第9話:任務と恋心の間で(ルシアン視点)
アメリア嬢が微笑んだ瞬間、温室中の花が一斉に咲き乱れた。
その信じられない光景を前にして、私の胸の奥で、今まで感じたことのないほど激しい警鐘が鳴り響いていた。
(……落ち着け、ルシアン。これは単なる任務だ)
自室の執務机に戻り、私は深く息を吐き出して書類の山に目を落とす。しかし、活字の羅列はまったく頭に入ってこなかった。
脳裏に焼き付いているのは、ネーヴェを抱きかかえ、花々に囲まれてふわりと笑った彼女の姿ばかりだ。
『まるで、春の妖精のようだ』
(私は、なんという恥ずかしい台詞を口走ったのだ……!)
ガタン! と机に突っ伏して、両手で頭を抱える。
軍務卿たる私が、令嬢に向かって妖精だなどと。部下たちが聞けば、明日から私の背中に羽が生えている幻覚を見るに違いない。
だが、あの時の彼女は本当に、目が眩むほど美しく、愛らしかったのだ。
そもそも、私は女性がひどく苦手だった。
権力や財産を目当てにすり寄ってくる貴族の令嬢たちの、作り物めいた笑顔と計算高い瞳。それに辟易していたからこそ、「氷の公爵」などという不名誉な二つ名が定着するまで他者を遠ざけてきた。
しかし、アメリア・レインスォースは違った。
彼女は自分の価値に少しも気づいていない。あれほどの力を持ちながら、家族や婚約者に虐げられ、ただひたすらに身を縮めて生きてきた。
私が不器用に差し出した些細な優しさに対して、彼女は心の底から驚き、そして、花が綻ぶような無垢な笑顔を見せた。
ドクン、とまた心臓が大きく跳ねる。
「にゃあ」
「……ネーヴェ、プリマ」
半開きの扉から、二匹の飼い猫がのんびりと入ってきた。
私の足元にすり寄ってくるネーヴェを抱き上げると、微かにあの温室の甘い花の香りと、アメリア嬢の柔らかい香りが移っている気がした。
「お前たちはいいな。彼女に思いきり甘えられて」
私が猫に嫉妬するなど、どうかしている。
私は引き出しから、慌てて買いに走った『これで完璧! 淑女が喜ぶ甘やかしエスコート術』を取り出した。
(任務を完遂するためだ。彼女が笑えば国が救われる。私のこの動悸は、見事な作戦成功による達成感と、国を救えるという安堵感からくる生理的現象に違いない)
そう自分に言い聞かせながら、パラパラとページをめくる。
だが、文字を追いながら考えてしまうのは、「どうすればもっと彼女を喜ばせることができるか」といったことばかりだ。
――『約束しよう。君の心が再び凍りつくようなことは、私が絶対にさせない』
温室で誓ったあの言葉。
あれは国王からの命令だから出た言葉ではない。エドワード王子の心無い言葉で傷つき、世界を凍らせるほど絶望していた彼女を、もう二度と泣かせたくないという、私自身の強烈な意志だった。
「……降参だな」
私は大きな溜息をつき、指南書を机の隅に追いやった。
もはや、マニュアルなど必要ない。
私は、アメリア・レインスォースというひとりの女性に、どうしようもなく惹かれている。
冷酷無比と恐れられる不器用な男が、生まれて初めての『本気の恋』に落ちてしまったのだと、認めざるを得なかった。




