第93話 ありがとう
女神は去り、お菓子の世界に扉が現れる。
俺は扉の前でぼそりと呟く。
「今回の問いと答えは何だったんだろうな?」
すると看板は、ふにゃふにゃになった文字を描いてきた。
「え~、気づいてないの~?」
「文字で呆れ具合を表すなよ。で、なんだったか教えろよ」
「はぁ……まずは孤独に対する解――協力。そして、過ちを止めるのではなく見守ること」
「ふ~ん」
「ふ~んって……自分のやったことを言語化できないって問題だよ」
「こんなこと言語化なんてしなくていいだろ。大したことじゃないし。それにさ――」
俺は親指で胸元を指す。
「心がわかってるんだから十分だ」
「……フフ、君は。面白いけど、言語化は必要だよ。みんなにその思いを託すには」
「別に俺は神みたいに、教えを説く気ないんで必要ありません!」
プイっと俺は顔をそむけた。
そむけた先で勇者と魔王が笑ってる。
俺は一度片手で顔を撫でてから、二人に礼を述べた。
「ありがとう、助かったよ」
「なに、大したことはしてないさ」
「女神の憤りを受け止めただけにすぎん」
「そっか、くすっ」
「ふふ」
「フッ」
俺たち三人は小さな笑いを漏らし、勇者と魔王は寂しげな笑みを見せる。
「……永遠の別れになるんだね」
「二度と会えぬのだな」
二人の言葉を前に、俺も同じく寂しげな笑みを見せた。
「ああ、そうなる。最後の最後に、二人に会えてよかった」
「私たちもだよ」
「貴様のことは忘れぬ……と言いたいが、それは無理なのだろうな」
俺が管理者を殴る……それはすなわち、無かったことになる。つまり、誰の記憶からも消え去るということ。
それは神である二人であっても認知されない存在として……俺という存在は、全知の枠から外れる。
だけど、看板はこう書き記す。
「神の根源たる零領域には記録が残るはずだよ。連邦や他の種族も、管理者の影響を受けない領域にデータを保存してるはず」
しかし二人は――
「それは、保証のないもの」
「残ったとしても、それは記録であり、記憶としては残らない」
勇者は自身の胸を強く掴み、魔王はそっと胸に手を置く。
「君と出会い、得た喜びも悲しみも、全ての感情が記録として存在するだけ」
「今こうして心に宿している思いは、記録に触れることで蘇るが、それは……記憶とは別物だ」
俺は、零領域とやらがどんなものかわからない。
でも、おそらく、そこにある記録に触れると、その時の感情そのものを味わうことが可能な場所なんだろう。
二人と出会い、共に過ごした思い出、心に宿った暖かな思い。それらを実際に起こったこととして感じることができる。
つまりは、記録と記憶は同列の力。
そうであっても勇者と魔王は、『それ』は違うと言う。
勇者は軽く手を払い、魔王は腰に両手を置く。
「まぁ、新参の神だから、こう人間っぽく考えてしまうのかもしれないね」
「我はこのままでよいと思っているぞ。完璧な神など――つまらぬ」
看板は新たな時代の神をこう評する。
「全知全能を拒絶する神。これは神の定義に背くと同義。でも、それは、進歩と呼べる事象なのかもしれない」
完全であることを否定すれば、完全ではなくなる。
だけど、完全性を失うことで、新たな完全へと導く。
後退することで進歩する存在。
俺は軽く頭を掻く。
「前へ前へ進むことで、新しい自分を得ようとしている俺たちとは真逆か。ようわからん存在だよ、神って奴は。さて……と」
ドアノブに手を置き、後ろを振り返り、別れを告げた。短く。
「さよなら」
「ああ」
「さらばだ」
扉に向き直り、ドアノブに手を置く。その手に力が入り、ドアノブがミシミシと泣く。
(覚悟は決めてる。俺にやれることは一つしかない――行くか!!)
カチャリと、ドアノブが回る。
そうして、最後の世界へ――俺が最も恐れる、罪の世界へと向かう。




