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第8話:温室の猫たちと、開花する心

 空に架かった特大の虹を見上げて、使用人たちが歓喜の声を上げる中。

 私は顔から火が出そうなほど羞恥心に駆られ、両手で顔を覆ったまましゃがみ込みたくなっていた。


「見事な虹だな。これも指南書……ゴホン、私の完璧なエスコートの成果というわけだ」


 ルシアン様は一つ頷き、誇らしげに胸を張っている。


 違う。ドレスや宝石をたくさん買ってもらったから虹が出たわけではない。普段は冷酷と言われている彼から「春の妖精のようだ」なんて、真っ直ぐに褒められたから照れてしまっただけなのに。


 けれど、そんな私の乙女心など露知らず、ルシアン様は満足げに振り返った。


「さて、ドレスの採寸はこれで終わりだ。次は案内したい場所がある」

「案内したい場所、ですか?」

「ああ。君の心をさらに晴れやかにするための、私の『とっておき』だ」


 自信満々にそう言うと、ルシアン様は私の前を歩き出した。

 案内されたのは、公爵邸の奥にある、ガラス張りで陽の光がいっぱいに差し込む温室サンルームだった。

 中には色鮮やかな植物が植えられており、中央にはふかふかのクッションが敷かれた大きな長椅子が置かれている。


 そして、その長椅子の上には――。


「にゃあ」

「っ! 猫ちゃん……!」


 思わず声を上げると、丸くなっていた毛玉が二つ、のそりと身を起こした。

 一匹は、艶やかな黒毛が美しい猫。もう一匹は、少し長毛で気まぐれそうな目つきをした縞模様の猫だ。


「私が密かに飼っている猫たちだ。黒いのが『ネーヴェ』、縞模様のが『プリマ』という」


 ルシアン様が名前を呼ぶと、二匹の猫は彼にすり寄っていき、彼の長靴やズボンの裾に顔を擦り付け始めた。


「こら、プリマ。爪を立てるな」


 口では小言を言いながらも、その手はとても優しく二匹の頭や喉を撫でている。

 普段の『氷の公爵』からは想像もつかないほど、その表情は柔らかく、目尻がわずかに下がっていた。


「公爵様は、猫がお好きなんですね。……なんだか、少し意外でした」

「……軍部の人間には内緒にしておいてくれ。威厳に関わるからな」


 ルシアン様は少しバツが悪そうに視線を逸らしたが、すぐに私の方へネーヴェを抱き上げて差し出した。


「抱いてみるか?」

「よろしいんですか?」

「ああ。動物の温もりは、冷え切った心を溶かすと本に……いや、私がそう思っただけだ」


 またあの『指南書』の知識だな、と内心でクスッと笑いながら、私はそっと腕を伸ばした。

 ネーヴェは大人しく私の腕に収まり、ゴロゴロと喉を鳴らし始め、プリマも私の足元にやってきて、すりすりと甘えるように身を寄せてくる。


「あたたかい……」


 柔らかい毛並みと、小さな命の重み。そして何より、私を慰めようと不器用ながらも自分の大切な家族(猫たち)を紹介してくれた彼の優しさが、たまらなく嬉しかった。


「……私の実家では、動物を飼うことは許されていなかったんです。私が触ると、動物が不幸になるからって」

「馬鹿な。こんなに懐いているではないか。君の家族は、君の本当の価値を何も分かっていなかったんだな」


 ルシアン様の言葉は、静かだけれど、確かな怒りと優しさを孕んでいた。


「君はもう、誰かに遠慮して怯える必要はない。ここで好きな服を着て、美味しいものを食べ、猫と遊び、ただ笑っていればいい」

「ルシアン、様……」

「約束しよう。君の心が再び凍りつくようなことは、私が絶対にさせない」


 彼がネーヴェを抱く私の手に、そっと自分の大きな手を重ねた。

 剣ダコのある、ごつごつとした熱い手。

 ドクン、とまた大きく胸が鳴る。

 今度は虹では済まないかもしれない。そう思った瞬間、温室の中に微かな甘い香りが漂い始めた。


「……ん? 見ろ、花だ」

「えっ?」


 ルシアン様に言われて周りを見渡すと、温室の中で蕾のままだった花々が、一斉にポン、ポンと音を立てるように開花し始めていたのだ。


 私の胸の高鳴りと幸福感に呼応して、季節外れの春が、この空間にだけ訪れたように。

 満開になった花々に囲まれて、ルシアン様は目を見張り、そして、今度こそ本当に嬉しそうに、ふっと柔らかい微笑みを浮かべた。

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