闇
海はまず、この国について話してくれた。
成美のこと。
瑞龍のこと。
そして、瑞龍の巫女と、この龍星国について。
「成美様は、今は亡き先代瑞龍であるお母様と、龍星国現国王である九頭龍陛下との間に生まれた子です」
「……! ということは、成美ちゃんは人間と龍族のハーフってことですか!?」
マリナが驚いたように尋ねる。
「いいえ。龍族は異種族との間に子を成しても、生まれてくる子供は龍族なのです」
「そうなのか……」
そもそも、人間と異種族の間に子供が生まれること自体が驚きだ。
「で、でも、成美ちゃんにはツノがありましたけど、見た目は人間でしたよ?」
「成美様は普段、人間の姿に化けて生活しています。龍の姿を維持するには、大きな力を消耗しますから」
「なるほどな」
成美が人間の姿でいたのは、単純に力の消耗を抑えるためだったのか。
「瑞龍とは、古くからこの地に住まう伝説の龍です。人々に幸運を分け与える龍として、昔からこの国で崇められてきました」
「広場で聞いた話ですね」
「はい。しかし、この国に住む人間すべてへ幸運を与えるには、莫大な力が必要になります」
海はそこで一度、言葉を切った。
「そこで生まれたのが、私たち『瑞龍の巫女』です」
「巫女が、瑞龍の力を増やすのか?」
「はい。巫女が『瑞龍の舞』を踊ることで、瑞龍の力を一時的に大きく増幅させることができます」
俺は昼間見た舞を思い出す。
あのゆっくりとした舞に、そんな意味があったのか。
「そして、瑞龍の力が最高潮に達した時、この国全体に瑞龍の力が行き渡るのです」
「だから、この国は……」
「はい」
海は窓の外へ視線を向ける。
そこには、夜の闇の中に浮かび上がる無数の高層ビルがあった。
「数百年にわたって瑞龍の力を受け続けたことで、この国は発展していきました。立ち並ぶビル。裕福な人々。豊かな暮らし」
海は小さく笑う。
「この国の人々は、幸せなのです」
「すごい……」
マリナが呟いた。
「本当に、奇跡みたいな龍なんですね……」
その言葉を聞いた海は、自嘲するように笑った。
「……そう思いますよね」
「?」
「ですが、奇跡のような力には、必ず代償があります」
「代償……?」
俺は海を見つめた。
「なんなんだ?」
「正確には、瑞龍の力は『人々を幸運にする力』ではありません」
「……え?」
海は静かに告げた。
「瑞龍の力は――他者の不運を吸い取る力なのです」
「……!」
不運を、吸い取る。
その言葉の意味を理解するまで、少し時間がかかった。
「不運を吸い取られた人間は、結果的に幸運になります。ですが、その不運は消えてなくなるわけではありません」
海の視線が、俺たちに向けられる。
「すべて、瑞龍の身体へ蓄積されていくのです」
「不運が……身体に?」
「はい」
「それって、どうなるんですか?」
マリナの声が震える。
海は答えなかった。
代わりに、俺を見る。
「あなた方も、見たのではありませんか?」
「……!」
俺の脳裏に、あの光景が蘇った。
突然、吹き荒れた風。
俺の身体を押し出した成美。
その直後に落下してきた、巨大な鉄骨。
「……あれが、成美の力だったのか?」
「はい」
海は頷いた。
「あの時、成美様は人間の姿のまま、瑞龍の力を使いました」
「だから、俺を助けた後に……」
俺は言葉を失う。
その直後。
成美は大量の血を吐いた。
「成美様の身体に蓄積された不運は、少しずつその身体を蝕んでいきます」
海は淡々と話していた。
だが、その声の奥には、隠しきれない苦しさがあった。
「そして最終的には――死に至ります」
「……」
「……うそ」
マリナが呟く。
「嘘ではありません」
海は首を横に振った。
「現に、あなた方も見たはずです」
俺は拳を握りしめた。
薬草を見つけた時。
トロ牛を見つけた時。
成美の体調は悪そうだった。
あれも、俺たちに幸運を与えた代償だったのか。
「あの時……成美は俺を助けて、吐血したってことなのか?」
「はい」
俺は、成美に命を救われた。
その代償として。
成美自身の身体を、蝕ませて。
「で、でも……幸運を与えられるのは、この国の人間だけだと聞きました!」
マリナが声を上げる。
「成美ちゃんは、どうして神様を助けられたんですか?」
「成美様が望めば、他の人間に瑞龍の力を使うこともできます」
「じゃあ……」
「ですが、それを国王陛下は禁じています」
海の声が少しだけ沈む。
「瑞龍の力は、この国のためだけに使う。それが、この国の決まりなのです」
「……俺1人の不運を吸い取って、あれだけのダメージを受けたのはなぜだ?」
俺は疑問を口にする。
「普段からこの国の人間全員の不運を吸い取っているなら、俺1人分なんて大したことないんじゃないのか?」
「本来、瑞龍の力は龍の姿で使用します。そして『瑞龍の舞』を通すことで、力を効率よく扱うことができるのです」
海は成美の姿を思い浮かべるように、目を伏せた。
「ですが、今日力を使った成美様は人間の姿でした。そして、瑞龍の舞も通していない」
「……」
「その状態で力を使えば、たとえ1人の不運を吸い取るだけでも、成美様の身体には大きな負担がかかります」
あの吐血が、俺を助けた代償だった。
そう思うと、胸の奥がざわついた。
「長い間、この国の人々の不運を取り込み続けた成美様の身体は――もう、限界に近づいています」
海が言葉を切る。
そして、静かに告げた。
「このまま不運を吸い続ければ、近いうちに成美様は死にます」
「そのことを、国民は……」
「もちろん知っています。知った上で幸福を享受し、そして、成美様が死ぬ前に成美様に子供を作らせて、それを新たな瑞龍とするのです」
「「……」」
誰も、言葉を発することができなかった。
「わかりますか?」
海は俺たちを見つめる。
「この国は――1人の少女が背負った犠牲の上に成り立っているのです」
その言葉が、胸に突き刺さった。
あの高層ビルも。
裕福な人々も。
街に溢れていた笑顔も。
すべて、その裏側には成美の犠牲があったのだ。
「……助けるったって、具体的にどうすりゃいいんだ?」
俺はようやく口を開いた。
海は答える。
「ここから連れ出してほしいのです」
「……」
「遠くへ。龍星国の外へ」
やっぱり、そういうことか。
「瑞龍は、ずっとこの国に縛られてきました。そして、人々の不運を吸い取り続け、苦しみながら死んでいく」
海は胸元で拳を握った。
「成美様も、その運命を受け入れていました」
海の表情が歪む。
「ですが、そんな運命は間違っています」
その声には、はっきりとした意志があった。
「つまり……成美が今日1人で街にいたのも?」
「はい」
海は頷く。
「私が、どうにか生きてほしいと説得しました。そして今日、監視の目を掻い潜って、成美様を外へ逃がしたのです」
なるほど。
瑞龍という、この国にとっての生命線が、なぜ1人でレストラン街にいたのか。
それなら、すべて説明がつく。
「あの子は普段、逃げ出さないよう厳重に監視されています」
「……」
「成美様が一定時間経っても戻らなかった場合、この国には警戒が敷かれ、サイレンが鳴ります」
「……あ」
俺は思い出した。
『なんか街の方からサイレンの音が聞こえません?』
『本当だ。なんか火事でもあったんかな』
あの時のサイレン。
あれは、成美が逃げ出したことを知らせるためだったのか。
「でも……」
マリナが首を傾げる。
「逃げ出したのなら、どうして成美ちゃんは最初から街の外へ行かなかったんでしょう?」
確かに。
命懸けで逃げているのなら、俺たちに出会ったレストラン街で足を止める理由がない。
「それは、私が成美様に伝えたからです」
「何を?」
「『すぐに逃げようとはせず、この街の外から来た人間で、信用できそうな者を見つけなさい』と」
「……!」
そういうことだったのか。
成美は1人では、この国から逃げられない。
まだ子供だ。
だからこそ、自分を守ってくれる誰かを探していた。
「それが、俺たちだったのか」
「おそらく」
海は頷いた。
「あなた方は、レストラン街で困っていた成美様に声をかけたのでしょう?」
「ああ」
腹を空かせていた成美に、マリナが食べ物を渡した。
「本当なら、そのままあなた方に助けを求め、街の外へ逃げるはずだったのでしょう」
「でも、そうはしなかった」
「……はい」
海は悲しそうに目を伏せる。
「私も、予想していませんでした。まさか成美様が、この国へ戻ってくるなんて」
「なぜだ?」
「成美様は……おそらく、あなた方を巻き込みたくなかったのだと思います」
「……」
「瑞龍を逃がすということは、この国の住人すべてを敵に回すということですから」
確かに。
この国にとって瑞龍は、ただの龍じゃない。
自分たちの生活そのものだ。
瑞龍がいなくなれば、今まで享受していた幸運も失われる。
それを知れば、誰だって必死になって追いかけるだろう。
「……事情は分かった」
俺は海を見る。
「だが、分かってんのか?」
海が顔を上げる。
「アンタは今、俺たちに国を相手取って戦えと言ってるんだぜ?」
「はい」
海は頷いた。
「虫のいい話だということは、重々承知しています」
そして、海は立ち上がった。
「ですが……もう、こうするしかないんです」
海は俺たちの前で、深々と頭を下げた。
「私にできることなら、何でもいたします」
その声は震えていた。
「どうか……成美様を、お助けください」
「……」
しばらく、誰も何も言わなかった。
海は頭を下げたままだ。
この人は、成美のためにここまでしている。
国の中で、成美を救おうとしている。
そして今は、見ず知らずの旅人である俺たちに頭を下げている。
「神様」
隣から、マリナの声が聞こえた。
「あたし、成美ちゃんを助けたいです」
その言葉に迷いはなかった。
「……ああ」
俺も頷く。
「俺も同じ気持ちだ」
俺たちの中にあるのは、使命感でも義務感でもない。
ただ、怒りだった。
1人の少女を犠牲にして、その上に成り立っている、この国への怒り。
テーブルの上に並べられた豪華な料理を見る。
この料理たちも、成美の犠牲の上で手に入れた料理たちだ。
俺はその中から、リンゴを1つ手に取る。
一口かじった。
「……まじいな」
リンゴをテーブルへ戻す。
「ドブみたいな味しかしなくなったよ。この料理たちも」
そして、俺は海を見た。
「いいぜ」
海が顔を上げる。
「国を相手取ってやるよ」
「……!」
「成美のところへ連れていけ」
海の目に、涙が浮かんだ。
「……ありがとう、ございます」
海はもう一度、深々と頭を下げた。
こうして俺たちは――
1人の龍の少女と、彼女を救おうとする1人の女性のために。
龍星国を、敵に回すことを決めた。




