第14話「本当に危険な存在は」
「はぁ……はぁっ……これでもう、誰も僕らの邪魔をしない……」
アイは肩で息をしながら、ひとり静かに呟いた。
あれほどいた獰植物たちは、一体も残らずセル光によって消滅したのか。
機戦羊の周囲には、今や荒れ果てた大地が残るのみ。
目的を完遂した機戦羊は再び黒い粒子となって、吹き荒ぶ風と共にアイの身体から剥がれていく。
気づけばアイは、ラミウを抱えたまま立ち尽くし、白み始める東の空を見つめていた。
「ラミウ、起きて……夜が明けたよ……」
アイはラミウに声をかけるが、彼女は一向に起きる気配を見せない。
思わずアイはラミウの口元に耳を寄せ、息があるかを確かめた。
アイの柔らかい髪が、そよ風を受けてラミウの顔を何度か擽る。
「……んぅ……っ、ふぅ……」
ラミウは小さな吐息と共に、ほんの僅かに身を捩り、アイの胸に顔を擦り付けた。
その様子を見て安堵したアイは、湿った地面に座り込み、ラミウの身体を両腕で強く抱き締める。
「……ううっ、ラミウ……起きてよ……ふ……ううぅ……っ!」
山間から昇る眩しい朝日が、戦いの緊張を解いていく。
ラミウを胸に抱いたまま、アイは声を上げて泣いた。
「――珍しいですね。こんな所で魂の器を見るなんて」
不意に誰かから声をかけられ、アイに再び緊張が走る。
アイは涙目のまま勢いよく顔を上げ、声のする方へと視線を向けた。
視線は左右を彷徨った後、バオバブの木の頂上へ。
何者かが逆光を浴び、アイとラミウを見下ろしている。
「まったく、なんて暴力的な力だ。危うく巻き込まれて死ぬところでしたよ」
突如として現れたのは、引き締まった肉体に暗赤色の袈裟を纏った長躯の男。
生白い肌は月明かりのように淡く、腰まで伸ばした蒼い髪が朝日を受けて、セル光のように輝いている。
「……ぐすっ、あなたは誰?」
「私の名はディガンマ―― ネオ・ベレナスという街で、診療所を営む医者です」
「ベレナスのお医者さん……! お医者さんがどうしてこんな所に!?」
「薬草の朝摘みを狙ってました。昨晩から木の上で張ってましてね」
ディガンマはバオバブの木から飛び降りる。
両手を地につけて着地すると、足元の土を指で撫で、呆れたようにため息をついた。
「しかし……これでは朝摘みも何もあったものじゃない。ここら一帯、大地の生気が吸われている」
「お医者さん……お願いします! どうかラミウを助けてあげて!」
ディガンマは立ち上がり、手に付いた土を払いながら、アイの元へと歩み寄る。
そして、アイに抱かれたラミウを見るなり、眉を寄せて呟いた。
「……衰弱が酷いようですね。出血は彼女のものですか?」
「違うよ、この血は僕の……、いや……この血はラミウのものじゃない」
ディガンマは眉間に皺を寄せ、鋭い眼差しをアイに向ける。
表情に確かな怒気を感じて、思わずアイは俯いてしまう。
「……何にせよ、早めに処置をした方がいい。キミたちがこれから行く所は?」
「ネオ・ベレナスへ行きたいんです。お願いします……ラミウを診療所へ連れて行ってあげてください!」
「もちろんです。診療所のあるベレナスへは、地下路を通ればすぐですから」
ディガンマはアイからラミウを受け取り、両腕で軽々と抱き上げた。
頼れる大人にラミウを託せた安堵から、アイは小さく息を吐く。
「さあ、急ぎましょう。私に付いて来てください」
善は急げだと言わんばかりに、ディガンマはベレナスへ歩き始める。
そして、数歩先へと進んだところで、再び背後を振り返った。
「……おや、キミは一緒に来ないのですか?」
「僕は……」
立ち尽くしたままのアイに、ディガンマは僅かに声を強める。
「彼女の他にも患者がいる。一緒に来るなら急ぎなさい」
「僕は行けない……。スマートシティへ―― アストラヴァナへ帰らなきゃ」
アイの口から出た言葉に、ディガンマは驚いて目を丸くした。
「アストラヴァナ……。さてはキミ、楽園から逃げ出して来たんですね」
「うん……でも、どうやら間違っていたみたい。僕みたいな怪物は、逃げるべきじゃなかったんだ」
強い意志を湛えた瞳で、アイはディガンマの顔を真剣に見つめる。
「――つまり、管理者の目が届かない地で、自らを制御する自信がないと」
「怖いんだ。これ以上ラミウの傍にいたら、僕はいつかラミウの命を、この手で奪ってしまいそうで」
悲しげに俯くアイを見て、ディガンマはどうしたものかと悩みあぐねた。
考えた末、ディガンマは自らの身体に巻いた、長い黒帆布を解いていく。
「ならば今すぐ、彼女の気持ちを知った方がいい。ラミウの天命を眺めてみましょう」
そう呟いて、ディガンマは長い黒帆布の一部を、ラミウの額にそっと被せた。
「ブラックカンバス、展開―― ラミウの業に接続せよ」
黒帆布に描かれた奇妙な柄が、言葉と共に蒼く輝く。
ディガンマは終始無言のまま、布越しにラミウの顔を見つめた。
「……なるほど、確かに過酷な生い立ちだ。ですが、ラミウにとってキミとの時間は、大切なものだったと思いますよ」
布越しに顔を見つめただけで、一体何が分かるというのか。
アイは唇を軽く噛み、首を小さく左右に振った。
「僕は絶対にラミウのことを不幸にする。弱いままじゃ……ラミウの傍にいる覚悟なんて出来ない……!」
「ならば、キミの覚悟が決まるまで、私はラミウと診療所で待っていましょう。今回はそれでいいですね?」
アイは静かに頷くと、眠るラミウの顔を見つめて、瞳から一筋の涙を零す。
「待たなくていい……きっと僕は、もうベレナスへは戻らないよ……」
「待ち続けるかを決めるのは、キミでなくラミウ自身です。私は傍で見守るだけだ」
ディガンマはアイの頭に手のひらを乗せ、慰めるように数回撫でた。
「アイ……いや、アイザーク―― キミは勇敢な男ですね。先ほどは理由を知らずに怒ってしまい、申し訳ございませんでした」
「……? ありがとう……えっと、ディガンマ先生。ラミウをよろしくお願いいたします」
アイは両の拳を強く握り、ディガンマとラミウに背を向ける。
そして、二度と振り返ることなく、密林の奥へと歩いて行った。
「ではラミウ、私と一緒に行きましょうか。悠久の聖地ネオ・ベレナスへ」
アイの背中を見送ると、ディガンマはベレナスへ向かって歩き始める。
朝焼けに照らされて黄金に輝く、広大な大河を望みながら。
朦朧とする意識の中で、ラミウはディガンマの肩越しに、アイの背中を見つめ続ける。
別れすら満足に言えないまま、それぞれの道は二手に分かれた。




