未来を変えてくれた人
決闘場が、静まり返った。
踏み鳴らされた地面に残る無数の足跡。
その中で、審判の声が、曇天を貫く雷鳴のように響き渡った。
「勝負あり!!」
その瞬間。
張り詰めていた空気が弾け飛んだ。感情が一斉に解き放たれ、歓声となって決闘場中に満ちていく。
割れんばかりの拍手と歓声。
その中心で、マリナは膝に手をついて荒く呼吸していた。
「は……か、は……」
その顔が、ゆっくりとこちらを向く。
血と汗と涙に濡れたその瞳が、俺を見つけた。
「……!」
その瞬間、マリナがふらつく足で、駆けてくる。
もう限界のはずなのに、何かに突き動かされるように。
まっすぐ、俺のもとへ。
「うおっ!?」
俺の胸に、全身で飛び込んできた。
視界の端がぐにゃりと揺れる。
細い腕が、力いっぱい俺の背中に回される。世界が仰向けにひっくり返った。
「いてて……」
押し倒されたような体勢になってしまった。
あまりに感極まって、抱きついてきたのか。
……そうだな
これくらい、喜んだっていい。
マリナは、それだけのことを成し遂げたんだ。
俺も今は、コイツを精一杯褒めてあげたい。
「マリナ……」
目の前にあるマリナの顔を見て、俺は言葉を失った。
「ぐ……ふぐっ……あぁああ……!!」
声を押し殺しながら、それでも堰を切ったように溢れる涙。
「神様のおかげだよ……神様が、あたしを認めてくれたから……!」
目の縁は真っ赤に腫れ、砂と血と涙でぐしゃぐしゃになっていた。
『じゃあ、俺はその夢を笑わないし、軽蔑もしねえよ』
「神様が、あたしの夢を軽蔑しないで、真剣に聞いてくれたから……!」
『自由に剣を振るってる今のお前は、綺麗だ。心の底から、そう思った』
「あの言葉、本当に嬉しかった……! 否定されていたあたしの夢に、初めて自信がもてた!」
その言葉を吐き出すたびに、マリナの体が震える。
それでも、彼女の瞳は――
まっすぐに、俺を見つめていた。
「貴方が、あたしの未来を変えたんだ!!!」
大粒の涙が、彼女の頬をつたい落ちた。
その涙の重みが、あまりにも優しくて、温かくて――
「……よく、頑張ったな」
俺も、マリナを抱きしめ返した。
「お前は、本当に……すごい子だよ」
神として、今、心から伝えたかった。
言葉にならない感情が、胸の奥であふれていた。
マリナは、しばらく俺にしがみついたまま、嗚咽を漏らし、そのまま、眠った。
***
……ん……
まぶたの裏に、やわらかな灯りが滲んだ。
目を開けると、久しぶりに見た天井があった。
「……あれ……?」
ぼんやりと視界を彷徨わせて、あたしはようやく、フォンティーヌ家の自室のベッドの上にいることに気づく。
「……いたっ……」
体の節々がじんわりと痛む。
戦いの痕が、まだあちこちに残っている。
そうだ、あたし、ママと戦って勝ったんだ……そのあと気を失って……
いつの間にか、帰ってきていたらしい。
ゆっくり起き上がると、水で湿った手拭いが、額から落ちた。
熱も、出てたのかな。きっと。
「……あれ?」
誰かの寝息が聞こえた。
あたし以外に、部屋に誰かいる。
ベッドに被さるようにして、寝ている人物がいた。
「神様……?」
よく見ると、眠りながらあたしの左手をギュッと握ってくれていた。
「……そっか」
きっと、怪我や熱でうなされているあたしの看病をするために、ずっとそばにいてくれていたのだろう。
時計を見ると、夜の4時。
昨日、立ち合いが始まったのが昼の11時くらいだったから……
「……15時間くらい寝ちゃってたんだ」
それくらい疲れたんだ。
まぁ、英雄相手にバカスカ木刀で殴られたんだから、当然かもしれないけど。
体には包帯が巻かれ、傷口には薬が塗られている。
ちゃんと治療してくれたんだ。
「……」
神様を起こさないよう、手を繋いだまま部屋を見渡すと、あたしと神様の2人だけだった。
あたしの寝室。
この部屋には、ママや、お世話をしてくれるメイドさんなど、ごく親しい者しか入ることはできない。
防犯上、ママが許さない。
それでも、神様がここにいるということは……
「……よかったですね、神様。ママにも、ちゃんと信頼されてるみたいです」
あたしは、繋がれた手を動かす。
『スリ……』
あたしよりも、ずっとずっと、大きくて、頼もしい手。
でも、なによりも優しい。
この手を握りながら、気を失ったあたしの様子を、ずっと見てくれていたんだ。
……
……どうしてだろう。
この人を見ていると、愛おしい気持ちが抑えられなくて、たまらなくなる。
抱きしめたくて、甘えたくて。
でも、そうはしない。
今すると、神様が起きちゃう。
この方の寝顔を、いつまでも見ていたかった。
「……」
ずっとずっと、自由な侍に憧れていた。
あたしが侍を目指すようになった、キッカケの少女。
自分の人生の責任を、全て自分で背負い、どこまでも強くなる『あの子』を見て、本当にカッコいいって思った。
そんな侍になりたいって思って、剣を握った。
でも、神様と一緒に過ごすたびに
『この方の騎士になるのであれば、騎士になるのもいいかもしれない』って、ほんの少しだけ、思ってしまった。
こんなこと、絶対誰にも言いませんよ。
覚悟とか、夢とか、全部ブレブレになっちゃってますから。
「貴方のせいですよー……わかってます?」
あたしは眠っている神様の頰を突いた。
「……ゥ」
「……ふふっ」
でも、やっぱりあたしは騎士なんて柄じゃない。
今は侍として、心の底から、この人の隣に立ちたいから。
守る存在じゃなくて、一緒に戦う存在でいたいから。
今日で、騎士であるマリナ・フォンティーヌは死ぬ。
だからこそ最後に、一度だけ。
騎士として、この人に誓いたかった。
ちゃんと、終わらせよう。
あたしは、眠っている神様の手を取って……
「あなたに、あたしの全てを捧げます。我が……主人よ」
その甲に、そっと口付けをした。
騎士としての、最初で最後の誓いを。
たとえこの誓いが誰にも届かなくても
あなたの剣は、この胸の中にある。




