12. 復讐少女の刃
恍惚と告げるアデル。その瞳に宿るのは、純然たる愛と狂気。
「アデル様……ここで、何を……なさって……」
クロエの口から漏れた疑問の声が途切れる。
混乱していく思考が、急激に冷めていく。クロエの中で、目の前の光景――自らの意思で動き、言葉すら話す少女の人形が、ある伝承へと繋がる。
◆
かつて、クロエとエリーゼの育ての親である神父がまだ健在だった頃。
ベッドの中で、彼が寝物語に語った伝承があった。
「……死者の魂を、物言わぬ人形に乗り移らせて操る、禁じられた秘術がある」
それは、悪魔と契約した者だけが扱える禁忌――。
「大勢の無垢な命を犠牲にして成り立つ術なのだという。いいかい。悪魔と出会っても、決してその言葉に耳を貸してはいけないよ……」
◆
クロエの思考が、過去の記憶から現実へと戻る。
死者の魂を呼び戻し、人形へと乗り移らせる禁忌の秘術。目の前で動き、言葉まで話してみせた、シェリーという少女の人形。
そして、大勢の無垢な犠牲者。
クロエの中で、それらが一本の線で繋がる。
「アデル様……まさか、あなたは、悪魔と契約したのですか?」
アデルは無言のまま微笑む。紅の眼光に、狂気を灯して。
その沈黙だけで、返答としては十分だった。
シェリーという少女人形に視線を向ける。ぞっとするほどに整った造形の、作り物に。
「そんな……そんなもののために、大勢の……エリーゼの、ことを……」
絶望の中でこぼしたクロエの小さなつぶやきが聞こえたのか、アデルの表情が曇る。心の底から、悲しく切ないというように。
「……エリーゼのことは、本当に申し訳なかった」
知っているのか。エリーゼを。――何よりも大切な義妹を。
憎しみを込め、そう視線で問いかけると、目の前の男は語る。
「知っているさ。……覚えているとも……この手にかけた、すべてを。……私のあらゆる罪を」
汚れた手を憂うように、男は自らの手のひらを見つめる。
「……すまない」
瞬間――、クロエの視界が赤く染まった。
深い悲しみと怒り、そして憎悪が心を支配する。
「アデル……ッ!!」
クロエは自らのスカートを縦に破くと、脚の付け根から短剣を引き抜いた。
瞳に殺意の火を滾らせながらアデルのもとへと走り、毒の塗られた刃を突き出す。
わずかに驚いた表情を見せるアデルの横で、少女人形が動いた。
「アデル様!」
人の限界を超えた反応速度で、少女の人形が二人の間に割り込む。
木材に刃を突き立てたような手応え。
毒の短剣の刃は、アデルをかばった人形のドレスを斬り裂き、その胴にわずかに傷をつけて止まった。
アデルの瞳が、自らが刃を向けられたとき以上に大きく、驚愕によって見開かれる。
「……大丈夫ですか、アデル様?」
自らが斬られたことなど意に介さず、少女の人形は主の身を案じる。
その歪な関係性に、クロエはめまいを覚えた。
「許せない……こんなことのために、エリーゼは……ッ!!」
クロエは人形の体に刺さったナイフを引き抜き、即座に男に向けて振るう。
だが、男は優雅な動作でそれを払いのけ、クロエの手首をつかんでひねり上げた。
「……あっ」
痛みに声を漏らす。手から離れた短剣が床に落ち、甲高い音を立てた。
クロエは苦し紛れに蹴りを放つが、それも易々と防がれてしまう。
そのまま両手首を片手でつかまれて、凄まじい力で頭上に持ち上げられる。
「……うわさ通り、きみは本当に美しいな。アーシュライン……いや、本当の名前はクロエというのかな?」
両手を封じられて無防備になったクロエの頬を、アデルの手指が撫でる。
「私に刃を向けるのはいい。それが裁きだというのなら、天命を受け入れよう。……だが、きみはシェリーを傷つけた。私の一番大切な人を……。それは、見過ごすことができない」
拘束されているからではない。まるで蛇に睨まれたように体が動かなかった。
そんなクロエの隙だらけな腹部を、急所である鳩尾を、館の主である男はしたたかに殴った。
「――かはっ!!」
信じられないほど重い一撃に、臓腑がひしゃげて息が詰まる。
ようやくアデルに両手を解放されたクロエだったが、激痛で動くことができず、床にうずくまってしまう。
直後、この寝室へと駆け寄ってくる足音とともに、かすかにベルガモットの香気を感じた。
「――アデル様!!」
「クラウスか。早かったね」
鬼気迫る表情で姿を現したのは、クラウス・ジョルセフ。今はまだ留守でいるはずの、アデルの側近だった。
「このような時間に申し訳ありません。何かを見落としているような……嫌な予感がいたしまして、アデル様の御身に危険が及んでいてはならないと、舞い戻りました」
(嫌な予感――ですって?)
そんな理由で、クラウスは用事を切り上げて戻ってきたのか。
クロエは愕然とする。
いずれにしても状況は最悪だ。せめて一矢報いてやりたいが、動くどころか呼吸すらままならない上に、アデルには隙がない。
「そうか。いいところに戻ってきてくれた。……これ以上、シェリーを怖がらせるわけにはいかないからね」
「承りました。我が主……この場は、私にお任せください」
「……ありがとう」
クラウスに意思が伝わったことを確認したアデルは、少女の人形をそっと抱きしめた。
「すまないね。シェリー……怖かったろう?」
「いえ……わたくしは大丈夫です。しかし……」
「もう平気だ。きみは、何も気にしなくていい。……ただ、僕のそばにいてくれるだけでいいんだ」
戸惑った様子の少女人形と、それをなだめる男。
クラウスは彼らを尊ぶように眺めた後、その視線をクロエのほうへと向ける。
一転して、まるで汚物を見るような目で。
「まさか、お前がアデル様を裏切るとはな」
いまだ声を出すことすらできないクロエは、激痛に耐えながら不敵な笑みを浮かべてみせた。
「……。躾のなっていないメイドには、教育が必要だ」
うずくまったクロエの頭を、クラウスが無造作に蹴り付ける。
容赦のない一撃を受け、一瞬、意識が暗転する。めまいとともにクロエは床へと投げ出された。
「アデル様。この女の処理は――」
「ああ。きみに任せよう」
「では、神聖なこの場所を汚すゴミを、片付けて参ります」
クラウスが、倒れ伏したクロエを担ぎ上げる。
「……離し……なさい……」
弱々しい声は、冷酷な一瞥で封じられる。
人形の少女をいたわるように抱きしめるアデルを寝室に残し、クロエは館の地下へと運ばれていった。




