第7話 三匹の獣
◇◇◇
目覚めたアルシャは、早々に橙色の目をこれでもかと輝かせて、大興奮していた。
何故なら、オルトラの姿が変身していたのだ。
燃えるような赤毛と、艶々とした黒毛が入り混じった錆色のもふもふ。太くて長いふわふわの尻尾。大きな耳はぴんと立っていて、その凛々しい顔立ちとすらっとした体躯は、狐と狼の特徴を交えたような犬姿――つまりは、〈錆犬〉の姿。食料調達の狩りのために、変身していたらしい。
アルシャは頬を桃色に染めて、うっとりと〈錆犬〉姿のオルトラを見つめる。
「わあ! か、かわ……かっこいい……なんてすてきなおすがた、なの!」
アルシャの感動の声に、オルトラは半眼になって口吻に皺を寄せる。
「……おい、見過ぎだ。何だその目は。気持ち悪い……」
「どうやら錆犬の姿が、アルシャのお気に召したようだね。今日は僕じゃなくて、オルトラに運んでもらうかい? アルシャ」
「いいの……!? ぜひ……!」
オルトラのもふもふに今すぐにでも触れたくて堪らないアルシャはクルアハに全力で頷いて見せると、錆犬姿のオルトラへと手を伸ばす。
「おい、待て……近寄るな!」
しかし、オルトラの威嚇するような怒号に、アルシャはびっくりしてしまって手を引っ込めた。その隙にオルトラは後方へと飛びずさり、低い唸り声を上げる。
「俺に触れるな……錆屑にされたいか?」
オルトラの言葉に、アルシャは恐る恐る尋ねる。
「わたくしが、さびくず……それは、オルトラの錆犬の魔法がじょうずにつかえないから? だから、オルトラにふれては、いけないの?」
「そうだ。俺の右腕に宿る魔法……錆の魔法は、制御が利かん。そして俺の錆は容易く、未来永劫に大地を腐らせ、他の生物をも皆殺しにする。お前もそうなりたいか? エルフ」
「……」
オルトラの問いに、アルシャは身体を縮こまらせて黙り込む。オルトラは変身を解いて人型に戻ると、鼻を鳴らして、アルシャに言い付けた。
「……いいか。決して俺に触れようとするな。それを肝に銘じろ」
「……は、い……わかったわ」
念を押してくるオルトラに、アルシャはしゅんとしながら小さく頷き返す。
目に見えて落ち込むアルシャを見かねたのか、そばで朝餉の準備をしていたクルアハが木製の椀を持ってきてその場に座ると、己の膝の上でアルシャを抱いた。
「気にしなくていいよ、アルシャ。オルトラは君に怒っているんじゃない。むしろ怖がっているんだ。いい歳してね」
「面白いことを言うなァ? てめぇ、その顔面嚙み砕かれたいか。クルアハ」
「君自身と同じ顔を嚙み砕く心境を、是非とも聞いてみたいよ」
クルアハの返しにオルトラは盛大な舌打ちを鳴らして、皮肉の応酬を切り上げる。口喧嘩はクルアハの方が一枚上手らしい。
クルアハはそっぽを向いたオルトラにも構わず、アルシャへと雑穀粥の椀と匙を手渡してきた。
「さあ。朝餉にしよう。ゆっくりお食べ、アルシャ」
「あ……ありがとう、クルアハ。いただき、ます……!」
アルシャは雑穀粥を受け取ると、拙い手つきで匙を使い、熱い粥を「ふう、ふう」と息で冷ましてゆっくり口の中へ運ぶ。
とろみのある粥はほんのり塩気が効いており、よく煮られた雑穀はぷつぷつと歯ごたえがある。つまりは――。
「わ、あ……! おいひい……! こんなにおいしいもの、はじめてよ!」
アルシャははふはふと白い息を吐き出しながら、目を輝かせてクルアハを振り向いた。クルアハはやはり無表情のままだったが、満足そうに頷いて見せる。
「君の口にあって良かった。腕によりをかけて作ったかいがあったよ」
「馬鹿。それ作ったの殆ど俺だろうが。炊事下手の脳筋狂犬が……」
アルシャは目を丸くして、オルトラとクルアハを交互に見やる。
するとクルアハはどこか楽しげに片手で口元を覆い、「おや。バレたか」とオルトラに流し目を送っている。クルアハの挑発するような流し目を受けたオルトラは、如何にも嫌そうに顔を歪めた。そんなオルトラへ、アルシャは感嘆の声を上げる。
「すごいわ、オルトラ! こんなにもおいしいものをつくれるなんて……! さあ、オルトラもいっしょにたべましょう! このおいしさを、オルトラもいっしょにあじわわないと!」
アルシャは美味なる雑穀粥の感動を共有するため、匙で粥をひとすくいすると、オルトラの方へと掲げて見せる。
「あーん」
「……」
「ほら、たべてみて。オルトラ……あむ……!?」
オルトラはアルシャの「あーん」を無視したかと思えば、アルシャから匙を取り上げて、そのままアルシャの口へと匙を突っ込んだ。
アルシャは反射的にオルトラからの「逆あーん」を受け入れ、驚きながらも美味なる雑穀粥を咀嚼する。
「俺はもう食ったからいい。お前がさっさと食え。出発するぞ」
「……おい、しい……」
「あ?」
アルシャが神妙な顔をして何度も「おいしい……すごい。もっと、おいしいわ……」と何度も繰り返すので、オルトラが怪訝そうな顔をする。
アルシャはどこか気恥しそうに視線を泳がせながらも、おずおずと上目遣いでオルトラを見上げて、オルトラにこんな提案をした。
「オルトラから『あーん』してもらってたべるの。とってもおいしい。オルトラ、これからももっと、わたくしに『あーん』、してくれる……?」
「……」
オルトラは目を閉じて、頭痛に耐えるように頭を抱えると、心底呆れ果てたような声を深いため息と共に絞り出した。
「……はあ……誰がするか。そんな面倒なこと……」
「では、アルシャのお食事担当はオルトラで決まりだね」
「もう黙れ……」
こうして三人は朝餉を終えると、出立の準備に取り掛かった。
出立直前になって、アルシャは木陰に隠れてひとり、しょぼくれていた。
それを目にしたのだろうオルトラが、如何にも億劫そうな声でクルアハへと尋ねる。
「おい。次は何だ」
「君のもふもふを触れなかったのが、今になって響いてきたようでね。相当、錆犬の姿がお気に召したらしい」
「あいつ……死ぬほどしつこいな……」
オルトラの呆れ声が聞こえる。
アルシャはますます木陰にへばりついて、縮こまった。そこでふと、アルシャの脇腹がツンと何かに押されて、アルシャは首を傾げて振り向く。そして、大きく目を丸くした。
そこに居たのは、真っ黒な毛並みをした〈錆犬〉――クルアハだった。どうやらクルアハの鼻に脇腹を押されたらしい。
クルアハの前足は錆犬用の義足に変形しており、歩く度にコツコツと小気味よい音が聞こえる。
クルアハがこてんとふわふわの首を傾げて、アルシャに問う。
「今日はこの姿の僕が君の足と成ろう。いかがだろうか、お嬢さん」
「わああ! いいの……!? ありがとお! クルアハ! ぜひ、おねがいします……!」
アルシャは、地面に低く伏せたクルアハの背に乗せてもらうと、クルアハの背中から落ちないように、オルトラに固定用のベルトも着けてもらった。
アルシャはくすくすと笑って「もふもふ……ごくじょうの、もふもふだわ……!」とクルアハのもふもふを堪能することも忘れない。
加えて、移動中の姿勢はなるべくクルアハの背に沿うように低く、しっかりクルアハにつかまるようにと、二人からの注意も心に留める。
そうして、オルトラも同じく〈錆犬〉の姿に変身すると、出立の準備は整った。
オルトラがアルシャとクルアハを目だけで振り向いて、声をかけてくる。
「この姿を保つのにも体力が削られる。いつも以上に足を速めるぞ、クルアハ」
「ああ、わかっているよ」
「振り落とされはしねぇだろうが……エルフ、目を回すなよ。道中に泣き言垂れても聞かねぇからな」
「はい……! わたくし、きをつけます!」
「どうだか」
アルシャの勢いの良い返事を聞くと、オルトラが妖しく笑って、先を駆け出す。それに続いて、クルアハも軽やかに駆け出した。
アルシャは姿勢を低くして、クルアハの背と己を固定するベルトにしがみつく。
二匹の錆犬はまるで風の如く、大地を舐めるように、自由自在に森を駆け抜けた。森の大地の激しい起伏もものともせず駆けて、駆けて、駆ける。
アルシャは思いがけず目をきらめかせて、歓喜の声を上げた。
「ふわ……すごい、すごいわ! オルトラ、クルアハ! わたくしも錆犬になって、はしっているみたい!」
「べらべら喋るな、エルフ。舌嚙むぞ」
興奮するアルシャにそうオルトラが返した後、「匂うな」と零して駆ける速さを落とすと、クルアハの隣に並ぶ。クルアハもオルトラの言葉に軽く頷いた。
「ああ。煙だね。周辺に誰かいるようだ」
「俺が先に行って別の道を見つけてくる。声聞こえたらついてこい」
「承知した」
そう残して、オルトラはどこかへ行ってしまう。
アルシャは「どうしたの?」と訊きたかったが、オルトラの言う通り舌を嚙みそうになったので控えた。するとしばらくして、どこからともなく遠吠えが聴こえた。
「オルトラの声だ。どうやら、いい道を見つけたようだね」
クルアハがそうアルシャに言い聞かせると、クルアハも伸びやかな遠吠えを上げつつ、進行方向を転換した。
その後すぐにオルトラと再会する。
アルシャは目をしばたたかせて、舌を噛まないように気を付けながら、二人へと短く問いかけた。
「遠吠えでおはなしができるの?」
アルシャの問いに、二人が揃って答える。
「これが錆犬の言葉だ」
「そうだね。他人に聞かれたくない内緒話とかにもってこいの言葉だよ」
オルトラは淡々と返し、クルアハは少し笑っているようだった。
アルシャは息がぴったりの二人に目を輝かせて、少しだけ顔を上げる。
「わたくしも、あなたたちとないしょ話がしたいわ」
そう言って顔を上げたアルシャは、二人を真似て吠えて見せた。そんなアルシャの吠え声を聞いた二人が、同時に「ふは」と噴き出す。
「ふふ。なかなか良い声じゃないか。アルシャは耳が良いね」
「馬鹿。どこがだ。吠え方がまったくなってねぇ。子猫の産声かよ」
可笑しそうに笑っている二人は楽しそうで、でもどこか嬉しそうにも見えた。
そんな二人の姿を見ていると、アルシャも何だか全身が浮き立つように途轍もなく嬉しくなって、頬を膨らませながらも、笑いが堪え切れなかった。
「むう……ふふ。わたくし、いっぱいれんしゅうするわ。わたくしもないしょ話の遠吠えを、ふたりとしたいもの」




