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第10話:優しさの理由と、空を架ける大虹

 公爵邸での生活が始まって、数日が過ぎた。

 私、アメリア・レインスォースの日常は、以前とはまるで違う、信じられないほど穏やかで甘やかなものになっていた。

 朝目覚めれば、体にぴったりの美しいドレスが用意されており、三食すべてが王侯貴族も驚くような豪華で美味しい食事。


 そして何より――ルシアン様が、不器用ながらも毎日必ず私のために時間を作ってくださるのだ。


「……ルシアン様。お仕事はよろしいのですか?」


 よく晴れた午後の昼下がり。

 温室サンルームの長椅子で、プリマとネーヴェを膝に乗せて撫でていた私は、向かいの席で紅茶を飲んでいるルシアン様に尋ねた。

 軍務卿である彼は、本来なら目が回るほど忙しいはずだ。

 それなのに、こうして毎日私とのティータイムに付き合ってくれている。


「問題ない。有能な部下たちに押し付……いや、適切に仕事を割り振ってきたからな。それに、今は君のそばにいることが私の最優先任務だ」


 真面目な顔で言い切るルシアン様に、私は少しだけ胸がチクッとした。


(そうよね。これは、国を氷河期から救うための『任務』なんだわ……)


 私がご機嫌でいなければ、天候が崩れてしまう。

 だから彼は、あんな指南書まで読んで、必死に私を甘やかしてくれているのだ。

 こんなに優しくされて、毎日胸がドキドキして、彼に惹かれてしまっているけれど……この関係は、私が泣かなくなるまでの一時的なものに過ぎない。

 そう思うと、無意識のうちに少しだけ俯いてしまった。

 すると、ぽつり、と窓ガラスに小さな水滴が当たる音がした。


「ん? 晴れていたのに、通り雨か……」


 窓の外を見ると、先ほどまで青空だった空に、小さな薄い雲がかかり、パラパラと細かな雨を降らせていた。


 私の沈んだ気持ちが、すぐに天気に反映されてしまったのだ。


「あっ、ごめんなさい……! すぐに気分を直します……!」


 慌てて顔を上げ、無理に笑顔を作ろうとした私を、ルシアン様の大きな手がそっと遮った。


「謝る必要はない」


 彼はティーカップを置き、私の隣に腰を下ろした。

 そして、戸惑う私の頬を、大きな手で包み込むようにそっと撫でた。


「無理に笑うな。悲しい時は泣いていいし、不安な時は怒ってもいい。君の感情は、君だけのものだ」

「でも、私が落ち込むと、雨が降って……国中のみんなが困ってしまいます」

「濡れたくなければ傘を差せばいい。雪が降れば暖炉に火をくべる。たかが天気一つで、君が自分の心を押し殺す理由にはならない」


 ルシアン様の瞳が、真っ直ぐに私を射抜く。


「私は、君に笑ってほしい。だがそれは、国を救うための『任務』だからではない。……私自身が、君の心からの笑顔を見たいと、そう願っているからだ」


 ドクン。


 心臓が、これまでで一番大きな音を立てて跳ねた。

 家族からも、元婚約者からも「不気味だ」「お前が悲しむと迷惑だ」と否定され続けてきた私の感情。


 それを、彼は「押し殺すな」と言ってくれた。

 国のためではなく、私自身のために笑ってほしいと、そう言ってくれたのだ。


(ああ……私、この人が好きだ)


 ポロポロと、まるで目から鱗が落ちるように、自分の本当の気持ちに気がついた。

 今まで優しくしてくれたことへの感謝でも、任務への申し訳なさでもない。


 ただ一人の男性として、ルシアン様のことが大好きなのだと。


「……すまない、私が何か無神経なことを言ったか……っ!?」


 私が顔を真っ赤に染めて固まっているのを見て、ルシアン様が慌てたように私の顔を覗き込んでくる。


 その近すぎる美しい顔に、私はさらにパニックになった。


「ち、違いますっ! 違うんです、あの、私……ルシアン様が、あまりにも優しくて……っ、その……っ!」


 羞恥心と嬉しさで頭が沸騰しそうになり、私はたまらず両手で顔を覆ってしゃがみ込んでしまった。

 心臓の音がうるさい。全身から幸せが溢れ出して、どうにかなってしまいそうだ。


 その瞬間だった。


『おおおおおっ!?』

『見ろ! 空を!』


 温室の外から、使用人たちの凄まじい歓声が上がった。

 ルシアン様がハッとして空を見上げる。私も指の隙間から、恐る恐る空を見上げた。

 先ほどまで降っていた通り雨はすっかり上がり、雲一つない青空が広がっていた。


 そして、その空の端から端までを覆い尽くすように――信じられないほど巨大で、眩しいほどに光り輝く『三重の大虹』が架かっていたのだ。


「……これは、すごいな」


 ルシアン様が、唖然としたように呟く。

 空を架ける虹は、私の「照れ」と「胸のときめき」の証。

 それが三重にもなって王都の空を覆い尽くしているなんて、私がどれだけ彼にときめいているか、国中に大声で発表しているようなものではないか。


『公爵閣下、万歳!!』

『閣下、最高です!!』

『一生ついていきます!!』


 遠くの方から、王都の民衆や使用人たちがルシアン様を称える大合唱まで聞こえてきた。

 私は、さらに顔を真っ赤にしてうずくまるしかなかった。

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