第10話 冷黒の錆犬
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それから三人は、また森を進み始めた。
アルシャは森の中を歩くのに未だ慣れていないので、やはりクルアハに抱っこされることになる。だが、毎日の歩行走行練習は欠かさなかった。
夕暮れ時。クルアハに天幕の準備を任せて、歩行練習も兼ねたアルシャとオルトラは、水と食料の調達のため、二人で川辺にまで来ていた。
水と食料調達をある程度済ませたアルシャは、オルトラに勧められて川辺で水浴びをしようとしていた。オルトラはすぐ近くの木陰で待ってくれている。
アルシャは浅い川の中に入って、義足に付いた泥を落とす。アルシャはオルトラとクルアハに創って貰った義足に触れる度、心がほかほかと温かくなって、笑みを零さずにはいられなかった。
「動くな。そこのガキ」
不意に、聞き慣れぬ男の声が前方から聞こえてきて、アルシャは顔を上げる。
そこには、川の向こう岸から十数人ほどの男たちが連れ立って、こちらに向かってきていた。
「見ろ。このガキの耳、異形の形だ。異人類か?」
「髪と目の色も珍しい。見目も悪くねぇ。お上に売れば高値がつきそうだ」
見るからに人間だろうか。人間たちはアルシャを品定めするように見て、何やらぶつぶつと言い合っている。
アルシャは首を傾げて、人間たちに声をかけた。
「人間、さん……? えっと。あなたたちは、だあれ?」
「とっとと捕まえるぞ。逃げられる前にな」
アルシャの問いかけには答えず、人間たちはアルシャへと手を伸ばしてくる。アルシャは嫌な予感が胸を突いて、咄嗟に後退った。
「おい」
しかし、人間たちの伸ばされた手は、強く振り払われた。同時にすぐ背後から聞こえたのは、聞き慣れた低音の声――オルトラだ。
アルシャは思わずほっとして、オルトラを振り返る。だが、そこにはもう、オルトラの姿は無かった。
「オルトラ……?」
「ぐあああああ! 何だ、こいつの魔法!?」
アルシャがオルトラの名を呼んだ瞬間、絶叫が飛んだ。アルシャは再び人間たちの群れを振り向くと、そこには人間たちに対峙するオルトラの背中があった。人間の一人の腕が、錆び付いているのが垣間見える。
ルルル――グルルルルル――。
オルトラの錆色の髪が逆立つように靡き、オルトラの喉からは〈錆犬〉の唸り声が地を揺らすように轟く。
オルトラは人間たちを前に、我を忘れているようだった。
オルトラの右腕を中心に、たちまち錆の魔法が溢れ出て、傍を流れる川を干上がらせ、錆び付かせてゆく。
オルトラの強大な錆の魔法に対抗するように、人間たちも魔法のようなものを繰り出した。オルトラを囲い込むように、大地を隆起させた大壁が創り出される。
アルシャは思いがけず、己の目を疑った。
(どうして? 人間さんは、魔法をつかえないはずなのに……!)
しかし、そんな疑問もすぐに掻き消される。
何故なら、オルトラの錆の魔法がますます強くなり、辺りの木々を枯らして、アルシャたちの足元の大地まで錆び付かせて、沈下し出したのだ。
『錆の魔法は、制御が利かん。そして俺の錆は容易く、未来永劫に大地を腐らせ、他の生物をも皆殺しにする』
アルシャはそこで、かつてのオルトラの言葉が脳裏を過る。
(いけない……! このままでは、ほかのいきものも殺してしまう!)
咄嗟にアルシャは、オルトラへとヤドリギ魔法をかけて、オルトラの視界を寄生木で覆い尽くした。
「オルトラ。われを忘れては、だめ……! 魔法は、心よ。こころをしずめて。歌をうたってみて? 音楽は原始の魔法。歌をうたえば、心がさだまって、魔法もじょうずにつかえるわ……!」
アルシャが必死にオルトラへと呼び掛ける。すると、オルトラがはっと息呑んだかと思えば、息を切らして、頭を抱えた。
「はあ、はあっ、は……!」
「だいじょうぶ。だいじょうぶよ」
アルシャはオルトラに駆け寄ると、柔い声で宥めるように何度も呼びかける。それが効果を成したのか、徐々に錆の魔法も鎮まり始めた。
だが、アルシャは忘れていた。魔法を使える異様な人間たちの存在を。
隙を見計らっていたのか、人間たちが一斉にアルシャとオルトラへ剣を振りかぶり、襲い掛かってくる。
アルシャは声も上げられず、足に根が張ってしまったかのように、その場に固まってしまった。
刹那。
襲い掛かってきた人間たちが、アルシャたちの前に躍り出て来た黒い影によって吹き飛ばされた。
アルシャは止まっていた呼吸を浅く繰り返し、己の前に立った黒い影――その大きな背中に、安堵の声を漏らす。
「クルアハ……!」
「遅くなってしまって申し訳ない。二人とも、怪我はないね?」
「だいじょ、ぶ……よ……!」
クルアハは振り向きもせずアルシャに頷いて見せると、短くオルトラを呼んだ。
「オルトラ」
「わかって、いる……!」
それだけで、双子は通じ合えるのだろう。
己の目を覆う寄生木を振り払ったオルトラが左腕の魔法で、巨大な戦斧を創り出し、それをクルアハに投げ渡した。
クルアハは軽々と戦斧を片手で受け取ると、人間たちに向かって戦斧を音も無く構える。
「待たせたね。諸君。それでは――」
クルアハが、人間たちに向かって高く跳んだ瞬間。アルシャの視界は、オルトラの外套によって遮られた。
「血祭りといこうか」
今までに聞いたことが無いほど、クルアハの声が低くなる。途端に、「ゴウ!」と風を切るような凄まじい音と、激しい金属音、人間たちの数多の断末魔が絶え間なく飛び交い始めた。
「あまり音を出さないでもらえると助かる。アルシャに、こういう騒音は聞かせたくないのでね」
「ぎゃああああ!?」
抑揚の無いクルアハの声が、いつも以上に淡々としている。
「かけっこかい? いいね」
「あ、あ、アッ……あああああああ! バケモノォォォ!」
クルアハの声が、冷たい。
「ほら、僕から逃げきって見せて?」
「う、あああ……こ、さな……で!」
冷たいようで、どろりと、煮え滾るように燃えている。
「聞こえないな。もっとゆっくり話してごらん」
「殺さないでぇ!」
「そう」
クルアハはきっと、オルトラ以上に容赦のない人なのだとアルシャは思い知った。
「がはっ……」
「殺すよ」
無慈悲なそれを最後に、辺りには痛いほどの沈黙が落ちた。
アルシャはオルトラの外套からもぞもぞと這い出し、脇目もふらずクルアハへと駆け寄る。
ばしゃばしゃと、赤い水が飛び散ったが、アルシャは気に留めることもできなかった。
「クルアハ!」
「……アルシャ」
こちらを振り向いたクルアハは、手に持つ戦斧、そして頭から爪先まで、真っ赤に染まっていた。
アルシャが両手を胸の前で組み、目を丸くしてクルアハを見上げる。目が合ったクルアハはいつもの涼しげな無表情のまま、しかしどこか寂しそうな声でアルシャへと静かに問いかけた。
「僕が怖いかい?」
アルシャは間髪を容れずに首を横に振って、クルアハへ答える。
「いいえ。こわくないわ」
「……ふ。そうか。ありがとう、アルシャ。君は強い子だ」
少しほっとしたように、クルアハは目を伏せた。それでもすぐにクルアハは目を上げて、いつの間にかアルシャのすぐ背後に立っていたオルトラへと声をかける。
「〈魔喰師〉がいた。ただの山賊ではないね」
「やはり、大陸連合の息がかかっているな」
「その可能性が高い。早くここを離れよう」
短く話し合うオルトラとクルアハ。
アルシャは二人の外套の裾を引っ張って、背伸びをしながら二人の会話に割って入った。
「あの! ふたりとも、たすけてくれてありがとう。おけがはしてない? だいじょうぶ? おけがなら、わたくしの魔法でなおすから……!」
心配そうに丸い眉を下げるアルシャに、オルトラがようやく眉間に寄っていた皺を僅かに緩めて、小さく息を吐いた。
「怪我なんぞしてねぇ。錆犬を舐めるな」
「ああ。これは返り血だから心配いらないよ、アルシャ。何より、君にこそ怪我が無くて良かった」
二人の言葉に、アルシャはほっと胸を撫でおろす。
「さあ、行こう。今日はここではなく、別の場所で夜を越さないといけなくなったからね」というクルアハの声に促されて、アルシャは二人と共に天幕へと急いだ。




