9.灰の中の手がかり
焦燥に駆られながら、クロエは午後の仕事を片付けた。
人目を盗んで探索はしたものの、アデルがファントムだという確信が持てるような手がかりは見つからない。
依然として怪しいのは東棟だ。いくらアデルのプライベートな領域とはいえ、クラウス以外の使用人は立ち入りが禁じられているという徹底ぶり。何か隠しておきたい秘密があると考えるのが自然だ。
とはいえ、東棟に入るのは容易ではない。
どうやら日中のほとんどの時間は厳重に鍵が掛けられているようだ。忍び込むにはリスクが大きい。
(あたしはなんて臆病なんだろう)
躊躇している暇なんて、ないのに。
せめて、もう少し情報があれば――。
「アーシュラインさん」
若いメイドの同僚の一人が、廊下でクロエに声をかけてきた。
「もしお時間が余ってらしたら、館のゴミをボイラー室の炉に焚べるのを手伝ってもらえませんか?」
「ボイラー室?」
「はい。厨房の地下にあります」
ボイラー室――廃棄物の処理装置。
そこで、ふと閃いた。
東棟でもゴミは出るはず。だとしたら。
「あの、つかぬことをうかがいますが、東棟のゴミもこの炉に焚べているのですか?」
「私にはわかりませんが、おそらく……クラウス様がゴミを出しているのだと思います。ときどき灰がなくなっているので、ついでに掃除もされているのかもしれません。アデル様のもっとも信頼されている側近なだけあって、すごい方ですよね」
「ええ……そうですね」
やはり、この地下にあるボイラー室は、東棟との接点になっている。
だとすれば、そこを調べれば何か見つかるかもしれない。いや、見つかるはずだ。そんな天啓めいた直感が、クロエの背中を押した。
◆
深夜。同室のメイドたちが寝静まるのを待ち、クロエは行動を開始した。肌着の上に、薄いガウンだけを羽織った姿で。
寝息を立てる女性たちを起こさないように音もなく、気配を消して部屋から出る。
暗く、冷たい廊下を裸足で歩いていく。クロエはあえて堂々としていた。あまりに怪しい振る舞いをしていては、誰かに見つかったときに言い訳が立たないからだ。
自然な所作で、しかし音を立てずに。クロエは廊下を進み一階へ。
厨房の奥へと進むと、地下へと続く階段がある。カビとわずかな石炭のにおいがする石階段は、ひんやりと冷たい。
ここで見つかったら、さすがに言い訳が困難だ。館の燃料を盗もうとしていると疑われるか、あるいはもっと酷いことになるか。クロエは慎重に歩を進めた。
階段を降りると、目の前には鉄の扉が立ち塞がる。調べるまでもなく、鍵がかかっているだろう。
クロエは薄い寝間着のスカートの裾をまくり上げると、太ももからガーターに挟んだピッキングツールを取り出した。鍵穴に差し込んで、探るようにツールを動かす。すると、一分もかからぬうちに解錠された。
きぃぃ……と錆びた音を立てて扉が開く。もしクラウスがいたら、ここまで思い切ったことはできなかった。たとえ気配を消しても、あの男は目ざとく察知してクロエを見つけていただろう。そんな予感がする。
ボイラー室に着いたクロエは、まずは周囲を見回す。処理していないゴミが残っていないか期待したけど、さすがにそれはなかった。
灰受けを開いて中を覗き込む。この燃え殻の中に、何かあるかもしれない。
だが、中を覗き込んでクロエは落胆した。灰がほとんど残っていない。クラウスが出かける前に処理していったのだろうか。手前のほうに少量残っているのは、おそらく今日の夕方にクロエたちが燃やした分の灰だろう。
クロエは一応、残った燃え殻を漁ってみた。館で働くために磨いた手が汚れることも構わずに。細い指で、焼けるように熱い灰をかきとるが、やはり何も見つからなかった。
(本当に……手がかりすらないの?)
焦燥が心を包む。それでも、クロエはどうしても諦めきれなかった。まだ。まだ、調べていない箇所が残っている。
それは灰受けの最奥の隅――シャベルの届かない、古い灰が積もって固まった場所だ。
クロエはガウンを脱ぎ、肌着だけの姿になると、灰受けの中へと頭から身体ごと潜り込んだ。
燃え盛る炉の、灼熱がクロエを包む。熱い。灰のにおいに喉がやられ、むせる。火に直接触れているわけではないとはいえ、このまま潜り続けていたら身が持たないだろう。
(……あたしは、絶対に見つけるんだ。エリーゼに繋がる、その手がかりを……)
奥に積もった灰へと手を伸ばす。導かれるように。
クロエは煤だらけになりながら、手で灰をかき出していく。何もない。けど、諦めずに、熱さで朦朧とする意識の中、がむしゃらに燃え殻を漁った。
そして、灰受けの隅まで手が届いたとき、指先が硬いものに触れた。
(なにか……ある……?)
小さな塊だ。灰ではない。金属?
クロエは人差し指と中指でその塊をつかむと、灰受けから体を引っ張り出すようにして抜け出した。
灰を払い、手元の塊を確認する。
直後、クロエは驚愕で目を見開いた。
「こ……れは……」
暗い感情が思考を支配し、クロエの体が震え、瞳が揺れる。
「エリーゼの……ロザリオ……?」
大切な人のたどった末路を予兆するかのように。
クロエの手の中には、焼けて変形した小さなロザリオがあった。




