3.双子悪魔の誘惑
夢が終わり、館の寝室で目覚めると、隣にはアデルがベッドの脇にある椅子に腰掛けていた。
「シェリー……悪い夢を見たのかい?」
公務の疲れからか、わずかにかすれた彼の声。
「はい……どうして、わかったのですか?」
人形の体になったシェリーは涙を流せないどころか、表情を動かすのも一苦労なのに。
「わかるさ……そんなふうに泣いているのだから」
「わたくしは、涙を流せません……」
「それでも、きみの心は泣いている……僕にはわかる」
シェリーは照れながらアデルの顔を見ると、彼の表情が、どこか悲哀を帯びていることがわかった。
それは、シェリーを案じているからではない。もっと別の……深い悲しみ。
「アデル様こそ、とても悲しそうです……なにか、あったのですか?」
「え……」
アデルは少し戸惑いながら、数秒の沈黙の後に口を開く。
「……ごめん。きみに心配をかけてしまうなんて」
「いいのです。……何もできないわたくしにも、あなたの悲しみを、少しでも背負わせてください」
その言葉に、アデルはシェリーの細い体を抱きしめながら、絞り出すように言う。
「僕は……本当は罪深い人間なんだ。きみとこうして話すことも、しあわせを感じることも、許されないほどに」
「何をおっしゃるのですか。あなたは素晴らしい殿方です。心優しく、幼い頃より立派に公務をこなす……アデル様は、わたくしの憧れでございます」
すると、アデルはわずかに瞳を揺らし、どこか影のある微笑みを浮かべた。
「……ありがとう。シェリー。せめて、きみの前では……僕は、そう在ろうと思う」
◆
これより十年ほど前。
野盗の凶弾により家族を、そして最愛の人を亡くしたアデル・ウィーグバルトは、絶望の中で銃を手にし、剣の腕を磨いた。
シェリーの葬儀が終わると、アデルは翌日を待たずに私兵を率いて野盗の討伐に向かった。
戦いは凄惨を極めた。決して降伏を許さず、ひとり残らず野盗を皆殺しにした。
親組織から残党まで。余さず復讐を完遂したアデルだが、それでも悲しみからは解放されない。
それどころか、日が経つほどに喪失感が膨らんでいった。
「シェリー……きみに、会いたい。……声を聞きたい」
両親を失ったことで、のしかかる大量の公務。それを類稀なる才覚によってさばきながら、アデルは剣の修行をしては書物を読み漁っていた。
それらの書物の中で記載されていた、とある伝承がアデルの目に留まった。
人の形を成した泥に、死人の魂を込めて動かすという、禁忌の秘術だ。
もし、その秘術が本当に存在するのなら――。
アデルの若い心に、仄暗い炎が灯った。
最初はただの直感的なものだった。決して根拠などない、微睡の夢に逃避するようなもの。
しかし、アデルの執念が成し得たものだろうか。――思いがけず、それは次の一歩へと進展を見せた。
微睡の夢は、より深い悪夢へと変わった。
ある日、アデルは古い図書館を訪れた。伯爵家の権力を用いて禁書庫まで踏み入り、数々の文献を読み漁った末に、ついに手がかりを見つけたのだ。
『深き森の禁域に、魂の秘術を知る悪魔がいる』
悪魔。たとえ禁じられた秘術だろうと、悪魔の知恵を借りることになろうと、構わない。シェリーの魂を呼び戻すことができるのなら。
アデルは執務をクラウスに任せると、たった一人で旅に出た。
シェリーに、愛するきみに、もう一度会いたい。その想いだけを頼りに、アデルはいくつもの村を越えていく。
運命か。あるいはアデルの執念に興味を持ったのか。森をさまよう果てに、ついにアデルは禁書に記されていた悪魔と邂逅した。
それは、見た目は幼い少年と少女だった。
「……きみたちが、悪魔なのか?」
目の前の二人が、踊りながら、歌うように答える。
「そうだよ、お兄さん。ボクたちは――」「あたしたちは、アナタが探し求めていた悪魔よ」
気取った様子で一礼する少年と少女。同じ背丈で、よく似た顔立ちの二人だった。双子なのかもしれない。
可愛らしい外見の奥に潜む、底知れぬ邪悪な気配。こんな禁域に子どもがたった二人でいる不自然さもあり、悪魔や精霊の類だというのは疑いようがなかった。
「そうか。悪魔よ、我が名はアデル・ウィーグバルト。人形に死者の魂を宿すという禁じられた秘術を求めて、この地を訪れた」
怪しげな双子悪魔に、アデルは名乗りを上げた。
「もし秘術について心当たりがあれば、教えてくれ……! どんな小さなことでもいい!」
くすくす、と双子が笑う。無邪気な子どものようでありながら、嘲笑うような気配を孕んでいた。
「知っているよ」「知っているわ」
「ボクたちは死人の魂を呼び戻す方法を知っている」「あたしたちは、アナタの大切な人を蘇らせることができる」
大切な人。その言葉に、アデルは目を細める。
「……なぜ、シェリーのことまで知っているんだ」
カマをかけているようには思えなかった。心が読めるのだろうか? アデルは目の前の二人が本物の魔の者であることを、いまさらながら痛感する。
「ああ、愛しのシェリー。もう一度会いたい」「愛しのシェリー。その声を聞きたい」
「悪魔よ。ならば教えろ。どうすればシェリーの魂を呼び戻せる……!」
双子悪魔の昏い瞳が、アデルの真紅のそれを覗き込む。もったいぶるような沈黙の後、悪魔たちは語った。
「いいよ。アデルお兄さん。けどね……」「悪魔との契約には、代償が必要なの」
「代償……私の命が望みか? それなら、目的を果たした後であれば、いくらでも――」
アデルの提案を、悪魔たちが嘲笑う。
「あたしたちが欲しいのは娯楽よ」「人が闇に堕ちるその瞬間こそが、ボクたちの望み」「まずは、アナタの苦悩する姿を見せてちょうだい」
なんと悪趣味な子どもなのだろう。
いや、当然か。この双子は幼く見えるが、正体は邪悪な魔物なのだから。
悪魔が要求したのは、自分以外の生き物の命だった。なんでもいいのだけど、虫の命なんかじゃつまらないからと、野鳥の命を要求してきた。
アデルが野鳥を仕留めてくると、次は鹿だ。子鹿がいいとささやく。
その要求にもアデルが応え、子鹿を仕留めてくると、悪魔たちは喜び、次の要求を告げる。
「じゃあ、次はね――」
「まだ私に何かをやらせるのか?」
「うん。死者の魂を扱う秘術は、そう簡単には手に入らないよ」
次に言い渡されたターゲットは、人間だった。村の中、人気のない場所にアデルを連れてきた悪魔たちは、ボロ屋の窓から見える男を指差す。
「あの人間の心臓を狩ってきてほしいんだ」「あれは多くの悪事を働いた悪人よ。盗みに殺人、強姦……その罪は数え切れず、今も裁かれずに生きているの。価値のない人間よ」
アデルは悪魔たちを睨みつける。
「私に手を汚せというのか」
すると、悪魔たちはケラケラと笑う。
「そう。キミの大好きなシェリーのために」「奴を生かしておくと、また被害が増えるよ」
アデルは戸惑ったが、シェリーという名を聞いて目の色が変わった。あの大好きな笑顔を思い出す。彼女にもう一度、会うためなら――。
すでにこの手は、野盗どもの血で汚れている。いまさら何をためらうというのだ。
アデルはその男を暗殺して、吐き気を催しながらその命を悪魔たちに捧げた。
満足気に微笑んだ悪魔たちは、さらにアデルに告げる。
「よくやったね。……じゃあ次は、また人を殺してきてほしいんだ」「でも、今度は条件があるの。罪のない人」
「罪のない……だと?」
「そうだよ。前みたいな悪人じゃない」「シェリーを生き返らせるには、できるだけ綺麗な命が必要なの」
「綺麗な、命……」
綺麗な、誰よりも綺麗な少女を蘇らせるには、何よりも綺麗な命が必要――。
悪魔はアデルにそうささやいた。
「キミの覚悟を見せてほしい」「アナタの愛を見せてほしいの」




