第12話「機戦羊」
――違うよ、ラミウ。危険なのは外じゃない。ましてや獰植物たちでもない。
――本当に危険な存在は……綺麗なキミを汚そうとする、汚くて醜い人間たちだ。
心の迷いを断ち切るように、ラミウは脳裏でアイの言葉を反芻する。
(私が恐れているのは外の世界でも、ましてや獰植物たちでもない)
アイの呟いた言葉、その一字一句すべてが真実だった。
ラミウが本当に恐れていたのは――
「私が本当に恐れていたのは……あなた以外の味方がいない、酷く歪んだ世界の方……!」
ラミウは覚悟を決め、アイと共に生まれ故郷から逃げる道を選んだ。
アイの首筋を抱き締める、ラミウの腕の強さが増す。
それを合図とするかのように、アイの胸から帯状の黒い触手が幾重にも伸びた。
「うう……!」
触手はラミウを包み込むと、怪物の胸中へと誘うよう、その身体を飲み込んでいく。
あまりの恐ろしさにラミウは目を閉ざし、全身を固く強張らせた。
「――ラミウ、怖がらないで。目を開けて」
ふと、馴染みのある声が耳元で響き、ラミウは背後から両腕で抱きすくめられる。
怯えながら振り返ると、背後にはアイが立っていた。
いつもの少年の姿のまま、狭く暗い闇の中で、ラミウにそっと身を寄せている。
白檀のような青い香りが、不安で揺れるラミウの心に、僅かな安堵の露を落とした。
「アイ……ここはどこ? どうしよう……私、怪物に食べられちゃった……」
「怖がらないで。ここは僕の心の中。〈魂の器〉―― 機戦羊の中だよ」
「魂の器……? 私、アイの中に入っちゃったってこと!?」
「深刻に考えなくて大丈夫。僕の身体はラミウにとって〈セルデバイス〉みたいなものだから」
「私にとってのセルデバイス……」
アイの言葉に、ラミウは不思議と一切の驚きを感じなかった。
思えば出会った当初から、ラミウはアイという存在に対して、違和感をずっと抱いていた。
セルエネルギーを自分自身で練れないことも、エネルギー切れで動けなくなってしまうことも、川岸に生きて流れ着いたことも、何もかも含めて。
それでもラミウは、あえてアイの正体を追及することを避けていたのだ。
アイの秘密を知ってしまったら、きっとそのままではいられなくなる。
真実を知って関係が変わってしまうことを、ラミウは無自覚に恐れていたのかもしれない。
「僕はひとりでも戦えるけど、こうして誰かと繋がることで、その人の特性を取り込んだ〈外骨格〉として機能するんだ」
「よくわからないけど……つまり今、あなたは私の鎧か何かになってるってこと?」
「うん……でも、身体の支配権は僕にある。僕の中にいる限り、ラミウは絶対に安全だよ」
アイはラミウの背中越しに、目の前の暗闇を静かに指差す。
ラミウが意識を前に向けると、星を隠す雲間が晴れるように、闇がゆっくりと開けていった。
そこに広がったクリアな視界は、まるで小さな操縦席のようで、外の様子が四方八方よく見える。
「……誰かが来たら面倒だ。一刻も早くここから脱出しよう」
機戦羊は両脚に力を込め、ハッチに向かって石段を勢いよく駆け登る。
再び両の腕を顔の前で交差させると、薙ぎ払うように空を切った。
激しい爆発音と共に、ハッチが拉げて外へと吹き飛ぶ。
「ラミウっ、怖かったら目を閉じていて! 今の僕なら思い切り高く飛び上がれそうだ!」
機戦羊はハッチから勢いよく飛び出して、ラミウを胸中に宿したまま、空へと高く跳躍した。
「すごいっ! 私たち、空に向かって飛んでるよ!? どこを見ても満天の星空……こんな景色は初めて見た!」
「でもね、飛び続けるほどのセルはないんだ。密林の中へ落下するよ」
眼差しの先に開かれた視界には、機戦羊が望む外界が広がっている。
視界を共有するのではなく、ひとつの窓をそれぞれが覗き込んでいるような感覚だ。
ラミウはふと、地上に蠢く黒い影たちの存在に気が付いた。
「獰植物が私たちを追って来てる。二匹……いや、三匹かな?」
ラミウに促されるように、アイも視線を地上へと向けた。
機戦羊の装甲に染みついた血の匂いが、獰植物たちを興奮させているようだ。
「ラミウ、着地に備えて。舌を噛まないように、しっかりと歯を食いしばって」
「わ……わかった……ちゃんと噛んでる!」
機戦羊は大地に狙いを定め、勢いのまま落下すると、下で待ち構える獰植物を蹴り潰すように着地した。
『ギシャアアアアーーーーッ!!』
機戦羊の攻撃を受け、獰植物たちは悲鳴に近い叫びを上げる。
蒼い光の衝撃波が雷のように大地を伝い、周囲の木々や獰植物を、容赦なく四方へと吹き飛ばした。
「よし。このまま川へ走って行って、滝から崖を駆け登ろう!」
「崖を登るっ!? そんなの無理だよっ。絶対に滝つぼに落ちちゃうんだから!」
「大丈夫、僕には硬い蹄がある!」
アイがそう言い切ると同時に、機戦羊は両手両脚を使い、獣のように疾走する。
通い慣れた小川を視界に捉えるなり、迷うことなく滝に向かって猛進した。
(速い足……もう小川に着いちゃった! 地下路からここまで、まだ十分も走ってないのに!)
ラミウは下を覗き込み、魂の器である機戦羊を観察する。
アイの言う通り、器の手足には黒々とした鋭い蹄が備わっていた。
岩に蹄を食い込ませ、落ちるよりも速く手足を動かし、断崖絶壁を駆け登る。
ラミウは背後を振り返り、今しがた走ってきた方角を見た。
眼下には、ふたりで遊んだいつもの川岸。
水浴びや洗濯をした馴染みの浅瀬が広がっている。
そして、ラミウはさらに遠くへと視線を向けた。
先ほど飛び出して来た、隠れ家のある地下路の方――
スラム街のある居住区域まで、遠くの夜闇に霞んで見える。
「私は一生、あの場所から……逃げられないと思っていたのに……」
ラミウはポツリと呟き、瞳から一筋の涙を流した。
良い思い出など殆ど無かったはずなのに、故郷との別れに寂しさを覚えてしまうのは何故か。
「ラミウ、油断するのはまだ早いよ。僕らはどうやら追われてるみたいだ」
ラミウはアイの言葉を聞き、驚いて背後を確認する。
アイが視界を阻んでいるため、真後ろまではよく見えないが、吹き飛ばされたはずの獰植物たちが、怒って後を追って来ているようだ。
崖を斜めに駆けあがる機戦羊と違い、獰植物はカエルのように四つ足で壁に張り付いて登る。
ふたりはとうとう崖の途中で、獰植物に追いつかれてしまった。
二匹のうち一体が、鎌のような鋭い足を機戦羊の背へと突き立てる。
「うあっ、いっ……痛っ……!」
機戦羊が受けた痛みが、そのままアイにも伝わっているのだろうか。
アイは額に汗を浮かべ、両目を閉じて低く呻いた。
「アイ、大丈夫っ!? 後ろで何が起こってるの!?」
「大丈夫……! ごめんねラミウ、ほんの少しだけ屈んでほしい……!」
ラミウは言われた通り、膝を折り曲げて身体をうんと小さくする。
アイは両腕を前に構え、上体を捩じるようにして、拳を背後へと振り下ろした。
その動作に呼応するかのように、機戦羊が放った拳は獰植物の顔面に直撃し、頭蓋を砕いて脳漿を抉る。
『グギャアアッ!』
獰植物は絶壁から足を踏み外し、滝つぼへと真っ逆さまに落ちて行った。
アイの戦いぶりに牽制されたのだろうか。
残された個体は足を止め、アイの後を追うのをやめる。
「すごい! おじさんを蹴り飛ばした時も思ったけど、アイって喧嘩が強いんだね!」
「そうみたい。こんな風に戦えるなら、もっと早めにアイツのことを殴っておけばよかったな」
アイが零す冗談に、ラミウは思わず笑ってしまう。
崖の頂上は目と鼻の先、自由はふたりの目前だ。
「崖を登りきればこっちのものだ。川に沿って上流へ駆けよう!」
「任せるけど、アイは何処を目指しているの?」
「〈ネオ・ベレナス〉へ向かってる。人が人らしく生きる場所……僕の本当の生まれ故郷……!」
アイは力を振り絞り、一気に頂上まで駆けあがった。
切り立った崖の頂上で、アイは再び強く踏み切り、天へと高く跳躍する。
崖を越えたふたりの眼前には、夜空を映す幻想的な大河と豊かな密林が広がっていた。
大河はまるで鏡のように満天の星空を映し、大地からセルを吸い上げた木々は仄かに蒼く輝いている。
「うわぁ、これが外の世界! 世界はこんなに広かったんだ!」
谷底以外の果てしない景色に、ラミウは爛々と目を光らせる。
「見てよアイ、バオバブの葉がセル光でキラキラ輝いてる! お母さんから聞いた話は全部本当だったんだ!」
「…………」
感激するラミウを他所に、アイは何も答えない。
機戦羊は着地するなり、暗闇に向けて静かに拳を構えた。
「どうやら、そう簡単に行かせてはくれないみたいだ」
アイの声から緊張が伝わり、ラミウは思わず固唾を飲む。
ふたりは視線を密林の奥に広がる暗闇へと向けた。




