第4話 幼女と双子おじ様の旅立ち
「ふぅ……これで、あんしんして人間さんたちからにげられるわね」
アルシャは閉じていた目を開けると、小さく息を吐く。すると、いつの間にか目の前に、アルシャの視線に合わせるよう跪いた黒髪男がいた。その背後には、錆色男もこちらを見下ろすように立っている。
「また助けられたよ。本当にありがとう、アルシャ。それにしても、君の魔法……長く生きる僕たちでも見たこともない魔法だ。凄いね?」
黒髪男が小首を傾げて、アルシャを覗き込んでくる。無表情ながらもその目は好奇心に満ちているようで、どうやらアルシャの魔法に興味があるらしい。それがわかったアルシャは、ぱあっと目を輝かせ、早口で語り出す。
「わたくしの魔法は、〈ヤドリギ魔法〉というの! わたくしのヤドリギは、万象をつないで、あらゆるちからを借りうけたり、貸しあたえたりすることができる。げんきや魔法、それに時をも超えるちから……借りられるちからは、多岐にわたるわ。おそとの人間さんたちからは、げんきを借りて、人間さんたちをねむらせる大樹と〈揺り籠〉をそだてたのよ!」
「……時超えの力まで……失われた古代魔法ばかりじゃねぇか」
アルシャの語りに、黒髪男は「成程……実に興味深い魔法だね」と考え込むように頷き、錆色男は「何もかも規格外が過ぎる」と呆れ果てたように息を吐く。
どこか上の空な二人にも構わず、アルシャのおっとりとした拙くもよく回る早口は止まらない。
「わたくしも、あなたたちにききたいことがたくさんあるわ! おなまえは?」
「ああ。そういえばまだ名乗っていなかったね。僕たちは……」
「どこからきたの?」
アルシャの口は止まらない。
黒髪男の声が遮られた。錆色男が片眉をぴくりと動かして、低い声を漏らす。
「……おい」
「すきなたべものはなあに?」
「おい」
「わたくしはコケモモがすき!」
「待て待て待て。いったん黙れ、エルフ」
錆色男の制止の声を受けて、アルシャは「あっ」と声を漏らす。
ようやくアルシャの矢継ぎ早の口が止まったかと思ったのか、男二人が小さく息を吐く。しかし、アルシャの口は止まってなどいなかった。
「おふたかた、おそとでわたくしをさがしている人間さんをみかけなかった? わたくし、こまっている人間さんたちをおてつだいしなきゃ、いけないの」
アルシャの問いかけには、錆色男が眉間に深い皺を寄せたまま答えた。
「外には、確かに大昔にでも人が住んでいただろう痕跡はあった。だが、この場所は森に吞まれかけた遺跡と化していた。つまり、この辺りにあったと推測される人間の国はとっくに滅んでいる」
「……!」
錆色男の答えに、アルシャは目を瞠って小さく息を呑んだ。動揺するアルシャにも構わず、錆色男は容赦なく、アルシャへと現実を叩きつけてくる。
「エルフ。お前さっき、百年は眠っていたかと言っていたな? ならば、一国なんぞ百年で容易く滅びる。お前のいう人間共も、とっくの昔に死に腐っているだろう」
錆色男の語る、アルシャが目を背けていた事実に、アルシャは力なく顔を俯かせる。そんなアルシャを見かねてか、黒髪男の方が錆色男の声を静かに遮った。
「こら、オルトラ。言い方」
「うるせぇ。こういうのははっきり解らせた方が良いに決まっている」
「そう……そう、ね。わすれていたわ」
アルシャは俯いたまま、ゆるゆると頭を振って見せる。
「人間さんたちは、すぐにいなくなってしまうものなのに。わたくしは、人間さんたちになにもしてあげられないまま、ねむってしまって……わたくしは、悪い子ね」
橙色の目を固く閉じ、アルシャは未だ拭えない寒さを紛らわすため、己のか細い身体を両腕で抱きしめる。
「もう、わたくしをひつようとしてくれる人間さんたちは、いない。わたくし、またひとりぼっち。どう、すれば……いいのかしら……」
アルシャは途方に暮れた。これから、どうやって生きていけばいいのだろうと。
目に見えて落ち込んでいるアルシャの頭上で、ひそひそと男たちの声が降ってくる。
「おい、クルアハ。何だその顔は……まさかてめぇ、ふざけたこと考えてんじゃ……」
「オルトラ。君は少し静かにしていて」
不意に、アルシャの細い肩に、大きくて硬い手が置かれた。まるで鋼鉄のような手だった。アルシャはその手の硬さに驚いて、ぱっと顔を上げる。
すると、目の前には黒髪男の姿があった。黒髪男は跪いた状態から更に屈みこみ、アルシャを見上げるように覗き込んでくる。
「アルシャ。まずは名乗らせていただくね。僕の名はクルアハ・ヴァナルガンド。そして、あちらの男は僕の双子のきょうだい。オルトラ・ヴァナルガンドだ」
冷徹そうに見えて意外にも言動は紳士的な黒髪男の名は、クルアハ。
クルアハのすぐ後ろに立っている、ちょっと乱暴そうでクルアハよりも表情豊かな錆色髭男の名は、オルトラ。
同じ顔、同じ背丈、同じ瞳の色をした二人は、やはり双子だったらしい。
アルシャは双子の男たちの名を胸に刻むと、小さく頷いて見せる。
クルアハは少し微笑んでいるようにも見える無表情で頷き返してくれると、小首を傾げてアルシャへと、こう尋ねてきた。
「アルシャ。何処にも行くあてがないのなら、僕たちと共にくるかい?」
「え……?」
クルアハからの予想だにしない問いかけに、アルシャは間の抜けた声を漏らす。そんなアルシャにも構わず、クルアハはゆっくりと言い聞かせるように言葉を続けた。
「僕たちは稀少民族〈錆犬〉の最後の生き残りでね。そこで、人間たちの脅威に脅かされない異人類の楽園〈ヴィーザル神聖国〉を目指して旅をしているんだ。きっとヴィーザルは、エルフである君にも居心地が良い場所だと思うのだけれど」
「いかがだろうか」とアルシャに問いかけてくるクルアハに、オルトラが思い切り眉を顰めて「おい」と何かを言いかける。しかしクルアハが片手を軽く掲げたことで、オルトラは制された。
アルシャはクルアハからの思いがけない提案に、ずっとぽかんとしていたが、我に返ると、どこか遠慮がちに上目遣いでクルアハとオルトラを見上げる。
「で、でも……わたくし、どこにもいけないわ。だって、ひとりじゃあるけないんだもの……」
両手の指を組んで、痛みをこらえるかのように震えているアルシャへ、クルアハは間髪を容れずに応えた。
「アルシャ。これから君は、独りじゃない。僕たちが居る。そして僕たちが、君の足と成るよ」
そう言い終わらぬうちに、クルアハが軽々とアルシャを抱き上げた。初めて誰かに抱き上げられたアルシャは、驚きと共に、クルアハの両腕が生身のものではないこと――義手であることを、密かに確信した。
それでも、アルシャを抱いてくれるクルアハの腕は、何よりもやさしくて、力強くて、温かいものだと思わずにはいられなかった。
「ほら。これで君は何処にでも行けるね?」
「……!」
クルアハの言葉に、アルシャは胸の深奥からぱちぱちと火花のような熱が散るのを感じる。
「いい、の……? わたくしも、つれてってくれる……?」
「むしろこちらが伺いたい。君は僕たちの命を救ってくれた、紛れもない恩人だ。ゆえに、君に恩返しがしたいんだ。僕たちと共に、来てくれないかい?」
アルシャの中で、途轍もない喜びの熱が弾けた。アルシャは頬を赤らめさせて、橙色の瞳をきらきらと煌めかせると、何度も頷いて見せる。
「……いき、たい! わたくし、あなたたちといっしょにいきたいわ!」
アルシャの答えに、クルアハが無表情ながらも満足そうに笑みの吐息を零す。
「ふふ。ありがとう。決まりだね――ということだ。オルトラ。勿論、君も喜んで僕と共にこの子の足になってくれるね?」
クルアハが、片手で頭を抱えているオルトラを振り向く。オルトラは深く長いため息をこれ見よがしに吐き出した。
「ということだ、じゃねぇ……はあ……全部勝手に決めやがって。狂犬が」
しかしオルトラは、すぐに錆色の髪を掻き乱すと、どこか覚悟を決めたように、薄らと隈で縁どられた青い眼差しを、アルシャに向ける。
まるで青い炎が燃えているような眼差しだと、アルシャは少しだけ、どきっとした。
「だが、確かに。この厄介そうなエルフにいつまでも借りを作っておくのは御免被る」
オルトラのその言葉は、つまり――アルシャの同行を許可する、ということだった。
アルシャはまた、ぱあっと頬を赤らめさせて、クルアハとオルトラの顔を交互に見る。
「わあ……! うれしい! ありがとお、クルアハ! オルトラ!」
「喚くな、エルフ。さっさと行くぞ、クルアハ。人間共の追っ手が来る前に、森へ入る」
「ああ。そうしよう。では行こうか、アルシャ」
三人は連れ立って、寄生木に埋もれた廃墟の砦を出てゆく。
こうしてアルシャは、新たなる旅立ちを迎えた。




