暴走
血が、横たわった海の体から流れ出ていた。
「う、み……?」
成美は、目の前に倒れた海を呆然と見つめていた。
何が起きたのか、理解できていないようだった。
ついさっきまで、海は成美の隣にいた。手を握ってくれていた。これから一緒に逃げるのだと、そう約束してくれたばかりだった。
それなのに。
「……どこからの弾だった?」
俺は周囲を見回した。
マリナが前方の敵を、俺が背後の敵を相手にしていた。銃弾はすべて弾いたはずだ。
いや、違う。
これは、前後の敵から放たれた弾丸じゃない。
横からだ。
ビルの方から、俺たちの死角を突いて放たれたのだ。
前後の敵の攻撃を防ぐのが精一杯だった。そこまで気を回す余裕がなかった。
「やはり貴様だったか、海」
その声に、俺は顔を上げた。
ビルの陰から現れたのは、護衛を引き連れた国王だった。
その手には、ハンドガンが握られている。
「海さん!!」
マリナが叫ぶ。
「てめぇ……!」
俺は刀を握る手に力を込めた。
国王の周囲には、銃を持った兵士たちが次々と現れ、俺たちを取り囲んでいく。
逃げ道はない。
俺とマリナは成美と海を挟むように前後に立ち、刀を構えた。
「その巫女はもう用済みだ。まさか瑞龍を外へと出そうとする暴挙に出るとは」
国王は倒れた海を見下ろし、冷淡に言い放った。
「本当にバカなやつだ。この国を潰すつもりか? 成美をこの国から連れ出すということは、国の人間に死ねというのだぞ」
まずい。
これだけの人数に囲まれたら、成美たちのそばを離れて敵を倒しに行くことができない。
しかも、海の出血がひどい。
このままでは、失血多量で命を落としかねない。
急いで治療をしなければならないが、周囲の兵士たちが銃を構えている以上、迂闊に動くこともできなかった。
国王は、そんな俺たちの状況を見透かしたように笑った。
「成美よ。その巫女はお前のせいで死ぬのだ。これ以上大切な仲間を死なせたいのであれば、そのまま隠れていれば良い」
成美の肩が、びくりと震えた。
「しかし、お前の友人2人を助けたいのであれば、そこから出てこい」
国王は成美へと手を伸ばす。
「さあ、成美。私の元へ……」
「成美! 行くことはねえ!!」
俺は叫んだ。
国王の言葉に従う必要などない。成美を連れていかせるわけにはいかない。
「大丈夫! 成美ちゃんも、海さんも、私たちが助けるから──」
マリナも成美に声をかけた。
だが。
成美の様子が、明らかにおかしかった。
「ふぅ……! ふぅ……!」
肩が大きく上下し、荒い呼吸を繰り返している。
その瞳は、目の前の海を見つめたまま、微動だにしない。
「な、成美ちゃん……?」
マリナが心配そうに声をかける。
「ぐ、うぅぅ……!!!」
成美の喉から、低い唸り声が漏れた。
その声は、徐々に大きくなっていく。
「なんだ? 何をしている? さっさとこっちへ……!」
国王が苛立ったように声を荒げた。
その瞬間だった。
「うがぁ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ー゛ー゛ー゛ー゛ー゛ー゛ー゛!!!!!!!!」
成美の咆哮が、龍星国の夜の街へと響き渡った。
「ぐ……!」
あまりの轟音に、俺は思わず顔をしかめる。
「な、成美ちゃん!? どうしたの!?」
マリナも耳を塞ぐように腕を上げた。
咆哮が空気を震わせる。
周囲のビルの窓がビリビリと揺れ、足元の大地さえも振動していた。
そして、成美の体が徐々に変化していく。
額から角が伸び、口元には鋭い牙が生える。皮膚は硬い鱗に覆われ、細長い胴体が見る間に巨大化していった。
人間の姿が、もはや見る影もない。
その体は、夜空を覆い尽くすほどに大きくなり──。
成美は、巨大な龍へと変貌を遂げた。
『ドカアアアアアアアアアアン!!!!!』
龍の巨大な体が、周囲の建物を押し退ける。
その衝撃で、隣にあったビルが耐えきれず、崩壊を始めた。
「か、神様!」
「逃げるぞ! 瓦礫が迫ってくる!」
俺は海の体を抱き上げた。
傷口から流れる血が、腕に伝わってくる。
「マリナ!」
「はい!」
マリナは飛んできた瓦礫を刀で弾き返し、俺たちを守る。
崩れ落ちるビルから、少しでも遠くへ。
俺たちは足元に転がる瓦礫を避けながら、必死に走った。
やがて、どうにか安全な場所まで辿り着く。
俺は海を地面に横たえ、振り返った。
崩壊したビルの上空に、巨大な龍が浮かんでいた。
「あれは……」
あの姿には見覚えがある。
瑞龍の舞で見た、あの時の龍だ。
虹を生み出し、街の人々に幸福をもたらしていた巨大な龍。
あれが、成美の本当の姿だった。
「神様……!」
「マリナ! 海の応急手当ての手伝いをしてくれ! 肩と足を撃ち抜かれている!」
「はい!」
俺は海のそばに膝をついた。
このままでは失血死してしまう。
マリナに肩の傷を任せ、俺は足の傷を押さえつけた。
「く……!」
俺が守れなかった。
すぐ近くにいたのに、狙撃を許してしまった。その結果、成美が……。
「成美……!」
俺は上空を見上げた。
「グオオオオオオオオオッ!!!」
成美が天に向かって吠える。
その声に呼応するように、夜空を覆っていた雨雲が、さらに厚く広がっていった。
「天候が変わっていく……!」
分厚い雲の隙間から、ポツポツと雨粒が落ちてくる。
それは、すぐに勢いを増していった。
あっという間に、視界を覆うほどの大雨へと変わる。
「巨大なスコールだ!」
「屋根のあるところへ移動するぞ!」
俺たちは海を抱え、近くの建物へと向かった。
雨に濡れながら、上空を見上げる。
成美は、何をしようとしているのだろうか。
その時。
「……あれは!」
瑞龍が大きく口を開いた。
その口の中へ、雨雲から流れ込む水が集まっていく。
いや、違う。
周囲の雨だけではない。空気中の水分までもが吸い寄せられるように集まり、巨大な水の塊を形成していた。
まずい……!
「グオオオオオオオオッ!!」
成美が吠える。
次の瞬間、その水の塊が、光を帯びた巨大なレーザーとなって発射された。
『ドガアアアアアアアアンッ!!!!!』
轟音とともに、街の中央部分が吹き飛んだ。
建物が砕け、瓦礫が宙を舞う。
遠くの方から、悲鳴が上がった。
「おいおい、マジか……」
俺は目の前の光景に、思わず言葉を失った。
「成美ちゃん……」
マリナが呆然と呟く。
街を守るために生まれた瑞龍が、今、その街を破壊している。
しかも、その力は明らかに異常だった。
「な、成美……!」
その時、海が意識を取り戻した。
「海さん! 大丈夫ですか……!?」
マリナがすぐに顔を覗き込む。
「だ、大丈夫です……! 腕と足を撃たれただけですから……!」
そう答える海だったが、顔は苦痛に歪んでいた。
無理もない。両手両足のうち、腕と足を撃ち抜かれているのだ。自分の力だけでは立ち上がることもできないだろう。
それでも、海は上空を見上げた。
「なんて、こと……成美が、『瑞龍の舞無しで』、瑞龍の姿に……」
「瑞龍の舞無しで……?」
俺は海の言葉を聞き返した。
「瑞龍の姿には、瑞龍の舞で力を与えられないと、成美はなれないの! あの子は怒りで我を忘れて、限界を超えて1人で龍になったんです!」
海は苦しそうに息をしながら、必死に説明する。
「今のあの子は、自分の力以上の力を、命を削って出している……! このままだと、あの子の体は崩壊します!」
「なに!?」
俺は上空を見上げた。
成美の体がもたない。
今の力を使い続ければ、いずれ命を失うことになる。
「元に戻って、成美!! その姿でいたら、貴方の身体は崩壊してしまう!」
海は必死に声を張り上げた。
だが、その叫びは雨音と成美の咆哮にかき消されてしまう。
成美には、届いていない。
「あぁなったアイツを止める術はないのか!?」
俺は海へと問いかけた。
このままでは、成美が自分の力に耐えきれず、死んでしまう。
それだけは、絶対に止めなければならない。
海は、苦しそうに目を伏せた。
「一つだけ……あります」
「なんだ!?」
「瑞龍の舞を踊ることです」
「……!」
「そうすれば、あの子が正気に戻るかもしれません」
「だが、海。その手と足じゃ……」
海の腕と足には、応急処置の包帯が巻かれている。
その隙間から、今も血が滲んでいた。
「……はい。踊れません……」
海は悔しそうに唇を噛んだ。
それでは、実質的に成美を止める手段がないということではないか。
だが……他に方法はないのか。
「海さん」
マリナが声を上げた。
「その瑞龍の舞って、海さん以外が踊っても効果はありますか?」
「え、は、はい……でも、私以外に踊れる人なんて……」
海は困惑したようにマリナを見つめた。
「私が踊ります」
「え!?」
海が驚きの声を上げる。
俺も思わずマリナを見た。
「マリナ……いけるのか?」
「瑞龍の舞は、一回だけ見ました。その時の記憶を辿れば……きっといけます。海さんの指導の元、練習を何回かしなければなりませんが……」
マリナは上空の成美を見つめた。
雨に濡れながらも、その瞳には迷いがない。
「それは、頼もしい限りだ」
本当に、こいつは自慢の愛弟子だな。
一度見ただけの舞を再現する。それも、今から練習して本番に臨むというのだ。
普通なら無謀としか言いようがない。
だが、マリナならやってくれるかもしれない。
「でも、瑞龍の舞って、瑞龍に力を与えるんですよね? 今の成美さんに力を与えて、大丈夫なんですか?」
マリナは不安そうに海を見た。
「正気を取り戻させるには、それしか方法がないってことだろ」
俺は刀を抜き、頭上を旋回する瑞龍に目をやった。
成美の力は、今も増している。
雨は激しさを増し、街を覆い尽くすように降り注いでいた。
「俺が攻撃を引きつける。その間に、マリナは瑞龍の舞をマスターしろ」
マリナは力強く頷いた。
「はい!」
俺は刀を握り直す。
成美を救うために、今できることをやるしかない。
「いくぞ! 俺たちで成美の意識を取り戻すんだ!」
雨の向こうで、巨大な瑞龍が咆哮を上げた。
俺たちは、成美を救うために動き出した。




