第3話 金枝の魔法
◇◇◇
目覚めたアルシャはすぐさま、苔むした石畳の地面をぺたぺたと触る。
「この、けいねんれっか……あれから百年くらい、ねむっていたのね。おねぼうさんは、いけないことだわ……あら?」
アルシャがふと視線を上げると、すぐそこには一人の壮年の男が酷く驚愕したように固まって、アルシャを凝視していた。
錆色の髪。そんな髪の隙間から覗く鋭い目は、空よりも海よりも青くて、よく映える。背丈は人間にしては随分と大きい。人相の悪さに反して、清潔感が保たれた短い口髭と顎髭は、髪と同じ錆色だった。
そんな観察をしていると、アルシャはとあることに気が付く。
どうにも、この錆色男は弱っているようだった。傷ついた人は守らねばならないと、アルシャはすぐに心配が胸を突いて、声をかける。男はびくりと身体を震わせた。
「あなた、とってもおけがをしているわ。だいじょうぶ? わたくしが……あっ」
不意に視界の端に何かが映った気がして、そちらを振り向くと、そこにもう一人男が横たわっていることにアルシャは気が付いた。
しかも、死にかけている。
それを一目見て悟ったアルシャは、慌てて両腕を使って地面を這いずり、死にかけの男の方へと近寄った。
「たいへん……!」
死にかけている男は壮年でありながら涼やかな美丈夫だったが、よく見れば錆色の男と全く同じ顔をしていた。違うのは、髭が生えていないことと、死にかけの男の方は黒曜石のような黒髪であることぐらいだろうか。身だしなみに拘りがあるのか、整髪剤らしき匂いがする。今はもう、その美しい黒髪は血で汚れ、乱れ切っているが。
顔立ちからして、二人の男は血縁者だろう。そう判断したアルシャは、錆色男を振り向き、問いかける。
「このおかた、ひどいきずよ。このままでは死んでしまう。わたくしの魔法を、このおかたにつかってもいいかしら?」
アルシャの問いに、錆色男がはっと息を呑んだ。すると途端に、錆色男がアルシャと黒髪男の傍に駆け寄ってきて、「信じられない」とでも言いたげな、しかし一縷の望みに縋るような顔で、小さく問いただしてくる。
「……お前、治せるのか……?」
「なおせるわ」
アルシャは間髪を容れずに頷く。
錆色男が、ぎゅっと眉根を寄せると、即座にアルシャへと頷き返した。
「頼む」
返事を聞いた瞬間、アルシャは黒髪男へ右手を翳す。左手は、地面へと置いた。
『天地
片割れ
生ける森羅
我は帰し、返し、還す者
汝の血を借り受ける
いずれ理の下に血を還す
咲い 裂い 割いて 血潮をさく 血を巡らす 血を繋ぐ 血を結ぶ』
アルシャが歌うと、黒髪男に翳した右手から大量の寄生木が生えてきて、黒髪男の全身を覆い尽くした。
一方左手は、大地に根のような光と呪文列を張り巡らせ、「どくん、どくん」と脈動する。
アルシャの左手が大地から黄金の光を吸い取り、アルシャと寄生木を伝って、黒髪男へと光が注がれてゆく。黒髪男の傷が、みるみるうちに塞がってゆく。
「か……っは……」
黒髪男が息を吹き返した。
それに錆色男がすぐさま反応し、「クルアハ? おいクルアハ!」と呼び掛ける。すると黒髪男は、ゆるゆると青い目を開けて、不思議そうに目をしばたたかせながら上体を起こした。
「……オル、トラ……? 僕は、いったい……」
「……この、馬鹿が……!」
錆色男が深いため息を吐き出しつつ、息を吹き返した黒髪男の肩を手で掴む。
アルシャは黒髪男に纏わりついた寄生木を払ってあげて、ほっと息を吐いた。
「まにあってよかったわ。あなた、おからだにヘンなところはない?」
「あ……ああ。僕は何ともないよ。それより、お嬢さん。君は……?」
アルシャを見て首を傾げる黒髪男に、錆色男が声をかける。
「こいつの魔法で、死にかけだったてめぇは息を吹き返したんだ」
「なんと。そうなのかい?」
「ああ」
二人は同じ顔を見合わせると、黒髪男が「では、まずは礼を尽くさねばならないね」と言って互いに頷き合い、アルシャを揃って振り向く。
「君、お名前を教えていただいても構わないかな?」
「え。わたくし? わたくしは……アルシャ。アルシャよ」
名前を訊かれることなど数百年ぶりだったので、アルシャはたどたどしく名乗る。
すると、二人は全く同じ仕草でアルシャに深く頷いて見せ、同時に口を開いた。
「恩に着る」
「本当にありがとう、アルシャ。君は命の恩人だ」
アルシャは思いがけず、大きく目を見開く。途端に、頬が恥ずかしいくらいに熱くなった気がした。
だって、はじめてだったのだ。
誰かに、こんなにも真っ直ぐに、お礼を言われるなんて。感謝してもらえるなんて。
アルシャが初めての経験にどぎまぎして、熱くなった頬を両手で押さえた瞬間。
どん! と。砦が大きく揺さぶられるほどの衝撃が走った。天井からはばらばらと砂埃やら小石が降り注いできて、三人は揃ってよろける。
錆色男が舌打ちを鳴らして険しい顔をすると、すぐさま立ち上がって砦の外を睨んだ。
「投石機だ。くそっ……人間共が。もうすぐそこまで来てやがる」
釣られて黒髪男が鋭い眼差しで錆色男を見上げる。
「早々にここを離れた方が良さそうだね」
「ああ。逃げるぞ。またてめぇに死なれちゃかなわねぇ……脳筋野郎が。二度と俺を庇うような真似はするな。次は殺す」
「悪かったよ。だからそう怒らないで、オルトラ」
立ち上がった二人を見上げて、アルシャはこてんと小首を傾げた。
「にげる……? あなたがたは、にげたいの?」
アルシャの問いに、錆色男が眉を顰めながら答える。
「そうだ。俺たちは糞人間共に……〈大陸連合〉の軍に追われている。クルアハは回復したとはいえ死にかけ。俺ももう魔法を使える余力はねぇ。ゆえに逃げるしかねぇんだよ。情けないことにな」
錆色男がまた舌打ちを鳴らす。アルシャはそんな錆色男が語った言葉を、こう解釈した。
「人間さんたちから、にげたい……それは、『お願い』ね」
「……アルシャ?」
アルシャの独り言に、黒髪男が首を傾げる。アルシャは彼らに構わず、久方ぶりに聞いた〈お願い〉に、使命感を抱いていた。
(『お願い』はかなえてあげたい。それに、このおかたたちはきずついているから……わたくしが、まもらないといけないわ)
アルシャは小さな両の掌を上に向けて、指先を重ね合わせる。
『人間の皆々様。そのおちから、おかりいたします』
その両手を軽く掲げて、アルシャは再び魔法を歌い始めた。
『天地
片割れ
生ける人の子
我は帰し、返し、還す者
汝の血を借り受ける
いずれ理の下に血を還す
時よ澱め
水よ眠れ
我が揺籃に
金枝の下に
夢をとこしえ敷き詰める』
アルシャの座っている地面から、再び大地へと光の根がどこまでも根付いてゆく。光の根は遥か遠くまで伸びてゆき、遂には錆色男たちを追っているという軍勢にまで届いた。
目を閉じたアルシャには、軍勢の姿が己の掌中にあるように視える。アルシャは「みつけた」と呟くと、掲げていた両手を徐々にくるりと握るように丸めてゆく。
アルシャは心で想像する。
己の魔法を、より鮮明に、自由に。
(人間さんたちのげんきをすいとって、ねむりについてもらいましょう。そのげんきで、おおきな樹を創って……わたくしのヤドリギの〈揺り籠〉に封印する。ヤドリギと樹はつながっているから。げんきはめぐりつづけて、死んでしまうことはないわ。にくたいも、老いたりしない。だから)
アルシャの思うが儘、軍勢の中心から巨大な大樹が生え出て聳え立つ。大樹は光の粒を迸らせ、枝葉を人間たちへと伸ばす。
すると、人間たちはたちまちその場に跪き、彼らの身体からは大量の寄生木が鬱蒼と生えた。寄生木は〈揺り籠〉となり、人間たちを余すことなく包むと、大樹の枝葉へとぶら下がってゆく。
(百年、幾千年……ほんのちょっとだけ。ねむりましょう。やすらかに。おやすみなさい)
こうして、アルシャによる何百人もの人間の一斉封印は、完成した。
砦の窓から、人間の軍勢がアルシャの魔法によって壊滅した様を、錆色男と黒髪男は茫然と見ていた。二人は目が乾くほどに瞠目したまま、それぞれに独り言ちる。
「大陸連合の軍を、一瞬で完全封印させるとは……まさか、この子は……」
「羽角のような長耳に、この計り知れない強大な魔法……やはり、このガキ……」
二人の声が、溶けるように重なる。
「伝説の古代異人類。魔法の祖――〈エルフ〉」
二人は互いに顔を見合わせる。そして、黒髪男の方が、常なる無表情を微かに綻ばせて、小さく笑った。
「珍しいね。僕たちが双子らしく同じことを考えつくなんて」
「……気色悪いこと言うな。死にかけ狂犬」
錆色男の方は、随分と居心地悪そうにそう吐き捨てた。




