揺らぎ
「あの時からだったね。海の顔に、笑顔が減ったのは」
成美は、海が自分を救うために何をしてきたのか、その過去を静かに語った。
「城の中の抜け道を把握したり、下水道の道を覚えたり、抜け出すのはいつがいいとか、周りの人間の動きとか、ずっと、計画して」
成美は目に涙を浮かべ、少し笑って、懇願するように海を見た。
「私は、外の世界よりも、貴方に笑ってほしい」
「だ、ダメです!」
そんな願いにも、海は首を振った。
「ここにいたら貴方は死ぬんですよ! どうして、どうしてわかってくれないの!?」
「海がいない外の世界で、私は生きたくないッ!!」
「……!」
成美は泣いていた。大人しくて、無表情な成美が、今まで見たこともないほど、必死な顔で海を見つめていた。
「あなたは、私の、侍女なんでしょ……じゃあ、ちゃんと、ついてきてよ……」
「成美様……」
「貴方のいない世界なんて……死んだものと同じなの……」
成美は海の胸にしがみついて泣いた。
小さな肩が震える。その手は、まるで海を失うことを恐れるかのように、彼女の服を強く握りしめていた。
成美は、ずっと一人だったのだろう。
瑞龍として生まれ、国中の人々の幸福を背負わされ、いつか死ぬことさえ当たり前の運命として受け入れようとしていた。
そんな彼女が、初めて自分のために望んだもの。
それが、海と一緒に生きることだった。
「だとよ。アンタも腹括るしかないぜ」
「で、でも……私に、成美は守れない……」
海はまだ、迷っているようだ。
自分には力がないから。
そこで声を上げたのが、マリナだった。
「海さんは、どうしたいんですか?」
「……え?」
「成美ちゃんと、一緒にいたいんじゃないですか?」
「そ、それは……」
成美の瞳の中にあった炎が、揺らいだ。
「どうなんですか? 答えてください」
「い、いや……」
答えたくないのは、きっと、自分の揺らぎが決定的なものになってしまうからだろう。
自分の中の炎は、燃え盛っていなければならない。
その炎が、弱々しく揺らぐ事が、今の海には耐えられないのだ。
「それはもう、答えを言っているようなものですよ」
「……!」
マリナからそう言われた瞬間
海の顔が、苦し気に歪んだ。
「そ、そんなの……一緒にいたいに決まってるじゃないッ!!」
張り詰めていたものが、とうとう切れた。
海は声を震わせ、胸の奥に閉じ込めていた本心を吐き出した。
「ずっと、ずっと、この人と一緒にいたい……でも……私じゃダメだから……」
最後の言葉は、今にも消えてしまいそうなほど小さかった。
成美と一緒にいたい。
けれど、自分には彼女を守る力がない。
その思いが、海を縛りつけていた。
「守る必要なんて、ないと思います」
マリナは、静かに口を開いた。
「瑞龍と巫女。貴方たち2人が揃っていれば、きっと、どんな困難だって乗り越えていけます」
海が顔を上げる。
「そういう関係なんですよね。お二人は」
マリナは、成美と海を交互に見つめた。
「それなら、その気持ちを大切にしてください」
その言葉には、迷いがなかった。
海が成美を守らなければならない。成美が海を守らなければならない。そんなふうに、どちらか一方がすべてを背負う必要などないのだ。
2人が互いを必要としているのなら、2人で生きる道を探せばいい。
最初から諦める必要など、どこにもないはずだった。
マリナは、そっと俺の手を握った。
「大切な人と一緒にいることの幸せを、わかってほしい」
その言葉を聞いて、海は成美を見つめた。
声を上げて、自らの腕の中で泣いている成美を見て
今まで、海の瞳の中にあった、燃えたぎるような炎。
その炎が、消えていたような気がした。
「成美様」
「……うん」
成美は涙に濡れた顔を上げた。
海は、成美の頬に両手を添えると、その顔を優しく持ち上げた。涙で濡れた頬に触れる指先は、かすかに震えている。
「一つだけ、聞かせてください」
海は自分の体を抱きしめている成美の顔を、そっと両手で挟んで上げた。
「どうして、私と一緒にいたいのですか?」
成美は、少しだけ目を見開いた。
それから、迷うことなく答えた。
「……友達だから」
その一言を聞いた瞬間、海の表情が崩れた。
「ほんと……ずるいですよ。1番、欲しい言葉をわかってるんですから」
彼女はギュッと、成美を抱きしめ返す。
愛おしい人を扱うように。
「わかりました」
そう言った海は、少しだけ困ったように笑った。
「私も、一緒に逃げます」
成美の肩が、ぴくりと動いた。
「……本当?」
「はい。今度こそ、ずっと一緒です」
海は、今度こそ成美の目を見て、はっきりと頷いた。
そう言った海の瞳には、またなにか、別の種類の炎が、その目には宿っていた。




