第76話 狂瀾の賭博
目の前で散らばるコイン。
客たちもその光景に驚き、動きを止めた。
彼らの瞳には床に広がるコインが映っていたが、オーナーの姿を見るとその欲望を恐怖に染めて、ただ物欲しそうにコインを見つめ続けるだけとなった。
おじさんは鼻を手のように振り、黒服の男に短い指示を与える。
「全て、オンにしろ」
「はい」
黒服の男が店の奥へ消えると、おじさんはゆっくりと店内を見回す。
客たちがギャンブルをやめて、おじさんの足元に散らばるコインを見つめ続け、ある者は指をくわえ、ある者は欲望と恐怖の狭間でそろりと近づこうと試みる。
その様子におじさんは満足げな笑みを見せ、大声を張り上げた。
「俺はこの町から出たい。そして坊主! お前なら可能だ! だから、俺のすべてをくれてやる!! おい、そこのお前! 持ってこい!!」
別の黒服に指示を与えると、十数人の黒服が現れて、ドカドカと巨大な箱を置いていく。
おじさんは山積みの箱の一つを蹴り上げた。
箱が転がり、蓋が開く。
そこから――大量のコインが姿を現した!?
「お、おじさん、これは――!?」
「これは俺が貯めに貯めた善行ポイントのコインだ。ここにあるだけで十億!」
「じゅ、じゅう!?」
「金庫にはまだある。それを全部足しゃあ、二千五百億はある!」
「に、に、二千五百億ぅぅぅう!?」
俺の声は店内に広がり、声が客にぶつかると、ある男は大口を開けて顎を外し、ある女は足から力を失い腰を抜かす。
俺もまた同じ思いだったが、何とか顎を押さえ、足へ力を送り込む。
「二千五百億って……なんだよその桁違いの数字は? 大体、俺に必要なのは百万ポイントで――」
「そいつは最低限のポイントだろ、なぁ、看板さんよ?」
象のおじさんに睨まれた看板は、ため息を表す絵を表示して、文字を綴った。
「はぁ……その通り、最低限のもの。会って、場を用意するだけの物。外部勢力による邪魔の排除は無理」
「外部勢力?」
「それについては別途考えようと思っていたんだけど、どうやら、その必要はなくなったようだね」
そう綴り終えると、おじさんはにやりと笑った。
何やらわかりあってるけど、俺は何がなんだかさっぱり。
「あのさ、外部勢力って何?」
「なんだ坊主、自分の置かれた状況を理解してなかったのか?」
「へ?」
「お前さんは神を敵に回してるんだぜ」
「はぁ……」
気の抜けた俺の声に、象のおじさんと看板はやれやれといった態度を見せた。
おじさんは軽く肩を竦めたあとに、俺の疑問に答えていく。
「神は意思を二分している。お前さんを支持するか、しないか。つまり、しない連中は、坊主が出会った女神のように邪魔に入るってことだ」
「――えっ!?」
「そのための備えに、ポイントが必要だ。正直、二千五百億でも足りねぇかもしれねぇ」
「足りないって……看板?」
「その計算は難しい。君が管理者を殴るという舞台を作った瞬間に、君の力は神の脅威として認められる。そのとき、必ず邪魔が入る。同時に支持する神が君を守る。僕は守る側が上回ると読んでいる。だから、それに賭けるつもりだった」
「なぜ、それを教えなかった!」
「……百万ですら集まることが困難な状況で、数百億必要かもと言ったら、君の心は折れていた。だから、守る存在として、それだけは言えない!」
「あ……」
「ごめん」
「看板、謝る必要はない」
「リョウ……」
「だけど、話してほしかった」
「…………」
「看板、これからは何でも話せ。俺は、そんなことで心を折ったりしない。だから、俺のことを信じろ!」
「……っ、うん、そうだね。そうするべきだった」
俺は看板の後悔を瞳に映さず、こいつの優しさだけに微笑みかけて、おじさんへ向き直った。
「二千五百億ってのはすごいけど、善行ポイントは神の力。だから、同じ神の力は防げないんじゃ?」
「そいつは専門家に尋ねよう。看板さんよ、どうだい?」
「基本的に防げない。だけど、会談の場へ送り出すための猶予は生み出せる」
俺はさらに深く言及する。
「その猶予とは?」
「善行ポイントの数字は神の力に比例する。数字が大きければ大きいほど、強力な神でしかそれを打ち破れない」
「逆に言えば、弱い神の力だと、ポイントでもどうにかできるんだ」
「うん、そう。だから、善行ポイントで会談の場までの道を防衛する。これに加え、支持する神もまた君を守るだろう。ポイントの防衛と支持する神の力があれば、会談の場へたどり着ける可能性が高くなる」
「ここまでは理解した。だけど、会談の場そのものを攻撃されたら?」
「それは不可能。許されない行為。会談の場は管理者が現れた時点で、管理者の領域。攻撃すれば、管理者との戦争に移行する」
「なるほど」
「不支持の神は、『知る』枠から外れた管理者と事を構える気はない。この点は、僕たちに有利な点。構えれば、全知の定義が崩れ、自己の存在を否定してしまうからね」
色々ややこしいが、ともかく、会談の場に入ってしまえば大丈夫ってわけだ。
俺は散らばったコインに手を伸ばし、がしりと握りしめておじさんへ見せつける。
「おじさんの融資、受け取った。管理者を殴れたら、必ず約束を果たす」
「頼むぜ」
「ああ。でも、すべてを失うかもしれないぜ」
「構わねぇ! この地獄から出られるならな!!」
おじさんは後ろを振り返り、黄金の魔力に囚われていた人々へ声を張り上げた。
「おい、お前らはどうなんだ!?」
その渾身の怒号は、ギャンブルに狂う群衆を貫き、澱んだ空気のすべてを引き裂く。




