16話 けものフレンズ
ー◆メスショタ視点◆ー
やっちまった。
オークの討伐隊の編成が完了し、行軍が為されたようだ。
私からは姿を確認できないが、やたらキョドっているコミュ障の様子から、どうやら山道に人が大挙しているのは間違いない。
9日という日数的に考えても、討伐隊と考えるのが最も自然である。
脳裏の地図に照らし合わせると、現在地から豚さんの巣はだいぶ後方になる。
恐らくは途中まで整備された山道を利用し、巣に近付いたのちに山中へ展開、包囲殲滅陣で叩く腹づもりのようだ。
別に何も悪い事はしていないのだが、出ていく気に全くならないのは何故だろう。
厄介事の気配がプンプンする。
隣を見ると、いつの間にかフードを目深に被っていたポンコツは、案の定全身がガチガチに固まってしまっている。
襟元を掴み強引に身体を引き寄せて、更に深く身を沈めた。
そのまま息を潜める。
しばらくの間待つと、徐々に足音らしき音が聞こえてきた。
それが近付くにつれ、地面を叩く音源の数が膨大なものであるとわかる。
軍靴の音って現実で始めて聞いた。
ザワザワと話す声の数も相応のものだ。
これは妙だぞ。
声の音量と調子からして、規律正しい軍隊のものではないように聞こえる。
声量に気を遣っていないのでやたら騒がしく、荒っぽい連中が大挙して居酒屋に居るかのような雰囲気だ。
茂みの隙間からじっと覗いてみた。
筋肉ハゲとかゴリラとか、全体的に暑苦しくて臭そうな連中が列を為して、山道を練り歩いている。
見ているうちに違和感を覚えてよくよく観察すると、装備の規格が統一されていないことに気づいた。
武器はまだしも防具が不揃いなのは軍としては違和感がある。
これはあれだ。たぶん傭兵じゃね?
正規の軍隊じゃなく、そこら辺のゴロツキ連中を集めて軍を編成したようだ。
まさかコイツらが正規の軍隊という事はないだろう。
自警団の人とかは規律正しく、装備の規格もおおよそ統一されていた。
軍なら普通、装備は支給品だろう。
規律が緩く、好みの武具を身に付ける事が許されていると考えても限度がある。
あまりにも装備が不揃いだ。
全て自分達で賄っているんだろう。
万が一コイツらが正規の軍だとしても、その性質は最早傭兵というかゴロツキと大差ない気がする。
コイツらに見つかったら絶対に厄介事に巻き込まれる。
絶世の美少女と不審者の組み合わせを、このオーク供と衝突させて、まともに素通りさせて貰えるビジョンが全く思い浮かばない。
我ながら自分の美貌には、毎度のこと困っちまうぜ。
性欲の塊という点ではオークと大差無いんだろうし、ぶつかって対消滅したら世界も少しは平和になるんじゃねえかな。
しかもさっきからずっと見てるんだが、まともな正規兵らしき人達が見当たらない。
総じてガラが良くない。
普通何割かは正規兵を混ぜるもんじゃないの?
コイツらが粗相しないように誰が面倒みんのよ。
こんな連中魔合体させた上に野放しにして大丈夫かよ。
行く先々でエンジョイ&エキサイティングしてもおかしくないだろ。
直撃コースじゃ無いはずだが町の人達が心配だ。
大丈夫だろうか。
しかしコミュ障と山で遊んでる場合じゃなかった。
この事態はちっと頭回せば予測できる範疇だったもんな。
でも夢中になってたし、野郎の妖怪アンテナの性能がなまじいいもんだから、近頃はもう警戒心とか無くなってたとこある。
武器の模型作りが楽しすぎて、最近は道中でクラフト素材を拾い集める始末だ。
ちょこちょこ石とか拾うので、コミュ障に何してんの?みたいな困惑した目を向けられる。
ゆくゆくはガラス製作とか剣の鍛造とかにも手を出したい。
何故かコミュ障が製鉄の方法を知っていたので、砂鉄や磁鉄鉱から鉄を作る事も可能だ。
普段どう生きてればそんな情報調べようと思うんだろう。
まあとにかくクラフトである。
魔法で再現するのもいいが実際に作るの楽しい。
魔法があれば色々できそうだし、肉労はまあコミュ障に代行して貰うとして。
せっかく異世界転移したんだし、何にも縛られずにほのぼの生産職ライフ楽しみたいぜ。
だから早く通り過ぎてくんねえかな。
どんだけ居んだよコイツら。
しばらく見てるんだが、最初に見た光景と大差がない。
もう5分くらい経ってない?
行軍の時速が4kmで計算しても、333m列が途切れてない計算になんだけど、1m辺りざっくり3人居るとして、既に1000人規模だ。
未だに列の途切れが見えない訳だから、実際はもっと居るもんな。
隊の疎密をなんとなく厳密にして係数にすると、現時点で1200とか300くらいだろうか。
ちょこちょこ間延びしてたりして概算が出しづらいが、大体それくらいだろう。
穴蔵に住むオーク達を観察して、500〜1000くらいの規模だと私達は推定したので、包囲して根こそぎ叩くために数を集めたんだろう。
オークが哨戒を兼ねているだろう、隊を細かく出している事もズッ友が報告した筈。
軍を分散してそいつらも潰すのだろう。
そう考えれば妥当な数ではありそう。
2対1で当たるとして、実際の総数は1600から2000くらいの規模だろうか。
そうすると、もう少し待っていれば通り過ぎてくれるだろうか。
仮に3000人投入しているとしても、既に折り返し地点にはきている。
そこまで考えてふとポンコツを見ると、顔面が冷や汗でベッタベタになっている。
しゃーないママがおててをギュッてしてやるぜ。
しばらくそうすると、段々と強張りが解けてきた。
出発する前にお姉さんと邂逅した時にはあんなに頼りになったのに、いまいちコミュ障がポンコツと化す絶対条件がわからない。
今回は注目されてる訳でもないし、チンピラの群れを見て怖くなっちゃったんだろうか。
しかしこの世界に来てから、コミュ障の進行度が酷い事になっている。
以前より明らかに悪化して、最早社会生活に支障をきたす所まできてしまっている。
下手しなくても高校1年時よりずっと酷い。
こうなったのには色々と理由はあるんだろうが、まず第一に言葉が……。
ー◆ー
失敗体験のフラッシュバックについて思考に没頭していると、コミュ障の全身がぶるりと大きく震え、その後硬直した。
一瞬おしっこ漏らしたのかと思ったが、しばらく様子を見てなんとなく理由を察した。
コミュ障の展開するサイコさんフィールドに、何かが感知したのだ。
視界を戻すと、山道を外れこちら側に近づいている影があった。
嘘だろ。
相当離れているはずだ。
私達は暗がりに居るし、あそこから見えるはずもない。
こっちは碌に音も立てていない。
目を凝らして相手を観察すると、大柄な相手のシルエットが確認できた。
酔ったようにふらふらと歩いている。
焦点が合ってくると、何やらおかしい事に気がついた。
まず山型の形状の物が2つ、頭に鎮座しているように見える。
頭部の形状もヒトのそれではない。
鼻から口に当たる部分が伸びていて、いわゆるマズルの形になっている。
犬のようにしか見えない。
樹々に光が遮られているため詳細が判然とせず、最初は被り物を疑ったのだが、耳や鼻などの各部が時折ピクピクと動いているような気もする。
もしかしてアレは、いわゆる獣人という奴だろうか。
そういえばファンタジーな世界観だった。
自分も魔法とか使ってるのに今更なのだが。
だって今まで人間しか見てないし、まあ透け乳首様みたいなエルフも居たっちゃあ居たけど。
犬型という事は、匂いで私達を探しているんだろうか。
ふらふらとしながらも確実にこちらに近づいている。
私達は虫除けにメンソールを塗っているし、先程討伐したオークの血の匂いも纏っている筈だ。
見つかってしまった場合、逃げるのは上手い手ではないだろう。
如何にも自分達は怪しいと言っているようなものだ。
撃退するのは論外だろう。
消去法で、自分から姿を見せるのが一番マシだという事になる。
このまま隠れているよりは、そうした方が相手の印象もいい筈だ。
ガサガサという音がさっきより近付いている。
見つかるのはもう時間の問題だ。
「山田、こっちから姿を見せるよ。頑張って立って」
耳元でそう言って、立ち上がりつつコミュ障の腕を思いっきり引く。
かなり抵抗があったが、なんとか自分の脚で立ち上がってくれた。
テンパったコイツは反応が鈍いのだ。
その音で気が付いたのだろう人影は、決断的な歩みでこちらに近付いていた。
木陰からコミュ障を引きずり出し、両腕を大きく振って声を掛ける。
『あの、オークの討伐隊の方でしょうか? 私達は怪しい者ではありません』
不審者の存在によって語るに落ちてるかもしれないが、実際私達に疚しい所などない。
槍をかついだ兵隊さんが私達の前に立った。
顔はまさしくオオカミさんだ。
ゴールデンカムイで見たニホンオオカミに似ている。
油でかためた黒っぽい革鎧に覆われた身体は、隙間からフサフサとした白い体毛が所々覗いている。
賢そうなお顔に眉間を寄せて、お首を振って私とコミュ障を訝しげに見つめている。
仕草や表情が非常に人間的だ。
一言で言ってとても可愛い。
なんか無性にドキドキする。
そんな場合じゃないのだが、何故だか私は興奮していた。
『最初、貴方達がどのような集団かわからなくて身を隠していました。少ししてオークの討伐隊かと思ったのですが、正規の軍にも見えなくて、身を守るために隠れていました。私達は唯の冒険者で、誓って疚しい所などありません』
歯に衣は着せるが、およそ正直に話す。
下手に話して後から矛盾が出るより、詳らかに語った方が心証もいいだろう。
相手がまともなら、ゴロツキそのものの自分達の在りようにだって思う所はあるはずだ。
オオカミさんが私達をじっと見つめる態度には、町で見た自警団さん達と共通する理性的な所作を感じさせる。
つまり彼は会話が可能であると踏んだ。
私の印象が間違っていても、そんな相手はそもそも何を言っても話が通じないので言っても言わなくても変わらない。
正直に話す事にデメリットは無い。
『あー、そうなのか……』
オオカミさんが呟いた。
現実に犬の頭で流暢に話されると脳が混乱する。
体付きは人間そのものだから声帯もヒトのそれだとして、口の構造が犬なのにどうやって発声しているんだろう。
一応声に合わせて口をパクパク開閉させているのだが、私の知らない不思議器官がどっかに存在しているのだろうか。
お犬様は、何やら眉間にシワを寄せて考え込んでいらっしゃる。
『私達はこの山を抜けて、向こうの町へ行きたいだけなんです』
『ああ、うん。どうすっかな……』
そう言ってお犬様は腕を組み、考え込んでしまった。
思ったよりずっと荒っぽくない。
オーク同然のゴロツキ集団の一員という先入観を勝手に持っていたのだが、とても理性的なお犬様のようだ。
思わずホッと息が溢れる。
安心感からふとコミュ障を見ると、依然としてポンコツと化したままだった。
ちょっと意外である。
言葉がわからないにしても、声の調子などから情報を読み取って、お犬様に敵意が無い事はコイツならわかっただろう。
だったら好奇心が勝りそうな気がするのだが。
何しろ喋る犬だ。
そう思ってよくよく見ると、目線が足元に固定されていた。
ポンコツが祟って顔を見ていないのかもしれない。
声を掛けようと思ったのだが、この場面で日本語を使って会話するのは怪しく映るだろう。
『あの、こちらの彼と会話したいのですが、彼は異国人でこちらの言葉がわかりません。異国の言葉を使う事を許して頂けませんか?』
『え? ……あぁ、う〜ん。まあ仕方ないよな。いいよいいよ』
とても寛大なお犬様にお許しを貰ったのでコミュ障に話しかけようとしたところ、その前にお犬様が口を開いた。
『すまんが、一度うちの隊長と顔を合わせてくれんか。問題なけりゃすぐ解放されると思うから』
ややこしくなりそうな予感がした。
しかし拒否する事は許されそうにない。
『わかりました』
『手間取らせてすまんが、頼むな』
そう言って踵を返すお犬様。
ついてこいという事だろう。
立派な尾っぽをお持ちでいらっしゃる。
いちいちあざといお犬様だぜ。
しかし、軍人にしろ傭兵にしろ、お犬様は妙に腰が低い気がする。
決して運は良くないが、何もかも見放された訳ではないかもしれない。
コミュ障の手を引っ張って歩かせながら状況を説明する。
相変わらず初動が悪くて腕が疲れるが仕方ない。
「山田、あのオオカミさんの案内で、隊長さんの所に今から行く。何もなければすぐ解放されるみたいだから」
「オオカミ? ……なるほど、承知しました」
やはり足下しか見てなかったらしい。
コイツ全く人と関わる気が無いよな。
ー◆ー
小走りでついていく。
お犬様の足がやたら速いのだ。
ほんの少し会話している間に距離が開いてしまった。
少し息を切らせてそのままついていくと、お犬様がオーク共の隊列に、真横から突っ込むコースで進んでいる事に気がついた。
いやまあ当然なのかもしれないが。
ちょっと待ってくれ。
非常に嫌な予感がする。
しかしうまい言い訳が思いつかない。
考える時間がないのだ。
もうすぐ前にはオーク共が居て、歩み寄るこちらの存在に気づいている。
ガチガチに固まったコミュ障の腕を掻き抱いた。
これでパッと見カップルに偽装できる。
とりあえずコイツを風避けにして身の安全を図ろう。
あんま頼りになりそうにないが、何かあったらコイツに頼るしかない。
「山田、本当に注意して。頼りにしてるから。話は全部私がするから、今だけ頑張って」
「承知しました」
さっきからそればっかだなコイツ。
マジで頑張ってくれ。
山道は、自動車が余裕ですれ違えるくらいの幅広さがあり、オーク共は道いっぱいに広がる事なく列を成していたので、その横を私達は歩く事ができた。
列の前方を向けて早足で進んでいる。
お犬様が私達を探したり話しているうちに、隊長を含む皆様に置いていかれたとかそんな所だろう。
進んでいるうちにも、大量の好奇の視線が私達に向いているのがわかった。
同じ向きに歩いているので、通り越すペースが遅いのが酷くもどかしい。
『へへ、こっち向けよ』
『姉ちゃーん』
『ヒューッ、へっへ』
動物園の猿かよ。
悪い予想の通りオーク共は本当に不躾で、下卑た笑いを上げながら、程度の低いチンピラ丸出しの態度でこちらにヤジを掛けてくる。
お犬様の存在のお陰か、今のところ手が出されたりはしてないが、本当に大丈夫なんだろうか。
猿共のせいでお犬様もピリピリしている。
手振りで私達を誘導して、発情したチンピラ共を遮るよう壁になってくれた。
お犬様は申し訳なさそうなお顔で謝ってきた。
『すまん。荒っぽい連中なんだ』
『大丈夫です』
そんなに丸まった尾っぽを見せられたら怒るに怒れない。
あざといにも程がある。
予測できた未来なのだし、お犬様ももう少し気を回してくれたらとも思ったのだが、恐らくヒトの美醜やらを上手く区別できないとか、そういう設定をお持ちなんだろう。
職務を全うしただけのお犬様は何も悪くないが、間だけが本当に悪くて溜息が出てしまう。
しかし思えば、わりと平常心を保てている。
以前にもギルドで似たような状況に晒された事があるが、前はもっと怖かったように思う。
状況的には今の方がよっぽど危険だと思うのだが。
まあ考えるまでもなく、こっちにはコミュ障が居るからだろう。
なにせコイツは最強のイージス兵器だ。
現在のポンコツ極まりない状態でも、危機的状況であれば正常に稼働するだろう。
剣と魔法の世界だろうが、物理一本のコイツを出し抜けた相手は今のところ存在しない。
何やらフラグっぽいものを立ててしまった気もするが、現実にそんなもんは存在しない。
全てはなるべくしてなるのだ。
単なるバイアスに掛かった思考である。
あるいはマーフィーの法則とも言う。
外野があまりにも煩わしいので、努めて現実逃避した思考をしていたら、お犬様の脚が止まっていた事に気づいて意識が現実に引き戻された。
ー◆ー
一瞬、隊長とやらの下へ辿り着いたのかと思ったのだが、何やら様子がおかしい。
意識を前に向けてからの僅かな時間だが、チンピラにお犬様が一方的に絡まれているような印象を受けた。
なんだなんだと思っていると、いきなり手が振り払われたと思ったら、凄まじい勢いで全身の自由を奪われて、ぐるぐる回転するような浮遊感と共に、目に映る景色が滅茶苦茶になった。
かなり相当ビックリしたが、平常心は失わなかった。
これはコミュ障の仕事であるとすぐにわかったからだ。
自分の状態がどうなってるかわからないが、つまり奴が動かなければならない何かが起きたという事だ。
ならば原因などわかり切っている。
どうせこの美少女に発情したオーク共の仕業だ。
クソが。
浮遊感が落ち着いたので周りに目を走らせると、驚いたような顔をしたゴロツキ集団とお犬様の姿が見えた。
目線が妙に高い。
もしかしなくても、お姫様抱っこされている模様。
「山田、誰に攻撃されたの?」
「そちらの額に傷のある方からです。攻撃の予兆があったらしいので少々大袈裟に避けたのですが、何をされたかはわかりませんでした。魔法陣らしきエフェクトがうっすら見えたので、攻撃されたのは間違いないと思うのですが」
「敵ってあの人だけ?」
「そこまでは何とも。四方八方で似たような気配があるようで、よくわかりません」
状況を確認していると、お犬様から声が掛けられた。
『あんたら、どうしたんだ。何があった』
先程お犬様に絡んでいた男がグルである可能性が頭をよぎって、この後の展開を想像して非常に面倒くさい気持ちになるが、手順は踏まないといけない。
お犬様に顔を向け、下手人を指差して口を開いた。
『あの人が私達に向けて魔法を……』
話してる最中に、また唐突な浮遊感と、加速度による急激な加重に晒される。
またかよ。
ウッてなった。
『お前、何してる! ……なんだこの手は!』
お犬様がブチ切れておられる。
今度は魔法攻撃に気づいたようだが、見ると一匹のオークがヘラヘラと笑いながらお犬様の腕を掴んでいた。
悪い予感ばかり外れなくて、本当にウンザリする。
努めて意識を戻して、視線を元いた場所に向ける。
確かにコミュ障の言うように、攻撃された痕跡のようなものは何も残っていない。
集中して感度を上げ、ソナーのように杖から魔力を発信すると正体がわかった。
恐らくガスかなんかを散布してきたのだ。
空気中に含まれる魔素の含有率がそこだけおかしい。
私達の顔があった2m四方程度の空間から、ゆっくりと上に拡がっていく様子がなんとなくわかった。
走査したのはほんの数瞬だが、まだ読み取るのに慣れなくてかなり集中力がいる。
脳が疲れた。
「山田、ガスを撒いてきたみたい。どんなものかはわからないけど、距離をとって正解だと思う」
「なるほど」
私の台詞を聞いたコミュ障が素早く動いた。
攻撃点を大きく迂回するように距離を取る。
風上に移動したのだろう。
次いで目線を魔法使いオークに移すと、そいつを含む10匹近いオークが、こちらに向かって隊伍を組んでいた。
こちらをやや警戒しているが、最早開き直っているのか舐められたくないのか、まだ諦めていないらしい。
周囲のオーク共は騒めいているが、誰も止めに入る様子は見られない。
完全に野次馬で、私達は見世物である。
お犬様は数匹のオークに囲まれていた。
もう滅茶苦茶である。
コイツら理性もクソもないのか。
コイツらが修羅の国に生きてて、内輪で殺し合ってる分には構わないが、こっちは文明人だぞ。
まさかこっちから仕掛ける訳にはいかないだろう。
ー◆ー
待てよ?
非殺傷兵器で無力化する分には構わないんじゃないか?
もともと同じ手を使って、美少女を手籠めにしようと考えたんだから、同じ方法でやり返す分には言い訳も立ちやすいだろう。
しかしそんな魔法使った事ないぞ。
どんなのが良いかちょっと考えたらすぐ思い浮かんだ。
いつも見てるアレである。
より効果を高めるにはOをひとつ減らしてやればいいのだ。
全体の構成や各組成をなんとなく頭の中で展開する。
適切な塩梅がちょっとわからないが、まあ数%程混じっていれば十分だろう。
適度に酸素も混ぜておけば死ぬ事はあるまい。
杖を握って手元で少し試してみると、普段から見慣れているだけあってすぐに狙い通りのものが創れた。
実際どれくらい正確に狙い通りのものを創れたか、見ただけではわからないが、まあたぶん大丈夫だろう。
通常のものを吸っただけでも相当なダメージが期待できる。
何せ予兆もクソもなく、一呼吸目で思いっきり吸い込むだろうからな。
視線を上げると、もう猶予が幾許もない事がわかった。
相手は今にでも襲い掛かりそうな雰囲気である。
場が混沌とするよりも今すぐ撃った方がいい。
杖を構え、思いきり集中して、魔力をオーク共を包むように飛ばす。
オーク共はそれを見て何か反応していたが、もう遅いので無視して敢行した。
「オラァ! 死ね!」
私の愛らしくも勇ましい掛け声と共に、魔力が一斉に物理的な事象へと変換される。
オーク共の周辺に、一酸化炭素を含む煙が大量に散布された。
ー◆ー
『なっ、ゲホッ!』
『グホッ! ゲェェ……』
一瞬でオーク共の居る一帯が、阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。
円形に巻き上がった砂埃の中心に、煙に満たされた空間が出来上がる。
それを見た野次馬のオーク共が、どよめきを上げながら数歩下がった。
奴等だけ囲むように、煙の展開と同時に上向きにエアーカーテンを発生させているため、周囲の人間には無害だ。
カーテン内に溜まっていく煙によって、円柱型のアクアリウムが突如出現したようにも見えるだろう。
煙とは換言すれば湯気のようなもので、大気中に漂う粒子状の液体である。
液状の粒子はすぐに気化され水蒸気となるが、飽和水蒸気量には限界があり、それを超えれば水の粒子は気化される事なく漂い続ける事になる。
霧という現象がそれだ。
あっという間にアクアリウム内は、濃厚な灰色に埋め尽くされた。
私は焚き火を参考にこの魔法を開発した。
焚き火の煙は不完全燃焼を起こしてできた水の粒子群であり、二酸化炭素の他、一酸化炭素や煤などの有害物質が含まれている。
今回は粒子状の灰も適度にブレンドしてみた。
濃霧のような煙越しに、苦しむゴミ共のシルエットがうっすらと窺える。
蹲って動けなくなり、ゲホゲホと激しく咳き込んでいる。
這いずって逃れようともがいているが、視界も利かず碌に動けないようだ。
灰と煤が粘膜に貼りついて焼かれるようだろう。
初動ですぐに動かなかったのが命取りよ。
今更出ようとしてもアクアリウムを拡げるだけだ。
10秒程で十分かと思い、アクアリウム内に上昇気流を発生させた。
すぐに煙は晴れ、内部の様子が鮮明になる。
……あれ、思ったより死んでねえな。
効果薄いのかな。
しょうがない、もう少し追加で撒いてみよう。
また煙が湧き始め、アクアリウム内が灰混じりの濃いミルク色で満たされていく。
また中から悲鳴が上がった。
その様子に野次馬のオーク共がまた数歩下がった。
別に安全なのにな。
へっへっへ、苦しめ苦しめ。
お前らみたいなゴミが、お天道様の下を堂々と歩くなんざあっちゃあいけねえんだよ。
善良な町の皆さんの為にも、ここで身の程を知って貰おうか。
ー◆ー
「佐藤さん。何を撒いたんですか……?」
心なしかドン引きした様子のコミュ障が、私を抱えたまま口を開いた。
「一酸化炭素を大量に含んだ煙。安全に無力化できるかと思って」
「死ねとか言ってませんでした?」
うるせえな。
勢いってあるだろうが。
「どんな濃度で撒いたか知りませんが、下手すると確か数分で死ぬらしいですよ」
「えっと、でもその前に昏倒するとか段階を踏むでしょ?」
「恐らくはそうだと思いますが、しかし昏倒まで行ってしまったら不味いとも言えるのでは」
そりゃそうか。
慌ててクズ共を見る。
煙でよくわかんねえ。
魔力の維持を止めて、代わりに正常な空気を散布して吹き飛ばす。
体内に吸収された一酸化炭素などの有害成分は、間もなく魔力に還元されるため、死んでなければ多分これで大丈夫だろう。
クズ共は蹲ったり倒れたりしていたが、総じて身体は動いている。
水分を含んだ灰と煤で全身グッチョグチョで顔中から体液を垂れ流し、煙が無くなってもまだ呼吸に支障があるのかとても苦しそうだが、彼等は全員何事もなく無事に生きていた。
良かった。
安心すると同時にカクリと全身の力が抜けてしまった。
もう魔力が切れたのだろうか、思った以上に早い。
姫ポジションで正解だったぜ。
初めて使う魔法だったし、特にエアーカーテンの塩梅がよくわからなくて、魔法を放った直後なんか物凄い勢いのエアーガンを吹き散らかしたみたいになった。
ちょこちょこ弁を締めたりして調整していたが、色々と無駄が多かったのは間違いあるまい。
どの魔法にも言える事だが、常用するには練習が必須だろう。
ー◆ー
腕に力が入らず難儀しながら、虎の子のポーションを鞄から取り出した。
これで品切れなので、町に着いたら購入しなくてはならない。
それをゴクリと煽りながらクズ共を眺める。
これでしばらくすれば動けるようになるだろう。
勝利の美酒は苦いぜ。
……ていうか、オーク共の壮絶に苦しんでる様子を見て、何故ここまで非道な真似が出来たのかと、今更自分でドン引きしてしまう。
やっぱガス攻撃も気軽に使えねえよ。
悪魔の兵器じゃん。
怖くて普段使いなんかできねえわ。
いやまあ、先に使ったの向こうだし。
正当防衛ではあるんだが。
当初はもっと一瞬で昏倒するイメージだったというか、そこまで苦しませる予定じゃなかった。
一酸化炭素の何が危険かって、酸素よりもヘモグロビンと結びつきやすいって理由じゃん。
安全面を考慮して酸素を結構混ぜちゃったし、そりゃすぐには昏倒しないよね。
でも灰を撒くだけじゃ催涙効果しかないし、不安で色々混ぜちゃったんだが、確かにちょっと考えなしだったかも。
柳龍光方式を採用すればよかった。
アレは血中と外気の酸素濃度を均一化するという酸素交換の仕組みによって、強制的に体内中の酸素を奪って、一瞬で昏倒させる凶悪な技だ。
理論上勇次郎でも問答無用で倒せる。
でも調整ミスるとやっぱり死ぬし……。
催涙系のガスを選択したのは間違いじゃないと思うんだけど。
散々イラつかされた上でのアレだからなあ。
その辺の原因まで全部苦しんでるコイツらにあるとは言わんけど、どっちが悪いって言ったらやっぱりコイツらが悪い訳であって、じゃあ私は悪くないのかと言うとそうでもないっていうか。
でもコイツらの目的って絶対レイプだよな。
じゃあやり過ぎでもなんでもないわ。
「レイプマンに慈悲は無い」
「いやまあ、それはそうなんですが」
コミュ障は周囲に目を向けている。
私もそれに倣うと、野次馬オーク共が私達とレイプマンを見て唖然としていた。
そんな中でもお犬様は、4匹のオークを地面に叩き伏せてらっしゃる。
今は私達の様子を気にしつつ、ゴミ共を後ろ手に縄で拘束していた。
相当にお強いお犬様だ。
訳わからん人感センサーが搭載されてるコミュ障じゃあるまいし、多人数を相手にやりあって手傷を負った様子もない。
無事な姿に内心ホッとした。
しかし愛らしい上にカッコいいぜお犬様。
可愛い上に強いとかもう最強だよな。
その上賢い。
ここに居る大多数のチンピラより明確に知力が上だ。
天下無双すぎて好き。
お犬様の勇姿にドキドキしていると、コミュ障が口を開いた。
「一方的に攻撃された事を口実に、逃げても許されるかなと考えていたのですが」
思ってもみなかった言葉に一瞬考えてみるが、それもどうだろう。
「なんだかんだでこの手のイベントはちゃんと消化しないと、後々で面倒事に繋がる気がする」
この手のフラグ回収を面倒を嫌って避けていると、知らずのうちに積み重なって痛い目を見るのは、異世界以前に今までの経験則として身体に染みついている。
結果論なのだが、今回の場合はお偉方である隊長さんとはちゃんと顔を合わせておいた方がいい。
お犬様の上司なら大丈夫な気がするし、先程の時点で逃げてしまうと、不審な連中が厄介事を起こして逃げたという一方的な情報が流布される可能性がある。
偉い人に身分や経緯をきちんと説明した方がいい。
「そうなんですよね……。だから少し迷ってしまって、佐藤さんに手を出させてしまいました。申し訳ありません」
「お互い様だし、山田の性格はわかってるから。これだって最適解かわからないし」
コイツが対人関係で逃げる方向に思考が寄るのは、最早性格だから仕方がない。
その結果が黒歴史のロビー活動だろう。
今回は頑張った方だと思う。
それに今回の件で、逆恨みしたゴミ共に復讐されるフラグも立った事になる。
他のオーク達には牽制になったと思うが、それだって疑わしい。
どっちの選択が正しいかなんて蓋を開けなきゃわからない。
「とりあえず、オオカミさんに謝りに行こう」
「承知しました」
しかし、人に出会うとすぐに厄介事が起こる。
列の真ん中で騒動を起こしたせいで、大渋滞が起きて前から後ろから野次馬が増えてしまい、滅茶苦茶に注目されている。
こういう注目にも悪い意味で慣れてしまった。
異世界に来てから最近、こんな事ばかり起きてやたらジロジロ見られる。
全部不可抗力なのに。
もうやってらんねえよ。




