第92話 二律背反
「私たちはあなたのようにはならない」
「我らに世界を滅ぼすなどという選択肢はない」
勇者と魔王の言の葉は鋭い矢となって、女神の心臓を射抜いた。
彼女は頭を激しくぼりぼりと掻き、顔を歪める。
「新参の神が! それはメッキすら塗られていない、むき出しの覚悟にすぎない! その言葉、万度、億度重ねれば、水たまりよりも浅いものだと気づくだろう!!」
女神は何百という大小さまざまな大きさの光の球体を生み出して、二人へと放つ。
二人は剣や錫杖でそれらを軽くいなすと、勇者が一気に踏み込み、女神の腹部に剣の柄を打ち込んだ。
「はっ!」
「ぐはっ! おのれ!!」
女神は光球を勇者に放つが、すでにそこには彼の姿はなく、代わりに魔王が放った雷撃が存在していた。
光球は雷撃に触れると爆ぜ消え、雷撃はそのまま女神へ直撃する。
「ぎゃああああああ!! ――くっ、この程度では!!」
焦げ臭さを残しながらも彼女は動きを止めず、二人へ攻撃を放ち続ける。
だが、勇者と魔王は女神を圧倒して、かすり傷一つ負わずに、ただ、女神だけが傷を重ねていく。
俺は圧倒的すぎる二人の強さに、言葉の端を霞ませる。
「は~、めちゃつえぇー……」
「それは当然だよ。二人は創生神級の神。一方、女神は創造の力を失い、感情に振り回されるだけの存在。力はぎりぎり神に届く程度。敵うわけがない。すぐに勝負がつくよ」
看板の言うとおり、女神は為すすべなく、ひたすら力を削り取られていくだけ。
彼女からは威圧感が薄れ、存在もまた希薄になってきている。
先にあるのは……消滅。
そう俺は、心に感じ取っていた。
「おのれ! おのれ! おのれええええ!!」
女神は涙を流していた。
その涙に怒りはなく、長い孤独の果てに滲んだもの……。
「なぜ、どうして!? 私は生み出した者たちを、正しく導きたかっただけなのに!!」
「私たちも神となり、あなたの苦しみは理解した。だけど、正しき道を伝えても、彼らはそれを受け入れるとは限らない」
「反発を覚えることもある。解釈を捻じ曲げることもある。だが、それでいいではないか」
「なぜ、なぜ、そんなことが言える!! 過ちを犯そうとする者を止めるのは、創造主として当然のことであろうに!!」
「止めはしてるさ。だけどな、やめないんだよな。なにせ、神である私たちと違い、不完全な存在だから。だから、過ちを犯しても、それを見守ればいい」
「その通りだ。貴様のように諦めて、世界の滅亡を選ぶことこそが――神の過ちだ!」
勇者と魔王の錫杖が女神へ降り落とされる。
女神は喉奥から、振り絞るように泣いた。
「諦めたわけではない! 望むものを与えただけ! 私は、本当は……やり直したかっ――」
「そこまで!!」
音の響きが、戦いの調べを消し去る。
ぴたり、と、神気の奔流が止まり、勇者と魔王は剣と錫杖を振り上げたまま、こちらへ振り返る。
「リョウ?」
「何のつもりだ?」
「いや、とどめまで必要ないだろ……と思ってな。看板、ここで待っててくれるか」
「うん、いいけど。どうするの?」
「考え中」
俺は女神のもとへ向かう。勇者と魔王は「危険だ」と訴えるが、二人へ手のひらを見せて、動きを制する。
そして、泣き崩れている女神の前に立ち、彼女に問いかけた。
「みんな、お菓子にしちゃったけど、なんでなの?」
「……満ち足りた世界を求めた。だから与えた。負の感情もなく、幸せに満ちた世界を」
「でも、そこに思考を持つ存在がいないと、意味がないと思うけど?」
「知恵ある者が生まれれば、平穏を乱す。もう、私にはあの世界がすべてだった」
「そこまで追い詰められる前に、相談とかしなかったの? 他の神様とかに」
「相談? ふ、ふふ、ふふふ、神がそのような恥を晒せるか」
「で、結果がこれじゃ意味ないじゃん」
「ぐっ、黙れ!」
俺は彼女の前にかがむ。
「何が問題だったかわかるか?」
「…………」
「勇者と魔王の言葉に答えがあったと思うけど」
「フッ、過ちを犯しても許す寛容さ、とでもいうのか?」
「んにゃ、全然違う」
「……では、なんだというのだ」
俺は立ち上がり、彼女へ手を伸ばす。
「その答えを教えてやる。だから、俺の手を取れ」
「何を言っている?」
「やり直したいんだろ? 俺が、それを叶えさせてやる」
女神は差し伸ばされた手を見つめ、鼻で笑った。
「フンッ、恥の上塗りもよいところ。消せ」
「はぁ、あんたの駄目なところは、その短気なところだと思うぞ」
「…………」
「しゃーない、言い方を変える」
俺は再びかがみ、彼女をまっすぐ見据えた。
「答えを渡す。代わりに、俺に力を貸してくれ」
俺は先ほどと同じように手を差し伸ばした。だが、この手は先ほどとは違い、救いの手ではない。
握手を求める手だ。
「人間が……神である私を救うなど」
「もうすぐ、俺は人間じゃなくなる。だから……さ」
俺は眉を下げ、口元を少しだけ引き締めて、寂しさを表情として表す。
女神はその姿を見て、首を横に振った。
「理解できない。それは喜ばしいことであろうに。可能ならばな……」
「それが可能かどうか、どうして俺がこんな顔をしてしまったのか、その答えもセットで渡すさ。頼むよ」
差し伸べた手を、さらに前へ伸ばす。
女神は俺を見上げるように見つめると、小さなため息を漏らした。
「……はぁ、みじめだ。だけど、もう、これ以上みじめになりようがない」
女神は俺の手を取り、グッと引き寄せる。
そして、顔を間近に持ってきて、耳元で言葉を漏らす。
「いずれ、貴様からすべてを奪ってやる」
「ふふ、上等。やれるものならやってみろ」
冷たさを纏う彼女の手のひらに、微かな温もりが宿る。
彼女はその熱を忌々しそうに振り払い、勇者と魔王へ顔を向けた。
「……世話をかけた。若き神たちよ」
「私たちは、あなたの苦悩の玄関前に来たばかりだ」
「そうであるのに、不遜であったな」
「……フフ、気をつけよ。子らは、愚かだ。実に愚かだ。無知蒙昧でありながら、万物の霊長だと吹聴する。いずれは、その傲慢な姿に怒りを覚えるであろう」
「ああ、そうならないように気をつけるさ」
「我らにできることと、彼らにできぬことの差を、しっかり受け止めてな」
「フッ、私は一人だったが、貴様たちは違う。私もまた、誰かに…………フン、下らぬ。過ぎたことを。さらばだ」
女神は俺をちらりと見ると、小さな笑みを残して、姿を消した。




