第96話 償いは新たな道を指し示す
俺は女性へ話しかける。
「あなたたちの望みを知った。俺が管理者を殴ることができれば、その望みを贈ることが可能だ。だから、俺を信じて、この道を通してくれ」
「あなたを、信じる?」
「ああ、信じて、支えてほしい。俺があなたたちに償えるとしたら、憎悪と向き合う力を伝えることだ」
「力? ですけど、わたしたちは必要以上の意識を求めていません」
「ああ、わかっているさ。でも、だからこそ、意識と向き合う必要がある。もう二度と、翻弄されないために……」
俺は頭を横に振り、彼女へ崩れた笑顔を見せる。
「俺にはあなたたちの憎悪を消すことはできない。忘れさせることもできない。でも、期待で上書きすることはできる。いや……そんなことしかできないんだ」
闇に向かって、手を差し伸ばす。
「信頼という思いで、憎悪を薄めることしかできない。これが俺にできる精一杯の、贖罪」
伸ばした手は空虚な闇に浮かんだまま。
女性は戸惑っている様子で触れようとしてこない。
すると、男性の声が響く。
「一度生まれた感情は消せない。だが、新たな感情が加わることで変化する……か。お前は恐ろしい」
男性の声がより一層高くなる。
「お前ならば私たちに『元の私たちを』与えることが可能だろう。だが、それを良しとしない。お前は、感情を知ったうえで、揺蕩う己を望めというのだな」
男性の気配を近くに感じる。
「ふん、期待という名の上書きだと? よく言ったものだ。お前が渡そうとしている真の意味での、わたしたちに対する償い……それは――――成長だ!」
男性が俺の手をぐっと握りしめた。
完全な暗闇の中に、微細な黒い結晶のような光が生まれる。
その光には、眩い太陽にも負けない熱さを感じる。
「お前に対する憎悪は消えない。だが、それを上回る期待を持とう」
「ああ、任せてくれ」
闇の奥から、微かな熱だけが胸に触れ、男性は小さな笑いを生む。
「ふふ、期待という言葉を口に出した瞬間、憎悪は希薄となり、代わりにお前という存在を強く意識するようになった」
彼の言葉が胸に突き刺さり、心臓の奥に錘が落ちたような感覚が走る。
「あはは、俺も期待という言葉を耳した途端、罪意識は薄れた気がする。だけど代わりに、信頼というプレッシャーをズシリと心に感じるようになったよ」
「感情とは、なんとも漠然として曖昧なものなのか」
「だからこそ知らないと」
「……そうだな。もう二度と翻弄されないために。希薄な世界で微睡みを覚えるために」
男性の気配が揺らめき、女性へ話しかける。
「君が声を上げなければ、憎悪に支配されて、ただ断罪を求めるだけだった。ありがとう」
「ううん、あなたこそ、わたしの一歩先を歩んでくれた。答えを見つけてくれてありがとう」
闇たちの気配がかすみ、消えていく。
「期待しているぞ、少年」
「期待はあなたの心に碇を下ろす。でも、同時に支えとなる。そのことを覚えていてね」
闇は消えて、光の世界が現れる。
白日の閃光は微睡みとは程遠く、炯眼。
「見えすぎる世界ってのも、問題ありかもな。真理・真実を追い求めやすい反面、あまりの眩しさで、逆に見えないってこともある」
自分が明確であること。それは当然で、正解だと思っていた。
だけど闇の住民たちは違った。
曖昧であることこそが、彼ら。
俺は彼らがこれからも曖昧であり続けるために、明確を知ることを渡した。彼らからは曖昧であることの大切さを知った。
看板を手に取り、正面を見据える。
すると、木製の扉が現れた。
扉には安っぽいネームプレートがぶら下がり、ゲストルームと書かれてある。
「ようやく、管理者とご対面か」
「ああ……そうだね」
看板の柄から微妙な振動を感じる。震えているのだろうか?
「看板、管理者に会うのが怖いのか?」
「それもある。でも、それ以上に……これを見て」
看板に数字が浮かび上がる。
――創生率343%――
「343? この数字はどういうことなんだ?」
「君が管理者を殴った後に起こること。数字はこの世界を0%とした場合のもの。0だとそっくりそのままの世界が誕生する」
「その数字が0からかけ離れた343%。ふむ、どんな世界が生まれるんだか」
「安定したこの宇宙からかけ離れた世界。もはや、維持できるかどうかもわからない。生まれた瞬間に消失する可能性も」
「消させない」
「え?」
「消えないように、また、俺たちで同じことをやればいいだけさ」
「それって……」
――どうやら、おぬしの旅も佳境のようじゃな――
少女の声なのに、この老人言葉は……。
「アスカか?」
後ろを振り返ると、長い桃色の髪をさらりと流す、白いワンピース姿の少女。
アスカは太陽のように眩しい黄金の瞳を輝かせて、山羊の角の生えた頭とお尻から飛び出した巨大な尾っぽを振った。
「くはは、なかなか面白そうな世界が生まれそうで何よりじゃ」
「何が面白いんだよ。で、何しに来たんだ?」
アスカは不敵に唇を吊り上げ、その巨大な尾っぽでゲストルームの扉を小突いた。
「なに、大したことではない。決戦前に、ちょいとばかりアドバイスをな」




