「白雪姫」後編
「え?おばあさんは宝飾品専門じゃないの?」
「う、ゴホン。えー、実はこの前は果物屋でね。」
「苦しい言い訳だね。」
「(うるさい、黙れ。)」
小声で魔法の鏡に突っ込んだ後、老婆はギラリと目を光らせ、白雪姫の顔を見上げました。
「このりんごはね、食べると願い事がかなうと言われているんだよ。」
これこそが、魔女の最後の切り札でした。
『願い事がかなう』
こう言われて興味をもたない乙女などいるでしょうか、いやいません(反語)。
例にももれず、白雪姫は目を輝かせました。
「本当に!?」
「そうとも。さあ願い事をしてひとくち、齧ってごらん?」
いかにも怪しげな台詞ですが、
すでに自分の世界に入っている白雪姫は全く気にすることなくりんごを受け取りました。
美味しそうな真っ赤なりんご。白雪姫は白い指先でそれを人撫でしました。
「私の望みは…」
嬉しそうにりんごを眺める白雪姫は、
「いつか白馬に乗った王子様がきて…」
赤いりんごを可愛らしい唇に近づけ、
「私をお城へ連れて行ってくれること。」
願い事を唱え終えました。
そしてりんごを齧ろうと口を開けた瞬間。
「なぁあにやってんだーー!?」
「うわあ!?」
「えっ信二くん…?――きゃ、まぶしっ!」
突然、小人の一人が乱入し、老婆にタックルをかましました。
驚いた白雪姫はりんごを口から離し、そちらの方を見て、
その拍子に老婆がさげているかごに入っている鏡に反射する光を見てしまいました。
目を眩ませる白雪姫。
手から離れる赤いりんご。
そしてそれは――
「―――ぐっ!!」
放物線を描き、老婆の口に入りました。
それは小ぶりなりんごで―実は経費削減のために半分にカットしていたので、すんなり口に入ってしまいます。
魔女は慌てて吐きだそうとするものの、完全に喉に詰まらせてしまいました。
白雪姫にりんごを食べさせようとした魔女は、逆に自分がりんごを食べてしまったのです。
――って、あ、れ?
これ、やばくないですか……?
「那津!!?」
ばたりとそのまま倒れる那津さんに、聖悟くんが舞台袖から駆け付け、揺すりました。
いいえ、こんなナレーションなんてしている暇ではありません!!
スタッフ、緊急事態です!すぐに幕を下ろして!救急車を呼んでください!
「那津、那津!おい、返事しろ!那津!!」
魔女のメイクを根こそぎはがし、那津さんに呼びかける聖悟くん。
しかし、那津さんが目覚める様子はありません。
青い顔でぐったりとしています。これは本格的にまずいかもしれません…!
―と、ざわざわとざわめく観衆が見守る中、ここで幕が下りました。
――では、ここでアナウンスをします。
ご来場のみなさまにお知らせします。誠に申し訳ございませんが、不測の事態により本日の演劇『白雪姫』は中止させていただきます。ご退出の際にはお足もとに注意して――
アナウンスをすませた私が舞台上に戻ると、残されたキャストたちは呆然としていました。
喉にりんごを詰まらせた那津さんは、すぐさま救急車で病院に運ばれました。
一応、異物はすべて取り出したと連絡がありましたが……どうなのでしょうか。
「だ、大丈夫かしら那津…」
白雪姫、麗奈さんが涙声でそう呟きます。
マスターさんも乾さん兄弟も出番のこなかった斎藤さんも、みんな深刻な顔でそれを聞いていました。
そして、聖悟くんはと言えば。
「………。」
原因の二人――小人役の水谷信二くんと魔法の鏡役の新井山拓史くんをすみに追い詰めていました。
ああ、よく見れば聖悟くんの隣に唯月さんの姿もありますね。
…彼と同じように、鬼気迫る表情で二人を見下していますが。
二人は恐怖におびえながらも、焦ったように口走ります。
「ま、待てよ聖悟!俺…こんなつもりでやったんじゃなくて!」
「ちょっと、俺、全然悪くないよね!?連れ出したの那津さんだし!鏡が反射しただけで…」
しかし、そんなことは彼の耳には一切入りません。
聖悟くんはただひとこと、返しました。
「お前ら……覚悟しろ。」
その後、何やらばきばきだのごきごきだの、不穏な擬音が聞こえましたが、割愛しておきましょう。
これは童話なので、暴力表現はNGです。
後日。
那津さんが無事に意識を取り戻し、回復したという知らせを聞きました。よかったですね。
白雪姫は毒りんごを吐きだしたら息を吹き返したそうですが、実際は窒息します。
これは童話の真似ごとをしてはいけないという教訓なのでしょうか。
いやあ、しかし本当に無事でよかったです。
彼女が突然倒れた瞬間なんて、心臓が止まるかと思いましたよ…
ふうと息をついた私は、ノックをした後がちゃ、と真っ白いドアを開けました。
「あ、ナレーターさん?」
ああ、こんにちは那津さん。具合はいかがですか?
「ん、苦しかったけど、今はもうなんともないよ。」
そうですか。しかし無理はしないようにしてくださいね。あ、これお見舞いの品です。
私がかごに入った果物を渡すと那津さんは『悪いね』といいながら受け取りました。
そしてその中身を見て――彼女は苦笑を漏らしました。
「…それでりんごをチョイスするかな普通。」
「嫌がらせかよ」
那津さんと傍に立っていた聖悟くんが即座にそう突っ込みました。
うるさいですね。果物の盛り合わせを頼んだらセットでついてきてしまったんですよ。
ああ、大丈夫です。毒は塗ってありませんから。
「当たり前だろ、馬鹿か。」
「聖悟、失礼だから。」
「元はと言えばあの下らない劇のせいだぞ、お前が倒れたの。
…ああそうだ、童話劇はどうなるんだ?まさか続けるなんてことは…」
そんな怖い顔をしないでくださいよ、聖悟くん。
そうですね。このような事態になると…もう次回からはあの劇場で劇は開けないでしょう。
童話劇は打ち切り、私も再就職先を探さないといけません。
「マジか、大変そうだな。」
まあ、就職活動は面倒ですが…いいんです。そろそろあの会社、辞めようと思っていましたし。
それに、聖悟くんの言う通り、事故を起こし那津さんを危険な目に遭わせてしまったのは、確かにこちら側の不備が原因でもありますから。
私はそう言って、改めて謝罪しました。
「いいよ、別に。ある種、白雪姫みたいな貴重な体験ができたわけだし。」
「馬鹿言うな…。お前が目を覚まさない間、死にそうだったんだぞ、俺。」
「え?王子のキスで目を覚ますんじゃないの?」
「そんなの何度だってしてやるよ。…起きている間にな。」
「………。」
そこで、那津さんは手をのばしそっと聖悟くんに触れました。
互いの手を重ね、ぽつりと呟きます。
「…ごめんね、心配かけたね。」
まったくだ、と呟く聖悟くん。しかし、声に力がありません。
よく見れば顔色が悪く少々やつれているようですね。やはり、彼もかなり心配したのでしょう。
非情な現実世界で、王子のキスや魔法なんかいくら試したところで意味はありません。
童話劇の外の世界はそんなにやさしいものではないのですから。
そのことを聖悟くんは十分に分かっているのでした。
那津さんがもう一度ごめん、と呟くと彼はようやく頷きました。
「…ああ、ちなみに原因を作った信二と拓史は病院送りにしといたから。」
「え?この病院?」
「そうだ。何日か前は集中治療室に入ってたな。」
「…私より重症じゃない?」
「気のせい。」
そんな下らない言い合いをしながら笑い合う若い恋人たち。
それはいかにも平凡で、ありきたりで、平和で、日常的なありふれた風景。
しかし、多くの幸せで満ち溢れていました。
私はその様子を見守った後、静かに病室を出ました。
病院内の白い廊下を歩き、私はふと思い出しました。
――ああ、そうだこのお話だけ、まだきちんと終わらせていませんでしたね。
…そうですね。ナレーターとして最後の仕事でもしましょうか。
白雪姫に傍を奪われ、王妃は世界一美しい女性ではなくなってしまいました。
けれど、ある一人の男性の愛に気付き、彼の隣で末永く幸せに暮らしましたとさ。
めでたし、めでたし。
まあ、このような終わりでいいのではないでしょうか。
結局、最後まで一度も普通のエンディングにたどり着けなかったわけですが…
ま、これが『彼ら』ですからね…『普通』に終わるわけがないですよね。あはは。
さて、私も明日から忙しくなりますね。
新しい働き口を見つけなくてはなりませんし。
せいぜい彼らのような幸せを探すとしますか。
FIN
これにて童話劇も終了(打ち切り)です。
最後までお付き合いくださり、ありがとうございました!




