第98話 渾渾沌沌
アスカからのアドバイス――無限と有限の違いを頭の片隅に刻む。
正直言えば、これがどんなアドバイスに繋がるのかわかってない。
でも、わざわざアスカが訪れたということは大切なことなんだろう。
俺は管理者が待っている扉へ一度顔を振ってから、なんだかよくわからない話を展開しているアスカとミュールを見た。
「アスカさん、例えに失敗を持ち出してましたけど、それでは全知全能の神の名折れじゃないですか?」
「全知全能をやっておっても、世界を水に流して失敗を無しにしたこともあるからよいじゃろ」
「ありましたねぇ、そんなこと。大雑把すぎません?」
「それもまた、無限と有限の価値観のずれじゃろうな」
「あの、二人とも」
「ん、なんじゃ?」
「どうしました?」
俺は看板を手に取り、肩に置く。
「そろそろ、俺は行くよ。アスカ、アドバイス、ありがとな。ミュールも」
「なに、大した話はしとらんからな」
「リョウさん、頑張って管理者をぼこぼこしてくださいね!」
ミュールが拳をぐっと見せつけてくる。俺はそれに応えて、拳をミュールへ突き出した。
「ああ、任せておけって!! じゃ、行くか、看板」
「うん、行こう」
拳を解き、ドアノブへ手を置く。
(この先に管理者がいる。どんな奴だろうか? 俺と同じ姿? それとも人とは全く異なる姿。姿そのものがないとか……まぁ、すぐにわかるか)
ドアノブを捻る。しかし、手のひらに汗が浮かび、ノブが滑って上手く回せない。
(くそ! 緊張してて――違う、少しビビってる……)
俺と同じ場所へ引きずり落とした。でも、それは目線が同じ場所に来ただけで、対等な関係と呼べるものじゃないだろう。
それでも、雲を掴むような場所ではなく、物理的に掴める場所にあいつはいる!
「ふぅ~……」
「リョウ、僕もいるからね」
「――っ! ああ、そうだな!!」
ドアノブを握る手に、俺と看板の想いが重なる。
俺はドアノブを捻り、管理者が待つ部屋へと入った。
――――残されたアスカとミュール
ミュールはアスカに問いかける。
「勝てますかね、リョウさんは?」
「勝つ負けるの話ではのうて、殴れる殴れないの話なんじゃがな」
「同じようなことでしょう。それで、どう思います?」
「100%、リョウは殴れず終了じゃろうな」
「……本気で言ってます」
「本気じゃよ。真っ当な勝負では、リョウの拳は管理者に届かぬ」
「それは……真っ当でなければ届くということですね。何か、リョウさんが秘策を打つと」
「いや、それはない。殴り合いを選択した時点でそれはできぬ」
「でしたら、アドバイスは殴り合いではなく、策が打てるものに。そう言えばよかったじゃないですか」
「それを行えば、さらに差は広がるのじゃよ」
「え?」
アスカは黄金の瞳をスッと横に動かす。すると、視線の先に青色の渦が生まれる。
「さて、ワシらも戻って、ミシャたちと一緒に成り行きを見守ろうではないか」
「待ってください。このままではリョウさんに勝ち目がないんですよね?」
「……管理者は圧倒的な存在。リョウや看板から見れば理不尽の塊。じゃがの……」
アスカはクイッと口端を吊り上げる。
「世の中には、神や管理者よりも単純で、恐ろしい理不尽があるんじゃよ、ククク」
――扉を越えた先
「ここは……」
突き抜ける青い空。
春を感じさせる柔らかな陽光。草の匂いは鮮烈。
ほんのり肌寒いそよ風が生きているように動き、草原を薙いで、草のキャンバスの形を変えている。
周囲には、自然以外何もない。
「俺たちがいた草原、とは雰囲気が違うな」
「そうだね。穏やかすぎる僕たちの草原よりも、こちらの草原の方が活力がある」
「ま、ここがどこだっていいさ。俺は全力で管理者を殴りつけるだけだ。思いを攻撃全振りにしてな!」
俺はそう言って、何度も拳を振るう。
看板はこの『┐(´д`)┌』顔文字を描き、文字を浮かべる。
「防御も大事だと思うけどね」
「防御なんて必要ねぇよ! 俺にはあとがない! だから、この拳を剣に変えて、管理者をぶった切る!!」
「あはは、勇ましいなぁ。そいつが俺に届くといいけどな」
パチパチと、乾いた拍手の音。
広大な草原にもかかわらず、耳傍で直接叩かれているようなクリアな響きと共に、乱暴な口調の女性の声が届く。
先ほどまで誰もいなかった草原に、一人の少女が立っている。
俺の目には、その少女の立つ場所だけ、風が止まり、色彩がわずかに歪んで見えた。
その存在は、美しい長い黒髪を揺らし、こちらへ少女のものとは思えぬ妖艶な笑みを浮かべた。
だが、その雰囲気とは全くかけ離れた男勝りな言葉で、名乗りを上げる。
「はじめましてだな、リョウに看板。俺がお前たちを生み出した――管理者だ」




