第8話 心の傷 < 食欲で塗りつぶす
――草原
俺はベッドの上で両膝を抱えたまま横たわっていた。
「……あ」
小さな呟き。
すかさずそれに看板が反応して、文字を表示する。
「動く気になった?」
地面にぶっ刺した看板は俺の様子を見ながら、次の世界へ行け、行けと催促しかしない。
こいつにとって、俺が穴ぽこへ入り、世界の救済とやらを行うことが大事なだけで、俺の状態などどうでもいいようだ。
救済……あれは救済だったのだろうか?
影たちは暗闇の世界にいた。意識は希薄であっても、彼らなりにあの世界に順応し、生きていたのではないか?
だけど看板は、彼らのことを意識の残りかすでしかないという。
そんなもの、俺には受け入れられない。
罪悪感がひたすら心を満たし、それを直視すれば心が壊れてしまいそう。
だから、できない。
向き合うことを恐れ、何も考えず、ボーっとする。
心を空白に、空白に、空白に……。
それでも、時折押し寄せる罪悪感が叫び声となって表に飛び出る。
「わぁああああああ! はぁ、はぁ、はぁ」
看板は描く。
「元気みたいだね」
これは皮肉でも嫌味でもない。本当に元気だと思っている。
たしかに体力が衰えているわけじゃない。ただ、心が擦り減っている。
看板はそれを認識できない存在。
それがたまらなく怖い。苛立ちもする。
俺は両膝を強く抱えた。
すると、圧迫された腹が……。
ぐ~。
と鳴った。
(こんな状態でも腹は減るんだな。でも……)
なすびの王様からもらった野菜はほとんど残っていない。
水も同じ。
だけど、もうどうでもいい。こんなこと続けられない。このままいっそ……
ぐ~。
腹が鳴く。さらに鳴く。
ぐ~、ぐ~、ぐ~。
「なぁぁあああ!!」
俺はベッドの上で立ち上がり、空に向かって吠えた。
「ちきしょう! なんで腹が空くんだよ! 俺はへこんでるんだぞ!!」
「健康な証拠だよ」
「体は健康でも心は傷ついてるはずなんだよ! だけど腹の虫がそんなの知らんと言いやがる! おい、看板!」
「なに?」
「ポイントあったよな!」
「うん、502P」
「食事を出せ。超豪華なやつを!」
「いいの? クリーニング代をケチるくらいだったのに……」
「やけ食いだよ。食って食って食いまくって――あとのことは、あとで考える!! 俺のことも、世界のことも!」
俺の指示に、看板は素直に従った。
草原には絨毯が広げられ、そこに豪華な食事が並ぶ。
俺は絨毯の上に胡坐をかいて、手当たり次第に頬張り始めた。
「むしゃむしゃむしゃむしゃ、くそっ! 餃子うめーな! うぷっ」
不意に、影の存在を思い出して吐き気が生まれるが、それごと呑み込んでやる!
「ゴクン! よし、次!!」
別の皿を手にする。見たことのない野菜で作られた、山盛りの野菜炒め。
さぁ、食うぞ――考えると心が壊れそうになる。だから思考を止めて、食欲で埋め尽くしてしまえ!!
「この、むしゃむしゃむしゃ! ……おお、近所の弁当屋の野菜炒め弁当よりうまい。で、お次は?」
次に手に取った皿……七色に光る不気味な食べ物。
「……なにこれ?」
「アミュックレイ。宇宙で一番美味しい食べ物として有名」
「宇宙で! では、さっそく。むしゃむしゃ…………あれ、味がしないんだけど――いや、味はあるのか? でも、ないよね? なに、この食べ物?」
「それは味を極めた象の一族が作り上げた、美味い不味いの二元論を超えた料理。味があるのにないという、全く新しい概念の料理なんだ」
「へ~……俺にはさっぱりわからん。餃子でいいや」
ひたすら、料理を貪り食う。
その様子を見ていた看板に、一瞬だけ文字が浮かんだような気がした……ちらりと見るが、「……」という無言を表す表示を出しているだけ。
看板は俺を見ながら、何やら考え事をしている様子。
看板の木目がわずかにちらつく。
(ふ~ん、倫理観よりも食欲か。原始的な欲求には逆らえないのかな? それも当然か。個性や理性の構築には、時間がかかるだろうし。いや、これもらしさかな? フフ、ちょっとだけ……)
看板の木目に一瞬だけ猫の目が浮かび、すぐに消えた。
(うらやましいかも……って、僕は何を)
俺は看板の様子が気になり声をかけようとした。
しかし、言葉を出そうとしたところで、看板の表面にくっきりと猫の目が現れて、穴ぽこの方角を見つめる。
「だいぶ、参っているようだから、今回は救済とか無しでどう?」
「むしゃむしゃ、なに言ってんの?」
「世界を助けなくても、ポイントをゲットできる機会を上げようって話」
「――ッ!? できるのか、ごほんごほん。もやしが……喉に……」
「もう、慌てて食べるから。それでどうする?」
俺はなすびの世界や、影の世界のことを思い起こす。
叫び声……もう、あんなのは聞きたくない。
でも、このままここにじっとしていても、腹が減るだけ。
でもでも、看板は信用ならない。
「……そう言って、理不尽なことを押しつける気じゃ?」
「しないしない。今回は君次第で、ポイントが増減する感じだから」
「うん?」
「興味があるならともかく行ってみよう。嫌ならすぐに帰れるようにするからさ」




