7.酷薄執事の使用人試験
二日後、クロエは領主ウィーグバルトの館を訪れた。
目的は、館の使用人となって、アデル・ウィーグバルトに近づくこと。
そのために、偽りの名前と身分も用意した。
アーシュライン。それが、ここでのクロエの名である。
明君と名高いアデル・ウィーグバルトの領民からの人気は圧倒的だ。今回、使用人の席に空きができたからと張り出された募集の倍率は、百倍ほど。その中で、たった一人に選ばれなければならない。
それでも、クロエには勝算があった。
裏社会で身につけた演技力。若さ。そして、最近わかったことだが、クロエの容姿は天性のものと呼べるほど優れているらしい。きちんと着飾れば、名家の令嬢か、あるいは王族と見紛うほどに。
その思惑通り、一次試験と二次試験は問題なく突破することができた。
基本的な教養を身につけさせてくれた亡き神父と、類稀なる美貌を授けてくれた、顔も知らない両親に、クロエは心から感謝した。
次は最終試験。残ったのは数人。アデル・ウィーグバルトの片腕であるクラウス・ジョルセフとの面接である。
クロエが客間で待機していると、ノックのあとに扉が開いた。
「アーシュライン。あなたの番だ。応接室まで来たまえ」
なんと、クロエを呼びに来たのはクラウス・ジョルセフその人だった。
目元に濃いクマのある容姿端麗な男性。彼は優雅な動作で、ついてくるようにうながす。
おそらく、この段階から試験は始まっているのだろう。クロエは「悲劇の令嬢アーシュライン」として、淑女になりきってクラウスのもとへと歩み寄った。
「はい。アーシュラインでございます。クラウス様、お目にかかれて光栄です」
鈴を転がすような、か細くも芯のある声。
ドレスまではいかずとも、場にふさわしい上等な服を着たクロエが、スカートの裾を持ち上げて丁寧にカーテシーをする。
「ふむ」
クラウスが値踏みするような視線をクロエに向けてくる。まるで、こちらの皮膚の下――骨の髄まで透かして見ようとするような、冷たい視線。
得体の知れない恐怖がクロエの背筋を凍らせたが、それでも、わずかな指先の震えも見せないように制御し、滞りなく歩みを進めた。
応接室に着くなり、クラウスから着席するように指示をされた。
「失礼いたします」
言われた通りに、クロエは用意された椅子に座ったが、クラウスは座らなかった。必然、彼がこちらを見下ろす形になる。
「あ、あの……」
言いかけて、クロエは口をつぐんだ。
奇妙な状況だが、それについて質問や口答えをするのは得策ではないと判断したからだ。
「アーシュライン。絹織物の商人の娘。それも、豪商と呼べるほどの家柄のようだ。……なるほど、道理で。先ほどから、あなたの所作には気品がある。いくつもの上流階級の家で働いてきたというのも、嘘ではないようだ」
手元の書類に視線を落としながら、クラウスはつぶやくように言った。
「お褒めにあずかり、光栄です」
「しかし、家を失ったということだったが……いったいどういった経緯で? 差し支えなければ、うかがってもよいか」
「はい……お恥ずかしい話でございます」
平坦な声で問いかけるクラウスに対し、クロエはわずかに顔を伏せ、睫毛を揺らして、計算尽くされた哀愁の表情を浮かべる。
「ご存知の通り、かつて私の家は、南の海で広く絹織物を扱う商会を営んでいました。ですが、三年前……両親を乗せた船が嵐に呑まれ、海難事故で……」
「ほう。ご両親を」
「はい。残されたのは、莫大な借金だけでした。家も、財産も……すべてを失い……。それから私は、いくつかの屋敷で下働きをして過ごしてきました」
「……なるほど。そういう事情か」
わずかに、クラウスの表情が動いた。
それだけでは感情は読めないが、アーシュラインという悲劇の令嬢の出生に同情をしたのだろうか。だとしたら、好都合だ。
面接の手応えを感じて、小さく安堵の息を吐いたその瞬間、クラウスが突然、クロエの手首を掴んで引き寄せた。
「……っ」
男の長く骨張った手が――氷のように冷たいそれが、香油で念入りに手入れをされた少女の白い手のひらをなぞる。何かを確かめるように、何度も、念入りに。
「あの……ク、クラウス様……」
困惑するクロエに、クラウスが言い放った。
「硬いな。まるで、剣を扱う者のようだ」
クロエの心臓が跳ね上がる。
思わず手を引きそうになったが、それをなんとか自制した。ここで怪しまれるわけにはいかない。
口の中が乾くのを感じながらも、クロエは努めて平静を装う。声が震えるのを逆に利用し、まるで羞恥に駆られたように演技をする。
「……剣ではなく、斧でございます」
「なに?」
「はい。以前のお仕え先で、毎朝の薪割りを命じられておりました。……それで、このような手になってしまい……お恥ずかしい限りです」
そう言い切って、クロエは貞淑な令嬢の顔へと戻る。
その瞳をクラウスはしばし覗き込んだ後、握っていた手を離した。
「そうか、失礼した。……だが、慎重になるのも理解してほしい。アデル様は、尊く偉大なお方……その御身を危険にさらすわけにはいかないのでな」
アデル・ウィーグバルト。領主であるその男の話になると、クラウスの声と瞳が恍惚とした熱を帯びていく。
「この街を治める立場であるアデル様には、最上の環境で暮らしていただく必要がある。そのためにも、使用人になるのは、選ばれた優秀な人材だけだ」
「……はい。クラウス様」
苦々しい気持ちを隠しながら、クロエは返事をした。
「アーシュライン。あなたに、この名誉ある仕事が務まるかな?」
名誉――笑わせる。
クロエは内心で吐き捨てながら、淑女の顔でしとやかに答える。
「はい」
エリーゼの、大好きだった笑顔を思い浮かべながら。
あの夜。薔薇の匂い。最愛の人を奪った亡霊の姿が、アデル・ウィーグバルトの美貌と重なる。
ドロドロとした殺意は秘め、それを毅然とした決意に変えて、クロエは答えた。
「このアーシュライン、誠心誠意、務めさせていただきます」
儚くも、芯のある声。演技は完璧だった。そう思った。
だが、クラウスは沈黙していた。クロエの目を見つめながら。
やがて、クロエがごくりと息を呑んだところで、歩み寄ってきたクラウスが、クロエの細い顎に手を当てて持ち上げる。
「……何を、それほど憎んでいる」
「え……?」
何を言われているのかわからず、思わずクロエは問いを返してしまった。
「あなたの瞳は……その奥底に、怒りと憎悪を秘めている。私はその目を、よく知っている」
それを確認するように、彼は顔を近づけて、クロエの目を覗き込んだ。
逃げ場を探すように、クロエの瞳が揺れる。心臓がバクバクと音を立てた。
「もし……もし、だ。我が主に危害を加えようというのなら、この俺が即刻、お前を斬り伏せる」
濃いクマの刻まれた男の目が、獲物を見据えるように少女へと向けられる。
「さあ、答えろ」
うながされ、クロエはしばし瞳を閉じる。
わずかな沈黙。
それから、口を開いた。
「私は――」
この場を切り抜けるための答え。
それは――。
「――神を、憎んでいます」
クラウスの目が細まる。
「神だと?」
「はい。私は、私にこのような運命を与えた……主こそを憎み、怒り、憎悪しています」
賭けだった。
このような不信心な答え、普通であれば許されるはずもないだろう。名家の使用人になど、採用されるはずもない。
だけど――なぜかクロエには、これが最善だと思えた。
彼の鋭い目元が、ふっと歪んだ。
「……神……か……」
クラウスがクロエの顎から手を離す。
とくん、とくん、と心臓の鼓動だけが静寂に響いた。
「明日から――きみは、この館で働きたまえ」
突然の宣告。
唖然とするクロエを背に、「話は以上だ、アーシュライン。きみも今日は帰るといい」と、クラウスは応接室を出て、その場から去っていった。




