第86話 人としての強さ
肩に担いだ看板が扉に引っ掛からないように気をつけて通り抜ける。
先に広がる光景は瓦礫と化した村。
離れた場所では家が激しく燃えて、焼けた髪の臭気と、生臭く重苦しい空気が辺り一面に立ち込めている。
黒ずんだ地面に看板を突き刺すと、こう書き記した。
「これは……人肉が焼ける匂いだね」
「人間の……あれ、お前、匂いが分かるのか?」
「まぁな」
「出たよ、久々のため口。まぁいいけど」
「大丈夫? 気分が悪くなったりしてない」
「良い気分とは言えないけど、我慢できる範囲だよ。しかし、てっきり俺は訪れた世界の順番通りに問いが行われると思ってたんだけど…………二つ目の問いはあんただったか――神官」
パチパチと瓦礫の爆ぜる音が響き、燃え盛る村の炎に照らし出された影が伸びる。
その影の先には、青や紫に腫れ上がり、顔の原型を失った神官が立っていた。
「これは貴様が引き起こしたことだ……」
彼は零れ落ちるような言葉を吐く。
だが次の瞬間――血と泥に塗れた人差し指を俺に突きつけて吠えた。
「貴様が、貴様さえこなければ! このようなことは起きなかった!!」
俺は彼の言葉を受け止めながら、看板へ短く尋ねる。
「神官は俺の生み出したものか?」
「いや、違う。彼の魂を管理者が再構成して肉の器を与えたんだ。つまり、本物の神官だ」
「再構成したなら怪我くらい直してやればいいのに……」
問いのために、あえて神官を惨たらしい姿として再生したのだろう……くそったれめが。
神官は全身を痛みに苛まれながらも、呪いの言葉を止め処なく吐き続ける。
「戒律の損壊! 不浄の収奪が始まり、女どもは獣の如き情欲に蹂躙され、私は命を簒奪された!! すべて、すべて!! 貴様のせいだぁああ!!」
「それは……」
「知らなかったと口先三寸の欺瞞を放つのか! 神に命じられただけと虚飾の弁を吐き出すのか! 天の耳を塞ぐ愚行を見せるのか! はたまた自責から遁走するのか! だが、全て因果を濁す言の葉! 魂を曇らせる弁解! 断罪を拒む醜態にすぎん!!」
彼が言い放つ罵倒を受け止めて、俺は素直に感心した。
「なるほど、あの球体で現れたあんたは、俺が生み出した罪悪感。ここにいるあんたは、まさしく本物だな」
「……何を言っている?」
「俺が生み出したあんたは、ここまで語彙力がなかった。だから、感心してる。あんたの語彙力に」
「なんだ、その振る舞いは! 貴様は己が罪を――」
俺は彼の言葉を途中で遮った。
「時間を与えすぎたな」
「――なに?」
「あの球体では、俺は何も言い返せなかった。だけど、ここに至るまでの時間で、いくつかの答えを得た。その一つが……クク」
俺は小さな笑いを挟み、顔を仰ぎ上げて、神官を睨んだ。
「お前なんかに責められたくないわ、馬鹿野郎!」
「な、な、なんだと!!」
「人選ミスも甚だしい! 犠牲になった女性や子どもが現れたら、俺はただ謝るしかなかった。だけどな! お前なんかに下げる頭はこれっぽっちもねぇんだよ!!」
「わ、私の犠牲を軽んじるというのか貴様は!」
「軽んじちゃいねえよ! でもな、あんたは俺を責める前に、己の責を見つめるべきだろうが!!」
「き、貴様、いったい何を……?」
俺は無人の村へ大きく手を振った。
「あんたは知っていた! 宇宙人が非道な行いをしていることを! なのになぜ、黙っていた!!」
「それは……あの者たちが神と信じ、私はそれを疑わなかった。だから……」
「俺と同じじゃねぇか! 知らなかった? だから自分がやったことは責めるな? だったらお前も俺のことを責めるなよ! その権利はねえ!」
「うっ」
「男があんたを殴り殺した。それはあんたがそれだけの恨みを買っていたってことじゃねぇのか?」
「わ、私は、神を信じ、善を為して……」
「神官の名の下で、どれだけの人を殺めた。いや、甘い汁を吸った!」
「あああ、ちがう、私は、ただ、信じて……信じて……」
神官は膝を落とし、顔を隠すように頭を抱えて、小刻みに震える。
「違う、違うのだ。私は皆を幸せに導くと信じて……」
俺は彼の下へ歩いていく。
「あんたがやるべきことは、自らの罪と向き合うこと。だけどそれは――一人じゃない」
「――え?」
彼の前で屈み、視線を合わせて、腫れ上がった瞼の先にある小さな瞳を見つめた。
「俺も同じだ。どんなに言い訳を重ねようと、俺の行動が犠牲を生み出してしまったことは否定できない。それから……目を逸らすわけにはいかないんだ」
「……あ……そ、それは、しかし……」
「つらいよな。そんなもん知ったことじゃねぇって投げ出したいよな。でも、できないから、あんたも誰かを責めることで、目を逸らそうとしたんじゃないか?」
「あ、あ、あ……私は……」
彼の肩に手のひらを置く。
震えが小刻みに、俺の手のひらへと伝わってくる。
「逸らすな。俺も逸らさない。償いをどう行えばいいか迷うだろう。俺だって今も迷ってる。でも、あんたは一人じゃない。俺がいる。だから、同じ罪人として迷い、答えを一緒に探そう」
そう言葉を渡すと、神官は涙を流し、地に触れた拳を固め、土を握りしめる。
「ううう、おおおおおお、私は奴らの所業に疑問を抱いていたというのに、それを見つめることができなかった。怖かった。認めれば、自分の業を認めることになる。それが、怖かった。怖かったのだ……」
「だけどこれからは、俺がいる。俺が一緒にいてやるから」
「貴様が、共に?」
「ああ、だから怖さも……まぁ半減くらいにはなるといいな」
「……ふふ、そこはなくなると励ます場面であろう」
「そこまで自信家じゃないもんでな。なにせ、俺は完璧からほど遠い存在だから」
「そうだな……私もだ。だからこそ、迷い、あがき、もがく。それでも、前に進んでいることを信じて、命をつなぐ。それこそが神官としての務めだったであろうに……私こそが耳を塞ぎ、自責から遁走していたのだな……」
神官の姿が光に包まれ、粒子となって風に溶けるように消えていく。
「共にいてくれる心強さ。このまま貴様と共に歩みたいが、私にはまだ、神官としてやるべきことがあるようだ」
「そっか……」
火の粉が夜空に溶けていくような、儚くも温かいオレンジの粒子は揺らり揺らりと舞い、最後に言葉を残す。
――人の命題に答えはない。それでも、答えを探す旅こそが、人の歩みなのだろう――
霞み消えてゆく粒子は、彼の想いを刻むために旅立った。
幽かに残る光の余韻に向かい、語りかける。
「本当、困るよな。答えがあるかどうかもわからないのに、迷い続けなければならないって……」
そうぼやきながらも、俺の唇は小さく弧を描いていた。
――看板
看板は二人のやり取りを見つめ、心にこう文字を描いていた。
(君はナスたちを救う自分を甘いと言っていた。だけど、君が目指す世界は、この宇宙よりも厳しい世界になる。ナスへの寛容・自分への贖罪。その果てに辿り着く、ひとりで静かに自分と対峙する――独坐)
こちらへ微笑みを見せるリョウへ、猫の目を見せて応える。その内側では、思考をさらに深く沈める。
(神という絶対存在に寄りかかることなく、歩めという君の世界は……残酷なまでに自由だ――でも、だからこそ)
――唯一無二だ。




