13.冷酷執事の尋問
こつん……と、薄暗い地下室に響く靴音。
手枷と足枷をつけられ、鎖によって天井から吊るされたクロエは、うつむいていた顔を上げて、階段を降りて近づいてくるクラウス・ジョルセフを睨みつけた。
白い肌着のみをまとった無防備な姿で、地下の冷気と鎖の冷たさに震える少女に対し、男がまとうのは完璧に仕立て上げられた漆黒のウェストコート。上着は脱ぎ、その両手には純白の手袋をはめていた。
彼との距離が近づくにつれ、地下の埃っぽい空気を、かすかなベルガモットの香気が圧する。
ここは、地下ワインセラーを改造して作られた牢屋だろうか。入り口は鉄格子で塞がれていた。
「アーシュライン……いや、本名はクロエというのだったな。まあ、どちらでもいい」
返答の代わりにクロエは睨みつけた。すると、クラウスは白手袋に包まれた指で、クロエの顎を乱暴に持ち上げる。
「吐け。……外部に協力者がいるんだろう?」
クロエはわずかに視線を逸らし、沈黙した。今は無言でいることだけが、せめてもの抵抗だ。
すると、クラウスの指先はそのまま顎をなぞり、なめらかな首筋へと這い降りてくる。
どくん、どくん、と脈打つ首の動脈に、冷たい指が容赦なく食い込んだ。
「……っ、……か、はっ……」
呼吸と脈をせき止められ、クロエの表情が苦悶に歪む。華奢な首が折れそうなほどの力だった。骨がきしみ、鎖の擦れる音が地下室に響く。
クラウスは瞳に宿らせた憎悪を隠すことなく、クロエの喉をえぐり、絞めつける。
「……『いない』とも『知らない』とも言わず、黙秘するか。なるほど、吐かせるには多少の手間がかかりそうだ」
そう言って、ようやくクラウスはクロエの首から手を離した。
クロエは激しく咳き込みながら崩れ落ちそうになるが、天井から吊るされた手枷によって体が支えられ、うずくまることすらできない。
「あたし……は……」
涙目になり、必死に呼吸しながら、クロエは言葉を発した。
「いつだって……一人よ……協力者なんか、いない……」
「黙秘の次は、虚言か。……くだらん」
男の膝が、少女の細くくびれた腹部に叩きつけられる。
「がっ」
体が浮き上がり、空っぽの腹から胃液が込み上げてくる。
「……! げほっ、げほっ」
息ができない苦しさと激痛に震えるクロエ。その濡れ羽色の黒髪をつかみ上げながら、クラウスが告げる。
「お前が口にしていいのは、事実だけだ。それ以外の戯れ言は許さん」
「……事実……ね……」
朦朧とする意識の中で、クロエは不敵に笑った。
「……あなたの主人は、イカれてるわ」
瞬間、クラウスの表情が怒りに歪む。
「……至高の御方を侮辱するか。メイド風情が」
クラウスの冷酷な瞳が、クロエの激情の瞳を覗き込む。
男の冷たい偏執と狂気と、燃え尽きる直前の少女の強い意志が、互いにぶつかり合う。
「アデル様は尊い御方だ。この世のあらゆる形あるものよりも。その御前では、神でさえも霞む」
語るほどに、次第に熱を帯びる男の声。その異常性と威圧感に呑まれそうになりながらも、少女は強い勇気で言い返す。
「神様……ね。大きく出たわね。あれはただの連続殺人鬼。尊くなんかない」
クロエは深呼吸して、下腹部に力を入れて言葉を放った。
「主人もろとも、地獄に堕ちるといいわ」
それは、もはや意地だった。痛みと寒さに震えながら、立ち向かう少女の意地。
互いの憎悪の視線が、冷たい地下室でぶつかり合う。
「我が主は……」
クラウスは牢の入り口に置かれた鞄に目を向け、氷点下まで下がった声で言う。
「尋問するのであれば、お前の『美』を損なわないように注意しろと仰った。たとえ体は痛めつけても、その顔は傷つけるなと」
クラウスは革製の鞄の中から、いくつかの器具を取り出す。おぞましい拷問用の器具。その凶々しい造形に、クロエの背筋が凍り、ごくりと喉が鳴った。
「どうして、このような女に……。アデル様を傷つけようとしたお前に、そうまで配慮するのかはわからん。その崇高なお考えは、私には理解できない」
ふたたび歩み寄ってきたクラウスが、クロエを上から見下ろす。
「だが……たとえ制約があろうとも、お前の心身を責め立てる方法はいくらでもある。……その強がりがいつまで続くか、見ものだな」
その憎悪に濁った瞳を見て、感情を抑えた声を聞いて、クロエは気づいた。
(……この男は、あたしに執着している)
どうしてなのか、その理由は推測しかできない。だが、どうやら彼はクロエを責め立てて情報を引き出すことしか眼中にないように思える。
だとしたら。
協力者について直接調査されることがないのであれば、まだ希望はある。
(……あたしが、耐え続ければいい)
たとえどんな過酷な責め苦が待ち受けていようと、絶対に口を割らなければ。
そうすれば、バートという切り札は隠し通せる。
ああ、でも。
この冷酷な男の尋問に、耐え続けられるのだろうか。
(お願い……神様……。……エリーゼ……)
天国に行った、愛しい少女のことを想う。あの眩しいほどの笑顔を。
(三日間だけでいい。あたしに……力を……)
◆
領主ウィーグバルトの館、東棟の寝室。窓の外では、黒薔薇の花弁が緩やかに風に舞う。温室の天窓が開きっぱなしなのだろうか。
夜が明けて日が昇り、また日が沈むまでずっと、シェリーは恐怖に震えていた。
もちろん、暗殺者が屋敷に入り込んだことは恐ろしいことだが、それよりもシェリーが怖れていることがあった。
アデルを暗殺しようとしたメイド姿の少女の、憎しみが込められた瞳。その言葉。
もしかしたら、最愛の人は何か他人に恨まれるようなことを――取り返しのつかない罪を犯しているのかもしれない。そのことが、何よりも怖かった。
「大丈夫だよ。シェリー。……もう、恐れるものは、何もない」
アデルが優しく語りかける。ベッドに腰掛けたシェリーに、そっと寄り添いながら。
彼は、シェリーが短い眠りについているときも、ずっとそばにいてくれた。眠りから目覚めたときは、「怖い夢は見なかったか?」と微笑みながら労ってくれた。
こんなときでも、彼のその優しさがうれしくて、弱った心に染み渡っていく。
「はい。アデル様……わたくしはもう大丈夫です」
「そうか……よかった。でも、無理だけはしないでほしい」
そう言うと、アデルはベッドから立ち上がり、壁にかけてあった上着を羽織った。
「僕はこれから、外出してくる。……どうしても、やらなければならないことがあるからね」
やらなければならないこと。それが、自分のためであることは、なんとなくシェリーにはわかった。
しかし、それを止める言葉をシェリーは持ち合わせていない。
「はい。お帰りをお待ちしています」
「ああ。……そうだ、できるだけ館の地下には近づかないようにしてほしい」
「地下……ですか?」
「あまり気分のいいものではないからね。それじゃあ、シェリー……また後で」
寝室から――二人だけの空間から、出ていく彼の背を見送る。
そうして彼が館の東棟から出ていく気配を感じながら、シェリーはずっと考えていた。
自分の知らないところで、いったい何が起きているのか。あのメイド服の少女が言っていた、エリーゼという名前は何を意味するのだろうか。
シェリーは窓を開ける。眼下には薄闇の中に浮かぶ黒薔薇の温室。花弁が一つ舞い込んできて、ほのかに香る重く甘い香りに、どうしてか、メイド服の少女の殺意が込められた声が重なる。
――そんな……そんなもののために、大勢の……エリーゼの、ことを……。
あれはアデルだけでなく、シェリーにも向けられた言葉だった。
「わたくしは……知りたい」
真実を。
気づいたら、シェリーは動き出していた。




