第13話「逃避行の果て」
どこからともなく聞こえはじめる、騒めき声に不気味な足音。
大小様々な獰植物たちが、機戦羊を取り囲むように集まって来る。
「どうしよう、すごく数が多いみたい。こんなに相手してられないよ!」
外界の獰植物たちは、崖下にいた個体と比べて、サイズもずっと大きいように感じる。
この数とまともにやり合ったら、命がいくらあっても足りなさそうだ。
「そうだ、さっきみたいに天高く跳ねて行けばいいよ。下にいる奴らを踏みつぶしてさ!」
「いや……ラミウの脚が限界みたいだ。跳べてもせいぜい、あと一回かそこらだよ」
ラミウは自らの脚を見下ろす。
太腿や脹脛に血管が浮き、爪先が蒼白く変色していた。
「あ、あれ……? 私の足、なんか変かも……!?」
身体の異常を自覚した途端、ラミウの両脚から力が抜ける。
アイはラミウの腰に手を回し、崩れ落ちないようにしっかりと支えた。
「それは僕の力のせいだ。ラミウの脚に、これ以上の負担はかけられない」
ラミウは、先ほどアイが言い放った言葉の端々を思い出す。
――こうして誰かと繋がることで、その人の特性を取り込んだ〈外骨格〉として機能するんだ。
――今の僕なら思い切り高く飛び上がれそうだ!
両脚の鈍い痛みを通して、身体がその意味を理解していく。
いつの間にか奪われて、道具のように使われていたのだと。
ラミウの全身は、意図せず恐怖に震えだした。
アイはラミウの震えを全身で感じ取り、その心の内を悟る。
「……ここから先は、僕だけの力で駆け抜ける。動けなくなったら守りに徹して、夜明けが来るまで耐えて待つ」
ラミウは振り返り、信じられないといった様子でアイの顔を見つめた。
「そんな、朝まで何時間あると思ってるの? それに……動けなくなったら耐えるだなんて……!」
アイはラミウと視線を合わせ、安心させるように柔らかく微笑む。
「……大丈夫。魂の器は頑丈なんだ。毛布を被って丸くなるのと同じだよ」
アイの言葉に、ラミウは彼の普段の癖を思い出した。
拗ねたり悲しい気分になると、頭から毛布をすっぽりと被り、膝を抱いて可愛らしく眠るのだ。
ラミウは膨らんだ毛布の上から、アイを撫でるのが好きだった。
暖かで穏やかなその様子は、今の比喩にはそぐわない。
「ラミウ……よく聞いて。朝になって敵が落ち着いたら、ラミウはひとりでベレナスの街を目指してね」
「どうして私ひとりなの……? アイは一体どうするの!?」
「何も心配いらないよ。ベレナスはとても治安が良いから。暗いスラムでの暮らしなんて、すべて忘れてしまえばいい」
自嘲混じりに吐き捨てた言葉は、ラミウの心に違和感を与えた。
「忘れてしまえばいいなんて……変だよアイ。それじゃあまるで、あなたとの日々も――」
ラミウが言葉を言い切る前に、機戦羊は大地を思い切り蹴る。
疾駆して切り込む先は、獰植物たちの群れの中。
何十、何百もの獰植物が、機戦羊へと群がり襲い掛かった。
「どけぇーーっ! 僕たちに道を開けろぉぉーーーーっ!!」
闘志を込めた咆哮と共に、アイは全力で拳を振る。
普段の穏やかな彼からは想像がつかないほどの闘気に、ラミウはただただ圧倒され、そして一抹の不安を覚えた。
「アイ……っ、どうしてセルを放出しないの? 生身のままじゃ獰植物を倒せないよ!」
獰植物がセルエネルギーを嫌がるのは、セルエネルギー自体に獰植物の身体を分解する力があるからだ。
通常、人間は必要に応じてセルデバイスにセルを流し、それを武器として獰植物に立ち向かう。
だが、今の機戦羊は身体に光を纏っていない。
つまりセルを一切、体外に放出していないのだろう。
機戦羊は全身を刻まれながらも、足を止めずに前進を続ける。
「はぁ、はぁ……一番怖いのはセル切れを起こして、変異が解除されちゃうことだ。それだけは絶対に防がなくちゃ……!」
大地に血の帯を引きながら、一歩でも前へ、更に先へ――
そんなことを何分も、何時間も続けているうちに、ついにアイの体力に限界が来た。
獰植物のツタに足を取られ、機戦羊はぬかるんだ地面に膝をつく。
『ギシシシシッ、ギャアッ、ギャアッ、ギャア!』
隙を狙っていた獰植物たちが、機戦羊の身体を押し潰すように群がり始めた。
捕らえた獲物を逃がさぬよう、無抵抗な背中に鋭い爪を突き立てる。
「ああぁっ!」
「アイ、どうしたの!?」
アイの悲鳴と共に、機戦羊はうつ伏せに倒れた。
中にいるふたりの身体も、共になし崩しとなってしまう。
「ねぇっ、機戦羊が倒れちゃったけど大丈夫なの!?」
「怖がらないで、ラミウは何も心配しないで!」
獰植物の重圧を感じさせまいと、アイはラミウの身体に覆い被さる。
「ねぇラミウ、暖かいよね? 隠れ家の毛布と同じなんだ……いつもみたいに身を寄せ合って、暗闇で目を閉じるだけ……」
その言葉と共に、アイはラミウの瞼に手のひらを当て、寝かしつけるように優しく隠す。
「やめてよアイ、手をどかして! 暗くて何も見えないよ!」
視界を遮断されたことで、強き者であるラミウの耳は、周囲の音をより克明に拾ってしまう。
外界から絶えず聞こえてくるのは、何かを潰し、引き裂く音。
熟れた果物に食らいつき、乱暴に咀嚼するかのような、聞くに堪えない悍ましい音。
「ううっ……ぐすっ、ふ……ぐううっ……!」
呻きに混ざる啜り泣きから、アイの身に何が起こっているのか、見えずとも容易に想像がつく。
おそらく敵は寄ってたかって機戦羊の上に群がり、絶えず蹂躙しているのだろう。
仰向けに横たわるラミウの身体に、温かな雫が滴り落ちる。
鼻孔を突く錆びの香りは、まるで地下路に降り注ぐ、ぬるい夕立の雨のよう。
「アイ……あなた怪我をしてるんでしょう? さっきからずっと苦しそうに泣いてる……!」
「大丈夫……僕の身体は丈夫なんだ。どんな怪我でも我慢すれば、たちまち治ってしまうんだから……っ!」
「でも、痛くないわけじゃないんでしょう!? このままじゃ朝が来る前に、アイの心が壊れちゃうよっ!」
こんな状況で、朝まで動かずに耐えるなど、到底無理な話だ。
「はぁ……はぁ……壊れていい……ラミウを守って壊れるなら……」
暗闇の中で蹲り、ふたりでひたすら朝を待つ。
一分一秒が恐ろしく長い。
「……それならアイ、せめて私に身体を預けて。四つん這いでいるのは辛いでしょう?」
ラミウはアイの身体を自身の上へと誘うように引き寄せた。
アイも限界を感じていたのか、その言葉に応じて素直に全身の力を抜く。
同時に、瞼の上に置かれていた手のひらが外れ、血塗れのアイと目が合った。
そのあまりにも凄惨な様子に、かける言葉が見つからない。
「ラミウ……」
アイは朦朧としているのか、甘えるように微笑んで、弱々しい声でラミウを呼んだ。
呼吸と共に口から溢れる鮮血は、ラミウの白い頬へと落ち、ゆっくりと首筋へ伝っていく。
「アイ……あなたさっき言ってたよね。あなたの身体は私にとって、セルデバイスみたいなものだって」
「そうだけど、駄目だよラミウ……余計なことを考えないで……」
こんな状況に追い込まれて、一体何が駄目だと言うのか。
アイの身体の震え、その息遣いから、今なお攻撃を受け続けていることが、ラミウにも克明に伝わってくる。
「私がアイにセルを分ければ、あなたは本気で戦えるよね?」
「がはっ、はぁっ……今の僕にセルを流しちゃ駄目だ……っ! きっと僕の外骨格は……ラミウのセルを際限なく……っ」
「でも……何もしないまま見ていられない。必ず傍で、アイを守るって決めたもの!」
ラミウは衣服を胸までたくし上げると、アイの襟を掴んで胸元を裂いた。
そしてアイの首に両腕を回し、強引に引き寄せて、互いの胸をぴたりと合わせる。
「……っ、はぁ――」
アイは深く息を吐き、両の瞼を力なく閉じる。
一瞬の静寂の後、触れ合う胸から蒼い閃光が迸った。
「アイ……っ、う……んぅっ、ああぁっ、あーーっ!」
ラミウの全身から、触れ合う胸の一点に向けて、勢いよくセルが駆け抜ける。
その感覚にラミウは仰け反り、あられもない声を漏らした。
「あっ、はぁ……、何……全身がゾクゾクする……っ、ふあぁっ!」
まるで神経や血管の隅々まで、内側から扱かれ、追い立てられるような――
味わったことのない感覚に、ラミウは全身を強張らせる。
(一方的に、容赦なく、すべてをアイに奪われていく……っ!)
セルを分けることに慣れていても、奪われるのは初めてのことだ。
痛みとも違う違和感が、ラミウの身体を翻弄していく。
抗えないことで生じた焦燥感が、痺れと共にラミウの胸を、心を激しく揺さぶった。
(でも平気……相手がアイだから怖くない……!)
一方のアイは、膨大なセルを吸い上げている影響だろうか――
細く浅かった呼吸が戻り、鼓動は再び正常なリズムを刻み始める。
アイの全身に施された刺青が、蒼い光を放ちながら、幾度も強く明滅した。
その様子を見てラミウは微笑み、眠るアイに向けて嬉しそうに囁く。
「どうかな……私の力、アイの役に立てそうかな……」
ラミウはアイの右手に指を絡め、手首の傷口を親指でなぞった。
先ほどラミウがナイフで貫いた傷口は、一筋の薄い痕を残して、ぴったりと元通りに塞がっている。
その様子に、ラミウは安堵の息を吐いた。
「私の力……ぜんぶ、全部アイにあげる……! だからお願い……これ以上、自分ひとりを犠牲にしないで……!」
ラミウは最後にそう呟くと、力尽きるように意識を失う。
同時に彼女と入れ替わるように、アイの両目がゆっくりと開いた。
蜂蜜色の瞳は強い意志を湛えるかのように、ラミウのセルを受けて輝きを放つ。
眼下で動かないラミウを見て、アイの胸は静かな怒りに燃えた。
その感情は、機戦羊越しに獰植物たちにも伝わる。
『――ギシャアァッ!?』
突如として、異様な殺気を感じ取った獰植物たちは、本能で素早く飛びのいて、機戦羊から距離を取った。
「……奪うことに嫌気がさして、アストラヴァナから逃げて来たのに」
ラミウのセルで力を取り戻した機戦羊――
〈アイ〉は再び大地を踏み締め、ゆっくりと勇ましく立ち上がる。
「はじめから、ずっと気付いてた……本当に危険な存在は、他でもない僕自身だと……!」
そうして遥か頭上、銀河に輝く青い薔薇の花を見上げると、請い願うように右腕を掲げ、強く声を張り上げた。
「セルエネルギー、フルバースト―― エンゲージッ!!」
その瞬間、蒼いセル光が機戦羊の全身から迸り、柱のように天を貫く。
雲を裂くほどの光の柱は、機戦羊の周囲に構えていた獰植物たちを、一瞬の内に焼き尽くした。
僅かに遅れた轟音と共に、嵐のような衝撃波が密林の木々を激しく揺さぶり、なぎ倒していく。
舞い上がったバオバブの葉が、セルを帯びて輝きを放ち、機戦羊の頭上へと降り注いだ。




