第78話 さぁ、行こう
――草原
ただ一つ残っていた穴ぽこは消えた。
この広大な草原を見渡せば、俺と看板。そして、ベッドや調理道具がぽつんと佇んでいる。
さらには、勇者が欲しがったウッドデッキやテーブルセットなど……結構、物があるなぁ。
気がつけば、ずいぶんと賑やかで、多様な生活の痕跡が草原に残されていた。
時間にして、わずか半年足らずくらいだと思う。
けれど、そんな短い月日であっても、形としてここに残るすべてが、俺と看板で一歩ずつ築き上げてきた、確かな歴史の証明だった。
その愛おしい歴史たちの真ん中に、白い猫の獣人・メルの姿があった。
「メル!」
「これはリョウさんに看板さん」
「どうしたの? 遊びに来たの?」
「いえいえ、遊びに来たわけではありません。空間を司る猫の一族、その魔女王であるミーニャ様から勅命を拝受し、こちらへ参ったのです」
「勅命?」
「はい……」
メルはどこか遠くを見つめると肉球と肉球を合わせて、蕩けるような声を生んだ。
「ああ~、私のような下級役人がミーニャ様に直接お会いできるなんて~。お声まで戴けるとは~。あのりりしくも愛らしい姿。威厳の中に秘められた萌えが実に素晴らしく~~」
「あの、メルさん。帰ってきて」
「あ! 失礼、感動が感情を熱情して感銘なんです!!」
「だから、帰ってきて……」
「ああ、そうでした! ゴホン、ミーニャ様の御前にて拝命しました。それはリョウさんを会場となる場所へ送り届けることです」
「送るって……まだ、俺はどこにするかって決めてないけど」
「その場所は連邦が選定しています。大規模の介入があるため、通常の場所では被害が出る可能性を考慮し、何もない宇宙域を選んだようです」
「……大規模の介入? それってやっぱり、神?」
「はい。ですが、それだけではありません。高度な文明を持つ種族の方々も、これを良い観測の機会だと捉え、続々と集結しています」
「なんか、見世物になってない? 俺たち……」
「そうかもしれません。おそらく、数億年に一度あるかないかの出来事。そのため、お祭り騒ぎの状態ですね」
「う~ん」
こっちは意地と誇りと存在理由。そして、ツォアルの人たちの未来を賭けての戦いだってのに、なんかムカつく。
「ま、文句を言っても仕方ないか。じゃあ、メルがそこまで道を?」
「はい……では、どうされますか? 私はいつでも構いませんが?」
「そうだなぁ……」
ゆっくりと顔を上げて、緩やかに見回した。
――草原――
俺の故郷。
そこにはベッドと看板しかいなかった。
ここで勇者や魔王と過ごして、メルと過ごして、看板とケンカして、自分を見つめることができた。
ここから離れたら、もう、同じ場所には戻ってこれない。
そう、管理者に会うというのは、今あるすべてを手放すということだ。
ベッドを押して、その柔らかな感触を指先から心へと浸透させる。
(管理者を殴れたら、俺は……ここに居てはいけない存在になる)
二度と、ここへは戻れない。
勇者や魔王やメルにも会えない。
ミュールやアスカやヤマタノにも。
柚迩やユニ……そして、リョウにも。
風が吹くたび、草原が波のように揺れた。
その音を聞くのも、これが最後かもしれない。
――だけど、管理者を放置できない
――あいつは過ちを繰り返すはずだ
犠牲は……俺と看板だけで終わりにする――
「メル、今すぐ行こう。道を頼む」
メルは無言で頷き、俺は看板を肩に置いた。
看板も何も言わずに、ただ握った柄から高ぶる熱を俺に伝えるだけ。
魔導杖の先端にある、紫の宝玉に光が宿り、肉球を描く。
肉球たちは光から飛び出して何度も弾むと、一つとなって、巨大な肉球となった。
肉球は激しく回転を始めて、周囲の空間が歪んでいく。
その歪みが俺たちを包むと、一瞬の光ののちに、宇宙空間の上に俺たちは立っていた。
足元は透明で何もない。
だが、足の裏には確かな硬さを感じて、そこに床があることを示す。
顔を上げる。
無限の星々を呑み込む漆黒の宇宙を、一閃の亀裂が引き裂くように走り抜ける。
その境界を挟み、巨大な靄や光の塊が渦巻きながら蠢いている。
その靄の中に、数え切れないほどの宇宙船が浮かんでいた。
それもまた左右に分かれて、睨み合っている。
不意に、背後からコツコツと床を鳴らす音が響いてきた。
振り返ると、そこにいたのはミシャだった。




