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世界が滅びたので看板を片手に旅に出ます  作者: 雪野湯
第十九章 歩んできた世界

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第87話 偏愛

 燃え盛る村は消え去り、扉が現れる。

 ノブを持ち、回し、次の問いへ――



 闇の空に下弦の月がぽつりと、孤独に浮かぶ荒野。

 そこには、一人の純白の導師服を纏う中年の女性がいた。


「お久しぶりですね」


 俺は看板を荒野に突き刺し、女性ではなく看板へ問いかけた。


「あの人、誰だっけ?」

「ほら、王女と王子の駆け落ちの手引きをしたときに、邪魔しに現れた王子の母親」

「あ~!! あの時のおばはんか!!」


「誰がおばはんですか!!」


 おばはんもとい、王子の母はご立派な宝石の冠のついた魔導杖(まどうじょう)を振り上げたが、咳払いを一つ行い、何とか感情を抑え込んだ様子。



「ゴホン……あなたの行いが、わたくしたちの世界を混乱へ導きました」

「ん? 俺がやったことは、あんたの息子と王女を引き合わせただけだろ」


「……敵国同士の王子と王女が駆け落ちしたなど、決してあってはならない事実。その後、互いに連れ去ったと主張し、戦争が始まりました」

「え!?」

「大地は血に染まり、嘆きは大河となり、憎しみの炎は天を焦がす。わたくしもまた――」



 白い導師服を脱ぎ捨てる。

 彼女の胸にはナイフが深々と突き刺さり、黝(あおぐろ)い月明かりに照らし出された赤はぽたりぽたりと落ちて、荒野に染み込むことなく、黒い靄として霧散していく。


 彼女は両手で自身の顔を覆う。

「多くの者が命を失った。我が夫も……漁夫の利を得た第三国によって、我が国も王女の国も地上から消え失せた。これが結末――」


 片手を伸ばし、仄暗(ほのぐら)い闇の中からゆっくりと語りかけてくる。

「愛する者を手引きする。あなたは満足でしたでしょう。善を為したと感じたでしょう。ですが、それが何を引き起こすのか――まったく、考えていなかった!!」



「……そうだな、そこまでは考えてなかった。だけど、これだけははっきり言える」

「なんですか?」

「止められたのはあんたたちだ。止められなかった責任まで俺は負う気はない」


「不幸のきっかけを作ったのはあなたでしょう!」

「きっかけは……あんたが二人の愛を認められなかったからだ!!」


「黙りなさい、下郎め!」


 王子の母は魔導杖(まどうじょう)に魔力を集め、ガラス片が散りばめられた水球を生み出す。

 その水面は月光を受け、刃(やいば)のような光を放っていた。

 

 俺は身構えるが、彼女は水球を放つことなく、瞳を滲ませる。

「愛……そのような戯言で……息子は不幸な人生を歩むことになった」

「……何を言っているんだ?」



「あの子には王としての務めがあった。王として、すべての繁栄を享受するはずだった。ですが、あのような雌犬を連れて、双方の追手に追われ続ける毎日。息子を不幸へ導いたのは――あなたです!!」


 声には、愛と狂気が歪(いびつ)に絡み合った震えがあった。

 俺はそれに戸惑いを隠せない。

「……おばはん、いったい?」

「全てがうまく回るはずだった。戦争も起こらず、息子は立派な王となり、王国はさらなる繁栄を遂げていた。そうだというのに……追手に追われ、満足に食べ物も口にできない毎日を送っていたでしょう」


「なら、どうして追手なんて送ったんだ? 送らなければ、王女側の追手だけで済んだだろうに」

「それは……息子を……」

「なんだ?」



「取り戻すために決まってるでしょう!」



 母の声は、果てしなく続く沈黙の荒野に衝撃を広げた。

 そして、喉奥から憎悪と憤怒を漏らす。



「取り戻し、息子の命を奪おうとする王女の追手から守るために、必要なことだった。わたくしが、わたくしが、息子を守らねば! たとえ、息子から見限られようと、わたくしはあの子の母です!! だから、守ってやらなければ! わたくしが……わたくしが……」


 魔導杖(まどうじょう)から水球は消え去り、代わりに涙が頬を濡らす。

「だけど、あの子はそれを理解してくれない。追えば追うほど、離れていく。苦しめたくないからこそ追いかけているのに、追いかけることで追い詰めている。わたくしは……」



 崩れ落ち、両膝を土に汚し、力ない声を地に落とす。

「わたくしは……どうすればよかったの? よかったの……」



 無音の荒野にすすり泣く声だけを響かせる母の姿。

 俺は沈黙と共に彼女を見つめる。



(この人、国なんかどうでもいいんだ。ただただ、息子のことが心配で、命を失ってもなお、その思いに囚われて、ここまで来てしまった)



 愛するがゆえに起きた悲劇。

 未熟な俺では、彼女へ渡す言葉が見つからない……………………だけど――。



「不幸だったと決めつけるのは、間違っている」

「……なんですって?」


「追手に追われて苦しい毎日だったのは確かだろう。だからと言って、不幸だったとは言えない」

「馬鹿な! 安寧もなく怯える毎日が幸せだというのですか!!」


「二人でいることこそが、最高の幸せだったかもしれないじゃないか!!」

「――――っ!?」



「俺は二人じゃないから、本当のところはわからないし、好き勝手なことは言えない。でも、あんたなら、わかるんじゃないのか?」

「……え?」


「自分の息子だろ! 息子が信念を貫き、愛する人と共に過ごすことを選んだ。あんたの息子は、自分の選択を後悔する息子なのか!?」



「そ、そんなわけないでしょう! 息子は自らが決めた選択に……選択に……責任を持ち……後悔など……クッ!」


 再び、涙を流す。

 しかしそれは、先ほどの悲しみに包まれた涙ではなく――激怒。


「あの女と共に過ごすことが、母であるわたくしと共にいるより幸せだというのですか!! わたくしは、わたくしこそが、息子を本当に愛して!! どうして、理解してくれないの!! どうして、どうして!」



 何度も荒れた地面を叩く。皮膚が裂け、血が零れ落ちようとも、拳を止めることなく、ひたすら叩き続ける。


 俺も看板も、母の深い慟哭の前に言葉を生み出せない。

 それでも、俺は彼女が振り下ろす手を握って、これ以上、血と泥に汚れるのを止めた。

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