を酷く嫌っていた。
相手の攻撃を無計画に避けるべきではない。
兎のように高く飛べば、それだけ足元に隙が生じる。
バオバブの杖で尻を叩かれ、黒帆布の帯で足を掛けられ――
ラミウの週末は、いつも傷だらけの泥だらけであった。
(さっきの戦いはディガンマ先生を真似ただけ。わざと大きく斧を振って、相手が飛ぶようにけしかけた)
母の形見である黒い棍棒にセルを流して斧にするのも、元々はディガンマの発案だ。
身体に馴染む武器で戦うのが一番だと、ディガンマは常日頃からそう語っている。
ラミウはブラックアックスを下げて持ち、闘技場を去ろうと出入り口へ向かった。
その姿を見て、団長が慌てて声をかける。
「おっと、勝ち上がったのにどこへ行くつもりで? まだまだショーは終わりませんぞ!」
団長はスマートデバイスを取り出すと、その場で誰かに通話をかけ始めた。
「――私だ。今すぐ、あの男を連れて来い」
デバイス越しの通話相手は部下だろうか。
猫かぶりのない団長の声は、シビアで狡猾に聞こえた。
「……何? 吊っていたせいで使い物にならない? 貴様を食わせりゃどうとでもなるだろっ! もういい、今から私が行く!」
団長はマズルに皺を寄せ、グルグルと唸りながら闘技場を去って行く。
この隙に逃げようと、ラミウは鉄格子を登ろうとしたが――
「あなたはそのまま、ここにいて」
いつの間に背後にいたのだろうか。
先ほど争った黒衣の女が、ラミウの肩を押さえ付けた。
ラミウは女の身体を見下ろす。
五体満足の様子を見て、ラミウは安堵して短く息を吐いた。
「私が切り離した手足、無事に回収出来たんだ。ちゃんと繋がって良かったね」
「……なぜ、私に情けをかけた? いっそのこと、あの場で首を落としてくれれば良かったものを」
黒衣の女の物言いに対し、ラミウは眉間に皺を寄せる。
「なにそれ、私に殺されたかったってこと?」
「死ぬ以外に、此処から出る術は存在しない」
それは、ラミウ自身にも当てはまることなのだろうか。
女の言葉を聞いて、ラミウの心に不安が生じた。
「勇敢な少女ね。あなたの名前はなんて言うの?」
「ラミウ。シャーンティ診療所のラミウだよ」
「ラミウ……私からもお返しに情けをひとつ。今から来る男相手に、無駄な抵抗をしない方がいい」
ふと、ラミウは妙な気配を感じて、闘技場の出入り口を見た。
闇に包まれた通路の果てから、鎖を引きずる音が僅かに聞こえる。
「なに……? この音、何か来る……」
本能が危険を察してか、ラミウの背筋に悪寒が走り、両脚が小刻みに震え始めた。
(どうしよう……私の野生の本能が、ここから逃げろと警告してる……!)
強き者たちは心に野生を飼っている。
とくにラミウの本能は、野山を跳ねる兎の如く〈猛獣〉に対して敏感だった。
耳に届く鎖の音と、ほんの少しの気配だけで、ラミウは竦み上がってしまう。
「あの男がここへ来たのは、数ヶ月前のことだ。軍の上官……それも佐官を殺してきたって噂だよ」
「佐官……そんな偉い人を……?」
「話の分からない奴ではない。抵抗さえしなければ、きっと情けをかけてくれる」
やがて、眩い照明に照らされて、団長と共に一人の大男が入場してくる。
歯を見せて笑う団長の横で、大男は目を伏せ、項垂れていた。
ラミウは大男の姿を見て驚愕する。
まるで全身を這うかのように、見覚えのある奇妙な刺青が大男の肉体に刻まれていたからだ。
「いいか、職員をふたりも食わせてやったんだ。腹ごなしに一戦こなして貰わんとなぁ」
団長は大男の手枷を外そうと、側面のネジに手を掛ける。
しかし、団長がどんなに力を込めても、ネジは一向に回らない。
「おい、力むなっ! 手首のボルトが抜けないじゃないかっ!!」
ラミウは大男の手首を見て、あまりの様子に目を背ける。
「酷い……あんな拘束具、見たことないよ。手枷というより、まるで万力……!」
「吊って動けなくするためだ。セルを常に枯渇させて、都合よく使うために管理してる」
団長は指に付いた血を舐めながら、黒衣の女に向けて声を張った。
「おい女、コイツの手枷を外してやれ!」
黒衣の女はラミウを残し、颯爽と大男の元へ向かう。
女は項垂れる大男の頬を撫で、何かをそっと耳打ちすると、手枷のネジに手を掛けた。
大男は諦めて、抵抗することをやめたのだろうか。
先ほどとは打って変わって、手枷のネジが簡単に回り、二本のボルトが手首から地面へと抜け落ちる。
「――はぁ……っ」
大男は短い溜め息と共に、項垂れていた顔を上げる。
「そんな……あなたもしかして……!」
大男の相貌に妙な懐かしさを感じ、ラミウは思わず声を上げた。
僅かに開かれた瞼の奥で、大男の瞳が燃えるように揺らめく。
その瞳の色は、ラミウもよく知る蜂蜜色――
褐色の肌に、少し癖のある黒い髪。
しかし、ラミウのよく知る彼は、こんなに大きくはなかったはず。
十年という歳月は、ここまで人を変えてしまうのか。
大男は鋭い眼光でラミウを睨みつけた。
あまりの威圧感に圧倒されて、ラミウの足が恐怖で竦む。
「さあさあ、皆様ご注目を! 今宵登場する商品はひと味もふた味も違いますぞ!」
団長は再び観客に向けて、高らかに声を張り上げた。
「彼こそが当サーカスの隠し玉! セルを底なしに奪う化け物! 軍への過ちを二度も犯した叛意的存在でございますっ!」
大男を見つめたまま、ラミウは震えて動けない。
ルウナはラミウの異変に気付き、鉄格子越しに声を掛けた。
「ラミウ、様子が変だよ! どうしたの!?」
「ルウナ、どうしよう……私、アイを見つけちゃったかもしれない……!」
サーカスの団長が再び大声で、煽り文句を響かせる。
「彼の名はアイザーク! 軍が密かに開発を重ねる精鋭兵器、機戦羊をご存知かな!? 私でも扱いきれない隠し玉を、今宵は皆様にお見せしましょう!」
会場が再び熱い歓声に包まれる。
ルウナは両手で頭を抱えて絶叫した。
「アイザークって……ちょっと嘘でしょーっ!? ラミウっ、あんたの探してるアイってもしや、目の前にいる大男なの!?」
アイザークと呼ばれた男は、両脚を広げて腰を落とした。
血に塗れた両腕を前に突き出し、ラミウに向けて狙いを定める。
「双蹄――」
彼の呟きに本能がまず反応し、ラミウは咄嗟に後ろへと飛ぶ。
瞬間、アイザークの拳がラミウの胸を抉るように掠めた。
(まずい……! 大きいくせに、すごく速いっ!)
ラミウは勢いのままバク転を繰り返し、アイザークから距離を取る。
少しの油断も出来ないと、手に持ったアックスを槍のように構えた。
「おい女……何故、その斧を振らなかった。今のは確実に振れただろう」
「振ったら勝負がついてたからだよ。左腕を落とせたとしても、右腕が私を貫いてた……!」
その通りだと言わんばかりに、アイザークは口角を上げる。
「まずは戦場の整地からだ。自由に駆け回れないようにしてやる」
アイザークは両脚を開き、腰を低く落として構える。
拳を握って肘を引き、バネのように胸を反らすと――
「双蹄衝!」
掛け声と共に、アイザークは両の拳を地面に強く叩き付けた。
拳は闘技場の床を砕き、ラミウの身体はその衝撃で吹き飛ばされる。
「きゃああっ!」
ラミウの身体はゴロゴロと転がり、勢いよく鉄格子へ叩き付けられた。
頭をしたたかに打ち付けて、瞼の裏に星が飛ぶ。
「ラミウっ、ちょっと大丈夫!?」
朦朧とするラミウの元へ、ルウナが慌てて駆け寄る。
「うう、ルウナ……彼の武器デバイス、とんでもなく強いよ……! 一発でも食らったら、身体の中身が出ちゃいそう……!」
「ねぇラミウっ、もう降参しようっ!? ほら、あたしのタオルを貸したげるから!」
手渡されたのは、可愛い刺繍が施されたピンク色のタオルハンカチ。
降参の意を示すには、いささか頼りない代物だ。
ラミウはタオルハンカチを受け取ると、切なげな表情でルウナを見た。
「ルウナ……それでも私、彼とゆっくり話がしたい……!」
「なに馬鹿なこと言ってんのさーっ! ここはカフェじゃないんだよ!?」
「分かってるけど、本当にアイなのか確かめたいの……。彼がもし、私の知ってるアイだとしたら……!」
「話が出来るような相手じゃないって分かるでしょーがっ! 団長が言う通り、ありゃどう見ても兵器だってー!」
その時、ルウナは殺気を感じて顔を上げる。
ふたりの頭上には、今まさに拳を振り下ろさんとするアイザークの姿。
「ラミウ避けてぇぇーーっ!」
ルウナの絶叫で正気を取り戻したラミウは、手にしたハンカチをアイザークの顔に向けて叩き付ける。
アイザークの視界がハンカチに覆われ、躊躇いから一瞬、隙が生じた。
ラミウは地面を強く蹴り、アイザークの横をすり抜けて、脱兎の如く距離を取った。
放たれた拳は、今しがたラミウが座っていた場所を的確に突き、ルウナの立つ足元を粉々に砕く。
「きゃうぅんっ!? 待って待って、床がどんどん崩れるんですけどーっ!?」
ルウナは慌てて鉄格子をよじ登り、床の崩落に巻き込まれまいと逃げ惑った。
アイザークは舌打ちをして、背後を振り返りラミウを追う。
「戦いの最中にお喋りとは、随分と余裕があるもんだな……」
「余裕なんてないない! 一発でも拳を受けたら終わりだもの!」
アイザークはラミウに向けて、肘を引き胸を思い切り反らす。
(また来る……! 怖いのは拳そのものじゃなく、地面を砕く衝撃の方!)
ラミウは拳の着地点を読み、横にではなく縦へと逃げる。
持ち前の跳躍力を発揮して、鉄格子まで逃げるように跳び上がった。
先ほどの崩落を見た観客たちは、ラミウに向けて口を揃えて、こちらへ来るなと騒ぎ立てる。
ラミウは右手で鉄格子を掴み、左手はアックスを握り構えた。
(おかしい……さっきから下ばかり狙ってくる。彼の言う整地っていつまで続くの?)
小高い場所からラミウはアイザークの身体を観察する。
アイザークは下からラミウを睨み、降りてくるのを待っているようだ。
(私を追って来ればいいのに。登れないの? 一体どうして……)
ラミウは視線を自身の右腕――
鉄格子を掴む頭上の片腕へと向ける。
「もしかして……!」
何かに気が付き、ラミウは再び眼下のアイザークを見下ろした。
そして、アイザークの肩関節に、筋肉では覆い隠せないほどの不自然な陥没を見つける。
黒衣の女はアイザークに対し、こんなことを言っていた。
――吊って動けなくするためだ。セルを常に枯渇させて、都合よく使うために管理してる。
ネオフェネックの団長は、部下に対してデバイス越しに、こう告げていた。
――何? 吊っていたせいで使い物にならない? 貴様を食わせりゃどうとでもなるだろっ!
食わせたという言葉の意味は分からないが、吊っていたという点は女の証言と一致する。
これらの発言から、ラミウはアイザークの状況を推測した。
(彼の肩、きっと思うように上がらないんだ。もしかして脱臼しているのかも……!)
ディガンマと共に診療所で働くうちに、ラミウには自然と相手の体調を観察する癖がついていた。
それがたとえ患者ではなく、自らを襲う敵であっても。
入場時の疲弊しきった様子から、アイザークの体調が悪いことはうかがえた。
(団長たちが言っていた通り、何時間も吊られていたなら十分あり得る。触れてみないと評価は出来ないけど……!)
彼に猛威を振るっていたのは、団長による鞭打ちでも、手首を穿つ万力のような手枷でもない。
最も彼を追い込んでいたのは、肩関節が外れるほどの負荷。
鍛え抜かれた肉体の重さ、アイザーク自身の体重だろう。
長時間の拘束により、筋肉が酷く腫れ上がり、骨の復位を阻んでいるのならば――
拳を放つ際に肘を後ろへと引く動作も、腰を低く落とす姿勢にも理由がつく。
「靭帯の損傷は治せても、骨の位置までは戻らないってわけね……! 彼と戦う突破口が見えた!」




