第15話 ヤドリギ姫と目覚めの錆犬
◇◇◇
オルトラとクルアハは、古城を目指して戦場を駆け抜けていた。
二人はいよいよ軍勢の過半数以上を仕留め、軍を撤退へと追いやっていた。
そこでふと、オルトラは弾かれたように振り向く。美しい、遠吠えの音が確かに聞こえたのだ。己を呼ぶ遠吠えが。
『オルトラ――。クルアハ――』
『何処にいるの――?』
遠吠えが聴こえた方向には、アルシャが囚われているだろう古城が見える。だがその古城はいつの間にか巨大な大樹に呑み込まれており、周辺にいる人間の兵たちも、その大樹に次々と吊るされていっているようだった。
オルトラは大きく目を瞠り、思いがけず声を上げる。
「あの魔法は……あいつだ。あいつの遠吠えが聴こえる!」
オルトラの叫びに、駆けるクルアハが応える。
「成程。良い時機だ。ちょうど古城の前の軍が退きはじめた」
クルアハが敵を義足の爪で屠りながら、淡々とオルトラに言い付ける。
「オルトラ、君が先に行け。アルシャを迎えに行くんだ。敵を引き付けるのは、僕に任せて」
「! ……わかった。俺が行く」
即座にオルトラは頷くと、クルアハの首を力強く叩いて、彼の錆犬の耳に口を寄せた。
「しっかりやれ。狂犬」
「君もね。アルシャを頼んだよ」
オルトラはクルアハから飛び降り、古城目掛けてひたすらに走る。
そう時も経たずにオルトラは古城の門前まで辿り着いた。
『オルトラ――見つけた――』
不意に頭上から、先程オルトラが聞いたアルシャのものと思われる遠吠えが聞こえてきた。思いがけずオルトラは、弾かれたように頭上を見上げる。
すると、古城の尖塔に誰かが立ち、こちらを見下ろしている姿を見つける。目を凝らしてその人物を凝視したオルトラは、己の目を疑った。
その人物は――かつてアルシャが眠っていた遺跡で遭遇した、美しい女だったのだ。
(あの女は……? 俺の幻覚じゃ、なかったのか?)
混乱せずにはいられないオルトラにも構わない様子で、女は目元を仄かに赤らめて、子どものように屈託なく笑う。
『……また逢ったな。オルトラ』
女はやはり、錆犬の遠吠えで話しかけてきた。オルトラは右腕に錆の魔法を顕現させて警戒しつつ、女を睨み上げる。
『てめぇ……何者だ?』
『……そうね』
オルトラの短い問いに女は一瞬だけ瞳を揺らし、僅かに視線を漂わせると、「ふ」と微笑みの吐息を漏らして、再びオルトラを真っ直ぐに見据えた。
『わたくしは、真実の愛のもとに――金枝の下に現れる者。また逢おう、錆犬王の片割れ。案ずるな。アルシャはこの下に居る』
『! ……アルシャ!』
女の口から出たアルシャの安否に、居ても立ってもいられず、オルトラは女の存在も忘れて古城の中へと駆け込む。
そんなオルトラの背中をいつまでも見つめていた女は柔らかに微笑みつつ、その身体は次第に光り輝く寄生木の揺り籠へと呑まれていった。
「ずっと待っているわ……わたくしのオルトラ」
◇◇◇
アルシャはふと、誰かに呼ばれているような気がして目が覚めた。ゆっくりと視線を巡らせてみると、四方八方が黄金の寄生木で覆われている。
どうやらアルシャは寄生木の揺り籠の中にいるらしい。
(わたくしじしんにかけた、ヤドリギ魔法は……解けたのね……じょうずにできたみたいで、よかった)
アルシャはほっと安堵の息を吐く。
(はやく、ここをでて……オルトラとクルアハを、お迎えに、いかなきゃ……)
アルシャは立ち上がろうとするが、すぐに転んでしまう。思わず目を瞠って、アルシャは己の足を振り向く。
アルシャはそこで、オルトラとクルアハから貰った足が無くなってしまったことを思い出した。
「あしが……! これではわたくし、どこにもいけないわ……そんな……」
アルシャは鼻の奥がツンと痛くなり、目の奥が焼けるような熱を持ち始めて、呼吸も苦しくなってくる。
「……オルトラ、クルアハ……どこ。どこに、いるの……?」
オルトラとクルアハ、二人との繋がりである義足を失ってしまったことを認識したことで、アルシャは途端に途轍もなく心細くなってくる。
「わたくしは、ここにいるわ」
アルシャは必死になって、虚空に手を伸ばした。必死になって、オルトラとクルアハを求めて嗄れた声を振り絞った。
「だから、だから……ひとりぼっちに、しないで……!」
「ア――シャ――アル――!」
不意に、遠くで聞き慣れた低音の声が響いた。
初めて聞くような、酷く焦っているような声だった。少しだけ震えて、嗄れているその声は、徐々にアルシャへと近づいてくる。
「……シャ……ア……ルシャ! アルシャ!」
間違いない。オルトラの声だ。
アルシャはオルトラの声に無我夢中で応える。
「オル、トラ……オルトラ……オルトラ!」
寄生木の揺り籠をこじ開けようとするが、アルシャの手では何故だかビクともしなかった。しかし、すぐに寄生木の揺り籠に幾筋もの光が差し込んでくる。
その瞬間は、刹那にも、永久にも思えた。
オルトラがヤドリギの揺り籠を掻き分けて破り、アルシャと目が合った。
アルシャが腕を伸ばす前に、アルシャの全身はオルトラの逞しい腕に攫われて、強く、何よりも強く、抱きすくめられた。
アルシャは、あんなにも触れられることを拒絶していたオルトラに抱きしめられて、戸惑いつつも、胸が熱くなる。沸々と沸騰するような喜びが、心臓で弾ける。
「オル……トラ……わた、くし……」
「置いていくな」
「……え……?」
「もう二度と置いていくな。俺たちを」
オルトラの今までに聞いたことが無い、まるで縋るような――祈るような声に、アルシャがここまで堪えてきた様々な激情が爆発した。
さみしかった。
心許なかった。
こわかった。
あなたに逢えて嬉しい。
本当に嬉しい。温かい。もっと、抱きしめて。もっと強く、閉じ込めて。そばにいて。もっと、もっと、もっと!
アルシャの目から、熱い何かがぼろぼろと溢れ出す。
きっと、炎の水の珠がアルシャの頬を焼いているのかもしれない。
この感覚には、幾千年ぶりかの懐かしさがある。
アルシャは今、幾千年ぶりに――泣いているのだ。
「う、あ……うあああああああ……! ごめんな、さ……! わたくし、も……こわくて、さみしくて、やだったぁ……!」
堰を切ったように泣き出すアルシャ。
その涙は、千年分のアルシャの想いが詰まりに詰まっていた。
「……おいていっちゃって、ごめ、なさい……ないてしまって、ごめんなさい……!」
「ばか。子どもはこうやってやんちゃして、死ぬほど泣き喚くものだ――ようやく泣けるようになったじゃねぇか。それでいい。思う存分泣け」
嗚咽を漏らして、顔をぐちゃぐちゃにして泣くアルシャの小さな頭を、オルトラの大きな片手が包み込んで支えてくれる。
骨ばったごつごつとした手なのに、オルトラの手つきは何よりもやさしかった。柔らかかった。冷たいはずなのに、温かくて堪らなかった。
「……お前はこんなにも小さくて、軽くて、小枝同然にか細かったのか……厄介な」
オルトラの分厚い胸が安心しきったように大きく上下し、オルトラの太い頸から大きく突出している喉頭隆起がどこか不安げに動いて、こくりと息を呑んだ。
「もっと……もっと大きくなれ。アルシャ。そうでないと、いつまでたっても、お前から目が離せないだろうが」




